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断章4
果ての地にて rg019
しおりを挟む白く何の飾り気もない部屋の中で一人、女はデスクに向かい一心不乱にキーを叩き続けていた。
普段たたえている余裕に満ちた笑みはそこになく、正しく必死の形相と言って良い。
「随分と切羽詰まった顔をしておるのう」
そんな部屋に現れた老人はしかし、女を手伝うでもなく楽しげに眺めるのみだ。
「あら、何か用かしら? 定例の日ではないでしょう?」
「随分と機嫌が悪いようじゃが、どうやらタイミングを誤ったかのう?」
「別に……少々想定外のことが起きただけよ」
そう言って女は作業を続ける。老人との付き合いは長く、その性格のほどを非常に正しく理解してるからこそだ。
他者を煽る悪癖も、煽らずとも無神経に神経を逆なでするその喋り方も理解しているがゆえに、老人の言葉を話半分に聞き流している。
「重要オブジェクトの一つが消えたのよ。開発の方に確認を取ってもらったけど、あるNPCが持ち出したところまでは判明したわ」
「なんじゃ、もう解決しておるのか。なら何をそんなに笹暮だっておる?」
「解決!? していたらわざわざ私がこんなに必死になっていると思う!? 想定外の事が起きてるから、私が! わざわざこうして出張ってるんでしょうが!?」
しかし、慣れてると言っても流石に癇に障るのか口調が荒くなるのを抑えきれなくなっていた。
元より女は温厚とは程遠い性格をしている。聞き流そうとも老人の放言を聞き流し続けられるほど煽り耐性は高くないのだ。
「やれやれ、ヒステリーとは見苦しいのう。たとえ内心で焦っておっても、レディの自覚があるならもっと余裕を持ったらどうじゃ?」
「AI関連は私の監督責任が追求されるのよ! 余裕なんてあるわけ無いでしょう!?」
「ふむ、流石にお主の職分とあっては、いつものようにあの若造に丸投げというわけにもいかんか」
「出来たらとっくにやってるわよ! ここにアレが居ない時点で察しなさいよ!」
もはや怒りを一切抑えることすら辞めた女は喚き散らしながら、しかし仕事の手は止めない。女は性格は兎も角その能力は非常に高い。AIの管理権限のすべてを一手に任されているという事からもそれは窺える。
「しかし想定外? リージョン内のAI統制権限はお前さんが持っているのだろう? それこそお前さんであればそんなものはすぐに……」
「そう簡単にことが済めば、わざわざ私がこんな作業に追われる必要はないとは思わない?」
「ふむ……?」
「オブジェクトを持ち出したNPCはすぐに特定したわ。AIの解析も開発部に回した。でもそのAIのログにはオブジェクトを持ち出したことすら何も残っていなかったわ。まるで虫食いのようにそのログだけ綺麗サッパリ消えていた。いえ、消えていたというのとは違うわね。同じ時間帯に別のことをしているログがしっかり残っていたわ。オブジェクトが保管されていた現地のログでは確実に黒であるにも関わらずね」
自他共に認める優秀なこの女が、それでも手をこまねいているその理由がこれだ。
この異常事態に開発側へ確認を取った所、事件当時の現場ログとAIの行動ログのどちらにも前後の齟齬はないというありえない答えが帰ってきた。普通に考えればそんな事はありえない。だからこそ、そのあり得ない原因を探るという無茶な注文に女は手こずっている訳である。
「オブジェクトは持ち出された。確実にね。なのに持ち去ったNPCにAI異常の痕跡が見当たらない。ログにも何も残っていない! こんな事があり得る!?」
犯行を犯した人物は特定できているにも関わらず、アリバイ……と言う名のログがその者の無実を証明してしまっている。常識的に考えればどちらかのログが誤っていると考えるのが普通だろうが、それを開発元から否定されたのだ。混乱するのもおかしくはない。
「ふむ、それはまるで表で騒ぎになっておるバックドア事件のようであるなぁ?」
