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毛染めの副作用

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材料屋でいつもの材料を購入してから、自宅に戻る。
消費期限の短い薬の棚は、ここしばらくの間に空になっているので、午後からはそれらの精製に努めた。

作業場で根を詰めすぎて全く気付かなかったが、自宅に戻るとまた手紙が投函されている。
ペラリと後ろを見ると、差出人はベアトリーチェ様だった。
ベアトリーチェ様の屋敷を出発してまだ3日しか経っていないのに、もう手紙が届いたという事は、翌日には投函したという事だろうか?
ベアトリーチェ様の文字は、一度目に頂いた手紙よりも崩れている様に見えた。
何をそんなに慌てて連絡する事があるのだろう、と思い、夕食の前に手紙の封を切る。


親愛なるユーディアへ──
そう書き始められた手紙をこそばゆく感じながら読み進める。
丁寧な言い回しで綴られているが、纏めるとこんな感じだった。


ユーディアが授けてくれたこの薬について相談しようと、早速第一王子様と二回目の面会を致しました。
結論としては、二人とも薬を使用するという方向性で意見が一致し、善は急げと早速ユーディアがつけてくれた薬の注意事項を熟読した上、第一王子様が服薬致しました。

第一王子様は、無事に王妃様そっくりな黄金色の髪色に変化致しました。

しかし、服薬してから少し落ち着きを失くされています。
そんな第一王子様の傍に付き添い、お話して気付いたのですが……

第一王子様は、過去の記憶を失くされた可能性が高いです。

と言いますのも、今回の面会でユーディアの話になり、私は思いきって公爵家の文献による解釈を第一王子様にお話したのです。
すると、第一王子様はその時、「確かに私にもうっすらと今の自分以外の人生の記憶がある。長年、どこかでみた物語か何かだと思っていたが、ふとした時に思い出す」とおっしゃっていたのです。
その話については今後の人生かけてゆっくり聞こうと思っており、その場で深く追求しなかったのですが、第一王子様は「今の自分の環境を前向きにとらえる事が出来るのは、過去の記憶のお陰かもしれない」「今の両親には中々愛されている実感はわかないが、過去の家族に大事にされた記憶が自己肯定感を育んでくれたんだと今ならわかる」とおっしゃっておりました。
また、ぼんやりした記憶の為「今も昔も閉じ込められる人生という意味ではさほど変わりない」「私の過去の知識は大して役に立たない」ともおっしゃっていましたが、服薬してから「過去の記憶」をお話されなくなりました。

そして、精神的に少し不安定になりました。

髪色が黄金色になったにも関わらず、自分は必要のない人間だと、弟に死を望まれる程の駄目な兄なのだと、塞ぎ込まれたのです。

生まれてからの酷い扱いにもめげずに前向きだった第一王子様らしくなく、気になって過去の記憶の話を振ってみましたが、第一王子様は首を傾げるだけで意味がわからない様でした。

もし、第一王子様の過去の記憶が、この世界の彼を支えていたのだとしたら……まさに、それを失くした人の様でした。

これは、誰にも予期できなかった副作用です。
服薬も、私達二人で決めた事です。
よって、あなたには何の非もない事を理解して下さい。
仮に、あなたが先に自分で治験をしたとしても、「過去の記憶を失った事」自体にあなたが気付けなければ、結局は同じ事だったと思います。

私はこれから、誠心誠意、第一王子様に寄り添い支えていきます。
そして、第一王子様がこれからは何処へ行く事になろうと、喜んでついて行こうと思っております。


ただ、もしかしたらユーディアもこの薬を服薬しようと考えているのではないかと思い、事前にお伝え出来ればと思いました。

この薬は、使用すれば過去の記憶を失くす可能性がある事だけは、お忘れなく。

ユーディア、本当に色々ありがとう。
これから、第一王子様もお忙しくなると思います。
慈悲深く、他人を思い遣れる彼とこの短期間でここまで親しくなれたのは、間違いなくあなたのお陰です。

落ち着いたら、また便りを出します。


あなたの友、ベアトリーチェ──


手紙を握っていた手が震える。
毛染めの副作用は、やはり強烈で……けれども、黒髪や黒眼の人間以外には全く出ないものだった。
治験では確認出来ない筈だ。

第一王子様には、本当に申し訳ない事をしてしまった……!!
カラカラに渇いた喉に、一口水を流し込む。
ぼんやりとした記憶であっても、今の世界で自分を支えてきた記憶を薬のせいで失わせてしまうなんて……いくら謝っても、謝りきれない。

ベアトリーチェ様の私を擁護して下さる文に、救われる。
彼女の優しさが、胸を打つ。

身勝手にも、自分も毛染めを使用するつもりでいた事を思い出すと、ゾッとした。
つい最近まで、私はこの世界しか知らなかった筈なのに、お師匠やベリアルがくれる愛だけで幸せに生きてきた筈なのに。

先輩は、記憶を失った。
もう、私を見ても思い出す事はないだろう。
であるからこそ、私だけでも先輩を覚えておきたかった。

私の頭にポンと手を乗せ、ニヤっと笑う先輩も。
イライラした時に、机をトントン叩く先輩も。
「まだやってんのか」と、わざわざ後輩の仕事を心配して夜中や休日まで顔を出してくれる先輩も。
仕事でミスして、「全く問題ないよ」と言い切ってフォローしてくれる先輩も。
もう、何処にもいないけど、せめて私の記憶の中だけには。


手紙が歪み、初めて私が泣いている事に気がついた。

私は、ユーディアだ。
お師匠に拾われて、ベリアルが唯一の家族の調剤師。

なのに、この胸の喪失感はなんだろう?
涙が溢れては流れ、また溢れる。

「今も昔も閉じ込められる人生という意味ではさほど変わりない」
何て先輩らしい言い方だろう。
私と横に並んでパソコン打ちながら、何で朝も昼も夜もこんなトコに閉じ籠ってなきゃならん、とかよく言ってた。

「過去の知識は大して役に立たない」
これも、先輩らしい。
大事なのは、知識じゃない。
実際に人を救う薬を作れるかどうかだってよく言ってた。


「ふふ……」
そんな先輩を思い出し、泣きながらも笑いが込み上げてくる。

好きだった。
……そうか、ユーディアではない私は、先輩が好きだったんだ……



***



夕食は食べず、ランプも付けっぱなしでそのまま寝てしまったらしい。
気付けば、夜中だった。
泣きすぎで瞳が腫れぼったい。

今日こそはお風呂に入ろうと思っていたが、今の時間では遅すぎて危ない。
せめて顔だけでも洗おうと、台所にある井戸水にタオルを浸して、軽く顔を拭う。
その時、裏庭の方からパキリ、と音がしたのに気付いた。
明らかに、草や枝が踏まれた音。

一気に目が覚め、身体が緊張する。
野盗かもしれない。

どうする?
今、ランプを消せばむしろ不自然だろう。
急いで台所のカーペットをめくり、緊急用の地下の扉を開けようとした時だ。


「……アル。……ベリアル?」
微かにそう言っているのが聞こえ、私は慌ててランプを掴んで扉を開け、裏口に駆けた。

黒い人影がそこにあり、
「ベリアルっ!?」
私がそう言いながらランプを翳すと、そこには濃藍色のウェーブがかった髪を肩上で切り揃えた、目鼻立ちがしっかりした女性がいた。

「あなた……」
いつか、見た事がある、同い年位の女性。
「……ベリアルは何処に行ったの?」
その女性は、私が今一番知りたい事を、睨み付けながら私に聞いてきたのだった。
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