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二章
九十一話 黒の凶獣Ⅰ
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改めて近くで見ると、異様な風体だ。
ぱっと見は人型……とは言い難いが、似たような形状の、悪魔のような姿だ。
黒の巨体に二足四腕の異形。
武器らしきものは何も持っていない。
身体に対して長過ぎる腕に外骨格じみた甲殻が張り付いている。
地面をえぐり取るような強烈なパワーを見せつけてくれたが、ぱっと見決しパワーてマッチョなイメージはない。
というか細マッチョといったほうが良いだろう。
締まった体つきと甲殻、それに手足の数のせいもあって、外見は虫のイメージが強い。
「これは一体……っ! お客人!、すぐに離れて……」
突然現れたバケモノに気づいた騎士たちが、バケモノに殺到しようとして、次の瞬間には下半身だけになっていた。
比喩でも何でも無く、文字通り下半身だけだ。
いや、まじで一瞬でそうなってた。
ぶち撒けられたハラワタの嫌な匂いが漂い、エリスが顔をしかめている。
「うっ……」
直視しちまったのか、あまりにスプラッタな光景に口押さえていた。
野獣に関しては大分慣れた感じだったが、流石に人間だと駄目か。
気持ちはわからんでもないけどさ。
元が人間の形してものが内蔵や骨ぶち撒けてる訳で、まぁ有り体に言ってグロすぎる。
これ、チェリーさんの筐体が嗅覚まで再現されていたら吐いてたかも知れないな。
というか、匂いを感じてる俺がどうなってるんだって話なんだが……
これも妄想や錯覚の類か……? っつっても、人間のハラワタの匂いなんて嗅いだことなんてねぇぞ。
錯覚だとしたら何でこんな生臭酸っぱい……知らない匂いをこんなリアルに感じるんだ?
う……グロ表現この匂い嗅いでたら、俺まで気持ち悪くなってきた……
「チェリーさん、グロいのは分かるけど、背中に吐くのだけは勘弁してくれな?」
「大丈夫……私がゲロ吐いても大惨事になるのは私のリアルだけだから」
「そりゃそうか、って人気声優がゲロ吐くとか言うなって……」
「いや、あの声優に何求めてるのさ……? 別にゲロくらい誰だって言うでしょうよ」
これくらい軽口叩けるなら多分大丈夫だろう。
本気でやばい時は、初日見たくえずいて禄に喋れないだろうし。
消えた上半身は……まぁふっとばされて血煙だろう。
それを見せつけられては、如何に屈強な騎士たちといえども迂闊に動けなくなってしまった。
そりゃそうだろう。
今まで戦っていた傭兵団だって決して弱い相手ではないのに、そこに加えて訳のわからない強さのバケモノが突然乱入してきたんだから、そりゃ警戒も混乱もするだろうよ。
しっかし、どうしたもんか。
この短時間のやり取りだけで、コイツが俺達だけでどうこう出来るようなそんな生易しい相手じゃないという事はハッキリとわかった。
問題は、いくら何でもこちらの想像よりも遥かに超えていたって事だ。
腕で薙ぎ払った? 蹴り飛ばした? だが俺には目の前のコレから身じろぎらしき動きすら捉えられなかった。
目の前にいてもまるで見えなかった。
ハティの動きは出鱈目に早くて反応できる気はしないが、それでも凄まじく早く動いていると認識はできるのに、こいつはそれが全く出来なかった。
「マジかコイツ、ハティよりも速いのか」
「あぁ~やっぱり? ……偶々見逃したんじゃなくて、本当に見えなかったのね」
どうやらチェリーさんのレベルでも動きを察知できなかったらしい。
……レベルの上昇で動体視力まで上がるのかは分からんけど。
それで、だ。
攻撃の動きは全く見えなかったが、騎士たちと違い俺達はこいつが何処から来たのか……いや、それは俺も知らんが、つい今しがた、どっちの方向からこの場所に現れたのかは理解していた。
まぁ、俺達が初めてコイツを見た位置から想定して、あの傭兵達が本陣に駆け込んだのであれば、コイツは本陣と前線をそのまま突破して来たということになる。
……となると、だ。
「うーわ……」
見なけりゃ良かった。
門に駆け込む事を優先して戦場の方は、流し見程度で派手な戦いの部分以外はろくに見ていなかったが、改めて見返してみるとそこに広がっていたのは大惨事としか言いようのない修羅場だった。
それはもうグログロである。
ついさっきまで、戦場のあちこちで敵味方入り乱れて超人大決戦が行われていたはずだ。
なのに、恐らくコイツが通ってきたであろう周辺に立っているものは一人も居ない。
敵味方関係無く、手の届く範囲を文字通り手当たり次第といった感じだったのか、傭兵や騎士たちの鎧を身に着けた死体が等しく散らばっていた。
そう、散らばっていた。バラバラだ。
原型……人の形をとどめている死体のほうが少ないレベルで。
しかもかなりの広範囲、明らかに直進した時に手の届く範囲を逸脱している。
一匹で、しかもこんな短時間でこうも広範囲を蹂躙できるものなのか?
