59 / 78
九章
検問所の切り抜け方
しおりを挟む
その日の晩は、通過する田舎町の宿屋で宿泊することになった。
簡素な宿屋で、酸っぱい黒パンと山羊のチーズ、野菜スープの夕食を頂き、準備してもらった1人部屋で休む。ポケットに入れていた黄色の絵本を手に取ってみたが、ものすごく疲れていたのか、表紙を見ただけでそのまま眠りに落ちてしまった。
翌朝早く、まだ薄暗いうちにフォリオに起こされた。宿屋の主人から果物やパンなどをお弁当がわりに受け取り、夜明けと共に出発する。
疲れが取れず、馬車に揺られ、時々うとうとしてしまう。
ラベロアに戻れると思うと、気が緩んでしまうが、まだ、エティグス国内にいることを忘れてはならない。これから検問所が二カ所あるのだ。そこを無事に通過出来たら、ついに、エティグス王国を出て、アンカール国。
国境を越えたらカスピアンに会えるのだと思うと、待ち遠しい反面、一体どんな顔をして会えないのばいいのかと不安になる。
私が彼を信じなかったばかりに、国王の婚儀が直前で中止という異常事態を引き起こした。外国からの貴賓も招待していたし、その始末にはかなりの労力を要した事だろう。私の思慮に欠けた行動のせいでカスピアンにはかなりの心労をかけた上、私が無事にラベロアへ戻れるように様々な根回し、手配をしてもらい、挙げ句に、国王である彼がわざわざ迎えに来てくれるのだ。
過去に戻ることが可能なら、王宮を出ようとした私自身に思い切りビンタを張り、喝を入れたい。
感情に振り回され、理性的に考えず、思いつきで行動した未熟な私。
事実を知るのが怖いからと、慌てて逃げ出すなんて、今更ながら単細胞すぎた。
そんな情けない私が無事に帰国出来るよう、心を砕いてくれたカスピアン。
申し訳なさの余りに、ふさわしい謝罪の言葉も浮かばない。
そんなことを考えながら馬車に揺られ続け、お日様がちょうど真上に登った頃、馬達を休ませるために野原で休憩を取ることになった。彼等は器用に焚火を起こし、温かいお茶を作ってくれる。
「こんなものしかありませんが、よかったらどうぞ」
同行者の一人が、オレンジ色のブリキのコップを差し出してくれる。
「ありがとうございます」
お礼を言って、湯気の立つコップを受け取ると、シナモンやクローブなどのスパイスが香るハーブティだった。一口飲んでみると、胡椒が入っているのかピリッとした辛みがあり、体にポッと火が灯ったような感じがした。
「とても美味しいです」
頬が緩んで笑顔になる私を見て、焚き火を囲んでいた一同が揃って微笑む。
本当に気の良い人たちばかりでよかった。男の人たちの集団と行動を共にするなんて、きっと気疲れすると不安だったけれど、全然そんなことはなかった。カスピアンの依頼で、アンカールの国王が直々に手配をしてくれたということなので、選りすぐりのメンバーなのだろう。半分は本物の商人ということで、アンカール産の家具の話をしてくれたりして、休憩時間はとても楽しいひとときだった。
「もう少ししたら出発します」
フォレオ達が休憩所の片付けを始めたので、私はお茶のお代わりをもらい、皆の邪魔にならないよう立ち上がった。
座席に座りっぱなしで凝り固まった体をほぐそうと、コップ片手に幌馬車の周りを歩いていると、犬の吠え声が聞こえてくる。
見ると、道路の向こうからこちらへ走って来る、茶色の中型犬が一匹。
焚火を消そうとしていたフォレオが立ち上がり、口笛を吹くと、犬はまっしぐらに彼のほうへと走って来た。彼は、じゃれつく犬を撫でながら、首輪に縛り付けられていた小さな筒から紙を取り出した。伝書鳩ならぬ伝書犬らしい。紙面にさっと目を通したフォレオが私を振り返った。
「先に出発していた同胞からの報告です。この先の検問所を通過した際、積荷の検査だけでなく、全員身体検査を受けたとのこと。まずはその対策を考えてから出発になりますね」
フォレオが渋い顔をして、腕組みをする。
身体検査されたら、いくら男の格好をしていても私が男じゃないのはバレてしまう。つまり、私の姿が彼等の目に触れないよう、どこかに隠れる必要があった。
「フォレオ、積荷を見せてもらっていいですか」
「もちろんです」
フォレオと共に、大きな幌馬車二台の積荷をチェックするべく、荷台に乗り込んでみる。どこか身を隠せる場所がないかと家具を見てみたが、中が空洞の大きな衣装箱などは、確実に中をチェックされるだろう。家具と家具の間の陰なんてのも、絶対にバレる。幌馬車の幌の上なんてどうかと思ったけれど、私が乗れば屋根が潰れて、不自然さは一目瞭然。
どこにも隠れるところがない!
