星空のボレロ

相原伊織

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台風の翌朝の街を歩く

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 台風の翌朝の街を歩くことが好きだった。



 空は高く青く、散り散りに引き裂かれたわずかばかりの雲の残党たちが速い流れで舞台袖に引き上げてゆくのが見える。一方で道路にはあらゆるものが散乱している。なぎ倒されずに済んだ木々の枝葉や、力まかせに叩きつけられた気の毒な小鳥の死骸。目的のわからない機器の残骸やコードの類い。ときにはビデオデッキやカラオケのデンモクまで転がっていることもある(どこから飛ばされてきたのだろう?)。



 秩序立った完璧さをたたえる空に引きかえ、地面は混沌としている。にもかかわらず、朝の空気は輝かしい可能性と予感に満ちている。だからぼくの心は踊るのだ。台風の翌朝、ぼくはそんな心を抱えながら街を歩く。



 四月のその朝は国道沿いの大型スーパーマーケットで食料品等を調達するべく254号線を目指した。近場のコンビニやドラッグストアなどもあらかた壊滅状態となって久しいので望みは薄かったが、いくら空き家だとわかっていても他人の家を物色するよりは幾分気持ちが楽だった。



 でもそれも「今のところは」であり、先のことはわからない。金がその圧倒的な互換性を失い、社会的地位はおろか社会システムそのものが正常に機能しなくなった現在。いや、かつての社会的地位とやらはその最初の役割は果たしたのかも知れない、おそらくは金も。それがぼくの知らないところで(ほとんど誰も知らないところで)、新しい社会的地位とやらに挿げ変わったのだろう、おそらく。



 ぼくはひとり、その理由について考えてみることがある。もちろん、今は亡き社会的地位の上位者の目線になって。金に不自由しない人間の目線になって。例えば志し高い政治家とその逆の政治家。慈愛に溢れた資産家と私利私欲の権化。二極化して考えてみる。自分だったらどうするかと。足の遅い国会にうんざりする? 繰り返される会議、はぐらかしの答弁、先延ばしにされる採決。可決される見込みのない案、少なくとも私の存命中には。邪魔者の多さに吐き気をもよおす毎日………



 一方で金まわりの良いぼくは高すぎる税金を払うのが嫌になるかも知れない。いったい何のために払うのだ? あるいは投票所へ行くのをやめるかも? あなたの投票でマイナス1321点の我が国の政治がマイナス1265点に変わるかも知れません、さあ清き一票を………! 違う、金まわりの良すぎるぼくが清廉潔白な自由人とは限らない。ぼくの一票はもはや清き一票ではないのかも…。



 小さな脳みそを振り絞って考えてみるけれど、そのくらいのところまでしか想像がつかない。でも誰もが一度はに指をかけたことがあったと思う。ある者は安全装置をはずして。ひとつ確かなことは、誰かがついにそのを引いたのだということ。そしてその銃声が、ぼくの耳には聞こえなかったということだけだ。




 こうなってから何ヶ月が経つだろう? 初めてぼくが酒屋の倉庫からダンボール詰めされたまま略奪をまぬがれた缶詰を盗んだとき、罪の意識が生存本能に呑み込まれ消えてゆくのを感じた。それが誰かの所有物で、然るべき対価を差し出すことなく自分のものにしなくてはならない状況で、怖いくらいあっさりとぼくはそれをやってのけた。そのときは罪悪感うんぬんよりもあの安っぽい鯖の味噌煮が欲しかったのだ。



 同じような局面で必要とあらば自分が人を殺してしまうのではないかとよぎり、それだけが恐ろしかった。その記憶のせいでぼくは鯖の味噌煮の缶詰だけは食べることができなくなってしまった。無理やり食べたとしてもすぐに吐いてしまう。



 その酒屋の一件以来ぼくは生きるために同じようなことを繰り返さねばならなかった。そして罪悪感のラインを段階的に一歩またぐ度ごとに、同じような拒否反応が起こるようになった。



 今のところ次のラインは他人の生活した家を物色することであり、最後のラインは人を殺すことである。その先にいったいどんな線引きがなされるのか、幸いなことにぼくはまだ知らない。知りたくもない。




 思えばが引かれてしまった後の世界の最初の朝にぼくがすべきだったことは、隣人なり両親なり行きつけだったバーのマスターなりを訪ねて行動を共にすることだったのかも知れない。



