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接触
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翌日。
(三崎さんとは早めに話がしたいけど、今日はさすがに休みかもしれないな……)
あれから、彼女の身に何が起こったのか。
久遠には分からないし、想像もしたくない。
ただ、一連のイジメ――それによって綾乃が受けた精神的ダメージを考えると、しばらく学校を欠席したとしても何ら不思議はないように思えた。
しかし、そんな久遠の予想に反し、彼女は登校してきた。
彼女の様子は普段と特に変わらない。外見にも目立った変化はない。いつも通り下を向いて、カメのようにじっとしているだけだ。
たぶん、何も知らない人間が見ると、彼女がつい昨日、壮絶なイジメを受けていたなど露ほども考えられないだろう。久遠には、そのことが何より恐ろしく思えた。こんなにも苦しんでいるのに誰も彼女に気付かない。悪意のヴェールが彼女を覆い、その中で誰にも気付かれずに死んでいく。そんな妄想すら抱いてしまう。
ただ一つ――変化とも呼べない変化を挙げるとするなら、綾乃はこの日、いつになく優子の近くにいた気がする。まるでそこが自分にとって唯一安らげる居場所であるかのように。優子も優子でそんな綾乃のことが気になったらしく、何度か軽く声を掛ける場面が見られた。
昨日のムキになった発言から考えても、やはり綾乃にとって優子は特別な存在なのだろう。この地獄のようなクラスにおいて、たった一つの希望であることは間違いなさそうだ。
そんなこんなで、久遠はこの日ずっと綾乃の姿を目で追っていた。
ずっと彼女と二人だけで話す機会を窺っていたわけだが、なかなかそのチャンスが訪れない。
彼女に接触できたのは、放課後になってのことだった。
「三崎さん」
久遠は下校しようとする綾乃を、下駄箱で呼び止めた。
声を掛けられた彼女は、過剰なほどにビクリと身体を硬直させる。
それから、ゆっくりと久遠の方へ顔を向けた。
「あ、ごめん。びっくりさせちゃったかな」
「……な、なに……?」
その声は少しだけ震えていた。
「そんなに警戒しないで。君に危害を加えるつもりは全くないから。僕はただ君と少し話がしたいだけなんだ」
「話……?」
久遠は綾乃の警戒心を解くため柔らかく話し掛けたつもりだったが、彼女の表情は一向に緩まない。
それでも久遠は笑顔を作って話を続ける。
「そう。でも、ここじゃちょっと話せないんだ。誰かに聞かれると困るから。確か、この学校の旧校舎はほとんど誰も寄りつかないんだよね。悪いんだけど、今から少しだけ僕に付き合ってもらえないかな?」
「……そう……別にいいよ」
てっきり断られるかと思いきや、綾乃は了承してくれた。
ただ、その顔は先ほどよりも曇っている。「ひょっとして何か誤解したかな……」と久遠は思ったが、誰かに見られても厄介なのでさっさと旧校舎へ移動することにした。
学校側からも「極力近づかないように」という指示が出ているだけあって、木造の旧校舎は不気味なほどに静まりかえっている。
久遠は適当に空き教室を選び、綾乃と共に中へ入った。
「ごめんね。付き合わせちゃって。それで話っていうのは――」
「分かってる……」
「え――」
久遠の言葉を待たず、綾乃はスカーフを解きセーラー服を脱ごうとした。
「ちょ、ちょっと待った!! な、なにを!?」
久遠は慌てて彼女を制止する。
「昨日の続き、でしょ……。抵抗はしないから……痛いのだけはやめて……」
まるで生気を感じさせない目で、そう呟く綾乃。
そんな彼女を見て、久遠は頭を抱える。
何か勘違いをしているような気はしたが、そんなふうに見られていたとは思いもしなかった。
「あのさ、君の境遇を考えると誤解してしまう気持ちも分からないでもないけど、僕はそんなつもりで君をここへ連れてきたわけじゃないよ」
「……シないの?」
「しない」
怯えた目で問いかけてくる綾乃に、久遠はきっぱりと答える。
「……じゃあ、なんで私を旧校舎なんかに?」
「それをこれから説明しようとしたら、君が勝手に服を脱ぎ始めたんだ。だから、とりあえずちゃんと服を戻してよ……」