焦りながら、荷台の上を歩き回って、何かいいアイデアが出ないか頭を働かせていると、ふと、分厚い絨毯が目に留まる。
その時、クレオパトラがカエサルに会うために絨毯を使った方法を思い出した。クレオパトラは、なかなか面会出来ないカエサルに会うため、絨毯に己の身を包んで彼の元へ運ばせたと言われる。
この方法が使えるかもしれない。
私は急いで、巻かれた状態で荷台に乗せられている絨毯のサイズをチェックした。幅は私の体を隠すのに十分だった。
「フォレオ?」
荷台で他の場所を調べていたフォレオがすぐに私の隣にやってきたので、私は絨毯を指差した。
「この絨毯で私を巻いてみてください。多分、人が入っているとは気づかれないと思います」
「なるほど。では、早速やってみましょう」
フォレオが部下を呼びつけ、一度、絨毯を荷台から下ろし草むらに広げた。私は早速、その上に寝そべり、彼らが絨毯を巻くに従いころころと転がる。きつくなりすぎないように、彼らはゆっくりと注意深く作業を行う。やがて、私の視界は真っ暗になった。どうやら巻き終わったらしいと思い、中から声を挙げた。
「フォレオ?見た感じはどうですか」
「はい、これは完璧です。中に人が入っているとは思えない仕上がりです。このまま荷台に移動させても大丈夫ですか?」
「お願いします」
やがて、絨毯巻きになった私がゆっくりと抱えあげられ、荷台に置かれたのを感じた。
「それでは、急いで出発します。検問所を過ぎ、ある程度離れたら止まりますので、それまでご辛抱ください」
フォレオの言葉通り、馬車が動き出した。
検問所を無事に通過できますように。
ドキドキしながら、全く身動きできない暗闇の中、祈るような気持ちで目を閉じる。
その時、鼻がムズムズしてきて、思わずくしゃみをした。
絨毯についている埃やゴミのせいだろう。
間違っても、検問所のところでくしゃみをしてはならない。
だが、意思とは裏腹に、くしゃみを連発する。鼻水まで出て来てしまった。目も少し痒い気がすることから、これは何かのアレルギー症状らしい。
困った!
焦る側から、鼻のむずむずが止まらない。
不可抗力でくしゃみを連発する。
今は馬車の音で搔き消されているが、停止したらまる聞こえになってしまう。
このままくしゃみが止まらなかったらどうしようと慌てていると、人の声が聞こえ、馬の嗎と共に馬車が軋みながら止まった。
ついに、検問所だ。
絶対に、絶対にくしゃみをするわけにはいかない。
鼻呼吸を止めるべく、鼻をきつくつまんだ。
聞き慣れない男達の声が近づく。
手を挙げろ、などという指示が聞こえた。
どうやら、まずはフォレオ達一行の身体検査が行われているらしい。
我慢出来ずに、一度くしゃみを噛み殺し、彼等に聞こえなかったかと怖くて血の気が引いた。
やがて、幌を開ける音がしたかと思うと、複数の人間が荷台に乗り込む足音がした。
今こそ、くしゃみは完全に止めねばならない。
意地でも、くしゃみはしない!
