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◆無感情、その理由③

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「大変だったね」

 父が亡くなってしばらく経ったころ、うちに訪ねて来たのが日下 一朗さんだった。

「樋口くん……君のお父さんとは大学の同級生でね。仲がよかったんだ。最近は疎遠になってしまっていたけど」

 俺が小さな遺影写真の前に案内すると、日下さんは正座をして座り、線香を上げてそっと手を合わせた。

「亡くなったとは知らなくて、来るのが遅くなってしまった」

 本当に申し訳ないと頭を下げる日下さんに、俺は無機質に首を横に振った。

 こうして線香を上げに来てくれる友達が父親にもいたのかと思うと、安心したし微笑ましくなったけれど。
 どのみち俺には関係ない。
 父とこの人は縁があったかもしれないが、俺との縁はない。
 頭のどこかで、そんなふうに思って冷めていた。

「なんでも相談に乗るから。困ったことがあったら遠慮なく連絡しておいで」

 父と暮らしたこの家で、このままひとり暮らしをすると言った俺を心配してか、日下さんはテーブルの上に名刺を置いてやさしく微笑んだ。
 その緩い笑顔が、根拠はないが嘘偽りのないものに思えた。
 頼るつもりなんて微塵もなかったのに、貰った名刺は捨てられずにいた。

 それどころかこちらは頼る気がなかったのに、日下さんは俺に連絡をしてきた。
 供養はきちんとしなければダメだとか、大学受験するなら準備を始めないととか、いつでも俺の世話を焼いてくれた。
 頼んでいないのだからお節介だ。
 そうは思うものの、構われるのが妙に懐かしく感じた。

 母が出て行ってからは、父は俺に無関心だった。相手をしてほしくても、父から相手にされずに育った。
 なので誰かから構われるのは母親と暮らしていたとき以来だ。

 日下さんが大きな会社のCEOで金持ちだということは、しばらくあとになって知った。
 受験を考えている大学の資料や参考書に至るまで、頼みもしないのに持ってくる。
 変なおじさんだ。なにを考えているのかわからない。
 俺にやさしくしたって、親切にしたって、なにも得をしないのに。

 無事に大学入学を果たした俺の元へ、再び日下さんが現れた。

「アメリカの大学に留学したいなら思い切って行けばいい。MBAを取得するのもいいな。応援するよ」
「いや、無理ですよ。さすがにそんな費用を払う余裕はありません」
「学費なら私が出そう」
「あなたにそんなことまでしてもらえませんよ」

 なぜこの人がここまで俺に構うのか、正直理解に苦しむ。
 俺の父親と大学時代に親友だったから? たったそれだけのことで?
 なんのとりえもない普通の大学生の俺に、留学や大学院まで勧めるか?

「来人、君は優秀な人間だ。特に経営学においては。残念ながら自分自身でそれに気づいてない」

 小さいころからたしかに勉強は得意なほうだったが、それもこんな家庭環境のせいで途中でめちゃくちゃになった。

 経営難で会社を潰した男の息子ですよ、俺は。
 日下さんは買いかぶりすぎている。俺に経営の才などあるわけがないと思うが。

「海外でもっと自分を磨いて、我が社に入社してくれないか」

 それで恩返しになるのか? だったらお易い御用だ。

 父が死んでからより一層感情が欠落し、完全に無機質な人間になった俺だけれど。
 この人の前でだけは普通の人間でいたいと思えた。
 日下さんが自分を心から必要としてくれるのなら、それに報いたい。
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