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七章 毒の豆
6、豌豆黄
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夕食後の片づけが終わり、厨房にも食堂にも人の姿はなかった。けれど、まだ熾火は残っている。
辺妮は、熾火に薪をくべて火を強くした。そしてほくそ笑みながら、香豌豆を湯で煮込む。
「これを食べて、苦しめばいいわ。女炎帝さまを『翠鈴姐』なんて呼んで。さも親しそうに、周囲に見せつけて」
厨房に配属されて間もない辺妮は、皿洗いと野菜の皮むきぐらいしかしたことがない。
「とにかく煮て、固めればいいのよ。あいつが毒の豆を食べて、苦しめばいいんだわ」
小さな鍋は、厨房では見つからなかった。辺妮は仕方なく、炒め物によく使用する鉄鍋を使った。
鍋の中の豆が潰れてきて、どろりと粘度が高くなる。こぽ、こぽっと表面に穴が空いて、熱い汁がはねる。
「ふっ。ふふふっ。ははははははっ」
笑いがこぼれてしょうがない。
なにが「翠鈴姐」よ。同郷だって聞いたけど。ただそれだけでしょ。
医官が毒に当たって苦しむなんて。愉快でならない。
辺妮の笑いが、他には誰もいない厨房と食堂に響いた。
誰もが辺妮のことを、いるのかいないのか分からないと言う。存在感がないと言う。影が薄いと言う。
そんな軽んじられた人間に、医官が苦しめられるなんて。面白おかしい。ほんとうに楽しみだ。
◇◇◇
数日後の午後。医局に差し入れがあった。
以前、医局で世話になったのでお礼にと、宮女が豌豆黄を持ってきたという。
ちょうど翠鈴が、蘭淑妃の使いで枇杷と無花果の葉を取りに来ていた。どちらも入浴剤に用いれば、肌が潤う。
雪が降らない日は、風が乾燥している。妃にとって、肌の保湿は重要だ。
「これ、誰が持ってきてくれたのか、分からないんですよね」
胡玲の言葉に、ふたりいる医官がうなずいた。彼女たちが、差し入れを受けとったのだ。
「顔は見たことがあるような気がするんだけど。どこでだったかしら」
「胡玲に世話になったからって、聞いたけど。うちに来たこと、あったかしら。質素な服装だったから。女官じゃなくて宮女であることは分かるんだけど」
うーん、と翠鈴は腕組みをした。
医局の中は、薬草のにおいが満ちている。渋くて、えぐみがあって、甘い感じだ。翠鈴や胡玲、医官たちには慣れた匂いだが。ふつうの人は、医局でお菓子を食べようとは思わないだろう。
先に豌豆黄を分けてもらっていた医官が、かけらを食べてみる。もうひとりの医官は、まず匂いを嗅いでから口にした。
とても慎重に。判別をするかのように。
「もらっておいて、こんなことを言うのは失礼だけど」と、ふたりの医官が豌豆黄を置いた。
「ざらついてるわね。豌豆の皮を取り除いてないわ」
「作るときの火が強かったのね。固いし、表面がひび割れてる。色も黄色とは言えないわ」
豌豆黄は、繊細な菓子だ。路上で売られる郷土菓子でもあるのに。宮廷菓子にもなっている。
とはいえ、豌豆の皮を取って煮つめ、砂糖と一緒に滑らかになるまで丁寧にすり潰して、四角く切り分けるのだから。簡素なのに手間がかかっている。
「急いで作ったみたいね」
翠鈴は皿に載せられた豌豆黄を見つめた。
色が悪いのは、おそらく鉄の鍋を使ったのだろう。鉄を使えば豌豆黄は黒ずんでしまう。黄色く染めるための梔子の実を省いているのも、あるかもしれない。
とはいえ、感謝の気持ちを込めてと差し入れられたものだ。
胡玲も「いったい誰が」と訝しみながら、豌豆黄を口にした。
医局に揃っている誰もが、薬と毒の知識がある。
生薬の下品の中には、毒があるものも含まれる。短期間だけの服用で、量を間違えなければ毒も薬として用いる場合がある。
もしこの豌豆黄の味に違和感があれば、誰もがすぐに吐きだしただろう。
