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34話:黒い奔流
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演説から数時間後。
自分は、殿下の傍らで馬を駆っていた。
国境の河川が見えてくる。
対岸には、純白の鎧を纏った教皇国軍の先遣隊が布陣していた。約五千。
黄金の太陽旗が風に翻り、その中央には巨大な聖櫃が厳かに運ばれている。
レオンが言っていた、穴の向こうの声が聞こえるという聖櫃。
あれが何なのか、自分には分からない。だが、嫌な予感がする。
「汚染された王が来たぞ! 浄化せよ! 光神の加護は我らにあり!」
教皇国の指揮官が叫んだ。
白銀の波のような聖騎士たちが、一斉に突撃を開始する。
河を渡る水飛沫が上がった。
自分は剣を抜こうとした。
だが、殿下が片手を上げて制した。
「待て」
殿下は、静かに右腕の拘束具を解いた。
「メフィスト。出力を上げろ。加減はいらん」
傍らに控えていたメフィストが、仮面の奥で嗤った。
「ケケケ……御意」
殿下の右肩に埋め込まれた義手が、駆動音を立てて展開する。
内部の魔導回路が光り、黒紫色の稲妻がバチバチと放たれ始めた。
何だ、これは。
自分は、その光景に息を呑んだ。
「道を開けろッ!!」
殿下が義手を突き出した瞬間。
義手の先端から、数千の漆黒の蔓が爆発的に射出された。
生き物のような鞭。鋭利な槍。
それらが、聖騎士たちに向かって殺到する。
河川の水面が弾け飛んだ。
黒い奔流は、聖騎士たちの魔法障壁を紙のように貫き、足元の地面ごと粉砕した。
「な、なんだあの腕は……!? 悪魔だ! 悪魔の力だ!!」
完膚なきまでの破壊。
かつて帝都を飲み込んだ呪いの力を、殿下は制御された武器として振るったのだ。
自分は、その背中を見つめていた。
恐怖ではない。畏敬だ。
「全軍、突撃!」
自分の号令が、空を震わせた。
黒騎士大隊が雪崩れ込む。
戦意を喪失した教皇国の先遣隊は、総崩れとなった。
抵抗らしい抵抗もなく、彼らは国境の外へと押し戻されていく。
勝った。
圧勝だった。
だが、自分は殿下の様子を見逃さなかった。
返り血を浴びた殿下は、熱を持つ右腕を抑え、激しい眩暈に耐えている。
力を使うたびに、何かが殿下を蝕んでいる。
それは分かる。だが、今の自分には、見守ることしかできない。
「……陛下」
「大丈夫だ」
殿下は、荒い呼吸を整えながら笑った。
「数日間の沈黙は勝ち取った。その間に、やるべきことがある」
◇◇◇
馬を駆ること数日。
雪と黒い煤が降り積もる荒野を、あたしたちは北へと進んでいた。
殿下の供回りは、あたしとルークだけ。
軍の指揮はアラリックとヴォルカスに預けてある。
南からのカイルの報せはまだ届かない。
時間は刻一刻と削られている。
荒野に、その建物が見えた。
亡霊のように佇む、巨大な石造りの廃墟。
沈黙の図書館。
かつての知識の殿堂。宮殿のような華やかさはなく、巨大な墓標のような佇まいだ。
「……陛下、ここですか」
あたしは警戒を解かずに周囲を見渡した。
生命の気配がない。風の音すら、ここでは死んでいる。
「ああ。第一皇子が指し示した場所だ」
殿下が馬を降りた。
ルークが影のように付き従う。
図書館の巨大な扉は、風化して朽ちかけていた。
だが、その奥から、微かな気配が漂ってくる。
懐かしいような、それでいて不穏な気配。
殿下の義手が反応した。
黒い蔓が、肩の付け根で蠢き始める。
あたしは、その光景を見つめていた。