「チッ……」
咄嗟に武器を構えようとして、手元に武器がないことを思い出してつい舌打ちをしてしまった。
強行突破に合わせて俺もチェリーさんもハティから振り落とされないように長物の武器はハティの身体にくくりつけ、両手でたてがみにしがみついていたのだ。
ハティの背中に跨った状態からではくくりつけた武器に手が届かない。
そもそもハティの背が高いから、馬と違って背中の上で武器を振っても地上の敵に届かないのだ。
そのせいもあって、城に入るまで武器を手に取るなんて想定はしていなかったからな……
「ちょっとちょっと、この場合どうするの? 先手必勝!?」
「いえ、コイツ相手に先手必勝は無理でしょ」
「ですよねー。ハティちゃんより速いって事は見てから余裕で反応されそう」
「ちょいと消極的に過ぎるかも知れないですけど、できるだけ刺激しないようにしましょう。まともにやっても勝ち目がない」
「格上相手の制限ターン生存イベントバトルみたいなものかしら? 一見負けイベントのように見えて、全滅するとゲームオーバーになって呆然となるアレ」
「その認識で間違ってません。ただし攻撃は全部即死なのでご注意を!」
まぁ要するに、迂闊に動けないと言うことだ。
武器を手に取るという動きだけでも刺激しかねない。
それで殺されてしまうのは流石に宜しくない。
俺達の会話には特に反応を示さないようだが、騎士たちが武器を構えただけで攻撃を仕掛けたことを見るに、こちらの動きに対して反応する可能性がある。
つまり出来ることは睨み合いのまま、こうやって喋っていることくらいだ。
「それにしても、イベントバトルの難易度高すぎない?」
「というか、リアリティを追求したら勇者なら余裕で突破できるシチュエーションを一般人が解決しようとするとこうなるって事なんじゃないですかね? 俺が関わったイベントバトルは全部命がけだったし」
「あぁ~……このテスト鯖なら確かにあり得るかも」
どうやらチェリーさんも、リアリティを追い求めすぎて偉いことになってるこの鯖の感覚に、無事毒されてきたようだな。
「この鬼畜難易度で死んだらキャラロストとか笑えないわよねぇ」
「その可能性があるのは俺だけなんで、チェリーさんまで死なずを貫く必要はないんですけどね」
「一緒に遊んでるのに私だけイージーモードとか流石に萎えるっしょ」
「あー、チェリーさんって難易度選択有りのゲームは初回から最高難易度でやるタイプっしょ?」
「え? そうだけど?」
やっぱり。
まぁ俺もそうなんだけどな。
チェリーさん割とガッツがあるっていうか、強いやつと戦いたがるフシがあるから同類の匂いがしたんだよな。
「それにしても、私も狩りに参加したりしてけっこうグロ耐性出来たと思ってたんだけど……」
そういって再び口を押さえつつ視線を向けた先、バケモノの後方の状況は悲惨の一言だった。
敵味方問わず、どちらの陣営もひどい有様だ。
倒れているのは雑兵ばかりというわけではない。
誰が誰とかはわからないが、敵にも味方にも居た超人のように大暴れしていた派手な鎧も、倒れ伏した中に混ざっていたからだ。
あんなハイレベルの使い手まで一纏めでなぎ倒すとか本当に可能なのか?
