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プロローグ
しおりを挟む「――気色悪い!! うちの子に触らないでちょうだいッ!」
パシン、と振り払われた手にたたらを踏んで尻餅をつく。
子供が、転んで怪我をしていたから治してあげようと思っただけだった。痛い、痛い、と涙を流して、膝から真っ赤な血を溢れさせて泣くものだから、手を差し伸べただけなのに。
リージュは下唇をキツく噛み締めて、その場を後にする。
人と、少し違う能力があるだけなのに、小さな村では迫害の対象となる。
にゃぁご、と聞こえた声に足を止めた。
「ミリー……ここにいたのね、さぁ、おうちに帰りましょう」
にゃぁ、にゃっ、と鳴きながら近寄ってきた黒猫を抱き上げて、足早に歩き出す。
伸ばしっぱなしの痛んだ黒髪。長い前髪は目元を隠している。くたびれたワンピースの袖口から覗く手首や足首は枯れ枝のように細い。痩せ細り、育ちの悪い少女は今年で十七になる。
明らかに栄養が行き渡っておらず、年頃の少女にしては成長しきっていない、アンバランスな子供にも見えた。
「おや、リージュ。おかえり」
柔らかな、しわがれた声。おばあちゃん、と頬を緩め、「ただいま」と口にする。
リージュが村を出て行かないのは、大好きなおばあちゃんがいるからだ。
高齢で、杖がなければ歩けない祖母を連れて村を出て行こうとは思えなかった。きっと、次の村や町に着く前におばあちゃんは倒れてしまう。
リージュにはおばあちゃんだけだった。物心ついた頃にはいなかった両親も、イジワルな村人も、リージュの世界には必要ない。おばあちゃんがいれば、今の状況も飲み下すことができた。
にゃぁご、とご飯を催促するミリーの頭を撫でて、小さなあばら家の中に入った。
「風に当たりすぎるのもよくないわ、おばあちゃん。ちょっと早いけど、ご飯にしましょう」
「そうだねぇ。あぁ、お隣さんから果実をもらったんだ。それを食べようじゃないか」
おばあちゃんの柔らかな声は、荒んでいた心を落ち着かせてくれる。
――おばあちゃんが、おばあちゃんがいれば、リージュはそれだけでよかったのだ。
「作物が育たないのはお前のせいだ!!」
「水が干上がったのはお前のせいだ!!」
「雨が降らないのはお前のせいだ!!」
「お前が――!!」
「お前なんて死んでしまえばいいのに!!」
おばあちゃんが倒れている。頭から血を流している。
ミリーが蹲っている。前足が変な方向に曲がっていた。
ひゅ、と息が止まった。目の前が真っ暗になって、指先から感覚がなくなっていく。全身が寒くて、冷たくて、心が痛かった。
どうしておばあちゃんが倒れているの?
どうしてミリーが倒れているの?
頭が理解することを拒否している。
「おばあちゃん――、おばあちゃん? ミリー?」
手を伸ばす。けれど、その手は届く前に村人によって取り押さえられた。
「魔女め! 疫を呼び込む魔女め!」
「処刑だ!! 処刑しろ!」
「磔だ!」
「いや、火刑がいい!」
地面に押さえつけられ、頬に砂利がつく。骨が軋んで、視界が滲む。
絶望の淵に立たされたリージュは、声にならない悲鳴を上げて――ぱちん、と意識が弾けた。
「お迎えにあがりました。遅くなり、申し訳ありません、聖女様」
手が、差し伸べられる。
「おばあ様も、黒猫も意識を失っているだけです。どうぞ、この手をお取りください」
「う、うぅぅ、ううううッ!」
涙が溢れた。
誰も助けてくれなかった。誰も声をかけてくれなかった。手なんて、指し伸ばされたことない。
「おばあちゃんも、ミリーも、無事なの?」
「えぇ、無事です。わたくし共がしっかりと、治療させていただきます。なのでどうか、聖女様、お手を」
いつの間にか、リージュを抑えていた村人たちはいない。
銀に輝く甲冑に身を包んだ、金髪の美しい青年は、リージュを安心させるために努めて柔らかい声音を意識し、笑みを浮かべる。
「さぁ、聖女様――こんな村から出ていきましょう」
「っ……助けて、騎士様っ!」
泣いて、縋って、みっともなくていい。リージュの心は限界だった。
差し伸べられた手のひらに、細く華奢な手を乗せる。
美しいこの人が誰なのかわからない。けど、そんなのどうでもいい。この絶望から、深淵から救い出してくれるのなら――悪魔にだって救いを求める。
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