ものすごく出鼻をくじかれた気がして、久遠は深い溜息を吐く。どうやら綾乃には負け犬根性が染みついてしまっているらしい。まあ、昨日のようなことを何度もされてきたならば、そうなっても仕方がない気はするが。
「……あの、それで、話っていうのは?」
セーラー服を元に戻した綾乃が、恐る恐る尋ねてくる。
久遠に対する警戒は、依然として解けていないようだ。
「昨日見せてもらったけど、君は今とても過酷な環境に置かれているよね? 今もそうだけど、どうして君は何も抵抗しようとしないの?」
「……抵抗しても痛みが長く続くだけ……。大人しくしていれば早く終わるって私は知ってるから……」
綾乃は俯きながらぼそぼそと喋る。
彼女には失礼だが、たったそれだけのやりとりで、久遠は「これはイジメの標的にされるな」と確信してしまった。
今の短い言葉からだけでも、彼女が極端に受け身であることが窺い知れる。健人も言っていたが、必要以上に自分を封じ込めてしまう性格なのだろう。
「諦めちゃってるんだ。でも、それだと現状は何も変わらないよ?」
「分かってる……。でも、卒業まであと少しだから……。それに、もう少し受験が近くなれば、私なんかに構っている余裕なんてなるはなるはず……。そうなれば――」
「そうなれば、イジメはなくなるって本当に思ってる? 卒業まで耐えれば終わりだって本当に信じてる? こんなことあまり言いたくないけど、君にはいじめられっ子の匂いが染みついているよ。そして、どこに行ってもイジメをする奴はいるし、そういう奴は敏感に君の匂いを嗅ぎつけてくるはずだ」
「そんな……そんなこと言わないで……。だったら私はどうすれば――」
「変えてみたいと思わない? リアルを」
久遠が問うと、綾乃は「えっ」と言葉を漏らして固まった。
「君をいじめる奴ら。それを見て笑っている奴ら。自分には関係ないと見て見ぬ振りをしている奴ら。そんな奴らは全員消えてしまえばいいって、心の中で思っているよね? 僕は、そんな君の力になれると思うんだ」
「あ、あの……何を言っているのかよく……」
綾乃はオタオタした様子で呟く。彼女が戸惑うのも無理はない。久遠にだって、かなりおかしなことを言っている自覚はあるのだ。
「ごめん、ごめん。いきなりこんなことを言われても混乱するよね。とりあえず分かって欲しいのは、僕は君に『力』を与えてあげられるってこと。君の現実を全く違うものに変えてしまう力をね。もっとも、変えた後の現実が君の望む形になるかは分からないけど」
説明しながら、久遠は窓際へと移動する。
「本当はこの場でその『力』を見せてあげられたらいいんだけど、僕にも色々と都合があってさ。今は無理なんだ。でも――」
窓の外を見上げると、雲一つない晴天が広がっていた。
「今日は良い天気だね……これなら今晩は大丈夫そうだ。ねえ、三崎さん」
久遠は、綾乃に向き直る。
「は、はい……」
「たぶん、今の君は、僕が何を言っているのかさっぱり分からないと思う。だけど、少しでも僕の話に興味を持ってくれたなら、今晩八時に三年二組の教室に来てくれないかな?」
「こ、今晩……八時に……?」
「ああ、学校が開いているかどうかは気にしなくて大丈夫だよ。僕の方で上手くやっておくから、三崎さんはいつも通り登校して教室に来てくれればいい。それじゃあ、僕の話はこれだけだから。時間を取らせてしまって悪かったね」
「え――ちょ、ま、待って!」
やるべきことを終えて立ち去ろうとする久遠だったが、案の定、綾乃に呼び止められてしまう。
「何かな?」
「は、話が全然見えないんだけど……」
「うん、それは分かってる。でも、今はこれ以上説明できないんだ。いや、できるにはできるんだけど、あまりに突拍子の無い話になっちゃうからさ。今夜教室に来てもらって、実際に君の目で見てもらった方が良いと思う。まあ、来るも来ないも君次第なんだけどね。あっ、そうそう! 忘れるところだったよ」
久遠は内ポケットから茶封筒を取り出し、綾乃に差し出す。
中に入っているのは、昨日一弥によってポケットにねじ込まれた千円札だ。
「こ、これは……?」
「君が昨日取られたお金。今夜教室へ行くかどうかの判断材料にでもしてくれればいいよ。それじゃあ」
「あ――」
まだ何か言いたそうな綾乃に手を振り、久遠は旧校舎の教室を出る。
彼女の目には、久遠はきっと変人のように映ったことだろう。
