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円道凜音
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「今の久遠君を表すことわざ……何て言うんだったかしら?」
声のした方へ顔を向けると、顎に指を当てて考え事をしている凜音さんがいた。
「ああ、思い出した! 『据え膳食わぬは男の恥』ね」
「……それ、どこから突っ込んでいいか分からないくらい使い方間違ってますよ。てか、あそこで手を出す方が確実に男の恥だと思いますけど」
「フフ、それもそうね」
凜音さんの顔に無邪気な笑みが浮かぶ。楽しんでいる、というわけではない。彼女は今のイジメを見ても本当に何も思わないし、何も感じないのだ。
そんな彼女のおかげで、沈んでいた久遠の気持ちも幾分和らいだのは事実なのだけれど。
「だけど、頭ではそう思っていても、なかなか行動には移せないものだわ。大抵の男の子なら、あそこで恐怖に負けていたはず。久遠君はよく我慢したわね」
「……凜音さんに出会う前の僕だったら、どうしていたか分かりません」
それは久遠の本音。
昔の自分だったらあっさり恐怖に屈していただろう、と思う。
「あら、それって愛の告白? ついに久遠君も私への愛に目覚めたのかしら」
「何をどう解釈すれば、そう取れるんですか?」
「だって、私と出会って変わったわけでしょ? 久遠君は私を『女の子』として見てくれているみたいだし、言い換えるなら私は『久遠君の運命を変えた女』じゃない」
「……色々と言いたいことはあるんですけど、あながち間違っているとも言えないのが辛いところです……」
久遠は凜音さんと出会って変わった。それはもう運命を捻じ曲げられたと言っても過言ではないくらいに。それに対して感謝しているかと問われれば、微妙なところではあるのだが。
「でも、出会って随分経つのに、未だに私たちの間には何もないわよね」
「何かあってほしいんですか……」
「せっかく『女の子』として見られているんだもの。手を繋いだり、チューしてみたり、ちょっとおっぱい触られたりしてみたいわ」
凜音さんは、自分の胸を触りながら悪戯っぽい顔を向けてくる。
「女の子は、普通そういうことはあまり口にしないものだと思いますよ……」
「ふ~ん、そうなんだ。難しいのね、人間の女の子って。じゃあ、彼女――三崎綾乃さんも、久遠君が何もせずにいてくれたことに感謝しているのかしら」
凜音さんが、どういう意味で今の言葉を口にしたのか分からない。何も考えていないのかもしれないし、何か意図するものがあったのかもしれない。だが、どちらにしろ、その言葉は久遠の心に小さな針を刺したような痛みをもたらした。
「……感謝なんてしてないですよ。むしろ同罪です」
「同罪?」
「はい。三崎さんにしてみれば、見て見ぬ振りをした時点で、僕も彼らと同罪なんです。それだけは、はっきり分かります」
「へえ~、やっぱり久遠君はいじめられている人の気持ちがよく分かるのね」
その瞬間、久遠の胸の内がカッと熱くなった。
込み上げてくる感情を抑えきれず、久遠は凜音さんを睨んでしまう。しかし――。
「あら、恐い顔ね。どうかした?」
当の凜音さんはどこ吹く風。涼しい表情を崩さない。
そんな彼女を見て、久遠は額を押さえながら、二、三度首を振る。
(落ち着け……。彼女に対してどんな感情を抱いても意味がない。それは分かり切っていることじゃないか。落ち着け……落ち着くんだ……)
そう心の中で繰り返しながら、久遠は「……別に何も」と応える。
「そう。でも、いよいよ物語が動き出したわね。分かっていると思うけど、ここから先は久遠君も舞台に上がらなきゃいけなくなるわよ」
「はい」
「自分の立ち位置を見失わないようにね。久遠君は決して主役じゃないのだから。舞台に上がるといっても、与えられた役以上のことをやってはダメよ」
「分かっています。物語の主役は、あくまで三崎綾乃。そのことを忘れてしまうほど感情移入したりはしません」
「それならいいのだけれど、久遠君は優しいから。まあ、物語はまだ中盤にさしかかったばかり。どんな結末が待っているのか、楽しみに観させてもらうわ。それじゃ」
そう言って、凜音さんは久遠の前から姿を消した。
(楽しみに……か。また思ってもいないことを……いや、でも――)
久遠は少しだけ過去の記憶を蘇らせる。
凜音さんと初めて出会った時のことを。
だが、すぐに首を左右に振って思考を中断した。
今は昔を思い出している時ではない。
物語が大きく動き始めようとしているのだから。
