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Ⅶ
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ヘルターはポールハンガーに掛かった上着を羽織ると、何も言わず玄関に向かって歩いていった。記憶の断片を追う彼女の探求は、ドアベルの音と共に中断してしまった。こんな朝早く、誰かしら? チャーリーは不安に思いながら、ヘルターの後を追った。
ドアを開けると、そこには無表情に寒さをこらえながら、物静かそうな初老の男が立っていた。それは幾分老けはしたものの、紛れもなくチャーリーの父親その人だった。
「どうも」
それだけ言葉を発すると、ヘルターの後について家の中に入ってきた。まるで品定めでもするかのように周りをきょろきょろと見まわしながらーーーそしてそれは彼の価値観にはそぐわないという理由で残念な結果に終わったようだったーーー。チャーリーは驚きのあまり、言葉を発することも出来ずに立ち尽くしていた。聡明な彼女でさえ、事態が全く飲み込めなかった。男はそんなチャーリーとは目を合わせようともせず(あるいはそれは男の気づかいだったのかもしれない)、ヘルターに居間に通され、勧められるままにソファに腰を下ろした。
「説明して」
チャーリーはやっと口を開いた。しかしその声は冷たく乾いていて表情というものがなく、とても自分の声には聞こえなかった。
「こっちにおいでチャーリー。そこじゃ寒いだろう」ヘルターが居間に入ってくるように促した。その声は小刻みに震えている。彼は男の被っていた黒い帽子を預かり、自分の上着と共にハンガーに掛けた。その間も男は頭を軽く前方に傾けただけで、ひと言も口をきかなかった。「さあチャーリー、おいで」
「どういうことなの?」チャーリーは今度はさっきよりもうまくしゃべることができたが、やはりその声はまだ現実的な響きを持っていなかった。ごまかすようにあたりを軽く見まわすとニコライの姿が見当たらないことに気づき、そのことが彼女を余計に不安にさせた。「説明して」
部屋にはしばしの沈黙が降りた。チャーリーにはそれがとても永く、息苦しいものに感じられたが、自分からはその沈黙は破るまいと心に決めていた。そして親友がまずなにを口にしようが、それに対する自分の声が今度こそ自分の声らしく聞こえますようにと、心の中で強く祈った。
「迎えにきたんだ」沈黙を破ったのは、なんとあの物静かな男だった。「君を迎えにきた」
「迎えにきたって……どういうこと?」
チャーリーの祈りはきき入れられず、またしても自分の声には聞こえなかった。彼女は今にも取り乱しそうな様子で、目にはうっすら涙が浮かんでいる。その雫の最初の一滴がこぼれ落ちるのとほぼ同時に、ヘルターが口を開いた。
「学校へ行かせてくれるそうだ。友達もいっぱいできるよ」
チャーリーは声をあげて泣き出した。
「迎えにきたって、なんなのよ。わたしのおうちはここよ! ヘルター…まさかこれが、わたしへのクリスマス・プレゼントだっていうの? そんなのってないわ! わたしたち、とてもうまくやってきたじゃない! それとも、わたしの中のなにかが気に入らないから、それで追い出しちゃうの? ヘルター…!」
ヘルターは首を横に振った。「そうじゃない」
「君のなにかが気に入らないだなんて、そんなことあるもんか。ぼくは君のことが大好きだよ。君自身だけじゃない…君の淹れてくれるコーヒーや、君と取る朝食や、君と歩く森の散歩道や、君と過ごすクリスマスや……君にまつわるすべてのものが、たまらなく大好きだ。君の作るオーナメントやーーー」
「ならどうしてーーー」チャーリーは泣きじゃくりながら言いかけたが、ヘルターの目がそれを押しとどめた。その瞳の輝きには強さと優しさが入り混じり、有無を言わせぬ説得力があった。チャーリーはヘルターのそんな目を見たのは初めてだった。
「ぼくは君と暮らすことが幸せだよ、チャーリー。ぼくにはほかに何も要らない…。ただ君がいてくれればそれでいいとさえ思える。だけどね、チャーリー、よく聴いておくれ。君にとっては、それは正しいことじゃないんだ。君には限りない可能性というものがあるし、未来がある…。君は将来、素敵な旦那さんを貰わなくちゃならんし、一生涯にわたる親友を見つけなきゃならん。そしてそれは、必ずや叶うものだし、それこそが君の人生なんだよ。ぼくは君の輝かしい人生のほんの一部分に関われただけで、願ってもない幸せな時間を送ることができた。ぼくのほうはそれで良しとしようじゃないか。…いつまでもこんなところにいちゃいけないよ、チャーリー。飛び立つんだ」
チャーリーは長い間、黙ったままだった。
「そんな…そんな大事なこと、ひとりで勝手に決めないでよ…。正しいか正しくないかなんて、わたし、自分で決めるわ…」