だが、久遠は確信していた。
今夜、彼女が三年二組の教室にくることを。
(三崎さんとは早めに話がしたいけど、今日はさすがに休みかもしれないな……)
あれから、彼女の身に何が起こったのか。
久遠には分からないし、想像もしたくない。
ただ、一連のイジメ――それによって綾乃が受けた精神的ダメージを考えると、しばらく学校を欠席したとしても何ら不思議はないように思えた。
しかし、そんな久遠の予想に反し、彼女は登校してきた。
彼女の様子は普段と特に変わらない。外見にも目立った変化はない。いつも通り下を向いて、カメのようにじっとしているだけだ。
たぶん、何も知らない人間が見ると、彼女がつい昨日、壮絶なイジメを受けていたなど露ほども考えられないだろう。久遠には、そのことが何より恐ろしく思えた。こんなにも苦しんでいるのに誰も彼女に気付かない。悪意のヴェールが彼女を覆い、その中で誰にも気付かれずに死んでいく。そんな妄想すら抱いてしまう。
ただ一つ――変化とも呼べない変化を挙げるとするなら、綾乃はこの日、いつになく優子の近くにいた気がする。まるでそこが自分にとって唯一安らげる居場所であるかのように。優子も優子でそんな綾乃のことが気になったらしく、何度か軽く声を掛ける場面が見られた。
昨日のムキになった発言から考えても、やはり綾乃にとって優子は特別な存在なのだろう。この地獄のようなクラスにおいて、たった一つの希望であることは間違いなさそうだ。
そんなこんなで、久遠はこの日ずっと綾乃の姿を目で追っていた。
ずっと彼女と二人だけで話す機会を窺っていたわけだが、なかなかそのチャンスが訪れない。
彼女に接触できたのは、放課後になってのことだった。
「三崎さん」
久遠は下校しようとする綾乃を、下駄箱で呼び止めた。
声を掛けられた彼女は、過剰なほどにビクリと身体を硬直させる。
それから、ゆっくりと久遠の方へ顔を向けた。
「あ、ごめん。びっくりさせちゃったかな」
「……な、なに……?」
その声は少しだけ震えていた。
「そんなに警戒しないで。君に危害を加えるつもりは全くないから。僕はただ君と少し話がしたいだけなんだ」
「話……?」
久遠は綾乃の警戒心を解くため柔らかく話し掛けたつもりだったが、彼女の表情は一向に緩まない。
それでも久遠は笑顔を作って話を続ける。
「そう。でも、ここじゃちょっと話せないんだ。誰かに聞かれると困るから。確か、この学校の旧校舎はほとんど誰も寄りつかないんだよね。悪いんだけど、今から少しだけ僕に付き合ってもらえないかな?」
「……そう……別にいいよ」
てっきり断られるかと思いきや、綾乃は了承してくれた。
ただ、その顔は先ほどよりも曇っている。「ひょっとして何か誤解したかな……」と久遠は思ったが、誰かに見られても厄介なのでさっさと旧校舎へ移動することにした。
学校側からも「極力近づかないように」という指示が出ているだけあって、木造の旧校舎は不気味なほどに静まりかえっている。
久遠は適当に空き教室を選び、綾乃と共に中へ入った。
「ごめんね。付き合わせちゃって。それで話っていうのは――」
「分かってる……」
「え――」
久遠の言葉を待たず、綾乃はスカーフを解きセーラー服を脱ごうとした。
「ちょ、ちょっと待った!! な、なにを!?」
久遠は慌てて彼女を制止する。
「昨日の続き、でしょ……。抵抗はしないから……痛いのだけはやめて……」
まるで生気を感じさせない目で、そう呟く綾乃。
そんな彼女を見て、久遠は頭を抱える。
何か勘違いをしているような気はしたが、そんなふうに見られていたとは思いもしなかった。
「あのさ、君の境遇を考えると誤解してしまう気持ちも分からないでもないけど、僕はそんなつもりで君をここへ連れてきたわけじゃないよ」
「……シないの?」
「しない」
怯えた目で問いかけてくる綾乃に、久遠はきっぱりと答える。
「……じゃあ、なんで私を旧校舎なんかに?」
「それをこれから説明しようとしたら、君が勝手に服を脱ぎ始めたんだ。だから、とりあえずちゃんと服を戻してよ……」
ものすごく出鼻をくじかれた気がして、久遠は深い溜息を吐く。どうやら綾乃には負け犬根性が染みついてしまっているらしい。まあ、昨日のようなことを何度もされてきたならば、そうなっても仕方がない気はするが。
「……あの、それで、話っていうのは?」
