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おかえり。

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このまま、深い眠りに就いてしまうのだろうかと
僕は、意識の中で怯えていた。

もう一人の僕が帰るまで、どうしたらいいのか。
悩んでいた所に、礼緒くんが戻って来て
僕は、嬉しかった。

あれ?
そういえば、見える。部屋の中を自分の意志で
ちゃんと見れている。
どうして気付かなかったのか。
僕の意識とやらは、もう一緒になっている。

後は、目を覚ますだけ…。

『今、声がした…?』
礼緒くんの声がする。思わず、僕はハイ。と返事をしてしまったけど。

どうしよう、このままだとまた礼緒くんが
部屋から出て行ってしまう。

僕に、気づいて…
お願い!

『助けてって…、どうしたらいいんだろう?』
礼緒くんが、椅子から立ち上がって僕の側にやって来る。
起こして、どんな手でもいいから…ね!

わぁ…久しぶりに見る礼緒くん…。すっかり更に男前になってて
僕、何だか寝たまんまで恥ずかしい。
せめて、身だしなみ整えていたかったなぁ。
下手したら、血だって、まだどこかに付いているかもしれないし。

吐息がかかる程の距離で、僕はただ部屋の天井近くの高さから
自分を、礼緒くんを眺めていた。

ドキドキする…。
礼緒くん、これ僕なんだけど本当に
間違いじゃないよね?

『悠里…』

とても、切ない礼緒くんの声。
僕の名前を呼んで、静かにキスをしていた。


礼緒side

まさか、何かのおとぎ話じゃあるまいし。とは、思いながら
充分に期待して、俺は悠里にキスをしていた。

自然と、触れたくなって
指先で薄いそばかすに触れた。

ぴく、と悠里のまつ毛が揺れて
口から小さな吐息が漏れた。

「悠里、大丈夫か…」
『……れお、くん』

久しぶりに聞いた、悠里の声。
ゆっくりと瞳が開く。
『ぼく、そっちにね…いったよ』

か細い声で、伝えようと必死なのが
痛いほどに分かる。

「知ってる、俺は…ちゃんとお前を、見つけた。」
『やくそく、だからね』

「今、来てもらうから…落ち着け、悠里。」
ナースコールを鳴らして、俺は一旦席を外した。
悠里は、寂しそうな眼で俺を見つめていた。

弱弱しく笑っていた悠里を見て、自分の無力感を感じていた。
どうやら、もう一人の悠里が戻ったらしい。
これで後は、悠里の体力回復と、傷の治癒を待つだけだ。

俺は、その後もう一度だけ悠里にこれまでの話を簡単にして
また、顔を見に来ることと、おばさんの事を話してから
とんぼ返りした。

さすがに、朝から色々とあって心も体も疲れていた。
帰りの新幹線では眠ってしまった。
地元に帰ってから、家まではタクシーを利用し
実家へと帰って来た。

子供の頃に、悠里が飼いたいと拾った子犬は今では
すっかり落ち着いた老犬になっていた。

「ただいま。お前の本当のご主人に…久しぶりに会って来た。」
遅めの夕食を摂って、やっと風呂に入ってから
悠里の事を、ちゃんと考えることが出来た。

怪我は、どの程度なのか。
頭の包帯がとても気がかりだった。
看護師さんが言うには、駅の階段で誰かと
ぶつかって、脚を踏み外したのだと言う。
近くにいた人の証言だった。