可能なんだろうな。
今目の前の光景が全てだ。
たった一息でこれほどの惨状を引き起こした眼の前のこのバケモノは、では何故俺たちの目の前で動きを止めたのか。
少し目を話した一瞬で戦場を蹂躙してのけたのだから、その勢いのまま俺達もなぎ倒されていてもおかしくなかったはずだ。
……といっても、理由なんてほとんど限られているわな。
他の兵士たちと俺達の違いは
「グル……」
まぁ、間違いなくハティだろうな。
他に思い当たるフシがない。
俺達三人は戦力として論外だ。
コイツがなぎ倒してきた連中の方が俺達よりも強いのだから、興味を持つ理由がない。
他に何か興味を引くものを持っているのかといえば、この祭で買ったものなんて特に持ち込んでいないし、ここに来る前から所持していたものなんて殆どがお手製品か、初期装備品くらいだ。
唯一の出所不明品といえば俺のミアリギスだが、今は袋にくるんでハティにくくりつけてあるから外からは唯の矛槍か何かにしか見えないだろうし、その線もないだろう。
となると消去法的にハティ以外ありえないわけだ。
まぁそもそも一番目につくしな。
もしかして……こいつもハティと同じ高レベル用のレイドボスか何かなんだろうか?
自分と似たような存在のハティに対して興味を示しているとか……?
白く濁った目は、何を見ているのか良くわからない。
ハティを見ているようでも有り、俺を見ているようにも感じるし、もしかしたら何も見ていないのかも知れない。
だが、コイツが興味を示すようなものといえばハティしか居ないだろう。
人ではないが、強さも、サイズも他とは一線を画しているからな。
つい今まで戦場を蹂躙してのけたとは思えないほど、悠然としている。
こちらを観察でもするかのような空気すら感じる。
何故、動かないのか。
昆虫のようでありながら人型も連想させるこのバケモノだが、本能とかで暴れ散らすといった存在とは違うのか?
「クソっ……貴方方は早く中へ! このバケモノは我々が……」
それまで動くことの出来なかった、門の周辺に居た騎士たちが武器を抜く。
「待て!」と止めるよりも早く、突風が巻き起こったと感じた次の瞬間にはその騎士たちの腰から上が無くなっていた。
「――」
相変わらずそのバケモノは唸り声一つ上げはしない。
身構えたり威圧するわけでもなくただそこに立っていると行った風体だ。
だが、もはや生き残った騎士たちも迂闊に動くことは出来なくなっていた。
何が起こったのかわからない。
バケモノに挑みかかろうとした騎士たちが殺されたというのは分かる。
上半身が吹き飛ばされているのだから。
だが、それがどうやって成されたのかがわからない。
なにせ、バケモノはさっきから俺達の目の前から動いていないのだから。
遠隔の――可能かはともかくとして、例えば無詠唱の魔法を使った?
違う、魔法発動の兆候である魔法陣は発生していなかった。
なら、未知の遠距離攻撃スキル?
スキルエフェクトも発生していなかったからそれも違う。
日中であればともかく、夜間でアレだけ光るスキルエフェクトを見逃すというのはありえない。
特に今回は目の前のバケモノに目が釘付け担っていたのだから、見逃すなんてまず無い。
しかし、結果として何かが動いたと思われる突風を感じた次の瞬間にはもう攻撃は終わっていたのだ。
つまり、スキルなんぞに頼らずにそんな馬鹿げた真似がコイツには可能だということだ。
ふざけているにも程があるだろう。
そして何よりも不味いのが、今の突発的な謎の攻撃に対してハティが反応できていなかったと言うことだ。
油断なく構えていたハティが、踏ん張ったまま一歩を踏み出すこともなく、気がつけば騎士たちが倒されていた。
つまりコイツはスキルも何も使わずにハティの反応速度を超える動きができるという事になる。
……勝ち目なんてなくないか?