決死の覚悟で呼吸を止める。
絨毯の周りを歩き回る音、家具の蓋を開ける音や話し声を聞きながら、まるでこれが永遠に続くのかと思うほど長く感じた。
込み上げてくるくしゃみがもう限界に来て、もう、漏れてしまうと泣きたくなってきたところで、「問題なし」と言う声が聞こえた。
ホッとした直後に、荷台から足音が消えて、荒々しく幌を閉める音がした。
終わった!
気が緩み、ついに、くしゃみをしてしまう。だが、ちょうど、フォレオが「出発!」と大声で叫んだタイミングと重なり、バレることはなかった。
ようやく幌馬車が動き出し、無事に検問所を突破したことを知る。
ガタゴトと騒がしい馬車の音に紛れ、心ゆくまでくしゃみをしながら、ホッと胸を撫で下ろした。
しばらくして馬車が止まり、絨毯から出してもらう。
目を赤くし、くしゃみを連発している私を見て、皆が驚いていた。もしかすると、この世界ではアレルギー症状というもの自体、存在しないのかもしれない。
外の新鮮な空気を吸っているうちにくしゃみや目の痒みも収まる。 途中休憩を挟みながら、私達はひたすら国境を目指した。
その日の夜遅く、割と大きめの街に到着した。山の麓なので、高度が上がっているのか、昨晩より気温がやや低くなっているようだ。
ここから1時間くらい先がアンカール国だとのこと。
今晩はここに泊まり、明朝、ついにその国境を越える。
国境の検問所は今日のところより更に厳しいチェックが予測されるため、明日の朝、対策を考える事になった。
自分で湯浴みをした後、新しく借りたアンカール国の男物の服に着替える。フォレオにお願いして、左腕に新しい包帯を巻いてもらった。腕の怪我も痛みは殆どなくなっていて、まだ傷はかさぶたがついているが、包帯で巻いておけばもう気にならないほどに治癒している。
全員が揃ったところで、深夜の食事を取る。今晩は、鶏肉の香草焼きに、茹でたジャガイモと人参。味が薄いので、塩を自分で掛けて調整したが、かなりお腹に溜まる立派な食事だった。
伝書鳩ならぬ伝書犬の名前は、ポリーという女の子だった。ポリーは先を行っていた同胞から、私達のグループに移動し、このまま一緒にアンカールに戻るらしい。ポリーは子犬の時からフォレオが訓練した、れっきとした軍用犬らしいが、そんな厳しい任務をこなしているのに、とても人懐っこく、かわいい犬だった。宿の主人が茹でた肉を与えると、尻尾を振り振りガツガツと食べる。きれいに食べ尽くすと、満足したのか、フォレオの足下で居眠りを始めた。
食事が終わると、今晩こそしっかり眠っておこうと思い、彼等に挨拶をして早々に部屋に戻った。
昨晩同様、着替える事も無くそのまま就寝した。彼等はいつ何があってもすぐに動けるよう、旅の間はわざわざ寝巻きなどに着替えたりしないらしい。合理的といえばその通りだけど、男物の衣類は動きやすい反面、ナイトドレスと違ってリラックス出来るとは言い難かった。
髪が完全には乾いていないため、そのまま寝て、朝、お団子にまとめることにした。
明日は、きっと無事に国境を越えて、アンカール国に入る。
早く眠らなければと思っても、国境の向こうでカスピアンが待っているのだと思うと、目が冴えてなかなか寝付けない。ようやく眠りに落ちたのは、ベッドに入ってかなり時間が経ってからだった。
どれくらい眠ったかわからないが、何か、ガタンという大きな音がして、ハッと目が醒める。反射的に起き上がり、ブーツを履いて扉の方へ駆け寄った。耳を澄ますと、階下で数人の男の話し声がする。不審に思ったその直後、階段を駆け上がってくる足音が聞こえ、驚愕する。
追っ手がここを見つけたのか?
