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九章 呂充儀
7、無邪気さの毒
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梅娜がお茶を用意してくれる。
侍女のひとりが結婚して後宮を出ていったので。侍女頭の梅娜が給仕をすることが多い。
そういえば、最初の時をのぞいて、蘭淑妃は顔を見せない。
「ねぇ、南蕾。わたくしのお茶を持ってきてくれたわよね」
「はい。いつもお好みですから」
呂充儀の侍女である南蕾が、床に就いたままの呂充儀に答える。
「やはり新杷国のお茶はダメね。香りも味も薄くって、刺激がないわ」
梅娜が差しだすお茶を、呂充儀は辞退した。清らかで淡い香りのお茶だ。
「これはいらないわ。南蕾、淹れてきてちょうだい」
「せっかくのご厚意ですのに。いただいた方が」
「あら。わたくしが元気になった方がいいでしょう?」
「ですが」
南蕾は、ちらっと梅娜を見遣った。そして梅娜に主の非礼を詫びる。
南蕾は、厨房を貸してもらうために、部屋を出ていった。
(自由奔放といえば聞こえはいいけれど。これは、かなりの我儘だわ)
呂充儀は、それが許される環境で育ったのだろう。
「ねぇ、雲嵐。あなたはどう? ここの料理はおいしくないでしょ」
「そんなことはありませんが。素材の味を大事にしているので、自然と薄味になるのでしょう」
雲嵐は碗を受けとり、梅娜に礼を告げた。ほのかに湯気が立っている。
梅娜は、雲嵐と呂充儀を見比べて眉をひそめる。
自分が淹れたお茶を、それも蘭淑妃のお気に入りの最高級のお茶を、飲みもしないでまずいと言われ。さらに雲嵐をつきっきりにさせているのだから、しょうがない。
――この人は、もしかしてかなり傲慢なのでは?)
そんな梅娜の心の声が聞こえてきそうだ。
「やあねぇ。素材の味って、そんな平原の民みたいなことを言って。ねぇ、知ってる。あの人たちって、羊を塩ゆでするのよ。岩塩を入れたお湯でゆでるだけ」
ケラケラと呂充儀が笑う。
なにがそんなに楽しいのか、翠鈴には理解できない。
視界の端で、光柳がこぶしを握りしめるのが見えた。
「しかもね。内臓も一緒に鍋で煮るんですって。ありえないわよね。息国では、香辛料をまぶして焼くでしょう? 煮る時も、塩だけなんてありえないわ」
「召しあがったことはございませんか?」
「あるわけないじゃない。貧民じゃあるまいし」
やだぁ、と呂充儀が雲嵐の腕を叩いた。
力が強い。体調はもう大丈夫だろう。翠鈴は、離れた位置で観察する。
「内臓なんて、奴隷とかが食べるものでしょ。ありえないわ。わたくしは馬芹と塩で焼いた羊肉が好きよ。それからハミ瓜。こちらでは馬芹もハミ瓜も見かけないから、つまらないのよね」
きっと呂充儀は、雲嵐の同意を待っていたのだろう。
だが、彼は返事をしない。できない。
おそらくは、雲嵐の曾祖父や祖父は奴隷だったろうから。
故郷にいた頃に、翠鈴は耳にしたことがある。馬芹は高価な香辛料だ。
貧血や風邪に効き、視力と体力を向上させ、免疫も上げる。
だからこそ兵士は、妻が焼いた馬芹入りの平パンをもって、戦いに赴くらしい。
貴重な馬芹を練りこむなど、特別な時にしか作れないだろう。
奴隷でなくとも平民でも。なかなか手に入るものではない。
呂充儀は、自分が王族であるから馬芹を当たり前に口にしていたことを知らない。
想像力の欠如だ。
自分が恵まれた立場であるから。相手もそうだと考える。同じ肌の色だから、相手も同郷だと思いこむ。
(蘭淑妃が、顔をお見せにならないはずだわ)
そして桃莉公主を、呂充儀のもとに連れてこないのも分かる。
この人の存在は毒だ。
呂充儀が気鬱にふさぎ込んでいるときはまだいい。だが元気になれば、無邪気な明るさで相手の影を濃くしていく。