そもそも、何故コイツは俺達に手を出さない?
ハティを警戒して手を出さないと言うなら分かる。
だが、こいつはハティを目の前にしながら、俺達よりも背後側に居た騎士たちを一瞬で倒してみせた。
つまり、ハティの事を問題だと考えていないと言うことなんじゃないのか?
その戦闘力を警戒した訳ではないのなら一体何故……
「ハティ、下がれ。……ゆっくりとな」
「グルゥ……」
俺の言葉に従いゆっくりと一歩ずつ距離をとっていくハティ。
二歩、三歩と下がる中……
「チェリーさん待った。気持ちはわかるけど刺激したくないからそれはやめて」
「う……そう?」
「変に刺激したくないし、その武器を構えた所で多分何の意味もない」
「そりゃそうだけど……まぁ、わかった」
ハティの腰に括られていたやりを引き抜こうとしていたチェリーさんを止める。
正直何が引き金になるのか解らない以上、どんな些細な事であっても相手を刺激するような真似はしたくない。
下がりつつ睨み合う。
相手側は下がる俺達を攻撃するでもなく観察するようにこちらを眺めている。
つまり即座に倒すような対象と見ていないのか。
だが、さっき兵士達は恐らくこのバケモノの視界に入った瞬間には殺されていた。
この差は一体何なんだ?
考えろ……この場を生き残るために。
何か、重要な何かを見落としていないのか?
「キョウ!」
「危ない。後ろ!」
は?
後ろって城門しか無い筈じゃ?
まさか、どこかからか侵入されて背後を突かれた……!?
反射的に振り向いてみると、そこにはさっきまでと変わらない半開きの門。
一体どういう……
「違う、そっちじゃない! あのバケモノの後ろ……!!」
えええ!? チェリーさん、あのタイミングで主語抜けは流石にどうなん!?
ああいや、視界に収まっていたはずの事にも気がつけなかった俺も悪いか。
などと暢気に温いとを考えていたせいだろうか、視線を急いで前に戻そうとした所でそれは来た。
「うっお!?」
最初に熱、直後に突風。
何が――と思ったときには身体が浮いていた。
ヤバイ――と感じたときには俺の手はハティのたてがみを掴みそこねた。
あっ……と思ったときには転落していた。
とっさに身を丸めて頭を庇ったものの、背中から落下した衝撃で一瞬意識がとびかける。
「ぐぅ……!」
痛みをこらえて何とか片膝立ちに身を起こした俺が見たのは、俺を見下ろすバケモノの巨体。
ヤバイ
安置から引きずり降ろされた……
ハッキリ言って、俺達はハティの背中に居たからこそ生きながらえていたと言っていい。
実際、俺達以外の騎士達は武器を振り下ろす間もなく殺られている。
咄嗟に立ち上がろうとしちまったから、死んだふりも無理だ。
一体どうすれば……動いても動かなくても殺されそうな気がしてならんのだが……!
――って、そもそも何で俺は落とされたんだ?
突然バケモノの方から突風が吹いて……
と、視線を動かした所でようやく気がついた。
そのバケモノの後ろ、傭兵側の本陣近くで瞬くスプライト光にだ。
俺の知ってるのとはずいぶんと違う……かなり乱暴な使用法だが、あの光は間違いない。
魔法陣の光だ。
チェリーさんの警告の対象はアレか。
魔法の一斉掃射の爆風に煽られて俺は転落したらしい。
クッソ、完全に視界内じゃねぇか、なんで気が付かなかったんだ俺は!?
というか彼奴等、ハティを捕まえるつもりじゃなかったのか?
どう見てもバケモノともどもふっ飛ばそうとしているようにしか見えないんだが?
……あ、もしかしてハティの魔法防御知ってて魔法の集中砲火とか仕掛けてるのか。
いやいやそれにしても、作戦が雑すぎんだろ!
