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番外編

10、カーリンが生まれた頃【4】

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「フリートさん。エルヴィン・フリートさん。産院からの使いです」
「なんだ、どうした! レナーテがどうしたんだ」

 俺は慌ててドアを開いた。ガコン! と派手な音がして、鼻を押さえた男がしゃがみこんでいた。

「う……ううっ。奥さんが……レナーテ・フリートさんが」
「だからレナーテがどうしたと聞いている。ええい、話にならん」
「ま、待ってください。今、馬車を……」

 夜道をひた走り、俺は産院へと向かった。多分、人生で一番速く走ったのではなかろうか。
「待ってくださいー」と言いながら、さっきの男が馬車の御者席に座って追いかけて来る。
 
 産院についた時、レナーテは苦しそうに呻いていた。真っ青な顔をして、ベッドに横たわり。痛みに眉をひそめている。

「レ……レナーテ」

 外は寒いのに、ひたいに汗を浮かべながら俺はレナーテのベッドに向かい、彼女の手を握った。

「あなた……来てくださったの?」
「当たり前だろ」

 俺はベッドのそばにある椅子に腰かけて、レナーテの手を握った。彼女のひたいに汗が滲んでいるのを、掛けてあるタオルで拭ってやる。
 産院まで走ってきた俺の汗とは違う。
 苦しさを、痛みを堪えた冷や汗だ。

 ああ、どうしよう。レナーテに耐えきれるだろうか。

 リタが言うには「陣痛はねぇ、骨盤を金づちで強打されるような痛さなんですよ」だったが。
 レナーテの体が壊れるんじゃないか? ああ、出来ることなら俺が代わってやりたい。
 痛かろうが苦しかろうが、レナーテがつらい思いをするよりもいい。

 どうやら痛みには波があるようで。その感覚が徐々に狭くなっていく。
「そろそろ生まれますよ」と産室に入ったレナーテを、俺はただ扉で隔てられた廊下で待つしかなかった。

 時おり聞こえるレナーテの悲鳴。ああ、心が引き裂かれそうだ。

 思わず扉を叩きそうになって、俺は自分の左手で右の拳を押さえた。
 邪魔をするな。戦っているのはレナーテなんだ。

 長椅子に座っていても落ち着かず。廊下の端から端まで歩いて、どれほどの時間が過ぎたのか。
 これまで暗かった窓の外が、眩いほどに明るくなり。いつの間に夜が明けたのか、強烈で鋭い朝日に目が痛んだ。

 その時、産室の中から赤子の泣き声が聞こえたんだ。
 産室に入るように言われ、俺は恐る恐る足を踏み入れた。

「あなた……女の子ですって」
「レ、レナーテ……」

 元々体力のないレナーテが、ぐったりと横たわった状態で俺に手を差し伸べる。
 ほんの少し手を上げることすらもつらいようで、すぐに白い手はぱたりと落ちた。
 抱きしめたら今にも折れそうな体。汗ばんだひたいや頬に、乱れた髪が張りついている。

「ありがとう、レナーテ」

 涙が溢れて止まらない。人生でこんなに泣いたことなど初めてだ。
 医者の「抱っこなさいますか?」の声すらも、届かないほどに俺は嗚咽を洩らしていた。レナーテの華奢な指が、俺のでかい手をそっと握ってくれる。

 俺の子を……産んでくれて、ありがとう。

◇◇◇

 ちなみに俺が生まれたばかりのカーリンを抱っこするのには、かなりの勇気を要した。

 考えてもみろ。首が座ってないんだぞ。猫みたいに小さいんだぞ。何か間違いがあったらどうする。
 だが、おくるみに包まれたカーリンを腕に抱いた時。何かが胸の奥に湧き上がってきた。

「な、なんかもぞもぞするな」
「もぞもぞ、ですか?」
「そわそわと言えばいいのかな」

 語彙力に乏しい俺には、上手い言葉が見つけられない。
 沐浴を済ませ、いい匂いのするカーリンは小さくて温かくて、ふにゃっとしている。

「レナーテに似ている」
「あら。そんなに小さいのに分かりますか?」
「可愛いものはすべてレナーテに似ているんだ」

 レナーテが手を差し伸べたので、俺はカーリンをそっと預けた。レナーテがきちんと支えたのを確認し、さらに再確認してから手を離す。

「ねぇ、エルヴィンさま。もぞもぞと、そわそわの正体をご存じ?」
「いや、ご存じでいらっしゃらない」

 あ、さらに言葉が変になった。俺はもしかして舞い上がっているのだろうか。
 ベッドに上体を起こし、カーリンを抱っこしたレナーテは柔らかく微笑む。

「嬉しくて、たまらないんですよ。わたしも、カーリンを抱いているともぞもぞして、そわそわするんです」
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