嫌な予感がする。だが、殿下は止まらない。
「行くぞ」
殿下が扉を押し開けた。
◇◇◇
図書館の内部は、静寂そのものだった。
埃が積もった書架が、無限に続いているように見える。
かつては大陸中の知識が集められていたのだろう。
今は朽ちた羊皮紙と、崩れかけた本棚だけが残っている。
あたしは殿下の背後を歩きながら、周囲を警戒していた。
ルークも同じだ。二人とも、いつでも動けるように身構えている。
殿下は、中央広間の奥へと進んだ。
そこに、地下へと続く重厚な鉄の扉があった。
その前に立った時。
殿下の義手が、かつてないほど激しく熱を持った。
黒い蔓が脈打ち、まるで何かを感じ取っているかのように蠢いている。
地下から聞こえてくるのは、微かな歌声。
レオンが歌っていた、あの歌に似ている。
だが、悲鳴でも呪いでもなかった。
何か大切なものを守り続けている者の、静かな子守唄のように聞こえた。
扉の脇に、古びた石碑があった。
見たこともない古代文字が刻まれている。
殿下は、その文字を見つめていた。
義手をつけた今の殿下には、その意味が読み取れるのだろう。
「……杭を打つ者に慈悲を。扉を開く者に破滅を」
殿下が、低く呟いた。
「だが、真実を求める者には、三つの問いを授けよう」
その時。
地下へと続く階段の暗闇から、一人の人影がゆらりと現れた。
あたしは即座に短剣を抜いた。
ルークも弓に手をかける。
だが、殿下は動かなかった。
その目が、驚きに見開かれている。
暗闘から現れたのは、全身を黒い蔓に侵食された男だった。
だが、その瞳には、確かな人間の理知が宿っている。
「……レムリアの……新王……さま……?」
枯れ木が擦れるような声。
聞き覚えがあった。
あたしは、その男を知っている。
北の地獄で、レオンと共に黒い泥の中に消えたはずの男。
脱走兵ウーゴ。
彼は、死んでいなかったのだ。
自分は、殿下の傍らで馬を駆っていた。
国境の河川が見えてくる。
対岸には、純白の鎧を纏った教皇国軍の先遣隊が布陣していた。約五千。
黄金の太陽旗が風に翻り、その中央には巨大な聖櫃が厳かに運ばれている。
レオンが言っていた、穴の向こうの声が聞こえるという聖櫃。
あれが何なのか、自分には分からない。だが、嫌な予感がする。
「汚染された王が来たぞ! 浄化せよ! 光神の加護は我らにあり!」
教皇国の指揮官が叫んだ。
白銀の波のような聖騎士たちが、一斉に突撃を開始する。
河を渡る水飛沫が上がった。
自分は剣を抜こうとした。
だが、殿下が片手を上げて制した。
「待て」
殿下は、静かに右腕の拘束具を解いた。
「メフィスト。出力を上げろ。加減はいらん」
傍らに控えていたメフィストが、仮面の奥で嗤った。
「ケケケ……御意」
殿下の右肩に埋め込まれた義手が、駆動音を立てて展開する。
内部の魔導回路が光り、黒紫色の稲妻がバチバチと放たれ始めた。
何だ、これは。
自分は、その光景に息を呑んだ。
「道を開けろッ!!」
殿下が義手を突き出した瞬間。
義手の先端から、数千の漆黒の蔓が爆発的に射出された。
生き物のような鞭。鋭利な槍。
それらが、聖騎士たちに向かって殺到する。
河川の水面が弾け飛んだ。
黒い奔流は、聖騎士たちの魔法障壁を紙のように貫き、足元の地面ごと粉砕した。
「な、なんだあの腕は……!? 悪魔だ! 悪魔の力だ!!」
完膚なきまでの破壊。
かつて帝都を飲み込んだ呪いの力を、殿下は制御された武器として振るったのだ。
自分は、その背中を見つめていた。
恐怖ではない。畏敬だ。
「全軍、突撃!」