久遠は彼らが去っていた方向を見ながら、明日三崎綾乃に接触することを心に決めた。
声のした方へ顔を向けると、顎に指を当てて考え事をしている凜音さんがいた。
「ああ、思い出した! 『据え膳食わぬは男の恥』ね」
「……それ、どこから突っ込んでいいか分からないくらい使い方間違ってますよ。てか、あそこで手を出す方が確実に男の恥だと思いますけど」
「フフ、それもそうね」
凜音さんの顔に無邪気な笑みが浮かぶ。楽しんでいる、というわけではない。彼女は今のイジメを見ても本当に何も思わないし、何も感じないのだ。
そんな彼女のおかげで、沈んでいた久遠の気持ちも幾分和らいだのは事実なのだけれど。
「だけど、頭ではそう思っていても、なかなか行動には移せないものだわ。大抵の男の子なら、あそこで恐怖に負けていたはず。久遠君はよく我慢したわね」
「……凜音さんに出会う前の僕だったら、どうしていたか分かりません」
それは久遠の本音。
昔の自分だったらあっさり恐怖に屈していただろう、と思う。
「あら、それって愛の告白? ついに久遠君も私への愛に目覚めたのかしら」
「何をどう解釈すれば、そう取れるんですか?」
「だって、私と出会って変わったわけでしょ? 久遠君は私を『女の子』として見てくれているみたいだし、言い換えるなら私は『久遠君の運命を変えた女』じゃない」
「……色々と言いたいことはあるんですけど、あながち間違っているとも言えないのが辛いところです……」
久遠は凜音さんと出会って変わった。それはもう運命を捻じ曲げられたと言っても過言ではないくらいに。それに対して感謝しているかと問われれば、微妙なところではあるのだが。
「でも、出会って随分経つのに、未だに私たちの間には何もないわよね」
「何かあってほしいんですか……」
「せっかく『女の子』として見られているんだもの。手を繋いだり、チューしてみたり、ちょっとおっぱい触られたりしてみたいわ」
凜音さんは、自分の胸を触りながら悪戯っぽい顔を向けてくる。
「女の子は、普通そういうことはあまり口にしないものだと思いますよ……」
「ふ~ん、そうなんだ。難しいのね、人間の女の子って。じゃあ、彼女――三崎綾乃さんも、久遠君が何もせずにいてくれたことに感謝しているのかしら」
凜音さんが、どういう意味で今の言葉を口にしたのか分からない。何も考えていないのかもしれないし、何か意図するものがあったのかもしれない。だが、どちらにしろ、その言葉は久遠の心に小さな針を刺したような痛みをもたらした。
「……感謝なんてしてないですよ。むしろ同罪です」
「同罪?」
「はい。三崎さんにしてみれば、見て見ぬ振りをした時点で、僕も彼らと同罪なんです。それだけは、はっきり分かります」
「へえ~、やっぱり久遠君はいじめられている人の気持ちがよく分かるのね」
その瞬間、久遠の胸の内がカッと熱くなった。
込み上げてくる感情を抑えきれず、久遠は凜音さんを睨んでしまう。しかし――。
「あら、恐い顔ね。どうかした?」
当の凜音さんはどこ吹く風。涼しい表情を崩さない。
そんな彼女を見て、久遠は額を押さえながら、二、三度首を振る。
(落ち着け……。彼女に対してどんな感情を抱いても意味がない。それは分かり切っていることじゃないか。落ち着け……落ち着くんだ……)
そう心の中で繰り返しながら、久遠は「……別に何も」と応える。
「そう。でも、いよいよ物語が動き出したわね。分かっていると思うけど、ここから先は久遠君も舞台に上がらなきゃいけなくなるわよ」
「はい」
「自分の立ち位置を見失わないようにね。久遠君は決して主役じゃないのだから。舞台に上がるといっても、与えられた役以上のことをやってはダメよ」
「分かっています。物語の主役は、あくまで三崎綾乃。そのことを忘れてしまうほど感情移入したりはしません」
「それならいいのだけれど、久遠君は優しいから。まあ、物語はまだ中盤にさしかかったばかり。どんな結末が待っているのか、楽しみに観させてもらうわ。それじゃ」
そう言って、凜音さんは久遠の前から姿を消した。
(楽しみに……か。また思ってもいないことを……いや、でも――)
久遠は少しだけ過去の記憶を蘇らせる。
凜音さんと初めて出会った時のことを。
だが、すぐに首を左右に振って思考を中断した。
今は昔を思い出している時ではない。
物語が大きく動き始めようとしているのだから。
久遠は彼らが去っていた方向を見ながら、明日三崎綾乃に接触することを心に決めた。
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