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獲物が罠にかかるまで
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旧校舎のとある教室へ移動した久遠と綾乃。
二人は何をするわけでもなく、この部屋で待機していた。
坂本弘志は、現在綾乃の指示を受けて行動中。
つまり、今はただ待っているのだ。
獲物が罠にかかる瞬間を。
「ふ~ん、ふ~ん♪ まだかな~、まだかな~♪」
綾乃は机に腰掛けて、上機嫌に足をぶらつかせる。
彼女のエヴィルは、現在、教室後方の出入り口前を固めていた。
中に入ってきた獲物を逃がさないために。
「随分とご機嫌だね」
「まあね~。こんなに楽しい気分なのは何時以来だろう。これまでは毎日が地獄みたいなものだったから。あっ、でも、優子ちゃんが遊びに誘ってくれた時は楽しかったな。あの休日だけは、辛いことも全部忘れられたんだ」
「へえ~、そんなことがあったんだ」
「うん。一緒に映画を観て、お昼を食べて、夕方まで色んな場所を巡りながらお喋りして、あの時間は本当に幸せだったなあ~」
綾乃は視線を宙に漂わせ、うっとりした表情で語る。彼女の中で、優子と過ごした休日が大切な思い出になっていることは、その顔を見るだけでよく分かった。
「その頃はまだイジメに遭ってなかったの?」
「ううん、遭ってた。だから、優子ちゃんが遊びに誘ってくれたのも、正直な話、クラス委員長としての責任を感じていたからかもしれないんだよね。でも、例えそうであっても別にいいんだ。罪悪感や同情からでも、私に声を掛けてくれたのは優子ちゃんだけだったから。私はすごく嬉しかった」
優子の話をする時の綾乃は、非常に穏やかな目になる。凄惨なイジメを受けてきた綾乃が、これまで一度もあのワードを口にしていないのは、きっと優子の存在があったからなのだろう。優子が綾乃の大きな支えになっていたことを、久遠は再認識した。
「三崎さんは井上さんのことが好きなんだね」
「なんかちょっと誤解されそうな言い方だね。でも、間違ってないよ。私は優子ちゃんのことが好きだし、同時にとても感謝してる。それにね、皆月君は転校してきたばかりだから知らないかもしれないけど、優子ちゃんってすごいんだよ! 成績は一年の時からずっとトップクラスだし、運動もできるし、あと絵もコンクールで入賞するくらい上手なの。何でもできるのにそれを鼻にかけないし、気さくでユーモアがあって、私みたいな生徒にも優しくしてくれて、あの時だって私の髪を……」
喜々として優子のことを語る綾乃だったが、何故か途中で言葉を詰まらせた。輝いていた表情も急にかげる。
「髪を、どうしたの?」
「……優子ちゃんと遊びに行った時にね……誉めてくれたんだ。『三崎さんの髪は長くて真っ直ぐでとても綺麗だね』って。すごく些細なことだよね? でも、私はすごく嬉しかった。誰かに自分のことを誉めてもらえるなんて、それまで全然なかったから……」
綾乃は短い髪をいじりながら喋る。
声のトーンは先ほどよりも数段落ちてしまっていた。
「今は短いよね。嬉しかったのに、どうして切っちゃったの?」
「切ったんじゃないよ。切られたの。相馬玲菜たちに」
穏やかだった綾乃の目に鋭さが戻る。
復讐を誓った――あの時に見せた目だ。
「優子ちゃんが私の髪を誉めてくれたすぐ後だった。確か、ライターで燃やされたりもしたかな……はは、あの時のことはさすがにショックすぎて私もよく覚えてないや」
大切な宝物を土足で踏みにじられた。きっとそんな感覚だったのだろう。
だが、この話を聞いて、久遠には一つ気付いたことがあった。
呼び出されるエヴィルには、対象者のコンプレックスやトラウマが反映されやすい。綾乃のエヴィルは、意のままに動く長い髪が一つの特徴だ。それはつまり、この髪を切られて燃やされた体験が、綾乃の中で強い思いとして残っているということである。