部屋には再び沈黙が降りた。さっきよりもずっと永い、完璧な沈黙だった。外では真っ白い雪が、くず綿のようにゆっくりと静かに降り積もってゆく。チャーリーは窓の外のそんな風景を眺めながら、わたしのこの哀しみも雪が埋めてしまえばいいのにと思った。
ドアを開けると、そこには無表情に寒さをこらえながら、物静かそうな初老の男が立っていた。それは幾分老けはしたものの、紛れもなくチャーリーの父親その人だった。
「どうも」
それだけ言葉を発すると、ヘルターの後について家の中に入ってきた。まるで品定めでもするかのように周りをきょろきょろと見まわしながらーーーそしてそれは彼の価値観にはそぐわないという理由で残念な結果に終わったようだったーーー。チャーリーは驚きのあまり、言葉を発することも出来ずに立ち尽くしていた。聡明な彼女でさえ、事態が全く飲み込めなかった。男はそんなチャーリーとは目を合わせようともせず(あるいはそれは男の気づかいだったのかもしれない)、ヘルターに居間に通され、勧められるままにソファに腰を下ろした。
「説明して」
チャーリーはやっと口を開いた。しかしその声は冷たく乾いていて表情というものがなく、とても自分の声には聞こえなかった。
「こっちにおいでチャーリー。そこじゃ寒いだろう」ヘルターが居間に入ってくるように促した。その声は小刻みに震えている。彼は男の被っていた黒い帽子を預かり、自分の上着と共にハンガーに掛けた。その間も男は頭を軽く前方に傾けただけで、ひと言も口をきかなかった。「さあチャーリー、おいで」
「どういうことなの?」チャーリーは今度はさっきよりもうまくしゃべることができたが、やはりその声はまだ現実的な響きを持っていなかった。ごまかすようにあたりを軽く見まわすとニコライの姿が見当たらないことに気づき、そのことが彼女を余計に不安にさせた。「説明して」
部屋にはしばしの沈黙が降りた。チャーリーにはそれがとても永く、息苦しいものに感じられたが、自分からはその沈黙は破るまいと心に決めていた。そして親友がまずなにを口にしようが、それに対する自分の声が今度こそ自分の声らしく聞こえますようにと、心の中で強く祈った。
「迎えにきたんだ」沈黙を破ったのは、なんとあの物静かな男だった。「君を迎えにきた」
「迎えにきたって……どういうこと?」
チャーリーの祈りはきき入れられず、またしても自分の声には聞こえなかった。彼女は今にも取り乱しそうな様子で、目にはうっすら涙が浮かんでいる。その雫の最初の一滴がこぼれ落ちるのとほぼ同時に、ヘルターが口を開いた。
「学校へ行かせてくれるそうだ。友達もいっぱいできるよ」
チャーリーは声をあげて泣き出した。
「迎えにきたって、なんなのよ。わたしのおうちはここよ! ヘルター…まさかこれが、わたしへのクリスマス・プレゼントだっていうの? そんなのってないわ! わたしたち、とてもうまくやってきたじゃない! それとも、わたしの中のなにかが気に入らないから、それで追い出しちゃうの? ヘルター…!」
ヘルターは首を横に振った。「そうじゃない」
「君のなにかが気に入らないだなんて、そんなことあるもんか。ぼくは君のことが大好きだよ。君自身だけじゃない…君の淹れてくれるコーヒーや、君と取る朝食や、君と歩く森の散歩道や、君と過ごすクリスマスや……君にまつわるすべてのものが、たまらなく大好きだ。君の作るオーナメントやーーー」
「ならどうしてーーー」チャーリーは泣きじゃくりながら言いかけたが、ヘルターの目がそれを押しとどめた。その瞳の輝きには強さと優しさが入り混じり、有無を言わせぬ説得力があった。チャーリーはヘルターのそんな目を見たのは初めてだった。
「ぼくは君と暮らすことが幸せだよ、チャーリー。ぼくにはほかに何も要らない…。ただ君がいてくれればそれでいいとさえ思える。だけどね、チャーリー、よく聴いておくれ。君にとっては、それは正しいことじゃないんだ。君には限りない可能性というものがあるし、未来がある…。君は将来、素敵な旦那さんを貰わなくちゃならんし、一生涯にわたる親友を見つけなきゃならん。そしてそれは、必ずや叶うものだし、それこそが君の人生なんだよ。ぼくは君の輝かしい人生のほんの一部分に関われただけで、願ってもない幸せな時間を送ることができた。ぼくのほうはそれで良しとしようじゃないか。…いつまでもこんなところにいちゃいけないよ、チャーリー。飛び立つんだ」
チャーリーは長い間、黙ったままだった。
「そんな…そんな大事なこと、ひとりで勝手に決めないでよ…。正しいか正しくないかなんて、わたし、自分で決めるわ…」
部屋には再び沈黙が降りた。さっきよりもずっと永い、完璧な沈黙だった。外では真っ白い雪が、くず綿のようにゆっくりと静かに降り積もってゆく。チャーリーは窓の外のそんな風景を眺めながら、わたしのこの哀しみも雪が埋めてしまえばいいのにと思った。
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