それか、真夜中に家宅捜索が入ったのかもしれない!
咄嗟に薄暗い部屋を見渡したが、家具の少ないこの部屋で身を隠せる場所などない。急いで窓を開けてみるが、ここは二階。飛び降りれるかどうかを確認する前に、もう、廊下を軋ませる荒々しい足音が近づく。
一体、どんな巨漢がやってくるのかと震え上がった。
どこかに隠れなければ!
簡素な宿屋で、酸っぱい黒パンと山羊のチーズ、野菜スープの夕食を頂き、準備してもらった1人部屋で休む。ポケットに入れていた黄色の絵本を手に取ってみたが、ものすごく疲れていたのか、表紙を見ただけでそのまま眠りに落ちてしまった。
翌朝早く、まだ薄暗いうちにフォリオに起こされた。宿屋の主人から果物やパンなどをお弁当がわりに受け取り、夜明けと共に出発する。
疲れが取れず、馬車に揺られ、時々うとうとしてしまう。
ラベロアに戻れると思うと、気が緩んでしまうが、まだ、エティグス国内にいることを忘れてはならない。これから検問所が二カ所あるのだ。そこを無事に通過出来たら、ついに、エティグス王国を出て、アンカール国。
国境を越えたらカスピアンに会えるのだと思うと、待ち遠しい反面、一体どんな顔をして会えないのばいいのかと不安になる。
私が彼を信じなかったばかりに、国王の婚儀が直前で中止という異常事態を引き起こした。外国からの貴賓も招待していたし、その始末にはかなりの労力を要した事だろう。私の思慮に欠けた行動のせいでカスピアンにはかなりの心労をかけた上、私が無事にラベロアへ戻れるように様々な根回し、手配をしてもらい、挙げ句に、国王である彼がわざわざ迎えに来てくれるのだ。
過去に戻ることが可能なら、王宮を出ようとした私自身に思い切りビンタを張り、喝を入れたい。
感情に振り回され、理性的に考えず、思いつきで行動した未熟な私。
事実を知るのが怖いからと、慌てて逃げ出すなんて、今更ながら単細胞すぎた。
そんな情けない私が無事に帰国出来るよう、心を砕いてくれたカスピアン。
申し訳なさの余りに、ふさわしい謝罪の言葉も浮かばない。
そんなことを考えながら馬車に揺られ続け、お日様がちょうど真上に登った頃、馬達を休ませるために野原で休憩を取ることになった。彼等は器用に焚火を起こし、温かいお茶を作ってくれる。
「こんなものしかありませんが、よかったらどうぞ」
同行者の一人が、オレンジ色のブリキのコップを差し出してくれる。
「ありがとうございます」
お礼を言って、湯気の立つコップを受け取ると、シナモンやクローブなどのスパイスが香るハーブティだった。一口飲んでみると、胡椒が入っているのかピリッとした辛みがあり、体にポッと火が灯ったような感じがした。
「とても美味しいです」
頬が緩んで笑顔になる私を見て、焚き火を囲んでいた一同が揃って微笑む。
本当に気の良い人たちばかりでよかった。男の人たちの集団と行動を共にするなんて、きっと気疲れすると不安だったけれど、全然そんなことはなかった。カスピアンの依頼で、アンカールの国王が直々に手配をしてくれたということなので、選りすぐりのメンバーなのだろう。半分は本物の商人ということで、アンカール産の家具の話をしてくれたりして、休憩時間はとても楽しいひとときだった。
「もう少ししたら出発します」
フォレオ達が休憩所の片付けを始めたので、私はお茶のお代わりをもらい、皆の邪魔にならないよう立ち上がった。