ぱっと見は人型……とは言い難いが、似たような形状の、悪魔のような姿だ。
黒の巨体に二足四腕の異形。
武器らしきものは何も持っていない。
身体に対して長過ぎる腕に外骨格じみた甲殻が張り付いている。
地面をえぐり取るような強烈なパワーを見せつけてくれたが、ぱっと見決しパワーてマッチョなイメージはない。
というか細マッチョといったほうが良いだろう。
締まった体つきと甲殻、それに手足の数のせいもあって、外見は虫のイメージが強い。
「これは一体……っ! お客人!、すぐに離れて……」
突然現れたバケモノに気づいた騎士たちが、バケモノに殺到しようとして、次の瞬間には下半身だけになっていた。
比喩でも何でも無く、文字通り下半身だけだ。
いや、まじで一瞬でそうなってた。
ぶち撒けられたハラワタの嫌な匂いが漂い、エリスが顔をしかめている。
「うっ……」
直視しちまったのか、あまりにスプラッタな光景に口押さえていた。
野獣に関しては大分慣れた感じだったが、流石に人間だと駄目か。
気持ちはわからんでもないけどさ。
元が人間の形してものが内蔵や骨ぶち撒けてる訳で、まぁ有り体に言ってグロすぎる。
これ、チェリーさんの筐体が嗅覚まで再現されていたら吐いてたかも知れないな。
というか、匂いを感じてる俺がどうなってるんだって話なんだが……
これも妄想や錯覚の類か……? っつっても、人間のハラワタの匂いなんて嗅いだことなんてねぇぞ。
錯覚だとしたら何でこんな生臭酸っぱい……知らない匂いをこんなリアルに感じるんだ?
う……グロ表現この匂い嗅いでたら、俺まで気持ち悪くなってきた……
「チェリーさん、グロいのは分かるけど、背中に吐くのだけは勘弁してくれな?」
「大丈夫……私がゲロ吐いても大惨事になるのは私のリアルだけだから」
「そりゃそうか、って人気声優がゲロ吐くとか言うなって……」
「いや、あの声優に何求めてるのさ……? 別にゲロくらい誰だって言うでしょうよ」
これくらい軽口叩けるなら多分大丈夫だろう。
本気でやばい時は、初日見たくえずいて禄に喋れないだろうし。
消えた上半身は……まぁふっとばされて血煙だろう。
それを見せつけられては、如何に屈強な騎士たちといえども迂闊に動けなくなってしまった。
そりゃそうだろう。
今まで戦っていた傭兵団だって決して弱い相手ではないのに、そこに加えて訳のわからない強さのバケモノが突然乱入してきたんだから、そりゃ警戒も混乱もするだろうよ。
しっかし、どうしたもんか。
この短時間のやり取りだけで、コイツが俺達だけでどうこう出来るようなそんな生易しい相手じゃないという事はハッキリとわかった。
問題は、いくら何でもこちらの想像よりも遥かに超えていたって事だ。
腕で薙ぎ払った? 蹴り飛ばした? だが俺には目の前のコレから身じろぎらしき動きすら捉えられなかった。
目の前にいてもまるで見えなかった。
ハティの動きは出鱈目に早くて反応できる気はしないが、それでも凄まじく早く動いていると認識はできるのに、こいつはそれが全く出来なかった。
「マジかコイツ、ハティよりも速いのか」
「あぁ~やっぱり? ……偶々見逃したんじゃなくて、本当に見えなかったのね」
どうやらチェリーさんのレベルでも動きを察知できなかったらしい。
……レベルの上昇で動体視力まで上がるのかは分からんけど。
それで、だ。
攻撃の動きは全く見えなかったが、騎士たちと違い俺達はこいつが何処から来たのか……いや、それは俺も知らんが、つい今しがた、どっちの方向からこの場所に現れたのかは理解していた。
まぁ、俺達が初めてコイツを見た位置から想定して、あの傭兵達が本陣に駆け込んだのであれば、コイツは本陣と前線をそのまま突破して来たということになる。
……となると、だ。
「うーわ……」
見なけりゃ良かった。
門に駆け込む事を優先して戦場の方は、流し見程度で派手な戦いの部分以外はろくに見ていなかったが、改めて見返してみるとそこに広がっていたのは大惨事としか言いようのない修羅場だった。
それはもうグログロである。
ついさっきまで、戦場のあちこちで敵味方入り乱れて超人大決戦が行われていたはずだ。
なのに、恐らくコイツが通ってきたであろう周辺に立っているものは一人も居ない。
敵味方関係無く、手の届く範囲を文字通り手当たり次第といった感じだったのか、傭兵や騎士たちの鎧を身に着けた死体が等しく散らばっていた。
そう、散らばっていた。バラバラだ。
原型……人の形をとどめている死体のほうが少ないレベルで。
しかもかなりの広範囲、明らかに直進した時に手の届く範囲を逸脱している。
一匹で、しかもこんな短時間でこうも広範囲を蹂躙できるものなのか?