打ち所が悪かったら、と考えるだけで
背中が寒くなった。

そもそも、もう一人の悠里が現れた時点で
危ない状態だったのだと思う。

はぁ…、本当はもっと悠里と一緒に居たかった。
心がもやもやする。
心配、焦り、不安、まだまだ複雑な思いが
払いきれない。

当分は、仕事で顔を見せられないが
悠里のおばさんが、明日から行くらしく
後は、お任せするだけだろう。

風呂の戸を少し開けてみると、少しだけ涼しくなったせいか
もう、鈴虫が鳴き始めていた。

その日の夜、俺は眠りに就くと
あの悠里が枕もとに立った。
穏やかな笑みで、『ありがとう』と俺に告げた。

あの悠里と、本当の悠里の差は何なのかと言えば
本当に見極めが難しい。
どちらも同じ悠里である筈だが。

本当の悠里にはあまりない、かげりを感じる。と言うのが一番
しっくり来た。

あれから、しばらくは俺も家業が忙しくて
なかなか、悠里に顔を見せる事も出来ないまま
携帯でのメッセージのやり取りは
欠かさないようにしていた。

2度くらい電話をして、お互いに言葉を探しながら
照れつつ、ただ声を聞いていたくて
たわいない話をしていたのだ。

そろそろ、秋が近づく。
昔から、俺は地元の秋季祭禮に出る事になっていて
夜になれば、公民館に集まって
人は少ないが練習をしていた。

不思議な事に、ちゃんと当日になればメンツが揃うのだから
心に、根付いているものがあるのだろうと
俺は思っている。

祭りの日は、あの日からだいたい1か月後にあたる。
俺は、無理だと思うが…その日に
悠里が来てくれれば、と思っても
口には、出せないでいた。

プレッシャーになっては、いけないからだ。
だから、せめて…俺に出来る事と言えば
悠里が見に来ても、恥ずかしくない様に努める。
これに、尽きるのだ。

俺は、同じ地で生まれ育った悠里の事を
いつもどこかで感じながら生きている。


祭りの当日、生憎の小雨が降る悪天候。
わらじは、泥と雨で滑る。
履いている白足袋も、雨で濡れていた。
こんな事は慣れっこだ。

午後から始まった祭禮は、夜を越えても続く。
思わず、視線だけで人の波の中に
悠里を探してしまう。

居るはずがない。
いや、居たら俺なら…家に帰す。
まだ、全快とは言えないかもしれないのに。

休憩の間に、おばさんが俺に声を掛けてくれた。
「え、…悠里、来てるんですか?まだ、無理しない方が…」
と、言いかけると
『礼緒くん…わぁ、久しぶりにこの姿見た…』

急に悠里の声がして、俺はすっかり気恥ずかしさで
固まっていた。
おばさんは、親戚の家に行くらしく
悠里とは別行動になった。

傘をさす悠里は、やっぱりまだ儚げな気がして
俺は、気持ちだけが焦っていた。

「体、冷えるぞ…雨、これから酷くなるからもう、家に戻れ。悠里。」
『…やだよ。』
「?え…」
やだって、言われたのか?俺。
『だって、礼緒くんがこんな雨の中…頑張ってるのに。側で、見てたい』
夜は冷える。体に障る。でも、悠里の瞳は、真剣だった。

「最後だけ、見に来てくれ…俺はその時にも出番あるから。多分、夜中回る。いいか?」
『分かった!…じゃ、今は帰るよ。少し休んでる。』
「風邪ひくなよ?あったかい格好で来い。」

『…優しいね、礼緒くん。ありがとう…。あのね、僕…礼緒くんに言わなきゃいけない事
あるんだ。』
「うん?どうした…」
『ここじゃなんだし、明日の方がいいかな?明日は休みでしょ』
「あー。でも、大体寝てるけど、起こしてくれ、悠里。」

『!…あはは、分かったよ。それじゃ…また後でね。』

しとしと降る雨の中、悠里は実家へと帰って行った。

声は元気そうで、安心した。
悠里が見に来る…まさか、本当になるなんて。

代々、俺の家、九葉(ここのは)の家は祭禮に深く関わって来た
家でもあり、父親、祖父からとても厳しく
祭りの演目を教え込まれて来た。
俺から、また若い世代へと順調に
受け継がれていっている。

悠里は、元々祭禮に参加した事は無かったが
必ず毎年、俺を見に来てくれていたのだ。
10年前までは。
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