座席に座りっぱなしで凝り固まった体をほぐそうと、コップ片手に幌馬車の周りを歩いていると、犬の吠え声が聞こえてくる。
見ると、道路の向こうからこちらへ走って来る、茶色の中型犬が一匹。
焚火を消そうとしていたフォレオが立ち上がり、口笛を吹くと、犬はまっしぐらに彼のほうへと走って来た。彼は、じゃれつく犬を撫でながら、首輪に縛り付けられていた小さな筒から紙を取り出した。伝書鳩ならぬ伝書犬らしい。紙面にさっと目を通したフォレオが私を振り返った。
「先に出発していた同胞からの報告です。この先の検問所を通過した際、積荷の検査だけでなく、全員身体検査を受けたとのこと。まずはその対策を考えてから出発になりますね」
フォレオが渋い顔をして、腕組みをする。
身体検査されたら、いくら男の格好をしていても私が男じゃないのはバレてしまう。つまり、私の姿が彼等の目に触れないよう、どこかに隠れる必要があった。
「フォレオ、積荷を見せてもらっていいですか」
「もちろんです」
フォレオと共に、大きな幌馬車二台の積荷をチェックするべく、荷台に乗り込んでみる。どこか身を隠せる場所がないかと家具を見てみたが、中が空洞の大きな衣装箱などは、確実に中をチェックされるだろう。家具と家具の間の陰なんてのも、絶対にバレる。幌馬車の幌の上なんてどうかと思ったけれど、私が乗れば屋根が潰れて、不自然さは一目瞭然。
どこにも隠れるところがない!
焦りながら、荷台の上を歩き回って、何かいいアイデアが出ないか頭を働かせていると、ふと、分厚い絨毯が目に留まる。
その時、クレオパトラがカエサルに会うために絨毯を使った方法を思い出した。クレオパトラは、なかなか面会出来ないカエサルに会うため、絨毯に己の身を包んで彼の元へ運ばせたと言われる。
この方法が使えるかもしれない。
私は急いで、巻かれた状態で荷台に乗せられている絨毯のサイズをチェックした。幅は私の体を隠すのに十分だった。
「フォレオ?」
荷台で他の場所を調べていたフォレオがすぐに私の隣にやってきたので、私は絨毯を指差した。
「この絨毯で私を巻いてみてください。多分、人が入っているとは気づかれないと思います」
「なるほど。では、早速やってみましょう」
フォレオが部下を呼びつけ、一度、絨毯を荷台から下ろし草むらに広げた。私は早速、その上に寝そべり、彼らが絨毯を巻くに従いころころと転がる。きつくなりすぎないように、彼らはゆっくりと注意深く作業を行う。やがて、私の視界は真っ暗になった。どうやら巻き終わったらしいと思い、中から声を挙げた。
「フォレオ?見た感じはどうですか」
「はい、これは完璧です。中に人が入っているとは思えない仕上がりです。このまま荷台に移動させても大丈夫ですか?」
「お願いします」
やがて、絨毯巻きになった私がゆっくりと抱えあげられ、荷台に置かれたのを感じた。
「それでは、急いで出発します。検問所を過ぎ、ある程度離れたら止まりますので、それまでご辛抱ください」
フォレオの言葉通り、馬車が動き出した。
検問所を無事に通過できますように。
ドキドキしながら、全く身動きできない暗闇の中、祈るような気持ちで目を閉じる。
その時、鼻がムズムズしてきて、思わずくしゃみをした。
絨毯についている埃やゴミのせいだろう。
間違っても、検問所のところでくしゃみをしてはならない。
だが、意思とは裏腹に、くしゃみを連発する。鼻水まで出て来てしまった。目も少し痒い気がすることから、これは何かのアレルギー症状らしい。
困った!