 しかしぼくはそれをしなかったーーー目の当たりにすることが怖かったのだーーー心の中に、可能性の断片を残しておきたかった。先延ばしにしたい、その思いが強かった。



 そして彼らを訪ねなかったその朝ふと、これは今でもしばしば起こるのだが、以前観た映画のことが頭に浮かんだ。夢を題材にした映画だった。フェリーニだったかな…いや違う、もっとずっと新しい映画だ。主演はたしかレオナルド・ディカプリオで……ともかくそれは、夢の世界を描いた映画だった。



 その中でディカプリオが言っていた台詞が思い出される、彼は飛び抜けて成績のいい学生の女の子とカフェのテラス席で非合法的な仕事の話をしている。彼は言う、「ここからが夢だって、理解して見てる夢なんてないはずだ。いつだって気づくと夢の世界に入ってる」。女の子が相槌を打つ、ええ、確かに。そして彼はこう訊ねるのだ、「どうやってここへ来た?」と。



 実はその場面はすでに夢の中で、彼女がその場所へ来た過程を思い出そうとすると夢が崩れ始める。コーヒーカップは音をたてて揺れだし、路上では様々なものがはじけ飛ぶ。店先に出されていた本や、フルーツの入っている木箱や、そんな何もかもが。



 ぼくはのか丁寧に思い出そうとしてみた。でもコーヒーカップは吹き飛ばなかったしこの世界を形作るものたちは一向にその姿のまま身動きひとつとってはくれなかった。



 これがどうやら夢ではないらしいということはそのときわかったが、ぼくの記憶はどことなく不鮮明であるような気がした。思考は至極まともだ。思考に従い行動することも問題なくできる。ただ、思考を前に進めることに比べて何かを思い出そうとすることはひどく骨を折る作業だった。どうしてだろう? 



 もともと苦手だったのかも知れない。何かを思い出そうとすると頭がぼんやりとして、注意力が散漫になるような感じがする。もともとかも知れない。記憶喪失というのではなさそうだし、自分の出自だってちゃんと言える。、という程度のことだ。埼玉県朝霞あさか市出身、在住。二十五歳。二人暮らし。戸籍上の名前はーーーーー。




 国道254号線に出るまでの間にも、いくつもの商店がある。シャッターを下ろした店もあればそうでない店もあった。後者の方はガラス戸が砕け散り、荒れ果てた店内を覗き込むことができた。使えそうな物があれば頂くつもりだったが、あいにく何も見つからない。



 昨夜一晩かけて過ぎ去った台風一号(ぼくが名付けた。が引かれた後の世界、台風第一号)の影響で道路が一部冠水しており、線路の下をくぐることができなかった。なので少し迂回して駅の中を通り、反対側へ抜けることにした。



 線路のこちら側で最後の店はレンタルビデオ・ショップで、少し迷ったが立ち寄ることにした。その入り口は道中のどの商店よりもずっと分厚いガラス扉で、シャッターは下りていなかったものの店内に台風の影響は見受けられない。生きるために必要なわけでも金目の品でもないからか思いのほか以前に近い状態を保っており、こじ開けられた二台のレジスターだけがこの世界の様相を物語っていた。



 建物は二階建てで一階が音楽作品、上がDVDなどの映像作品のフロアとなっている。入る前にはなんとなく少し躊躇したが、いざ入ってみるとこの店にちゃんと用事があったことを思い出した。



 というのも、愛用していた音楽プレーヤーを紛失して以来、数ヶ月間ずっと音楽のない日々を送っていたからだ。ぼくは音楽データをすべてPCに取り込み、どこへ行くにも音楽プレーヤーに入れて持ち歩いていた。だが物資調達へ出た先で落としてしまったらしく、PCはが引かれた後の世界になってから心がある程度落ち着くまでのたかぶりの期間に自分で壊してしまっていた。古いCDラジカセを持っているものの購入したCDはすでに全部売り払っていたし、ラジオ番組などもちろん放送していないので音楽を聴く手段はなかった。ぼくは心身共に切実に音楽というものを求めていたのだ。



 そう、ぼくは音楽が好きだ。愛していると言ってもいいくらい。ただ、どのような音楽を愛好するのかと聞かれても答えることは難しい。例えば洋楽か邦楽かだとか、あるいはジャンルの名前でも挙げてしまえば簡単なのだろうが、音楽のジャンル分けほどあてにならないものはないとぼくは思う。それは十階建て巨大ビル全部が店舗というような大きなレコードショップで目当ての作品の大まかな位置(具体的に言えばそれが何階にあるのか、というより、何階にあるのか)を指し示してくれる()といった程度にしか役に立たない。



