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2章

56.「好き」とは

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 そんなこんなでもみくちゃにされてどれくらい経ったか。

 はじめは継母と同年代の彼女たちに囲まれ固まるどころの騒ぎではなかった。

 しかしご婦人たちは動けなくなったアルティーティを緊張してると勘違いをしたのか、めげずににこやかに話しかけてくれた。聞けば彼女たちは、第四区画選りすぐりの高級店のスタッフだという。

 『魔女の形見』が嫌じゃないのか。

 喉元まで出かかった言葉をなんとか飲み込んだ。

 聞いたところで正直に言わないだろう。侯爵家の三男がいるような状況で、正直に言うような人間が高級店の店員などやれるわけがない。

 彼女らの本心はわからないが、あからさまな敵意よりはやりやすい。
 
 ようやく引きつりながらも笑顔が出はじめたのがつい今しがた。

 気のいいご婦人たちは「お好きなものをどうぞおっしゃってください!」と言ってくれているものの、はじめての経験に戸惑いを隠せない。
 ストリウム家でも商人を呼んでいた気がするが、広い部屋を商品で覆い尽くすような大盤振る舞いはしていなかった。

 そんなアルティーティの反応が新鮮なのか、ご婦人たちは嬉々としてあれもこれもと勧めてくる。

「ドレス、そんなにいらないと思います」

 思い切って言ってみると、目を丸くしたご婦人たちは一様に笑い出した。

「要りますよ! むしろ10着なんて足りないくらいです!」
「お嬢様の同い年の方から一度に20着の注文を受けたこともございますわ!」
「に、20も?!」

 驚きを隠せないアルティーティに、ご婦人たちはくすくすと笑い続ける。

「ええ、お嬢様は謙虚でいらっしゃいますね。さすがジークフリート様の選んだ方ですわ」
「ご婚約されたとなればジークフリート様と社交場に行かれることも多くなると思いますし、多く持っていて損はありませんわ」
「社交場!?」

(忘れてた……そうだよね、結婚したら帯同することも多くなるよね……今日はそのために来たのか……)

 身体が弱くて外に出られない『設定』ではあるが、それでも一緒に参加しなければならない場面もあるだろう。

 幼い頃、社交場への憧れは人並みにあった。着飾った両親をよく羨んだものだ。

 しかし家を捨てて生きてきた今のアルティーティには、憧れより不安の方が強い。

 皆が憧れる騎士の妻として社交場で相応に振る舞えるのだろうか。もし振る舞えなかったら、笑われたら──。

 そこまで考えて、やめた。起きてないことをいちいち考えても仕方がない。

 今はこのたくさんの中からどれかを選ぶ大役がある。ジークフリートがここに連れてきたのも、きっと先々のことを考えてだろう。

 今後社交場に出るときに必要なドレスだ。しっかり選ばなければ。なけなしの休日が潰れるのは嫌だが、これも契約結婚のためだ。我慢我慢。

(服も宝石も嫌いじゃないけど……多すぎて何を選べばいいのか……)

 あまりに懸命に勧めてこられるので、早く選ばなければ悪いと思いながらも、見渡す限りドレス、帽子、宝石、バッグ、扇子……。

 白の手袋ひとつとっても、デザインや材質が違うものが何枚も並んでいる。数も種類も多すぎる。

 貴族ならばこれが普通なのだろうか。だとしたら貴族に向いてない。

 今更ながら、ジークフリートとの結婚生活が想像すらついてなかったことを思い知った。

「お嬢様」

 アルティーティが目を回しているのがわかったのだろう。先ほどまでジークフリートと話していた女店主──ギルダが歩み寄ってきた。

「ジークフリート様からおおせつかっております。どうぞ遠慮なく、お好きな物をお選びください」

 にこやかな営業スマイルを浮かべる彼女の奥に、いささかそっけなくもたしかに頷いている彼の姿を確認する。

 遠慮している、と思われているのか。

 遠慮も謙虚もオシャレも、どれもアルティーティには無縁だ。今ここにあるのがドレスや宝石でなく、弓矢や防具であれば勧められる前に即決してることだろう。

「好きなもの、と言われても……よく分からなくて……決して嫌いというわけではないのですが……すみません」

 どうすべきか悩んだアルティーティは、胸の内を素直に言うことを選んだ。

 ジークフリートがご婦人たちに、アルティーティのことをどこまで話しているのかはわからない。あまり下手なことは言えない、と思いつつもこのまま選ばなければ不審に思われる。

 ならば早めに白状してしまった方がいい。

 にこやかなギルダは、「あら」と頬に手を当て考えるそぶりを見せると、再び口を開いた。

「好きなもの、が分からないのなら、目が引かれるものや気になるものを選ばれてはいかがでしょうか」
「気になる……ですか?」
「はい、これだけある中で気になるのならばそれが好きということもあるかと思います」
「好き……」

 アルティーティは呆けたようにつぶやいた。

 好き、などと考えたこともなかった。

 幼い頃から虐げられ、外界から隔離され、かと思えば家を捨てることになり、師匠と出会ってからは旅で行く先々の人と束の間のひとときを過ごす。

 ある時は歓待され、ある時は『魔女の形見』だと嫌悪された。

 あれが好きだこれが好きだと感じる間もなく、その場を去らなければならないことばかりだった。

 そんな刹那的な生き方の中でも、記憶に焼き付いて離れないのは自分を助けてくれた騎士だ。彼の思い出さえあればどんな困難でも乗り越えられる。そんな気がしていた。

 ──もし、もしその感情に名前をつけるなら、「好き」という名になるのだろうか。

 そう思いかけたその時、一瞬だが赤い何かがちらついた。いや、騎士の姿に一瞬だけ重なったように思えた。

(なんであの騎士様が赤く……?)

「……さま、お嬢様?」
「……あ、ごめんなさい、ちょっとぼんやりしちゃいました」

 顔を覗き込んできたギルダに、アルティーティは微笑みかけた。急に黙りこくったからか、心配したらしい。

 ギルダはホッとした様子で微笑み返した。

「謝らないでください。こちらこそ、申し訳ございません。差し出がましいことを申し上げました」

(差し出がましい……?)

 アルティーティはきょとんと目を丸くした。

 差し出がましいなんて、そんなことはない。むしろ本気で悩んでたのでありがたかった。

「い、いえ、そんな。ええと……せっかくこういう場を用意してもらって、全部任せるのは良くない、ですよね……? ご指摘、ありがとうございます」

 深々と頭を下げる。『魔女の形見』のアルティーティに謝るのだって、本当はギルダは嫌だったかもしれない。

 そんな卑屈なことを考えてしまうのも、もう一生戻ることはないと思っていた貴族令嬢の世界に触れてしまったからかもしれない。

 ギルダは一瞬目を丸くしたが、すぐに笑みを浮かべた。
 先ほどまでのにこやかな営業スマイルではなく、目尻の下がったあたたかみのある笑みに変わったことに、アルティーティは気づかない。部屋の隅々まで並べられた商品を眺めるので手一杯だ。

 じっくり見ようにも、色とりどりに加えキラキラとした眩さに目がチカチカしてくる。

(ちょっと休もう……)

 やっぱりこういうキラキラした貴族の生活は向いてない。そんなことを思いつつ、部屋の端の椅子に腰掛けようと手をかけた。

 ふと、視界の端にきらりと光るものが掠めた。
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