焦る側から、鼻のむずむずが止まらない。
不可抗力でくしゃみを連発する。
今は馬車の音で搔き消されているが、停止したらまる聞こえになってしまう。
このままくしゃみが止まらなかったらどうしようと慌てていると、人の声が聞こえ、馬の嗎と共に馬車が軋みながら止まった。
ついに、検問所だ。
絶対に、絶対にくしゃみをするわけにはいかない。
鼻呼吸を止めるべく、鼻をきつくつまんだ。
聞き慣れない男達の声が近づく。
手を挙げろ、などという指示が聞こえた。
どうやら、まずはフォレオ達一行の身体検査が行われているらしい。
我慢出来ずに、一度くしゃみを噛み殺し、彼等に聞こえなかったかと怖くて血の気が引いた。
やがて、幌を開ける音がしたかと思うと、複数の人間が荷台に乗り込む足音がした。
今こそ、くしゃみは完全に止めねばならない。
意地でも、くしゃみはしない!
決死の覚悟で呼吸を止める。
絨毯の周りを歩き回る音、家具の蓋を開ける音や話し声を聞きながら、まるでこれが永遠に続くのかと思うほど長く感じた。
込み上げてくるくしゃみがもう限界に来て、もう、漏れてしまうと泣きたくなってきたところで、「問題なし」と言う声が聞こえた。
ホッとした直後に、荷台から足音が消えて、荒々しく幌を閉める音がした。
終わった!
気が緩み、ついに、くしゃみをしてしまう。だが、ちょうど、フォレオが「出発!」と大声で叫んだタイミングと重なり、バレることはなかった。
ようやく幌馬車が動き出し、無事に検問所を突破したことを知る。
ガタゴトと騒がしい馬車の音に紛れ、心ゆくまでくしゃみをしながら、ホッと胸を撫で下ろした。
しばらくして馬車が止まり、絨毯から出してもらう。
目を赤くし、くしゃみを連発している私を見て、皆が驚いていた。もしかすると、この世界ではアレルギー症状というもの自体、存在しないのかもしれない。
外の新鮮な空気を吸っているうちにくしゃみや目の痒みも収まる。 途中休憩を挟みながら、私達はひたすら国境を目指した。
その日の夜遅く、割と大きめの街に到着した。山の麓なので、高度が上がっているのか、昨晩より気温がやや低くなっているようだ。
ここから1時間くらい先がアンカール国だとのこと。
今晩はここに泊まり、明朝、ついにその国境を越える。
国境の検問所は今日のところより更に厳しいチェックが予測されるため、明日の朝、対策を考える事になった。
自分で湯浴みをした後、新しく借りたアンカール国の男物の服に着替える。フォレオにお願いして、左腕に新しい包帯を巻いてもらった。腕の怪我も痛みは殆どなくなっていて、まだ傷はかさぶたがついているが、包帯で巻いておけばもう気にならないほどに治癒している。
全員が揃ったところで、深夜の食事を取る。今晩は、鶏肉の香草焼きに、茹でたジャガイモと人参。味が薄いので、塩を自分で掛けて調整したが、かなりお腹に溜まる立派な食事だった。
伝書鳩ならぬ伝書犬の名前は、ポリーという女の子だった。ポリーは先を行っていた同胞から、私達のグループに移動し、このまま一緒にアンカールに戻るらしい。ポリーは子犬の時からフォレオが訓練した、れっきとした軍用犬らしいが、そんな厳しい任務をこなしているのに、とても人懐っこく、かわいい犬だった。宿の主人が茹でた肉を与えると、尻尾を振り振りガツガツと食べる。きれいに食べ尽くすと、満足したのか、フォレオの足下で居眠りを始めた。
食事が終わると、今晩こそしっかり眠っておこうと思い、彼等に挨拶をして早々に部屋に戻った。
昨晩同様、着替える事も無くそのまま就寝した。彼等はいつ何があってもすぐに動けるよう、旅の間はわざわざ寝巻きなどに着替えたりしないらしい。合理的といえばその通りだけど、男物の衣類は動きやすい反面、ナイトドレスと違ってリラックス出来るとは言い難かった。
髪が完全には乾いていないため、そのまま寝て、朝、お団子にまとめることにした。
明日は、きっと無事に国境を越えて、アンカール国に入る。
早く眠らなければと思っても、国境の向こうでカスピアンが待っているのだと思うと、目が冴えてなかなか寝付けない。ようやく眠りに落ちたのは、ベッドに入ってかなり時間が経ってからだった。
どれくらい眠ったかわからないが、何か、ガタンという大きな音がして、ハッと目が醒める。反射的に起き上がり、ブーツを履いて扉の方へ駆け寄った。耳を澄ますと、階下で数人の男の話し声がする。不審に思ったその直後、階段を駆け上がってくる足音が聞こえ、驚愕する。
追っ手がここを見つけたのか?
