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閑話

未来

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(「最終章 手を携えて未来へ」より前のお話)


 いつものように、ブランが魔物を狩ろうと森の中を走り回っているときだった。

『赤子の泣き声がする』
「え?」
「人のか?」

 森の中で赤ちゃんの泣き声がすると言う。アルが『惑わし』と呼ばれる人の泣き声を真似して人をおびき寄せてから襲う魔物じゃないのかと聞いているが、本当に人の赤ちゃんの声らしい。ブランが言うなら間違いないんだろう。というかそんな怖い魔物がいるのか。
 助けるかと聞かれたので、もちろん助けてほしいとお願いした。

『血の匂いがするな』
「え? お願い、急いで!」

 近くなってブランの鼻が血の匂いを嗅ぎ取った。血の匂いがして赤ちゃんが泣いているなんて、どう考えてもいい状況じゃない。
 僕の耳にも赤ちゃんの小さな泣き声がはっきりと聞こえるところで、この先はアルひとりで確認に行くようにと、ブランが立ち止まった。近くには他に人や魔物の気配もないらしい。

 アルがひとりで赤ちゃんのほうに近づいていって、しばらくして赤ちゃんだけを連れて帰ってきた。

「若い男女が魔物に襲われていた。この子は荷物の中に隠されて無事だったようだ」
「そんな……」

 どういう事情か分からないが、森の中を赤ちゃんを連れて進んでいたときに魔物に襲われ、とっさに荷物の中に隠したらしい。
 赤ちゃんに怪我はないが、周りの血の乾き具合から言って、おそらく半日以上は経っているらしい。ということはこの子は半日何も口にしていないのだ。
 とりあえず唇を水で少し濡らしてみるけど、水を飲めているのかどうか分からない。哺乳瓶なんて持ってないし、どうすることもできない。
 本当は亡くなってしまった二人を埋めてあげたいけれど、赤ちゃんの健康が心配なので、残された荷物をアイテムボックスに収納して、近くの街の孤児院へ急ぐことにした。

 魔物は、魔素を浴びて魔法が使えるように変異した動物だと言われている。狂暴で人を襲うものが多いが、中には人を襲わないものもいて、そういう魔物がテイムされて従魔になる。
 二百年周期が始まった今、魔物も魔素が増えた影響を受けているようで、数も増えて狂暴化してきている。そんな魔物に襲われてしまったのだろう。


 毛布にくるんだ赤ちゃんを抱いてブランに乗って、日が暮れる直前に街に着くことができた。夕方で街に帰ってくる人が多いため、門の前に人や馬車が並んでいる。

「結構並んでいるね」
「優先で通らせてもらおう」

 これは緊急ってことでみんな納得してくれるはずだと、並んでいる列を追い越して、門の前まで進んだ。

「森の中で魔物に襲われて生き残っていた赤ん坊を保護した。悪いが優先で入れてほしい」

 その言葉に周りがあわただしくなる。
 こんなときだけは、名を知られていることに感謝だ。僕たちの旅の同行者ではないとか、誘拐ではないなどと説明しなくても、信じてもらえる。
 僕が抱いている赤ちゃんを見た門番さんが、詰め所に声をかけてくれて、馬に乗った門番さんが先導してくれることになった。教会は街の真ん中にあることが多いが、この街に疎い僕たちでは最短のルートが分からないのでありがたい。

 教会に着くと、出てきた司祭様がブランを見て驚いているけど、僕の腕の中の赤ちゃんの小さな泣き声で我に返り、てきぱきと周りに指示を出してから、赤ちゃんを受け取ってくれた。
 僕たちにこれ以上できることがないので、後は教会に任せて、僕たちはできることをしよう。

 冒険者ギルドに事情を話して、彼らの荷物を確認するのに立ち会ってもらえるようにお願いした。
 亡くなっていた男の人が、ギルドカードを身に着けていたので、それはアルが持ってきていた。女性のほうは持っていなかったので、もしかしたら荷物の中に何か身元が分かるものがあるかもしれないと思ったのだ。
 けれど、服と日用品ばかりで身元が分かりそうなものはなかった。

