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02.恐怖侯爵はなにかを隠してる②
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「そういえば君の生い立ちは酷いもののようだな」
「酷いというほどでは……家が立ち行かなくなるところをイシドール様に救っていただけたことは感謝しています」
「金で娘を売るような家だ。君の両親と兄は、君を道具くらいにしか思っていないんだろう?」
イシドール様の言葉に私の体はこわばった。
家族からは暴力を受けたわけでも、食事を抜かれたわけでもない。家庭教師はつけてくれたし、社交界にも出してもらえた。
ただ、兄第一主義者の両親は私に関心がなく、兄も私に興味がなかった……それだけ。
道具というのは言い得て妙かもしれない。
「君がいなくなっても、誰も騒ぎ立てたりはしないだろう。安心してくれ」
「……それはどういう──」
「シャロットと仲良くなるのはいいが、別れの時につらくなるのは君とシャロットだ。ほどほどにしておくといい」
相変わらずの威圧感でイシドール様からの言葉は終わった。
今の会話は、一体なんなの?
私がいなくなっても、誰も騒ぎ立てない……確かにその通りだわ。この屋敷の人はイシドール様の命令に背くことはなさそうだし、私の実家も私がいなくなったところで騒ぎ立てないだろう。
私はいなくなる前提で、後妻に選ばれたということ……? どうして……?
「ああ、大事なことを言い忘れていた」
スプーンも動かせずに固まっていると、イシドール様は温かいスープが凍るほどの勢いで鋭く私を睨んだ。
「地下に倉庫があるが、そこには決して近づくな」
「倉庫、ですか?」
「たまに音がすることもあるかもしれないが、気にしないことだ。いいな」
その『いいな』は有無を言わせない迫力があって、私はこくこくと顔を上下に動かすほかなかった。
地下に一体なにがあるというのだろうか。それを考えると背筋が凍える。
まさか……前妻のラヴィーナさんがそこに……?
たしか、ラヴィーナさんは雲隠れしたって話だった。噂では、恐怖侯爵から逃げ出したんだと。
でも本当は逃げ出したんじゃなくて、監禁されているのかもしれない。それか、もうすでにそこで……
私は会ったこともない金髪の女性が地下室で息絶えている姿を想像して、身震いした。
もしそうだとしたら、シャロットが“ママは死んだ”と言っているのも納得ができる。
──考えすぎよ。そうと決まったわけじゃない。そんなわけないじゃないの。
だけど一度よぎった想像は、なかなか頭の中から離れてくれない。
「あの……前の奥様とは、どういう経緯でご結婚されたんでしょうか」
私は心臓をドッドと鳴らしながら、おそるおそる聞いてみた。
彼女も私と同じように、売られるようにここに来たのかもしれないと思って。
「ラヴィーナとは社交界で出会った。俺の一目惚れだ」
「一目惚れ……ですか」
意外な言葉が出てきて、私はパチパチと目を瞬かせた。
この恐怖侯爵が……一目惚れ!!
確かにあのかわいいシャロットの母親なら、めちゃくちゃ美人だろうけど!!
「そんなに意外か?」
「いえ、あの……つい。イシドール様にそういう一面があるんだと知れて、嬉しいです」
「俺にだって人の心はある」
「はい」
ふふっと思わず微笑むと、イシドール様はほんの少しだけ恥ずかしそうに顔を伏せた。
なんだ。イシドール様も、普通の方なのね。
「それで、どうされたんですか?」
「即座に求婚した。俺は両親が早くに他界していてすでに侯爵を継いでいたし、反対する者はいなかったからな」
即座に求婚!?
ど、どんな顔で求婚したのかしら、イシドール様……その場に立ち会ってみたかった!!
「それで、受け入れてもらえたんですか?」
「うちは権威のある侯爵家だからな。断る家などないだろう」
確かに。同じ侯爵家かそれ以上でない限り、そうそう断れる話じゃない。
一目惚れだとしたら、消えてもいい人を選んで娶ったわけでもなさそうね。ちょっとほっとした。
「奥さんを、愛していたんですね」
「……ああ」
眉は恐ろしく吊り上がったままのイシドール様だけど、どこか照れと寂しさを感じ取れた気がした。
そっか……ちゃんとラヴィーナさんを愛していたのね。
安堵と同時に、なぜだか胸が痛んだ。
二番目の妻である私は、間違っても一目惚れされるような容姿じゃない。
くすんだ灰色の髪と瞳。スタイルも出るべきところはお粗末だし、背も低めだから流行りのドレスには着せられちゃって無様だし。
前の奥さんとは、なにもかもが違うわ。
一目惚れされるくらい美人で愛されたラヴィーナさんと、消えても誰も気にしない、愛すことはないと宣言されるような私とでは。
夫に愛されていたラヴィーナさんが羨ましい。
こんな感情を抱いても仕方ないってわかってるけど。
「……そのラヴィーナさんは、どこへ行ったんですか? シャロットには亡くなったと言っているようですが、それはどうして──」
そこまで言って、私は『ひっ』と声にならない声をあげて言葉を止めた。
突き刺さる恐怖侯爵の氷の瞳。
極寒の地に放り出されたように冷え固まった私に、侯爵は──
「詮索するな……!」
一言重圧をかけて、そのまま出て行った。
乱れたカトラリーと、斜めになった主が不在の椅子。
一人残された私はイシドール様の怒りの顔を思い出し、はぁはぁと小刻みに息を往復させながら震えていた。
「酷いというほどでは……家が立ち行かなくなるところをイシドール様に救っていただけたことは感謝しています」
「金で娘を売るような家だ。君の両親と兄は、君を道具くらいにしか思っていないんだろう?」
イシドール様の言葉に私の体はこわばった。
家族からは暴力を受けたわけでも、食事を抜かれたわけでもない。家庭教師はつけてくれたし、社交界にも出してもらえた。
ただ、兄第一主義者の両親は私に関心がなく、兄も私に興味がなかった……それだけ。
道具というのは言い得て妙かもしれない。
「君がいなくなっても、誰も騒ぎ立てたりはしないだろう。安心してくれ」
「……それはどういう──」
「シャロットと仲良くなるのはいいが、別れの時につらくなるのは君とシャロットだ。ほどほどにしておくといい」
相変わらずの威圧感でイシドール様からの言葉は終わった。
今の会話は、一体なんなの?