それか、真夜中に家宅捜索が入ったのかもしれない!
咄嗟に薄暗い部屋を見渡したが、家具の少ないこの部屋で身を隠せる場所などない。急いで窓を開けてみるが、ここは二階。飛び降りれるかどうかを確認する前に、もう、廊下を軋ませる荒々しい足音が近づく。
一体、どんな巨漢がやってくるのかと震え上がった。
どこかに隠れなければ!
0
あなたにおすすめの小説
次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢
さら
恋愛
名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。
しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。
王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。
戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。
一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
私は貴方を許さない
白湯子
恋愛
甘やかされて育ってきたエリザベータは皇太子殿下を見た瞬間、前世の記憶を思い出す。無実の罪を着させられ、最期には断頭台で処刑されたことを。
前世の記憶に酷く混乱するも、優しい義弟に支えられ今世では自分のために生きようとするが…。
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
靴屋の娘と三人のお兄様
こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!?
※小説家になろうにも投稿しています。
旦那様の愛が重い
おきょう
恋愛
マリーナの旦那様は愛情表現がはげしい。
毎朝毎晩「愛してる」と耳元でささやき、隣にいれば腰を抱き寄せてくる。
他人は大切にされていて羨ましいと言うけれど、マリーナには怖いばかり。
甘いばかりの言葉も、優しい視線も、どうにも嘘くさいと思ってしまう。
本心の分からない人の心を、一体どうやって信じればいいのだろう。
【完結】異世界に転移しましたら、四人の夫に溺愛されることになりました(笑)
かのん
恋愛
気が付けば、喧騒など全く聞こえない、鳥のさえずりが穏やかに聞こえる森にいました。
わぁ、こんな静かなところ初めて~なんて、のんびりしていたら、目の前に麗しの美形達が現れて・・・
これは、女性が少ない世界に転移した二十九歳独身女性が、あれよあれよという間に精霊の愛し子として囲われ、いつのまにか四人の男性と結婚し、あれよあれよという間に溺愛される物語。
あっさりめのお話です。それでもよろしければどうぞ!
本日だけ、二話更新。毎日朝10時に更新します。
完結しておりますので、安心してお読みください。
側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、孤独な陛下を癒したら、執着されて離してくれません!
花瀬ゆらぎ
恋愛
「おまえには、国王陛下の側妃になってもらう」
婚約者と親友に裏切られ、傷心の伯爵令嬢イリア。
追い打ちをかけるように父から命じられたのは、若き国王フェイランの側妃になることだった。
しかし、王宮で待っていたのは、「世継ぎを産んだら離縁」という非情な条件。
夫となったフェイランは冷たく、侍女からは蔑まれ、王妃からは「用が済んだら去れ」と突き放される。
けれど、イリアは知ってしまう。 彼が兄の死と誤解に苦しみ、誰よりも孤独の中にいることを──。
「私は、陛下の幸せを願っております。だから……離縁してください」
フェイランを想い、身を引こうとしたイリア。
しかし、無関心だったはずの陛下が、イリアを強く抱きしめて……!?
「離縁する気か? 許さない。私の心を乱しておいて、逃げられると思うな」
凍てついた王の心を溶かしたのは、売られた側妃の純真な愛。
孤独な陛下に執着され、正妃へと昇り詰める逆転ラブロマンス!
※ 以下のタイトルにて、ベリーズカフェでも公開中。
【側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、陛下は私を離してくれません】
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる