悪い冗談

鷲野ユキ

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悪い冗談

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「俺を殺したのは鷹野。いったいどういうつもりだ?」

 怒りと困惑を浮かべて、結城誠一が私を見る。

「俺を殺した鷹野は、つまりはお前なのか?」

 私は静かにうなずいた。

「ええ。彼は私だと思っていただいて構いません」

 そうか、とだけ呟いて、彼は紙の束を私に返した。

「しかし、懐かしいな。黒川に小野、有栖に加賀見。みんなあのサークルのやつらじゃないか」

 ちゃんと許可とったのか?と、先輩が薄く笑った。

「まあ取ってなんてないんだろうけど。なにせ俺なんて加害者兼被害者役で、設定も俺自身そのものだ。しかし探偵役が加賀見とは、いい線いってる」
「彼以外は思い付かなかった」
「鏡介ばかりじゃ妹が怒るぞ」
「それはまた。……別の機会があればいいんですけれど」
返された束をまとめて、私はそれを鞄に仕舞い込む。
「……そうだな、もう、潮時だろう。無責任に焚き付けて悪かったとは思ってるんだ」

 詫びるように彼が呟いた。

「すまない」
「でも、私が勝手に勘違いしたのが原因ですから」
「お前ならなれると思ってたんだよ、それは本当だ。でももう、お前もいい年だろう?いつまでもこんなことやってないで、ちゃんと働いて、結婚でもして」

「もう、遅いですよ」その言葉に、私は目を落とす。

「他の何かの、誰かのために生きるのは。私には、もう無理です」

 私がここまでやってきたのは、自分の作品を皆に、いや、彼に認めてもらう為だけだったというのに。

 顔を上げる。彼と目が合った。困ったように眉が下がっている。私は思わず目を逸らす。下を向いたまま口を開いた。「今まで、ありがとうございました」

 ユキ先輩がもう一度呟いた。「すまない」

 氷が溶けて、崩れる音がした。溶けかけた氷は黒い液体の中に沈んでいく。ぼんやりと私はそれを見つめていた。洒落た洋楽が流れている、混雑時の喫茶店。
 いつも作品が完成すると、ここで彼に原稿を見せていた。

「お前が、俺を恨んでいるのはまあ、わかる」

 ストローで黒い液体をかき混ぜてユキ先輩が言った。氷はさらに深くに沈んでいく。

「お前の作品を手放しで誉めて、その気にさせてしまった。その結果がこれだ、いつまでもお前は夢を追いかけて、この有様だ。それは悪かったって思っている。でも、面白かったと思ったのは本当だったんだ」

 ストローを弄る手を止めて、彼は両手をテーブルで組んだ。

「だが、いくら話の中とはいえ、なぜ木村まで殺した?有栖もだ」

 組まれた両手は、祈りの姿に似ていた。誰に対する?恐らくそれは、私に対してではないだろう。

「……憎かったからですよ。あの二人は私の大切な先輩を、奪って行ったんですから」
「奪う?」

 彼が、怪訝そうな顔をするのを私は見た。それもそうだろう。私のこの感情など、彼にわかるはずもない。

「木村とも有栖とも、もう別れたんだ」

 それに、それはお前とは関係ないだろう?彼の目がそう言っている。

「単に、面白くなかったんですよ。先輩ばかりモテるから」

 だから私は自分の幼稚な感情を誤魔化した。「逆恨みです」
「そうか」

 薄くなったアイスコーヒーを先輩が一口吸った。
 沈んだ氷が現れる。けれどそれも一瞬で、再びそれは泥の中へと姿を消した。そう、それでいい。

「物語のなかで復讐だなんて、お前らしいな」
「先輩はきっと、読んでくれると信じていましたから」
「だがこんな私怨にまみれた作品なんて、入賞するはずがない。いい加減、諦めてくれたのか」
「ええ」

 私は、鳩尾にせり上がるものを殺して答えた。

「私の話を読んでくれる人が居なくなってしまうのなら、私はもう書きません」
「もう望みのない作家への道に時間を費やすより、他にした方がいいことなんてこの世にごまんとあるだろう。そう思い直してもらえたなら良かった」
「そうじゃありません。先輩、話の中の結城誠一はどうなりましたか?」
「どうって」

 その瞬間、ユキ先輩の顔がこわばった。

「誰から聞いた?」
「安藤から」
「安藤か。思い出した。そういやお前、あいつと付き合ってたな。デブとチビでお似合いだって、はやし立てられて」
「いい人でした。でも、それだけです」

 安藤には、悪いことをしてしまった。

「先輩、なんで病院に行かないんです」
「もう行ったところで、助かる見込みがないからだ」

 そう返す彼の顔色は、ひどく悪い。

「先輩は、癌では死にません」

 私は、彼の弱々しい目を直視した。

「先輩を殺したのは私です。他のなんだって、先輩を殺すことはできません。結城誠一は、この私が殺すんです」

 両手をついて、私は身を乗り出す。衝撃でグラスが揺れる。カラン。

「ずいぶん悪い冗談を言うようになったな」
「冗談なんかじゃありません。先輩、だから生きてください。いつか現実世界でも、私が先輩に刃を突き立てるその日まで」
「そうか」

 それだけ呟いて、彼は立ち上がった。アイスコーヒーを残して。

「先輩?」
「なかなか面白い冗談だ。諦めろ、だなんて言って悪かった。次回作、楽しみにしている」

 ヒラヒラと手を振ると、結城誠一は古びた喫茶店と外界を繋ぐ重厚な木の扉を押した。
 ベルが安っぽい音を奏で、一瞬外の空気を取り込んだ。そして、彼の姿は消えた。あとかたもなく。

 閉じた扉を見て、心のなかで呟いた。
 私は彼を、確かにこの手で殺したのだ、と。
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