自分の号令が、空を震わせた。
黒騎士大隊が雪崩れ込む。
戦意を喪失した教皇国の先遣隊は、総崩れとなった。
抵抗らしい抵抗もなく、彼らは国境の外へと押し戻されていく。
勝った。
圧勝だった。
だが、自分は殿下の様子を見逃さなかった。
返り血を浴びた殿下は、熱を持つ右腕を抑え、激しい眩暈に耐えている。
力を使うたびに、何かが殿下を蝕んでいる。
それは分かる。だが、今の自分には、見守ることしかできない。
「……陛下」
「大丈夫だ」
殿下は、荒い呼吸を整えながら笑った。
「数日間の沈黙は勝ち取った。その間に、やるべきことがある」
◇◇◇
馬を駆ること数日。
雪と黒い煤が降り積もる荒野を、あたしたちは北へと進んでいた。
殿下の供回りは、あたしとルークだけ。
軍の指揮はアラリックとヴォルカスに預けてある。
南からのカイルの報せはまだ届かない。
時間は刻一刻と削られている。
荒野に、その建物が見えた。
亡霊のように佇む、巨大な石造りの廃墟。
沈黙の図書館。
かつての知識の殿堂。宮殿のような華やかさはなく、巨大な墓標のような佇まいだ。
「……陛下、ここですか」
あたしは警戒を解かずに周囲を見渡した。
生命の気配がない。風の音すら、ここでは死んでいる。
「ああ。第一皇子が指し示した場所だ」
殿下が馬を降りた。
ルークが影のように付き従う。
図書館の巨大な扉は、風化して朽ちかけていた。
だが、その奥から、微かな気配が漂ってくる。
懐かしいような、それでいて不穏な気配。
殿下の義手が反応した。
黒い蔓が、肩の付け根で蠢き始める。
あたしは、その光景を見つめていた。
嫌な予感がする。だが、殿下は止まらない。
「行くぞ」
殿下が扉を押し開けた。
◇◇◇
図書館の内部は、静寂そのものだった。
埃が積もった書架が、無限に続いているように見える。
かつては大陸中の知識が集められていたのだろう。
今は朽ちた羊皮紙と、崩れかけた本棚だけが残っている。
あたしは殿下の背後を歩きながら、周囲を警戒していた。
ルークも同じだ。二人とも、いつでも動けるように身構えている。
殿下は、中央広間の奥へと進んだ。
そこに、地下へと続く重厚な鉄の扉があった。
その前に立った時。
殿下の義手が、かつてないほど激しく熱を持った。
黒い蔓が脈打ち、まるで何かを感じ取っているかのように蠢いている。
地下から聞こえてくるのは、微かな歌声。
レオンが歌っていた、あの歌に似ている。
だが、悲鳴でも呪いでもなかった。
何か大切なものを守り続けている者の、静かな子守唄のように聞こえた。
扉の脇に、古びた石碑があった。
見たこともない古代文字が刻まれている。
殿下は、その文字を見つめていた。
義手をつけた今の殿下には、その意味が読み取れるのだろう。
「……杭を打つ者に慈悲を。扉を開く者に破滅を」
殿下が、低く呟いた。
「だが、真実を求める者には、三つの問いを授けよう」
その時。
地下へと続く階段の暗闇から、一人の人影がゆらりと現れた。
あたしは即座に短剣を抜いた。
ルークも弓に手をかける。
だが、殿下は動かなかった。
その目が、驚きに見開かれている。
暗闘から現れたのは、全身を黒い蔓に侵食された男だった。
だが、その瞳には、確かな人間の理知が宿っている。
「……レムリアの……新王……さま……?」
枯れ木が擦れるような声。
聞き覚えがあった。
あたしは、その男を知っている。
北の地獄で、レオンと共に黒い泥の中に消えたはずの男。
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