王妃の椅子~母国のために売られた公子

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17.離宮・王妃の回想(14)

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 ライルのためにわざと気軽に話してくれているのは伝わった。冷静に胸の内を整理すると、衝撃は大きいが命と引き換えにするような事件ではないのだ。生きなければ。
 ライルは親指を包むように拳を握った。

「いいね。目に光りが灯ったよ。突然の出来事で動転しても、落ち着いたら立て直せるのがさすがだ。普通の子どもはもっと騒ぐものだ。良い指導者がいたんだね。ライル君はリガーレの公子なんだろう?」
「……はい」
「あそこはいい。のどかで、人々も穏やかだ。昔、一度行ったんだ。刺繍の入った壁掛けを買ってね、今でも実家に飾っているんだよ。一目一目が細かくて素晴らしい作品なんだ」

 懐かしむようにワヒドが煉瓦色の目を細めると、目尻に皺が寄る。小柄で、ライルとは十歳も離れていなそうに見えたが、実際はもっと年高かもしれない。
 リガーレはリガーライトを産出するようになってやっと知られたような小さな公国だ。その目で見てきた人から賞賛されて、ライルの頬は緩む。

「……ありがとうございます。刺繍は我が国の誇れる産業です。そう仰っていただけて嬉しいです」

 自然と頬が緩んで笑みがこぼれた。本当に嬉しかったのだ。遠く離れていても、自分の愛するリガーレだから。
 継ぐべき母国を追い出され、ディルアへの貢ぎものとさえ言われた。カビル王からは散々な謁見をさせられ、信頼していたアーシムには金品を奪われ騙されていた。ほんの少し前まで深く落ち込んでいたのだ。
 なのにワヒドが褒めてくれただけで、突然暗闇から救われてしまった。それはいとも簡単に。
 どうやら自分は思っていたよりずっと弱っていたらしい。

「ん? 起きるのかい? 具合はどう?」
「ええ。落ち着いたというか、吹っ切れたというか、もう動けそうです」
「そうか。鳥へ変化するなら、服をここで預かっておこうか? 開戦したらどうせわたしは救護天幕に詰めっぱなしになる。だからこの場所も寝台も自由に使っても構わないよ」

 陥落まで何日、何ヶ月かかるか分からない。夜は割合静かだったりする。
 鳥化したまま荷馬車の隅で休息するより、温かな寝台で眠る方がずっと魅力的だ。

「とてもありがたい話です。けど、どうしてそんな提案をしてくれるんですか?」
「そうだねぇ……興味があるからかなぁ。君は公子で、ニケで、たった一人でよその国にいて、戦に参加しているでしょう。わたしは前を向いて立つ子が好きなんだ。君は応援したくなるほど眩しく見える……。あっ、安心して。僕は異性愛者だから、寝込みを襲ったりしないよ」
「そんなこと思ってません」
「えぇ……。ライル君、いくつだっけ?」
「歳ですか? 十五です。十五歳」

 毅然としたライルの態度にワヒドは両腕を組んで顔をしかめる。

「……分かった。もし誰かと相部屋になるときは、鳥の姿になっているんだよ? いいね!」

 理由を尋ねてみたかったが、ワヒドの声に被ってラッパの高い音が外から聞こえた。もうすぐ開戦になる合図だ。

「分かりました。ここの天幕もお言葉に甘えて使わせていただきます。もう行かないと」

 鳥の姿へ変化させる速度は、練習のかいあって『長いため息』から『短いため息』になっている。
 アーシムの助言があったからしたことだ。ちくりと胸が痛んだけれど、その先を考えるのは今ではない。

「お見事」

 パチパチと拍手の音が天幕に響く。
 くるりとワシムの頭上で弧を描くように飛ぶ。天幕の入り口を開けて貰い、本陣の天幕へ向かうと後ろから「怪我無く戻ってくるんだよー」と声がした。
 音楽隊が陣営の空気を盛り上げていく。士気が最高潮に達すると、馬に乗ったカビルが登場した。
 カビルが戦場に現れるのは久々だ。姿を見せただけで兵士の士気は上がり、拳を天へかざせば一斉に同じく拳をかざす。

「ディルア王国の勇敢なる強者よー……」

 カビルの声を一言も聞き漏らすまいと、兵士たちは静かになった。
 カビルを見ていると、王の資質とは声も重要な気がした。張りがあって野太い声は、力強く頼もしく感じられる。リガーレ出身としては複雑な胸中だが、それ以上考えるのはやめた。
 もう出番だった。
 ライルは大空へ向かって高く飛んだ。



 ダーイフの首都は、都市全体を高い防壁が囲む城郭都市だ。おそらく中の住民は他の町へ避難しているだろう。代わりに地方領主たちからの援軍が集まっていると思われた。
 朝から夕方まで戦いに明け暮れ、たまに夜間の奇襲をする。敵方はどこからか物資の補給をしているようだった。そうなると持久戦はいつまでも続く。
 ワヒドのおかげで夜は寝台で眠れたが、持ってきた蜂蜜も干し果物も次第に底が見え始めた。
 そうしたある日、住民の代表という使者が本陣へやってきた。
 そこから情勢は急展開を迎える。
 使者が言うには、多くの一般市民がまだ首都に残っていて、市民の命と財産を保障してくれれば、王城へ一番近い門を開けると言うのだった。
 突然明日の勝利が確定されたのだ。
 その晩は前祝いとして酒が振る舞われたが、ライルには関係なかった。
 酒は飲めないし、そもそもディルア国民でもないので心から勝利を喜べない。けれどあと一日だと目処がついたので、気は楽になった。
 ダーイフ攻略は終わる。
 地上から一つの国が消滅する。

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