セーラー服を元に戻した綾乃が、恐る恐る尋ねてくる。
久遠に対する警戒は、依然として解けていないようだ。
「昨日見せてもらったけど、君は今とても過酷な環境に置かれているよね? 今もそうだけど、どうして君は何も抵抗しようとしないの?」
「……抵抗しても痛みが長く続くだけ……。大人しくしていれば早く終わるって私は知ってるから……」
綾乃は俯きながらぼそぼそと喋る。
彼女には失礼だが、たったそれだけのやりとりで、久遠は「これはイジメの標的にされるな」と確信してしまった。
今の短い言葉からだけでも、彼女が極端に受け身であることが窺い知れる。健人も言っていたが、必要以上に自分を封じ込めてしまう性格なのだろう。
「諦めちゃってるんだ。でも、それだと現状は何も変わらないよ?」
「分かってる……。でも、卒業まであと少しだから……。それに、もう少し受験が近くなれば、私なんかに構っている余裕なんてなるはなるはず……。そうなれば――」
「そうなれば、イジメはなくなるって本当に思ってる? 卒業まで耐えれば終わりだって本当に信じてる? こんなことあまり言いたくないけど、君にはいじめられっ子の匂いが染みついているよ。そして、どこに行ってもイジメをする奴はいるし、そういう奴は敏感に君の匂いを嗅ぎつけてくるはずだ」
「そんな……そんなこと言わないで……。だったら私はどうすれば――」
「変えてみたいと思わない? リアルを」
久遠が問うと、綾乃は「えっ」と言葉を漏らして固まった。
「君をいじめる奴ら。それを見て笑っている奴ら。自分には関係ないと見て見ぬ振りをしている奴ら。そんな奴らは全員消えてしまえばいいって、心の中で思っているよね? 僕は、そんな君の力になれると思うんだ」
「あ、あの……何を言っているのかよく……」
綾乃はオタオタした様子で呟く。彼女が戸惑うのも無理はない。久遠にだって、かなりおかしなことを言っている自覚はあるのだ。
「ごめん、ごめん。いきなりこんなことを言われても混乱するよね。とりあえず分かって欲しいのは、僕は君に『力』を与えてあげられるってこと。君の現実を全く違うものに変えてしまう力をね。もっとも、変えた後の現実が君の望む形になるかは分からないけど」
説明しながら、久遠は窓際へと移動する。
「本当はこの場でその『力』を見せてあげられたらいいんだけど、僕にも色々と都合があってさ。今は無理なんだ。でも――」
窓の外を見上げると、雲一つない晴天が広がっていた。
「今日は良い天気だね……これなら今晩は大丈夫そうだ。ねえ、三崎さん」
久遠は、綾乃に向き直る。
「は、はい……」
「たぶん、今の君は、僕が何を言っているのかさっぱり分からないと思う。だけど、少しでも僕の話に興味を持ってくれたなら、今晩八時に三年二組の教室に来てくれないかな?」
「こ、今晩……八時に……?」
「ああ、学校が開いているかどうかは気にしなくて大丈夫だよ。僕の方で上手くやっておくから、三崎さんはいつも通り登校して教室に来てくれればいい。それじゃあ、僕の話はこれだけだから。時間を取らせてしまって悪かったね」
「え――ちょ、ま、待って!」
やるべきことを終えて立ち去ろうとする久遠だったが、案の定、綾乃に呼び止められてしまう。
「何かな?」
「は、話が全然見えないんだけど……」
「うん、それは分かってる。でも、今はこれ以上説明できないんだ。いや、できるにはできるんだけど、あまりに突拍子の無い話になっちゃうからさ。今夜教室に来てもらって、実際に君の目で見てもらった方が良いと思う。まあ、来るも来ないも君次第なんだけどね。あっ、そうそう! 忘れるところだったよ」
久遠は内ポケットから茶封筒を取り出し、綾乃に差し出す。
中に入っているのは、昨日一弥によってポケットにねじ込まれた千円札だ。
「こ、これは……?」
「君が昨日取られたお金。今夜教室へ行くかどうかの判断材料にでもしてくれればいいよ。それじゃあ」
「あ――」
まだ何か言いたそうな綾乃に手を振り、久遠は旧校舎の教室を出る。
彼女の目には、久遠はきっと変人のように映ったことだろう。
だが、久遠は確信していた。
今夜、彼女が三年二組の教室にくることを。
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