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番外編
8、カーリンが生まれた頃【2】
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たぶん、レナーテが妊娠したことを知った時の俺は、人生で一番速く走ったことだろう。
そして勢いよくドアを開いたものだから。蝶番が壊れてドアが外れた。
ソファーでぐったりとしていたレナーテが、驚いて上体を起こす。
「あなた?」
「どうか起きないでくれ。無理をしてはいけない」
俺はソファーへと近寄り、今まで以上に慎重に……今にも壊れそうなガラス細工を扱うようにレナーテを抱きしめた。
廊下でリタが「ぎゃああ、ドアがっ」と騒いでいる。ああ、うるさいなぁ。
本当にこんなにも小柄で細くて、なのに俺の子を宿してくれただなんて。
どれほど感謝しても足りない。
「リタさんからお聞きになって?」
「ああ」
「男の子かしら、女の子かしら」
「どちらでもきっと可愛い。レナーテの子なのだから」
「あら、エルヴィンさまとわたしの子どもですよ」
ふふ、と微笑む姿が愛らしくて。俺はレナーテを強く抱きしめた。
「わたし、エルヴィンさまの子どもがほしかったの。男の子でも女の子でも、きっととても強くて勇敢な子よ」
俺はあなたの何倍も、あなたの子どもが欲しかった。だが、出産には危険が伴う。無事に子どもが産まれても、産後の肥立ちが悪いとか産褥熱とかで(よく知らないので、図書館で調べたことがあるのだ)命を落とすこともあるらしい。
駄目だ。そんなこと、そんな事態には絶対にさせないっ。
「大丈夫だ。俺がちゃんと管理して、あなたと子どもを守るから」
「……っ」
突然レナーテがさらに蒼い顔をして、口許を手で押さえた。
「うわっ。大変だ、リタ。つわりというヤツなのか? レナーテがっ」
「はいはい。うるさい旦那さまですねぇ。ご自分で管理なさるんじゃなかったんですか?」
さすがにもう子どもが大きいリタは、慣れた様子だ。
経験者は違うなぁ。俺にはまだ無理だ。
とにかく大量に出産と子育ての本を借りてきて、読み込むこととしよう。
◇◇◇
レナーテのお腹の子は、皆から「きっと男の子だ」と言われていた。
とてもよくお腹の中で暴れるからだ。
どちらでもいいんだ。レナーテと子どもが無事ならば。
家で出産をする強者もいると言うが。設備の整っていない場所でレナーテにそんな無理はさせられない。
出産間近になり産院に入ったレナーテを、俺は仕事の帰りに毎日見舞った。
「あの、騎士さま。もう面会の時間は過ぎております」
「静かにしているから」
「いえ、そういう問題ではないのですけど」
看護師にせっつかれて、病室を追い出される。レナーテが産院の廊下で苦笑しながら手を振ってくれるのを、俺は何度も振り返り、階段を降りるために角を曲がってもなおレナーテの姿を確認した。
薄暗い廊下で、やはりレナーテは手を振ってくれていた。
秋の日暮れは早い。俺は暗い道で、産院の二階を見上げるのが習慣になった。
俺を廊下で見送ったレナーテの影が、病室の窓に映らないか。ほんの少しでも彼女の気配を感じられないか。そう願いながら。
明かりのついたレナーテの部屋を見上げていると、秋とはいえ吐く息が白くなる。
カーテン越しの影だけでも、妻の姿が見えるのが嬉しいなどと……言えるはずもないよな。いい年をして。
ギィと両開きの窓が開き、夜風にカーテンがはためいた。
「エルヴィンさま?」
ああ、夢のようだ。レナーテが窓から顔を出してくれた。俺の名を呼んでくれた。
そして勢いよくドアを開いたものだから。蝶番が壊れてドアが外れた。
ソファーでぐったりとしていたレナーテが、驚いて上体を起こす。
「あなた?」
「どうか起きないでくれ。無理をしてはいけない」
俺はソファーへと近寄り、今まで以上に慎重に……今にも壊れそうなガラス細工を扱うようにレナーテを抱きしめた。
廊下でリタが「ぎゃああ、ドアがっ」と騒いでいる。ああ、うるさいなぁ。
本当にこんなにも小柄で細くて、なのに俺の子を宿してくれただなんて。
どれほど感謝しても足りない。
「リタさんからお聞きになって?」
「ああ」
「男の子かしら、女の子かしら」
「どちらでもきっと可愛い。レナーテの子なのだから」
「あら、エルヴィンさまとわたしの子どもですよ」
ふふ、と微笑む姿が愛らしくて。俺はレナーテを強く抱きしめた。
「わたし、エルヴィンさまの子どもがほしかったの。男の子でも女の子でも、きっととても強くて勇敢な子よ」
俺はあなたの何倍も、あなたの子どもが欲しかった。だが、出産には危険が伴う。無事に子どもが産まれても、産後の肥立ちが悪いとか産褥熱とかで(よく知らないので、図書館で調べたことがあるのだ)命を落とすこともあるらしい。
駄目だ。そんなこと、そんな事態には絶対にさせないっ。
「大丈夫だ。俺がちゃんと管理して、あなたと子どもを守るから」
「……っ」
突然レナーテがさらに蒼い顔をして、口許を手で押さえた。
「うわっ。大変だ、リタ。つわりというヤツなのか? レナーテがっ」
「はいはい。うるさい旦那さまですねぇ。ご自分で管理なさるんじゃなかったんですか?」
さすがにもう子どもが大きいリタは、慣れた様子だ。
経験者は違うなぁ。俺にはまだ無理だ。
とにかく大量に出産と子育ての本を借りてきて、読み込むこととしよう。
◇◇◇
レナーテのお腹の子は、皆から「きっと男の子だ」と言われていた。
とてもよくお腹の中で暴れるからだ。
どちらでもいいんだ。レナーテと子どもが無事ならば。
家で出産をする強者もいると言うが。設備の整っていない場所でレナーテにそんな無理はさせられない。
出産間近になり産院に入ったレナーテを、俺は仕事の帰りに毎日見舞った。
「あの、騎士さま。もう面会の時間は過ぎております」
「静かにしているから」
「いえ、そういう問題ではないのですけど」
看護師にせっつかれて、病室を追い出される。レナーテが産院の廊下で苦笑しながら手を振ってくれるのを、俺は何度も振り返り、階段を降りるために角を曲がってもなおレナーテの姿を確認した。
薄暗い廊下で、やはりレナーテは手を振ってくれていた。
秋の日暮れは早い。俺は暗い道で、産院の二階を見上げるのが習慣になった。
俺を廊下で見送ったレナーテの影が、病室の窓に映らないか。ほんの少しでも彼女の気配を感じられないか。そう願いながら。
明かりのついたレナーテの部屋を見上げていると、秋とはいえ吐く息が白くなる。
カーテン越しの影だけでも、妻の姿が見えるのが嬉しいなどと……言えるはずもないよな。いい年をして。
ギィと両開きの窓が開き、夜風にカーテンがはためいた。
「エルヴィンさま?」
ああ、夢のようだ。レナーテが窓から顔を出してくれた。俺の名を呼んでくれた。
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