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見えない隣人

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 放課後。
 
 転校初日を無難に終えた久遠は、ほっとした気持ちで教室を出る。
 
 だが、最後の最後で予期せぬハプニングが久遠を待ち受けていた。


「げっ!?」
 

 正面玄関を出て校門までやって来た久遠は、思わず声を漏らす。


「なんでいるんだよ……」
 
 
 その理由は、校門にもたれかかるようにして佇んでいた一人の女子生徒。
 
 彼女は久遠に気付くと、にこやかに手を振ってきた。
 
 久遠は深い溜息を吐いて、彼女の元へ歩み寄る。


「……凜音(りんね)さん、どうしてここにいるんですか?」
 

 彼女の名前は、円道凜音(えんどうりんね)。一六五センチの久遠とほぼ変わらない身長で、漆を塗ったように滑らかな黒髪は背中まで伸びている。顔は精巧に作られた人形のように整っており、スタイルも抜群。まさに非の打ちどころがない美人だが、あまりに人間離れした完璧な容姿は見る者に恐ろしささえ抱かせるほどだ。そして、そんな彼女が着ているセーラー服は、朝日ヶ丘中学校のものではなかった。


「僕、言いましたよね? 今日は転校初日で大事な日だから、学校には絶対に現れないでくださいって」
「ごめんなさいね~。でも、心配で心配で仕方がなかったの。私の可愛い久遠君が初めての学校で上手くやれているかなって」
 

 凜音さんは悪戯っぽく笑う。その表情から約束を破ったことに対する謝罪の気持ちは、一切感じ取れない。


(また心にもないことを口にして……)
 

 久遠は内心で毒づく。


「あのですね、凜音さんは面白半分なんでしょうけど、僕にとっては結構な迷惑なんですよ。大体、こんなところを誰かに見られたら――」
「あっ、皆月君」
 

 突如として背後からかけられた声に、久遠は心臓が飛び出るくらいびっくりする。
 
 恐る恐る振り返ると、クラスメイトの女子数人がこちらへ歩いてきていた。
 
 久遠と同じく、彼女らもこれから下校するところらしい。


「や、やあ」
 

 久遠は作り笑いを浮かべて、彼女たちに対応する。背中には冷たい汗が流れた。
 
 彼女たちは久遠から片時も視線を外さずに近づいてくる。
 
 久遠の隣には違う制服を纏った女子生徒がいるというのに、そちらには見向きもしない。


「どうしたの、皆月君? 一人で立ち止まっちゃって。誰か待ってるの? それとも、体調がすぐれない?」
「あ、いや……転校初日でやっぱり緊張してたのかな。校門のところまで来たら、ほっとしたせいで急に疲れが出ちゃった……のかも」
 

 心配そうに尋ねてくる女子生徒に、久遠はとって付けたような言い訳を返す。


「そうなんだ。この時間ならまだ保健の先生もいるだろうし保健室で少し休む? 案内するけど」
「ううん、そこまでじゃないから。心配してくれてありがとう」
「そう。じゃあ、私たちは塾があるからこれで行くね。また、明日ー」
「うん、また明日」
 

 結局、彼女たちは隣に立っている凜音さんには一切触れず去っていった。
 
 久遠はそんな彼女たちに手を振り、しばらくして「ふぅ」と大きく息を吐いた。


「こうなるから今日は出てこないでくださいって言ったんです。まったく、もし話し声を聞かれていたら完全に変人扱いされるところでしたよ……」
 

 久遠が文句を言っても凜音さんに悪びれる様子は皆無。むしろ、ニヤニヤした顔で久遠を見つめてくる。
 
 クラスメイトたちの態度で分かる通り、凜音さんの姿は久遠にしか見えない。声も久遠以外には聞こえない。故に、凜音さんと会話している久遠を他の生徒が見れば、ぶつぶつと独り言を喋っているように映ってしまうのだ。
 
 凛音さんは久遠だけが認識できる存在。有り体に言えば『幽霊』といったところだろうか。もっとも、幽霊なんかよりもずっと性質が悪い存在なのだが……。


「ふ~ん、転校初日なのに久遠君はもう女の子とお喋りができちゃうんだ~」
 

 ねちっこい言い方で身体をすりよせてくる凜音さん。他人には見えないとはいえ、こんな場所で女子とイチャつくのは正直恥ずかしい。


「クラスメイトなんだし帰り道で会ったら話くらいしますよ。あと、僕の精神衛生上良くないので、そろそろ離れてください」
「いいじゃない、少しくらい。久遠君が学校で皆と楽しくやっている間、私はずっと一人寂しく過ごしていたんだから。もうちょっと久遠成分を補給させてちょうだい」
「なんですか、久遠成分って……。第一、クラスメイトと親しくするのは、今後のために必要なことだって凜音さんだって分かっているはずですよね?」
「そうね。クラスに溶け込むのは大切なことだわ。そのためにクラスメイトたちと親睦を深めることもね。だけど――」
 

 凜音さんは、そこで言葉を区切る。それから――。


「私たちの目的、いえ、存在意義だけは忘れないようにね」
 

 氷のように冷たく鋭い声が、久遠の耳元で囁かれた。喉元にナイフの先端を突きつけられたような感覚が久遠を襲う。
 
 久遠が固まってしまっていると、凜音さんはすっと身体を離した。


「で、実際のところはどうだったの? ターゲットは分かった?」
「……転校初日で分かるわけありませんよ」
「そう。それもそうね」
 

 凜音さんは肩口の髪をさらっと撫で、うっすらと笑う。どうでもいいけど一応訊いてみた。そんな態度にも見える。掴みどころのない凜音さんらしい。


「久遠君は久遠君のペースでやればいいわ。新しい学校生活を楽しむのも悪くはないでしょう。女の子とキャッキャッウフフするのもね……私たちに時間という枷はないのだから」
 

 次の瞬間、凜音さんの姿が背景と同化し始めた。
 
 最後に「楽しむ余裕があればいいけれど」と付け足し、凜音さんは完全に姿を消す。
 
 一人になると、言い得ぬ疲労感が久遠を襲った。
 
 転校初日の緊張感とはまた別のもの。
 
 久遠は一度校舎を振り返る。
 
 そして、まだ生徒たちの残る三年二組の教室を見上げてから、再び帰路についた。








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