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新しい屋敷
しおりを挟むアルバートの言いつけに従って、絵筆を取る。手のひらサイズの小さなキャンバスに、簡単に下絵をして色を付ける。隅々まで丁寧には描かない。全体的に淡く仕上げて、半日もかからないで仕上げた。
その完成品を見たアルバートは、珍しく優しい笑みを見せた。
「上手いな」
「ありがとうございます」
「また描けたら見せろ」
「…はい」
その絵はアルバートに引き取られた。後日、回廊に飾られていた。マリーゴールドの絵。他に飾られている絵が宗教画ばかりだから、この絵一つが異質で、場違いだった。ローズは恥ずかしかった。
「アルバート様」
ベットの中、アルバートは目を開けた。
「なんだ」
「私をお売りになるのなら、事前に教えて下さい」
「なんでそうなる」
「前のように突然だと気持ちが追いつきませんから」
「違う」
アルバートは体を起こしてローズの頬を引っ張った。
「いつ俺が、お前を売ると言った」
「…あの人も、私を売る前は苛立っておいででした」
「いつ俺が、イライラしてた」
「ここに移ってからずっと」
手が離れる。ローズは痛む頬を押さえた。
「今一番イライラしている」
「…申し訳、ありません」
「二度とそんな質問するな」
「…はい」
アルバートは髪をかき上げて、ため息をついた。ベットから降りると、ローズも来るように言った。ローズもベットから降りる。
部屋には、備え付けのサンルームがあった。ガラス張りだから冬でもここだけは暖房無しで十分暖かくなるという。夜の今は他の部屋と変わらない寒さだった。
アルバートは肘掛椅子に座った。ローズの手を引いて上に座らせた。初めてのことで、ぎこちなく座ると、腹に手を回される。
「もたれろ」
「……恥ずかしいです」
アルバートが無理やり肩を引き寄せる。完全に身を預ける形になって、ローズの緊張は頂点に達した。アルバートの首筋に頭が乗って、彼の息遣いを間近で聞いた。
何故こんなことをするのか。その疑問はすぐに晴れた。そこからは満天の星空が見渡せた。ガラス越しでも関係なかった。星々は瞬きを繰り返していた。
新たな侍女はリラと言った。この国には珍しい浅黒い肌に黒い髪。幼い顔立ちをしているが、もう三十だという。
リラは余りこの国の言葉が話せないらしい。ローズは出来るだけゆっくり話した。細々と働いてくれるのでローズは助かっていた。
リラはローズを、
「奥さま」
と、呼ぶので少し困った。
「リラさん、違いますよ。私のことは、ローズと呼んでください」
リラは首を横に振った。
「旦那様より、奥さまと説明ありました。奥さまと呼ばないのは、失礼にあたります」
「アルバート様が…?」
話をしていたら丁度アルバートがやって来た。彼は自分たちをチラリと見て、特に声をかけるでもなく、昨日途中まで読んでいた本を手に取ると、直ぐに別室へ行こうとするので、ローズは慌てて声をかけた。
「あの、リラさんが、私のことを奥さまと呼ぶんです」
アルバートは立ち止まりはしたが、顔色一つ変えない。
「言わせておけ。リラにややこしい言い回しは理解出来ない。嫌なら侍女を変える」
「いえ、そういうわけでは」
「どうせ私とお前しかいない。困ることはないだろう」
何が困る?と言わんばかりの顔をされる。リラも同じような顔をする。自分だけ感覚がおかしいのだろうか。そんなことは無いと思うのだが。
昼からリラか屋敷を案内してくれた。前の屋敷よりも一回り大きいが、離れは無かった。二人だけだから、使用しない部屋の方が多く、使用人の数も前よりも少なそうだった。
一階の小サロンにはピアノが置かれていた。リラは近づくと蓋を開けた。鍵盤を人差し指で押して、ローズに笑いかけた。
「これ、楽しいです」
「そう?」
「こんな音、私の国にはありません。面白い」
ぽんぽんと押す音に、ローズは耳を澄ませる。調律はされているらしい。
「奥さま、弾いてください」
「私?あまり上手ではありませんよ」
「弾けるの、見せてください」
リラにとっては上手いとか下手ではなく、弾ければ良いようだ。ローズは少しだけのつもりで、座りもせずにおもむろに鍵盤を弾いた。
庭園も少しだけ歩いた。迷路のような垣根は、実際に上から見たら幾何学になっているのだろう。庭園の奥には、花園の入り口が見えた。入り口は柵で入れないようになっていた。
「奥さま、身体が弱いと、旦那様より伺っております。これから冬になりますから、ベンチ置けません。散歩は、私がお付き添いします。一人ではお出かけにならないでください」
「そんなに弱くはありませんが、アルバート様の命令なら従います」
「命令?命令ではありません。ご夫婦の間では命令は発生しません」
ローズは曖昧に笑って、そうね、と答えた。
夕食前に、アルバートに執務室に来るように言われた。そこには、一人の見知らぬ男が立っていた。
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