苗木萌々香は6割聴こえない世界で生きてる

一月ににか

文字の大きさ
10 / 19

十話

しおりを挟む
 前回の委員会からちょうど二週間後、纐纈こうけつ君と私は三階の空き教室に向かって歩いていた。
 六月になり、制服は夏服に切り替わった。紺色のブレザーから白いシャツへ、色合いが変わると同時に学校中の雰囲気が明るくなったように感じる。

 まだ梅雨入りはしていないが、天気がぐずついているせいか廊下の窓は締め切られている。今はまだ薄暗いだけだけれど、委員会が終わるころには雨が降り出しているかもしれない。

「そういえば、結局、纐纈君はアンケートになんて書いたの?」
 階段を登りきり、会話が途切れた今が絶好のタイミングだと話しかける。緊張から、ポケットの中の小さく折りたたんだプリントを握りしめた。

 纐纈君は筆跡を変えなかったのか、それとも変えたつもりでクセが残っていたのか。私は、多分これが纐纈君が書いたものだろうなというアンケート用紙を見つけていた。
 けれど、もしもそれが別の人が書いたものだったら……。その内容は自意識過剰とも言えそうなもので、「これでしょ!」と言い切るにはかなりの勇気が必要だった。

「わからなかった? オレの」
 纐纈君は少し意外そうに私の顔を見た。
「当たりは付けてるよ。でも、違ったら恥ずかしいし」
「じゃあ、同時に言ってみよう」
 会話を重ねるうちにわかってきたことだけれど、纐纈君は案外意地悪なところがある。

「恥ずかしいって言ってるのに?」
「違ってたっていいよ。苗木がアンケート用紙とにらめっこしたところを想像するだけで笑えるから」
「言い方が酷いよ」
 せめて楽しいって言ってくれたらいいのに、ムクれた私を置き去りに纐纈君は「せーの」と合図を送った。

「「動画上映」」
 慌てたせいで大きくなった声は、言葉も声量も纐纈君のものときれいに揃った。飛び上がるくらいにうれしい。
「正解!」と両手で指を差されて、調子に乗って「字幕付き?」と返す。
 動画上映と書かれたものは複数あった。だけど、「字幕付き」と書かれていたのはたった一つ。今私の手の中に在るアンケート用紙だけだった。
 絶対に間違いない。「動画上映(字幕付き)」は纐纈君が書いたものだ。

「そう。その方がみんな楽しめるだろ。さすがに副音声とか、手話とか対応するのは難しいけどさ」
「何もかも全部対応するのは難しいよ。字幕付きってだけでもすごい! そうやって不便を感じてる人をすくい上げようってしてくれるのが、とてもうれしい!」
 なんとか気持ちを伝えたくて、ジェスチャーを交えて大袈裟なくらいに喜びを表現する。
 纐纈君はそれを、やさしい眼差しで受け取ってくれた。

 私たちはいつも、世界に置いていかれる。当然のことだけれど、世界は圧倒的マジョリティ、五体満足の人達のために最適化されている。ステレオも立体音響も両耳が聞こえないと成立しない。
 わからないはずだから、わかってほしいとは思わない。だけど、わかろうとして貰えたらとてもうれしい。それだけなんだ。

「まあ、eスポーツに負けちゃったけどな。苗木もそっちに票入れてたもんな」
「あれは……本当は違う」
 今更こんなことを言ったって嘘みたいだけれど、祈るような気持ちで否定した。がっかりした反応を見るのが怖くて俯く。

 ちゃんとあの場で訂正すればよかった。どの案に票を投じても結果は変わらなかったのだから、書き換えたって問題なかったのに。
「私は本当に、字幕付きって言葉がうれしかった」

「苗木は焦ると頭の中が真っ白になるタイプだろ。見ててわかったよ。間違って票入れたの。
 もしかして、今日提出する分はそこのところ修正してる?」
「してないよ。それはズルい気がしたから」
 顔を上げると、纐纈君は笑っていた。
「本当に真面目だよな。苗木は」
 
 信じてくれたことに、胸がぎゅっと痛くなる。
 違うよ。私は本当はズルい。委員特権で纐纈君の票をあばいて、あまつさえそのアンケート用紙を拝借してしまったのだから。
 勝手にごめんね。お守り代わりに持っていたいんだ。文化祭が終わるまでは。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

靴屋の娘と三人のお兄様

こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!? ※小説家になろうにも投稿しています。

10年前に戻れたら…

かのん
恋愛
10年前にあなたから大切な人を奪った

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

私に告白してきたはずの先輩が、私の友人とキスをしてました。黙って退散して食事をしていたら、ハイスペックなイケメン彼氏ができちゃったのですが。

石河 翠
恋愛
飲み会の最中に席を立った主人公。化粧室に向かった彼女は、自分に告白してきた先輩と自分の友人がキスをしている現場を目撃する。 自分への告白は、何だったのか。あまりの出来事に衝撃を受けた彼女は、そのまま行きつけの喫茶店に退散する。 そこでやけ食いをする予定が、美味しいものに満足してご機嫌に。ちょっとしてネタとして先ほどのできごとを話したところ、ずっと片想いをしていた相手に押し倒されて……。 好きなひとは高嶺の花だからと諦めつつそばにいたい主人公と、アピールし過ぎているせいで冗談だと思われている愛が重たいヒーローの恋物語。 この作品は、小説家になろう及びエブリスタでも投稿しております。 扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

おばさんは、ひっそり暮らしたい

波間柏
恋愛
30歳村山直子は、いわゆる勝手に落ちてきた異世界人だった。 たまに物が落ちてくるが人は珍しいものの、牢屋行きにもならず基礎知識を教えてもらい居場所が分かるように、また定期的に国に報告する以外は自由と言われた。 さて、生きるには働かなければならない。 「仕方がない、ご飯屋にするか」 栄養士にはなったものの向いてないと思いながら働いていた私は、また生活のために今日もご飯を作る。 「地味にそこそこ人が入ればいいのに困るなぁ」 意欲が低い直子は、今日もまたテンション低く呟いた。 騎士サイド追加しました。2023/05/23 番外編を不定期ですが始めました。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

処理中です...