ささげ名を

兎守 優

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なまえ

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 何人死地へ送り出して、何人手にかけたと思っている。今さら、どんな人間が現れたって、役目のためなら犠牲を払うことは厭わなかったじゃないか。
「……いいよ。それでヤチルの気が済むなら」
 まだ泣いている。泣かせたかったわけじゃないのに。
「これは"ボヒョー"なんでしょ。それに僕は」
 雨に濡れた髪がしっとりと張りつき、しなしなの顔でその子は言う。
「ここで死んでも幸せだよ。やっと、やっとヤチルに会えたんだもん」
 やっと神生は顔を上げて笑った。バカみたいに眩しい笑顔が笹垣──ヤチルの心を何度も救ってきた。
 親も同郷の人も故郷もなにもかも水に流され失った上に、森から出られず、頼る者もおらず、いつ来るか分からない迎えのときまで、漠然としたときを独りで過ごさなければならなかった。毎日、暗い顔をして森で、それこそ幽霊のごとくさまよっていたある日、彼と出会った。
 大きな目で自分を見つめ、見返すとにっこりと笑う。かわいい。まだ自分に、そんな感情が残っていたのだと驚く。
『ねえねえ。なんていえばいーの?』
 名前を知りたいと言うこの子は、ささげものの真名のことを知らない。それなら、なおさら教えてはいけない。真名を失うということは、自身だけでなく、真名を知っている他人にまで、その喪失の痛みを残すからだ。
『じゃあ、ぼくがなまえ、あげる!』
 自分は奪われるだけの人生だったから、彼は少しだけ興味が動いた。それがいけなかった。
『ヤチルね!』
 凍っていた鼓動が動き出す。新しい命が体を巡っていく感覚をヤチルは覚えた。
『……そう。じゃあ、君は?』
『ぼく、しせい!』
 彼は少し顔を赤らめてヤチルの服にしがみつく。
『ほんとはね、教えちゃだめって言われたけど、言いたくなったの』
 ──ヤチルは思い出した。シセイは、この森に戻ってきてはいけない子だ。
 この子を守りたかった。まだなにも知らないこの子が、泣いてつらい思いをする様を見たくなかったから、代わりに、ささげものの保険であった自分が志音の元へ赴いた。自分に帰る場所──"ヤチル"と名前を与えてくれたシセイのことをどうしても守り抜きたかったのだ。
「俺はお前を殺せない。情けねぇ。もう俺が死ぬしか……」
「じゃあ僕も。一緒につれてって」
 ぴとりと抱きついてシセイはヤチルから離れなかった。
「もうヤチルと離れたくない」
 ぴたりと重なった二人の姿は、もうもうと猛る白い雨の中に溶けて見えなくなっていった。
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