 街を出入りするには、門で身元を証明するものを見せる必要がある。持っていない場合、入れてくれる街と入れてくれない街があり、入れてくれる場合もチェックが厳しかったりと面倒なので、何かしらのカードを持っている人が多い。
 街を移動する人は、冒険者だったり商人だったり、その職業のギルドがカードを発行している場合が多いので、ギルドに登録してカードを持っている。その中で一番簡単に取れるのが冒険者のギルドカードだ。
 街に住んでいる庶民は、まず街から出ることはほとんどないが、ちょっと街の外に行くとか隣街まで行ってくるといった場合には、街を出るときに一時的なカードを借りて、そのカードで街に入る。このカードは隣街までしか有効ではないので、遠出する場合には使えない。

 女性のほうが何もカードを持っていないのは、持っていなかったのか、失くしたのかは分からないが、そのせいで身元につながる情報が何も得られない。
 冒険者ギルドが男性のギルドカードに刻まれている登録地に問い合わせてくれるので、それで何か分かればいいのだけど。

 ちなみに、ギルドカードの登録地は、国をまたいでも変わらず、一番最初に登録した場所のことが多い。アルの登録地はタサマラだ。
 けれど、僕の冒険者ギルドカードの登録地はテシコユダハになっている。本当はカイドで発行されたギルドカードがあったけれど、あの地に繋がるものを持っていたくなくてモクリークで新しく発行してもらった。


 翌日、冒険者ギルドに行くと、どうせ教会にも説明しないといけないからと、一緒に教会に向かうことになった。
 教会で司祭様も交えてギルドカードの登録地から得られた情報を聞いたが、分かったことは、男性が孤児院の出身で、ここ数年はその地を離れていたので、相手の女性が誰かは分からないということだけだった。
 つまり、あの赤ちゃんの親族がいるのかどうかも分からない、ということだ。
 そのことに沈んでいるのは僕だけで、他の人はみんな仕方がないという反応だ。こういうことは、たまにあるらしい。

「あの子はここの孤児院で引き取ることにしますが、何か名前を示すものはありませんでしたか?」
「荷物には何も」
「そうですか。ではおふたりでつけてあげてくれませんか?」

 え? 僕たちが付けるの? そんなのでいいの??
 名前の分からない孤児は、教会の誰かが名付けるらしい。アルの名前も孤児院の人が付けたから、ありふれた名前なんだと教えてくれた。
 この街を出発するまでに決めてくれればいいと言われて、とりあえず宿に帰って考えることにした。ちなみに赤ちゃんは女の子らしい。

 どんなに頭をひねっても、いい名前など思い浮かばない。そもそも僕はこの世界の名前に詳しくない。
 名前は親から与えられる最初のプレゼントって聞いたことがあるから、責任重大すぎて困る。
 でもアルはアイテムボックス持ちとして有名な僕に付けてもらったというほうが赤ちゃんにはいいだろうと、僕に決めさせようとする。

「ブランの名前はどうやって付けたんだ?」
「僕の世界の外国語から」

 銀はあまりにも安直すぎて、かといってシルバーもピンと来ないけど、他に銀という意味の言葉を知らなかったので、白のブランになったのだ。そんな僕に可愛い名前を求めないでほしい。

「ブラン、何かいい名前ない?」
『人の名など知らん』

 だよね。かといって神様の名前を付けちゃうのもよくないだろうし、困った。

「ユウの世界の言葉で考えたらどうだ?」
「うーん、でも響きがおかしかったりしない?」
「こちらにもありそうなものにすればいいだろう」

 それもよく分からないから、僕が候補を挙げて、アルに判断してもらうことにした。
 何がいいだろう。明るいものだと、幸福、希望、未来とかかなあ。

「こうふく、しあわせ、さち、はっぴー、きぼう、のぞみ、ほーぷ、みらい、ふゅーちゃー」
「最後ので、フィーチェ、はどうだ?」
「かわいいね。それにしよう」

 アルが言うならきっとこの世界でもおかしくない名前なんだろう。

 翌日教会に決めた名前を伝えた。

「フィーチェでどうでしょうか。遠い国の言葉で、未来という意味の言葉からつけました」
「素敵ですね。この子の未来は明るいものとなるでしょう」

 いつかこの子がいろいろなことが分かるような年齢になったら、どういう状況で孤児院に連れてこられたのか、説明されるだろう。そして、必死で自分を守ろうとした両親のことを知るだろう。

 彼らが付けてくれた本当の名前はもう分からないけど、彼らがきっと望んだであろう未来を、負けずに生きていってほしい。
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