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湯浴み
しおりを挟む自室に戻ってローズは寝台に上がった。二人で眠っても余るくらいの十分過ぎる大きさ。枕をクッション代わりにもたれ、足を伸ばす。天蓋を仰げば、細かな花柄の刺繍が施されていた。何の花だろうか。抽象化されて、よく分からない。しばらく魅入っていると、うとうとしてくる。ローズは身体を起こして寝台から降りた。
今度は肘掛椅子に座る。よく見れば椅子の金糸にも花柄の刺繍が施されていた。誰かの趣味なのは確かだが、あの男とは思えなかった。いるのかは分からないが奥方かもしれない。
扉がノックされる。ローズは自ら扉を開けた。扉の向こうにいたミアは慌てて手を振った。
「ローズ様!そのようなことなさらないでください。お声をいただければこちらから開けますから」
「扉くらい、誰でも開けられます」
「使用人の役目です」
私も使用人と変わらないのに。そう思いながら、ミアの後ろに年配の男が立っているのに気づいた。ローズの視線を受けて、その男は頭を下げた。
「始めましてローズ嬢。旦那様より命令を受け馳せ参じました」
男は医者だそうだ。ミアが紹介した。
「お嬢様の腰のお怪我を診てもらいます。どうぞ中へ」
「怪我…?ただの痣です」
「お医者様が判断なさいますから、さ、お医者様」
ミアに押し切られ、医師の診察を受ける。医師は丹念に身体を調べると、丸眼鏡を外した。
「これは酷い…よく骨折しなかったものです」
ミアに服を着せてもらいながら、ローズは診断を聞いた。
「過剰すぎる圧迫です。よく息が出来ましたね。食事もまともに取れなかったのではありませんか?」
「そんなことありません。元々そんなに食べませんから」
「痛みは本当に感じないのだね?」
「はい」
医者はローズに舌を見せるように言った。口を開ける。医師はそれから手足に触れた。
「湯浴みをしたのはいつですか?」
「一時間ほど前です」ミアが答える。
「ローズ嬢…よく聞いてください。貴女は過剰なコルセットの締め付けにより、内臓が圧迫され、痛みを感じない程に、血の巡りが悪くなっています。今後は一切、コルセットをしないように。内臓の動きも非常に悪い。薬を処方します。食事にも気を配って、身体を常に温めるよう心掛けてください」
医師は早口でまくし立てるように言った。そう言われても、ローズには実感が無かった。
反応が薄いのを危惧したのか、医者はミアに顔を向けた。ミアは旦那様にも同じ報告をするようにと告げていた。
医師の診察を受けて、早速それに見合った食事が運ばれてきた。野菜スープ、湯でふやかしたオートミール。ローズは一口ずつ食べて、スプーンを置いた。
「ありがとう。下げてください」
「もう…?ロ、ローズ様、お口に合いませんでしたか?」
「そんなことありません。久しぶりに美味しいものを食べました」
「で、でも、少なすぎます。せめてもう一口…お願いします」
おろおろするミアの顔を立てて、もう一口食べる。砂を食べているかのように、何の味もしなかった。
もう一度スプーンを置く。ミアは尚も食べてほしそうな顔をしていたが、無言で片付けを始めた。
夜もふけて、ローズは部屋のあらゆる装飾を見ていた。テーブルの引き出しの取っ手には金箔が貼られていて、誰かが引っ掻いた跡が残っていた。カーテンも一枚は破れて、丁寧に縫い合わせた跡があった。ここの元の部屋の主は相当やんちゃだったらしい。
「起きてたのか」
声を聞いて振り返ると、男が立っていた。ローズは向き直り、膝を曲げて挨拶をした。
「飯をまともに食べてないと聞いた」
「ご命令でしたら、もう少し取ります」
「そうしろ」
男はベットに腰掛ける。手招きされたので、歩み寄った。男に引き寄せられ仰向けになる。ローズは自分の胸元のボタンを外そうとした。男の手がそれを制した。
「何してる」
「お相手します…」
「馬鹿。寝ろ」
「そのためにお買いになったのでしょう」
男はまた舌打ちをした。そのまま引き寄せられて、背中から抱きしめられる。ローズはこれ以上怒らせないように、さっさと目を閉じた。柔らかな温もりに包まれるのは、いつ以来だろうか。夫に捨てられてまだ一日目。なのにもうすっかり遠い日のことのように思えた。
男の手が彷徨って、ローズの手を取った。足も絡めて。じんわり身に染みる温かさ。身体を温めるようにと言っていた医師の言葉を思い出す。この人は言いつけを守ろうとしているのだ。ルビー分の価値になるように、自分も言いつけを守らなければ。そう思いながら眠りについた。
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