「チッ……」
咄嗟に武器を構えようとして、手元に武器がないことを思い出してつい舌打ちをしてしまった。
強行突破に合わせて俺もチェリーさんもハティから振り落とされないように長物の武器はハティの身体にくくりつけ、両手でたてがみにしがみついていたのだ。
ハティの背中に跨った状態からではくくりつけた武器に手が届かない。
そもそもハティの背が高いから、馬と違って背中の上で武器を振っても地上の敵に届かないのだ。
そのせいもあって、城に入るまで武器を手に取るなんて想定はしていなかったからな……
「ちょっとちょっと、この場合どうするの? 先手必勝!?」
「いえ、コイツ相手に先手必勝は無理でしょ」
「ですよねー。ハティちゃんより速いって事は見てから余裕で反応されそう」
「ちょいと消極的に過ぎるかも知れないですけど、できるだけ刺激しないようにしましょう。まともにやっても勝ち目がない」
「格上相手の制限ターン生存イベントバトルみたいなものかしら? 一見負けイベントのように見えて、全滅するとゲームオーバーになって呆然となるアレ」
「その認識で間違ってません。ただし攻撃は全部即死なのでご注意を!」
まぁ要するに、迂闊に動けないと言うことだ。
武器を手に取るという動きだけでも刺激しかねない。
それで殺されてしまうのは流石に宜しくない。
俺達の会話には特に反応を示さないようだが、騎士たちが武器を構えただけで攻撃を仕掛けたことを見るに、こちらの動きに対して反応する可能性がある。
つまり出来ることは睨み合いのまま、こうやって喋っていることくらいだ。
「それにしても、イベントバトルの難易度高すぎない?」
「というか、リアリティを追求したら勇者なら余裕で突破できるシチュエーションを一般人が解決しようとするとこうなるって事なんじゃないですかね? 俺が関わったイベントバトルは全部命がけだったし」
「あぁ~……このテスト鯖なら確かにあり得るかも」
どうやらチェリーさんも、リアリティを追い求めすぎて偉いことになってるこの鯖の感覚に、無事毒されてきたようだな。
「この鬼畜難易度で死んだらキャラロストとか笑えないわよねぇ」
「その可能性があるのは俺だけなんで、チェリーさんまで死なずを貫く必要はないんですけどね」
「一緒に遊んでるのに私だけイージーモードとか流石に萎えるっしょ」
「あー、チェリーさんって難易度選択有りのゲームは初回から最高難易度でやるタイプっしょ?」
「え? そうだけど?」
やっぱり。
まぁ俺もそうなんだけどな。
チェリーさん割とガッツがあるっていうか、強いやつと戦いたがるフシがあるから同類の匂いがしたんだよな。
「それにしても、私も狩りに参加したりしてけっこうグロ耐性出来たと思ってたんだけど……」
そういって再び口を押さえつつ視線を向けた先、バケモノの後方の状況は悲惨の一言だった。
敵味方問わず、どちらの陣営もひどい有様だ。
倒れているのは雑兵ばかりというわけではない。
誰が誰とかはわからないが、敵にも味方にも居た超人のように大暴れしていた派手な鎧も、倒れ伏した中に混ざっていたからだ。
あんなハイレベルの使い手まで一纏めでなぎ倒すとか本当に可能なのか?