(そりゃそうだよな。大好きな優子に誉めてもらった髪を、直後に切られたんだ。トラウマにするなって方が無理な話。でも、そうすると、あのエヴィルのもう一つの特徴である槍のように尖った右手は――)
その時、廊下の方から複数の足音と話し声が聞こえてきた。
久遠も綾乃もすぐに立ち上がる。
そして、エヴィルのいない教室前方の出入り口に視線を送った。
「――――坂本、本当に脱出場所が見つかったんでしょうね?」
「う、うん。本当だよ。旧校舎に一つだけ窓が開く教室があったんだ」
「つか、なんであんたはさっさとそこから逃げなかったわけ?」
「そ、それは……他のクラスメイトたちを見捨てて自分だけ逃げるのはちょっとどうかと思って……」
「へえ~、あんた冴えないくせに意外と頼もしいじゃん。少しだけ見直し――ッ!?」
ドアを開けて教室に入ってきたのは、相馬玲菜と取り巻きの女子生徒三人。
四人は久遠たちと目が合うなり、石膏のように硬直した。
「あ、綾乃……」
「いらっしゃい、玲菜。ずっと待ってたんだよ」
玲菜たちが驚き固まっている中、最後に入ってきた弘志が教室のドアを閉めた。勢いよく閉じられたドアの音を聞き、玲菜たちはようやく我に返ったらしい。
彼女たちは、ドアの前に立ちふさがっている弘志に詰め寄る。
「てめえ、坂本! 騙したな!」
「ご、ごめん。で、でも、仕方なかったんだ。言う通りにしないと、僕の目も抉るって脅されていたから……」
「それで私たちのことを売ったのかよ!? 清々しいほどのクズだな、てめえは! いいからそこをどけ!」
玲菜は弘志に罵声を浴びせるが、彼は頑として動こうとしない。当然だ。綾乃が彼に下した命令は、相馬玲菜をこの教室まで誘導し出入り口を塞ぐこと。そうすれば、彼には危害を加えないという約束がなされている。
故に、いくら暴言を浴びせようが弘志が道を開けることはない。加えて、後方の出口はエヴィルが塞いでいる。つまり、これで彼女たちは完全に袋のネズミ。綾乃は、怒りが収まらない様子の玲菜にゆっくりと近づいた。
二人は何をするわけでもなく、この部屋で待機していた。
坂本弘志は、現在綾乃の指示を受けて行動中。
つまり、今はただ待っているのだ。
獲物が罠にかかる瞬間を。
「ふ~ん、ふ~ん♪ まだかな~、まだかな~♪」
綾乃は机に腰掛けて、上機嫌に足をぶらつかせる。
彼女のエヴィルは、現在、教室後方の出入り口前を固めていた。
中に入ってきた獲物を逃がさないために。
「随分とご機嫌だね」
「まあね~。こんなに楽しい気分なのは何時以来だろう。これまでは毎日が地獄みたいなものだったから。あっ、でも、優子ちゃんが遊びに誘ってくれた時は楽しかったな。あの休日だけは、辛いことも全部忘れられたんだ」
「へえ~、そんなことがあったんだ」
「うん。一緒に映画を観て、お昼を食べて、夕方まで色んな場所を巡りながらお喋りして、あの時間は本当に幸せだったなあ~」
綾乃は視線を宙に漂わせ、うっとりした表情で語る。彼女の中で、優子と過ごした休日が大切な思い出になっていることは、その顔を見るだけでよく分かった。
「その頃はまだイジメに遭ってなかったの?」
「ううん、遭ってた。だから、優子ちゃんが遊びに誘ってくれたのも、正直な話、クラス委員長としての責任を感じていたからかもしれないんだよね。でも、例えそうであっても別にいいんだ。罪悪感や同情からでも、私に声を掛けてくれたのは優子ちゃんだけだったから。私はすごく嬉しかった」
優子の話をする時の綾乃は、非常に穏やかな目になる。凄惨なイジメを受けてきた綾乃が、これまで一度もあのワードを口にしていないのは、きっと優子の存在があったからなのだろう。優子が綾乃の大きな支えになっていたことを、久遠は再認識した。
「三崎さんは井上さんのことが好きなんだね」