「ムカつくわね。それとは別件だってアンタなら解ってるでしょ? 腹立たしい事に今回はバックドアを使用した、なんて痕跡自体が存在しないのよ。……ねぇ、私を苛つかせるために来たならさっさと消えて頂戴。確かに私は以前あなたに世話になったわ。でも、今私達の立場は同じ管理責任者であり対等なはずでしょ? あまりしつこいと私にも考えがあるわよ!?」
「おぉ怖や。単なるエンバグの可能性はないのかの? AIに関する権限はすべてお前さんが握っているのであろう?」
「私の権限はあくまでAIの統制までよ。私達にはプログラムに手を入れる権限までは持ち合わせていないわ。触れないプログラムにうっかりバグを仕込んだと? それこそありえないわ!」
そう、確かにこの女はAIの管理……つまり特定エリアのNPC全ての管理権限を与えられている。
ただし、あくまで管理までなのだ。
「その様子だと、AIの異常動作……というわけでも無さそうだのう」
「それこそ最初に疑ってかかったわよ! でも、異常は一切見つからないのよ! システム的に検索してもも、私が自分で確認しても一切引っかからないのよ!」
つまり、異常がない。バグも見つからない。なのに状況がおかしい。
「この異常な状況自体については開発側はなんと?」
「関連ログは全部送るから、手当たり次第にチェックを繰り返せ……だそうよ。そんなのもうとっくにやってるってのよ!」
「我々管理側は開発の言いなりか。辛いところじゃなぁ。といっても、AIの事を最も把握しているのはお主なのじゃから仕方がないのう」
「そんな事は判ってるわよ! それに言いなりもなにも、連中は作る側。私たちはそれを使う側。彼らが作らなければそもそも私達はここに居ないのよ。ガキじゃあるまいし、そこに文句を言ってもしょうがないでしょ」
「判っておるよ、そんな事は。ちょっとした愚痴じゃよ。ワシならもっと面白いゲームを作れると思うのじゃがのう」
「ならアンタが作ればいいじゃないのよ」
「今更新しい分野に手を出すのは老人にはちっと厳しいのう」
女のこめかみに浮いた血管が増えた。
「なら諦めなさい。どのみち私達みたいなのはここにしか居場所がないんだから」
「世知辛いですなぁ。世間などよりよほど我々のほうが先進的だというのに」
「どう言い繕うがマイノリティでることに変わりはないでしょうが。だからこそ私はここで価値を示し続けるのよ。そうすれば少なくともここでは私の自由にできるもの」
「開発の言いなりとしてかね?」
「妙に突っかかるじゃない。喧嘩売ってんの? いいわよ? 今なら好きなだけ買うわよ?」
「おっと、口は災いの元じゃな。口汚い爺は退散しておこう」
おどけた老人はそれだけ残して退室してしまった。
「あぁ、クソっ! ホントにもう、何だってのよ!」
一人残された女は一通り老人への罵詈雑言を喚き散らしたあと、しかしすぐにデスクへ向かう。
「2つの結果が同時に存在するなんてことはありえない。開発側が認識できなくても、どちらかのログは間違っているはずよ。そうでなければ道理が通らない。私自身も精査済みである以上、見逃しはありえない。だとしたら何者かの隠蔽……? にしても開発者を欺くほどのログの隠蔽なんて可能なの? 一行でも抜かれていれば整合性が取れずチート対策プログラムが反応する筈。でもそんな形跡一つ残っていない……」
あり得ないことが起こっている。それもよりによって自分の管轄で。
この件を解決できなければ、自信の有用性の証明にヒビが入ることになる。それだけは避けなければならない。
今の自分の地位と特権は、己の有用性の証明だからだ。それら特権をこれまで甘受してきた女にとって、それを奪われることは耐えがたい苦痛だった。
「あぁぁもう! この私が趣味を返上してまでこんな事に時間を使わせられるなんて! 犯人見つけたら八つ裂きにしてやるから……!」
白い部屋の中に女の怨嗟の声が響き渡る。
女の残業は未だ終わる気配を見せない……
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