可能なんだろうな。
今目の前の光景が全てだ。
たった一息でこれほどの惨状を引き起こした眼の前のこのバケモノは、では何故俺たちの目の前で動きを止めたのか。
少し目を話した一瞬で戦場を蹂躙してのけたのだから、その勢いのまま俺達もなぎ倒されていてもおかしくなかったはずだ。
……といっても、理由なんてほとんど限られているわな。
他の兵士たちと俺達の違いは
「グル……」
まぁ、間違いなくハティだろうな。
他に思い当たるフシがない。
俺達三人は戦力として論外だ。
コイツがなぎ倒してきた連中の方が俺達よりも強いのだから、興味を持つ理由がない。
他に何か興味を引くものを持っているのかといえば、この祭で買ったものなんて特に持ち込んでいないし、ここに来る前から所持していたものなんて殆どがお手製品か、初期装備品くらいだ。
唯一の出所不明品といえば俺のミアリギスだが、今は袋にくるんでハティにくくりつけてあるから外からは唯の矛槍か何かにしか見えないだろうし、その線もないだろう。
となると消去法的にハティ以外ありえないわけだ。
まぁそもそも一番目につくしな。
もしかして……こいつもハティと同じ高レベル用のレイドボスか何かなんだろうか?
自分と似たような存在のハティに対して興味を示しているとか……?
白く濁った目は、何を見ているのか良くわからない。
ハティを見ているようでも有り、俺を見ているようにも感じるし、もしかしたら何も見ていないのかも知れない。
だが、コイツが興味を示すようなものといえばハティしか居ないだろう。
人ではないが、強さも、サイズも他とは一線を画しているからな。
つい今まで戦場を蹂躙してのけたとは思えないほど、悠然としている。
こちらを観察でもするかのような空気すら感じる。
何故、動かないのか。
昆虫のようでありながら人型も連想させるこのバケモノだが、本能とかで暴れ散らすといった存在とは違うのか?
「クソっ……貴方方は早く中へ! このバケモノは我々が……」
それまで動くことの出来なかった、門の周辺に居た騎士たちが武器を抜く。
「待て!」と止めるよりも早く、突風が巻き起こったと感じた次の瞬間にはその騎士たちの腰から上が無くなっていた。
「――」
相変わらずそのバケモノは唸り声一つ上げはしない。
身構えたり威圧するわけでもなくただそこに立っていると行った風体だ。
だが、もはや生き残った騎士たちも迂闊に動くことは出来なくなっていた。
何が起こったのかわからない。
バケモノに挑みかかろうとした騎士たちが殺されたというのは分かる。
上半身が吹き飛ばされているのだから。
だが、それがどうやって成されたのかがわからない。
なにせ、バケモノはさっきから俺達の目の前から動いていないのだから。
遠隔の――可能かはともかくとして、例えば無詠唱の魔法を使った?
違う、魔法発動の兆候である魔法陣は発生していなかった。
なら、未知の遠距離攻撃スキル?
スキルエフェクトも発生していなかったからそれも違う。
日中であればともかく、夜間でアレだけ光るスキルエフェクトを見逃すというのはありえない。
特に今回は目の前のバケモノに目が釘付け担っていたのだから、見逃すなんてまず無い。
しかし、結果として何かが動いたと思われる突風を感じた次の瞬間にはもう攻撃は終わっていたのだ。
つまり、スキルなんぞに頼らずにそんな馬鹿げた真似がコイツには可能だということだ。
ふざけているにも程があるだろう。
そして何よりも不味いのが、今の突発的な謎の攻撃に対してハティが反応できていなかったと言うことだ。
油断なく構えていたハティが、踏ん張ったまま一歩を踏み出すこともなく、気がつけば騎士たちが倒されていた。
つまりコイツはスキルも何も使わずにハティの反応速度を超える動きができるという事になる。
……勝ち目なんてなくないか?
そもそも、何故コイツは俺達に手を出さない?
ハティを警戒して手を出さないと言うなら分かる。
だが、こいつはハティを目の前にしながら、俺達よりも背後側に居た騎士たちを一瞬で倒してみせた。
つまり、ハティの事を問題だと考えていないと言うことなんじゃないのか?