私がいなくなっても、誰も騒ぎ立てない……確かにその通りだわ。この屋敷の人はイシドール様の命令に背くことはなさそうだし、私の実家も私がいなくなったところで騒ぎ立てないだろう。
私はいなくなる前提で、後妻に選ばれたということ……? どうして……?
「ああ、大事なことを言い忘れていた」
スプーンも動かせずに固まっていると、イシドール様は温かいスープが凍るほどの勢いで鋭く私を睨んだ。
「地下に倉庫があるが、そこには決して近づくな」
「倉庫、ですか?」
「たまに音がすることもあるかもしれないが、気にしないことだ。いいな」
その『いいな』は有無を言わせない迫力があって、私はこくこくと顔を上下に動かすほかなかった。
地下に一体なにがあるというのだろうか。それを考えると背筋が凍える。
まさか……前妻のラヴィーナさんがそこに……?
たしか、ラヴィーナさんは雲隠れしたって話だった。噂では、恐怖侯爵から逃げ出したんだと。
でも本当は逃げ出したんじゃなくて、監禁されているのかもしれない。それか、もうすでにそこで……
私は会ったこともない金髪の女性が地下室で息絶えている姿を想像して、身震いした。
もしそうだとしたら、シャロットが“ママは死んだ”と言っているのも納得ができる。
──考えすぎよ。そうと決まったわけじゃない。そんなわけないじゃないの。
だけど一度よぎった想像は、なかなか頭の中から離れてくれない。
「あの……前の奥様とは、どういう経緯でご結婚されたんでしょうか」
私は心臓をドッドと鳴らしながら、おそるおそる聞いてみた。
彼女も私と同じように、売られるようにここに来たのかもしれないと思って。
「ラヴィーナとは社交界で出会った。俺の一目惚れだ」
「一目惚れ……ですか」
意外な言葉が出てきて、私はパチパチと目を瞬かせた。
この恐怖侯爵が……一目惚れ!!
確かにあのかわいいシャロットの母親なら、めちゃくちゃ美人だろうけど!!
「そんなに意外か?」
「いえ、あの……つい。イシドール様にそういう一面があるんだと知れて、嬉しいです」
「俺にだって人の心はある」
「はい」
ふふっと思わず微笑むと、イシドール様はほんの少しだけ恥ずかしそうに顔を伏せた。
なんだ。イシドール様も、普通の方なのね。
「それで、どうされたんですか?」
「即座に求婚した。俺は両親が早くに他界していてすでに侯爵を継いでいたし、反対する者はいなかったからな」
即座に求婚!?
ど、どんな顔で求婚したのかしら、イシドール様……その場に立ち会ってみたかった!!
「それで、受け入れてもらえたんですか?」
「うちは権威のある侯爵家だからな。断る家などないだろう」
確かに。同じ侯爵家かそれ以上でない限り、そうそう断れる話じゃない。
一目惚れだとしたら、消えてもいい人を選んで娶ったわけでもなさそうね。ちょっとほっとした。
「奥さんを、愛していたんですね」
「……ああ」
眉は恐ろしく吊り上がったままのイシドール様だけど、どこか照れと寂しさを感じ取れた気がした。
そっか……ちゃんとラヴィーナさんを愛していたのね。
安堵と同時に、なぜだか胸が痛んだ。
二番目の妻である私は、間違っても一目惚れされるような容姿じゃない。
くすんだ灰色の髪と瞳。スタイルも出るべきところはお粗末だし、背も低めだから流行りのドレスには着せられちゃって無様だし。
前の奥さんとは、なにもかもが違うわ。
一目惚れされるくらい美人で愛されたラヴィーナさんと、消えても誰も気にしない、愛すことはないと宣言されるような私とでは。
夫に愛されていたラヴィーナさんが羨ましい。
こんな感情を抱いても仕方ないってわかってるけど。
「……そのラヴィーナさんは、どこへ行ったんですか? シャロットには亡くなったと言っているようですが、それはどうして──」
そこまで言って、私は『ひっ』と声にならない声をあげて言葉を止めた。
突き刺さる恐怖侯爵の氷の瞳。
極寒の地に放り出されたように冷え固まった私に、侯爵は──
「詮索するな……!」
一言重圧をかけて、そのまま出て行った。
乱れたカトラリーと、斜めになった主が不在の椅子。
一人残された私はイシドール様の怒りの顔を思い出し、はぁはぁと小刻みに息を往復させながら震えていた。
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