 だからこうなる前の世界で誰かと音楽の話になっても、自分の趣向を相手に上手く伝えることはとうとうできずじまいだった。



 それでもあえていうなら『ボレロ』だろうか。モーリス・ラヴェルの『ボレロ』。中でもシャルル・デュトワ指揮、モントリオール交響楽団の演奏する『ボレロ』が、ぼくにとって音楽というもののマスターピースだった。それはぼくには、小説作品に例えるならドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』と似通ったものがあるようにさえ思える。、という点で。



 ぼくはブルースを聴くしポップスも聴く。特に詳しく語れる音楽の多くはロックに分類できるだろう、これらの大半は洋楽だ。演歌は今のところ好きになれない、ヒップホップはほとんど聴かない。精通しているとは言えないかも知れないがジャズを好み、分類を問わずクラシックを愛している。



 そうだ、これくらいシンプルに「どんな音楽が好きなのか」話せれば友達もずっと多く作れたはずだった。少なくとも音楽に関する話題で二回目以降の会話が生まれたかも知れないし、音楽の話題からさらに枝分かれして小説や映画についても話せたかも知れない。その広がりを通して語りたいことを語れる機会はどんどん増えたかも知れない。



 でもぼくには無理だった。好きなものが多過ぎてとても瞬時には答えられなかったし、みんなの会話のテンポが速すぎると感じることも少なくはなかったから。音楽に限った話ではないけれど、多くの人とそういう体験を分かち合うというのは素敵なことだろうなと思う。



 ぼくにはそんな相手は生涯通して三人くらいしかいなかったなと、そう思う。



 クラシック音楽の棚を探してみたが、残念なことにシャルル・デュトワ指揮の『ボレロ』が入ったCDは貸出中だった。ボレロが聴きたかったのだが、信じ難いことにモーリス・ラヴェルはそれ一枚だけだった。カラヤン指揮のラヴェルも小澤征爾指揮のラヴェルもなかった。なんて偏ったレンタル店なんだ? 



 しかし正規の客ではないぼくに文句を言う権利なんてもちろんない。それよりも、貸出中ということは取り扱い自体はしているのだ。しかもぼくの一番好きな録音である。その点を評価するべきではないか。



 でき得る限り物事の良い面を見よう、よく祖母が言っていた言葉だ。ぼくはその一枚をあきらめ、マスターピースにありつけた幸運な誰かを妬む代わりにブラームスとチャイコフスキーとワーグナーをリュックに仕舞った。この際演奏は選ばないことにして。



 ジャズのコーナーからも同じく三枚だけ持っていくことに決めた。あまり沢山をリュックに詰めていくわけにはいかなかった。ケースから出して持ち出せば少しはかさばらないで済むだろうがディスクに傷がついてしまう。あくまでここは「レンタルビデオ・ショップ」なのだ。台風の翌朝特有の清々しい気分がそうさせたのかはわからないが、ここではここの流儀にならいたいと、純粋に思った。返しに戻れる保証はなかったけれど、それでも。



 デューク・エリントンとマイルズは欲しかったがそれぞれ違った意味で選択肢が多過ぎたのでパスした。スタン・ゲッツは好きな作品が置いていなかった。結局ぼくが選んだのはビル・エヴァンスとソニー・ロリンズの、もちろん『ワルツ・フォー・デビー』と『サキソフォン・コロッサス』である。この二枚があれば当面問題あるまい。



 最後の一枠は隣の棚でぼくの手に取られるのを待っていたかのような一枚、デートコース・ペンタゴン・ロイヤル・ガーデンの『リポート・フロム・アイアンマウンテン』に譲った。『ルペ・ベレスの葬儀』がたまらなく聴きたくなったけれど、この一枚を見つけられたことだけでも今のぼくにしてみれば奇跡的な邂逅かいこうと言ってよかった。



 ひととおり一階のフロアを見て回ったが、それらCD以外に役に立ちそうな物は見当たらなかった。上の階を回ったら店を出ようと階段を上り始めたところで妙なことに気づいた。ぼくは一段ずつゆっくりと歩を進めながらそれについて考えてみる。



 『ボレロ』が貸出中だった。この店と同じ名前のレンタルショップは全国にあるし、ぼくはここ以外の店も何度も利用したことがある。勝手は同じなのだ。棚にはディスクが収められたケースがあり、さらにもう一段階ケースに入っている。上蓋のないトレーみたいな。借りるときは外側のケースは棚に残し、ディスクが入った内側のケースだけをレジへ持っていく。『ボレロ』は外側のケースだけだったから、取り扱いはしているということがわかったわけだ。