その戦闘力を警戒した訳ではないのなら一体何故……
「ハティ、下がれ。……ゆっくりとな」
「グルゥ……」
俺の言葉に従いゆっくりと一歩ずつ距離をとっていくハティ。
二歩、三歩と下がる中……
「チェリーさん待った。気持ちはわかるけど刺激したくないからそれはやめて」
「う……そう?」
「変に刺激したくないし、その武器を構えた所で多分何の意味もない」
「そりゃそうだけど……まぁ、わかった」
ハティの腰に括られていたやりを引き抜こうとしていたチェリーさんを止める。
正直何が引き金になるのか解らない以上、どんな些細な事であっても相手を刺激するような真似はしたくない。
下がりつつ睨み合う。
相手側は下がる俺達を攻撃するでもなく観察するようにこちらを眺めている。
つまり即座に倒すような対象と見ていないのか。
だが、さっき兵士達は恐らくこのバケモノの視界に入った瞬間には殺されていた。
この差は一体何なんだ?
考えろ……この場を生き残るために。
何か、重要な何かを見落としていないのか?
「キョウ!」
「危ない。後ろ!」
は?
後ろって城門しか無い筈じゃ?
まさか、どこかからか侵入されて背後を突かれた……!?
反射的に振り向いてみると、そこにはさっきまでと変わらない半開きの門。
一体どういう……
「違う、そっちじゃない! あのバケモノの後ろ……!!」
えええ!? チェリーさん、あのタイミングで主語抜けは流石にどうなん!?
ああいや、視界に収まっていたはずの事にも気がつけなかった俺も悪いか。
などと暢気に温いとを考えていたせいだろうか、視線を急いで前に戻そうとした所でそれは来た。
「うっお!?」
最初に熱、直後に突風。
何が――と思ったときには身体が浮いていた。
ヤバイ――と感じたときには俺の手はハティのたてがみを掴みそこねた。
あっ……と思ったときには転落していた。
とっさに身を丸めて頭を庇ったものの、背中から落下した衝撃で一瞬意識がとびかける。
「ぐぅ……!」
痛みをこらえて何とか片膝立ちに身を起こした俺が見たのは、俺を見下ろすバケモノの巨体。
ヤバイ
安置から引きずり降ろされた……
ハッキリ言って、俺達はハティの背中に居たからこそ生きながらえていたと言っていい。
実際、俺達以外の騎士達は武器を振り下ろす間もなく殺られている。
咄嗟に立ち上がろうとしちまったから、死んだふりも無理だ。
一体どうすれば……動いても動かなくても殺されそうな気がしてならんのだが……!
――って、そもそも何で俺は落とされたんだ?
突然バケモノの方から突風が吹いて……
と、視線を動かした所でようやく気がついた。
そのバケモノの後ろ、傭兵側の本陣近くで瞬くスプライト光にだ。
俺の知ってるのとはずいぶんと違う……かなり乱暴な使用法だが、あの光は間違いない。
魔法陣の光だ。
チェリーさんの警告の対象はアレか。
魔法の一斉掃射の爆風に煽られて俺は転落したらしい。
クッソ、完全に視界内じゃねぇか、なんで気が付かなかったんだ俺は!?
というか彼奴等、ハティを捕まえるつもりじゃなかったのか?
どう見てもバケモノともどもふっ飛ばそうとしているようにしか見えないんだが?
……あ、もしかしてハティの魔法防御知ってて魔法の集中砲火とか仕掛けてるのか。
いやいやそれにしても、作戦が雑すぎんだろ!
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言い訳をする気もなかったため、全ての功績を抹消され、貰えるはずだった年金もパー。
絶望の中、偶然助けた子が許嫁の娘で、
「ルーク、あなたに惚れたわ。今すぐあたしと結婚しなさい!」
何故か求婚されることに。
困りながらも巻き込まれる騒動を通じて
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こちらは他のウェブ小説にも投稿しております。
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4年前に書いたものをリライトして載せてみます。
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