(早く、ご自分の文彗宮に戻っていただかないと)
雲嵐と話ができたのなら、懐郷病も癒えるはず。翠鈴はそう思っていた。
侍女のひとりが結婚して後宮を出ていったので。侍女頭の梅娜が給仕をすることが多い。
そういえば、最初の時をのぞいて、蘭淑妃は顔を見せない。
「ねぇ、南蕾。わたくしのお茶を持ってきてくれたわよね」
「はい。いつもお好みですから」
呂充儀の侍女である南蕾が、床に就いたままの呂充儀に答える。
「やはり新杷国のお茶はダメね。香りも味も薄くって、刺激がないわ」
梅娜が差しだすお茶を、呂充儀は辞退した。清らかで淡い香りのお茶だ。
「これはいらないわ。南蕾、淹れてきてちょうだい」
「せっかくのご厚意ですのに。いただいた方が」
「あら。わたくしが元気になった方がいいでしょう?」
「ですが」
南蕾は、ちらっと梅娜を見遣った。そして梅娜に主の非礼を詫びる。
南蕾は、厨房を貸してもらうために、部屋を出ていった。
(自由奔放といえば聞こえはいいけれど。これは、かなりの我儘だわ)
呂充儀は、それが許される環境で育ったのだろう。
「ねぇ、雲嵐。あなたはどう? ここの料理はおいしくないでしょ」
「そんなことはありませんが。素材の味を大事にしているので、自然と薄味になるのでしょう」
雲嵐は碗を受けとり、梅娜に礼を告げた。ほのかに湯気が立っている。
梅娜は、雲嵐と呂充儀を見比べて眉をひそめる。
自分が淹れたお茶を、それも蘭淑妃のお気に入りの最高級のお茶を、飲みもしないでまずいと言われ。さらに雲嵐をつきっきりにさせているのだから、しょうがない。
――この人は、もしかしてかなり傲慢なのでは?)
そんな梅娜の心の声が聞こえてきそうだ。
「やあねぇ。素材の味って、そんな平原の民みたいなことを言って。ねぇ、知ってる。あの人たちって、羊を塩ゆでするのよ。岩塩を入れたお湯でゆでるだけ」
ケラケラと呂充儀が笑う。
なにがそんなに楽しいのか、翠鈴には理解できない。
視界の端で、光柳がこぶしを握りしめるのが見えた。
「しかもね。内臓も一緒に鍋で煮るんですって。ありえないわよね。息国では、香辛料をまぶして焼くでしょう? 煮る時も、塩だけなんてありえないわ」
「召しあがったことはございませんか?」
「あるわけないじゃない。貧民じゃあるまいし」
やだぁ、と呂充儀が雲嵐の腕を叩いた。
力が強い。体調はもう大丈夫だろう。翠鈴は、離れた位置で観察する。
「内臓なんて、奴隷とかが食べるものでしょ。ありえないわ。わたくしは馬芹と塩で焼いた羊肉が好きよ。それからハミ瓜。こちらでは馬芹もハミ瓜も見かけないから、つまらないのよね」
きっと呂充儀は、雲嵐の同意を待っていたのだろう。
だが、彼は返事をしない。できない。
おそらくは、雲嵐の曾祖父や祖父は奴隷だったろうから。
故郷にいた頃に、翠鈴は耳にしたことがある。馬芹は高価な香辛料だ。
貧血や風邪に効き、視力と体力を向上させ、免疫も上げる。
だからこそ兵士は、妻が焼いた馬芹入りの平パンをもって、戦いに赴くらしい。
貴重な馬芹を練りこむなど、特別な時にしか作れないだろう。
奴隷でなくとも平民でも。なかなか手に入るものではない。
呂充儀は、自分が王族であるから馬芹を当たり前に口にしていたことを知らない。
想像力の欠如だ。
自分が恵まれた立場であるから。相手もそうだと考える。同じ肌の色だから、相手も同郷だと思いこむ。
(蘭淑妃が、顔をお見せにならないはずだわ)
そして桃莉公主を、呂充儀のもとに連れてこないのも分かる。
この人の存在は毒だ。
呂充儀が気鬱にふさぎ込んでいるときはまだいい。だが元気になれば、無邪気な明るさで相手の影を濃くしていく。
(早く、ご自分の文彗宮に戻っていただかないと)
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