だが、舌触りと色が悪い程度で、ふつうの豌豆の味だった。砂糖が高価なので、使っている量が少ないようだ。豆の青い匂いが強い。
辺妮は、熾火に薪をくべて火を強くした。そしてほくそ笑みながら、香豌豆を湯で煮込む。
「これを食べて、苦しめばいいわ。女炎帝さまを『翠鈴姐』なんて呼んで。さも親しそうに、周囲に見せつけて」
厨房に配属されて間もない辺妮は、皿洗いと野菜の皮むきぐらいしかしたことがない。
「とにかく煮て、固めればいいのよ。あいつが毒の豆を食べて、苦しめばいいんだわ」
小さな鍋は、厨房では見つからなかった。辺妮は仕方なく、炒め物によく使用する鉄鍋を使った。
鍋の中の豆が潰れてきて、どろりと粘度が高くなる。こぽ、こぽっと表面に穴が空いて、熱い汁がはねる。
「ふっ。ふふふっ。ははははははっ」
笑いがこぼれてしょうがない。
なにが「翠鈴姐」よ。同郷だって聞いたけど。ただそれだけでしょ。
医官が毒に当たって苦しむなんて。愉快でならない。
辺妮の笑いが、他には誰もいない厨房と食堂に響いた。
誰もが辺妮のことを、いるのかいないのか分からないと言う。存在感がないと言う。影が薄いと言う。
そんな軽んじられた人間に、医官が苦しめられるなんて。面白おかしい。ほんとうに楽しみだ。
◇◇◇
数日後の午後。医局に差し入れがあった。
以前、医局で世話になったのでお礼にと、宮女が豌豆黄を持ってきたという。
ちょうど翠鈴が、蘭淑妃の使いで枇杷と無花果の葉を取りに来ていた。どちらも入浴剤に用いれば、肌が潤う。
雪が降らない日は、風が乾燥している。妃にとって、肌の保湿は重要だ。
「これ、誰が持ってきてくれたのか、分からないんですよね」
胡玲の言葉に、ふたりいる医官がうなずいた。彼女たちが、差し入れを受けとったのだ。
「顔は見たことがあるような気がするんだけど。どこでだったかしら」
「胡玲に世話になったからって、聞いたけど。うちに来たこと、あったかしら。質素な服装だったから。女官じゃなくて宮女であることは分かるんだけど」
うーん、と翠鈴は腕組みをした。
医局の中は、薬草のにおいが満ちている。渋くて、えぐみがあって、甘い感じだ。翠鈴や胡玲、医官たちには慣れた匂いだが。ふつうの人は、医局でお菓子を食べようとは思わないだろう。
先に豌豆黄を分けてもらっていた医官が、かけらを食べてみる。もうひとりの医官は、まず匂いを嗅いでから口にした。
とても慎重に。判別をするかのように。
「もらっておいて、こんなことを言うのは失礼だけど」と、ふたりの医官が豌豆黄を置いた。
「ざらついてるわね。豌豆の皮を取り除いてないわ」
「作るときの火が強かったのね。固いし、表面がひび割れてる。色も黄色とは言えないわ」
豌豆黄は、繊細な菓子だ。路上で売られる郷土菓子でもあるのに。宮廷菓子にもなっている。
とはいえ、豌豆の皮を取って煮つめ、砂糖と一緒に滑らかになるまで丁寧にすり潰して、四角く切り分けるのだから。簡素なのに手間がかかっている。
「急いで作ったみたいね」
翠鈴は皿に載せられた豌豆黄を見つめた。
色が悪いのは、おそらく鉄の鍋を使ったのだろう。鉄を使えば豌豆黄は黒ずんでしまう。黄色く染めるための梔子の実を省いているのも、あるかもしれない。
とはいえ、感謝の気持ちを込めてと差し入れられたものだ。
胡玲も「いったい誰が」と訝しみながら、豌豆黄を口にした。
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もしこの豌豆黄の味に違和感があれば、誰もがすぐに吐きだしただろう。
だが、舌触りと色が悪い程度で、ふつうの豌豆の味だった。砂糖が高価なので、使っている量が少ないようだ。豆の青い匂いが強い。
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