「なんかちょっと誤解されそうな言い方だね。でも、間違ってないよ。私は優子ちゃんのことが好きだし、同時にとても感謝してる。それにね、皆月君は転校してきたばかりだから知らないかもしれないけど、優子ちゃんってすごいんだよ! 成績は一年の時からずっとトップクラスだし、運動もできるし、あと絵もコンクールで入賞するくらい上手なの。何でもできるのにそれを鼻にかけないし、気さくでユーモアがあって、私みたいな生徒にも優しくしてくれて、あの時だって私の髪を……」
喜々として優子のことを語る綾乃だったが、何故か途中で言葉を詰まらせた。輝いていた表情も急にかげる。
「髪を、どうしたの?」
「……優子ちゃんと遊びに行った時にね……誉めてくれたんだ。『三崎さんの髪は長くて真っ直ぐでとても綺麗だね』って。すごく些細なことだよね? でも、私はすごく嬉しかった。誰かに自分のことを誉めてもらえるなんて、それまで全然なかったから……」
綾乃は短い髪をいじりながら喋る。
声のトーンは先ほどよりも数段落ちてしまっていた。
「今は短いよね。嬉しかったのに、どうして切っちゃったの?」
「切ったんじゃないよ。切られたの。相馬玲菜たちに」
穏やかだった綾乃の目に鋭さが戻る。
復讐を誓った――あの時に見せた目だ。
「優子ちゃんが私の髪を誉めてくれたすぐ後だった。確か、ライターで燃やされたりもしたかな……はは、あの時のことはさすがにショックすぎて私もよく覚えてないや」
大切な宝物を土足で踏みにじられた。きっとそんな感覚だったのだろう。
だが、この話を聞いて、久遠には一つ気付いたことがあった。
呼び出されるエヴィルには、対象者のコンプレックスやトラウマが反映されやすい。綾乃のエヴィルは、意のままに動く長い髪が一つの特徴だ。それはつまり、この髪を切られて燃やされた体験が、綾乃の中で強い思いとして残っているということである。
(そりゃそうだよな。大好きな優子に誉めてもらった髪を、直後に切られたんだ。トラウマにするなって方が無理な話。でも、そうすると、あのエヴィルのもう一つの特徴である槍のように尖った右手は――)
その時、廊下の方から複数の足音と話し声が聞こえてきた。
久遠も綾乃もすぐに立ち上がる。
そして、エヴィルのいない教室前方の出入り口に視線を送った。
「――――坂本、本当に脱出場所が見つかったんでしょうね?」
「う、うん。本当だよ。旧校舎に一つだけ窓が開く教室があったんだ」
「つか、なんであんたはさっさとそこから逃げなかったわけ?」
「そ、それは……他のクラスメイトたちを見捨てて自分だけ逃げるのはちょっとどうかと思って……」
「へえ~、あんた冴えないくせに意外と頼もしいじゃん。少しだけ見直し――ッ!?」
ドアを開けて教室に入ってきたのは、相馬玲菜と取り巻きの女子生徒三人。
四人は久遠たちと目が合うなり、石膏のように硬直した。
「あ、綾乃……」
「いらっしゃい、玲菜。ずっと待ってたんだよ」
玲菜たちが驚き固まっている中、最後に入ってきた弘志が教室のドアを閉めた。勢いよく閉じられたドアの音を聞き、玲菜たちはようやく我に返ったらしい。
彼女たちは、ドアの前に立ちふさがっている弘志に詰め寄る。
「てめえ、坂本! 騙したな!」
「ご、ごめん。で、でも、仕方なかったんだ。言う通りにしないと、僕の目も抉るって脅されていたから……」
「それで私たちのことを売ったのかよ!? 清々しいほどのクズだな、てめえは! いいからそこをどけ!」
玲菜は弘志に罵声を浴びせるが、彼は頑として動こうとしない。当然だ。綾乃が彼に下した命令は、相馬玲菜をこの教室まで誘導し出入り口を塞ぐこと。そうすれば、彼には危害を加えないという約束がなされている。
故に、いくら暴言を浴びせようが弘志が道を開けることはない。加えて、後方の出口はエヴィルが塞いでいる。つまり、これで彼女たちは完全に袋のネズミ。綾乃は、怒りが収まらない様子の玲菜にゆっくりと近づいた。
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