 一応、他の棚もすべて見た。。どういうことなのだ? 中身のないケースはそれ一枚だけだった。世界がこうなってしまうまで営業していたはずなのに。が引かれた後で、のこのことレンタルCDを返しに来たとでもいうのか? しかも客たち全員が? 階段を上りきったところでが視界に入ってきて、ぼくは思わず顔を歪めて後退りした。



 めちゃくちゃに荒らされていた。すべての棚が力ずくで倒され、ディスクの入ったケースが床一面に散乱している。そして正面の壁一面には赤いスプレーの殴り書き。




「a bunch of Failure(フェイリュアども)」
(ぼくのことだ。)




 の仕業だ、とぼくは思った。



 足場の悪い店内で何度もつまずきながらも、ぼくは可能な限り足早にフロアを点検して回った。死体がないことを確かめ、その不吉な殴り書きが血文字によるものではないことを確認すると急いで階段をかけ下りた。



 分厚いガラス扉の出口の前で思い直し、クラシック音楽のコーナーに戻る。ぼくはブラームスとチャイコフスキーを棚に戻し、代わりにベートーヴェンと五十五年録音盤のゴルトベルク変奏曲を取って店を出た。




 朝霞駅に向かって歩きながら、ぼくはについて考えていた。奴らは狡猾で、しかも力を持っている。正体も数も不明だが、その構成員数に係わらず唯一の巨大勢力であることに疑いの余地はなかった。



 まだ有力なメディアが存在し、公共の電波が生きていた頃、都内の量販店、小売店、ありとあらゆる店舗で強盗が相次いでいるという報道が毎日のようにあった。



 ここから比較的近い池袋のユナイテッド・アローズ内のクロムハーツが真っ先に襲撃されたらしいというニュースも耳にしていた。



 しかしそれらはの仕業ではない。パニックに陥って暴動を起こした人々や、その混乱に乗じて高級ブティックを襲った強盗集団などとはまったくの別ものなのだと、ぼくにはわかっている。こそがぼくの言う「新しい社会的」地位の挿げ変わりの上位者、つまりなのだと。



 でもわかっていることと言えばそれくらいのものだった。
 第一にの狙いはなんだ? 



 私欲を満たすためというのが最初にぼくの行き着いた考えだったが、仮にこの国を手にすることができたとして、先進国として国際関係はどう繕うつもりなのだろう? 放棄するつもりなのだろうか? あまりにも無茶苦茶だ。行き当たりばったりなのか用意周到なのかわかったものではない。を引いた張本人は支配ではなく崩壊を目指しているようにしかぼくには思えなかった。



 完全に個人として動いているのかーーーそれほどの力を持った一個人がどこの世界にいる? 他国が絡んでいるのだろうか。首謀者はこの国の人間ではないのか。それとも世界で同時多発的に起こっている出来事なのだろうか?



 第二には強大な権力を行使できるはずなのに、ときにやっていることが細かすぎるという点が解せない。まず奴らは人を消しているのだ。数千・数万、もしかしたらそれ以上の単位で。拉致にしては規模が大きすぎるし、殺戮にしては後始末に手間をかけすぎている。いずれにしても人間業とは思えないが、現に多くの人間がによって消されている。



 そのような大規模な「清掃」を実行して自己陶酔的に力を誇示してくる一方で、なぜか朝霞のレンタルビデオ店の二階をわざわざ手作業で荒らしている。膨大なエネルギーに対して作用が小さすぎるせいでその行動からはちぐはぐな印象を受ける、というより支離滅裂だ。どんな意味があるというのだ? なぜぼくの行く先々に(どこも小規模な商店だ)、「a bunch of Failure(フェイリュアども)」の殴り書きを残して回る必要があるのだ? 



 そんなことを途方もなく考えていたせいで、気がつくとすでに駅を越え線路の反対側に出ていた。住み慣れた街の、歩き慣れた道。それとどうやらぼくは、あの短い滞在時間でレンタルビデオ・ショップに好感と愛着のようなものを抱き始めているようだった。おそらくデートコース・ペンタゴン・ロイヤル・ガーデンを愛好したであろう店主に敬意を表する意味でも、あの殴り書きを消して二階を綺麗に片付けたいと思った。あるいはレンタル料代わりに、ささやかなお礼のしるしとして。



 台風の翌朝の誰もいない街を、ぼくは国道254号線に向かって歩く。ところで『ボレロ』を借りていったのはいったいどんな人物なのだろう?

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