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昭和十八年

第20話・挺身隊①

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 家政女学校の教室に、女学生たちより少し上の少女が集められていた。中には、少女というには相応しくない、若い女性も混じっている。
 教壇に立つのは、冬先生。熱のこもった指導を見ていると、応援する気はもちろんだが、数ヶ月前の自分たちを見ているようで感慨深くも、こそばゆくもある。
 しかし臨時の新入生、新入社員を採用した話は聞いていない。だいたい彼女たちは寮に入らず、授業が終われば女学校を後にしてしまう。
 どうしたのかと冬先生に尋ねると、何の躊躇いもなく教えてくれた。

「あの娘らは、厚生省から来たんじゃ」
「お役人さんなんですか?」
 意外な答えに呆ける夏子に、冬先生は笑いながら言葉を返した。
「そうじゃないわ。女子勤労挺身隊ていしんたいちゅう、未婚女子が勤労奉仕する組織を厚生省主導で作るそうなんじゃ」
 冬先生の言葉尻が引っ掛かった千秋は、美春と夏子と顔を見合わせてから、更に尋ねる。
「作るっていうことは、まだ正式な組織じゃないいうことですか?」
「先んじて自主的に作ったそうじゃ。意欲があるのは、ええことじゃのう」
 そう高らかに笑って去っていった冬先生だが、数日も経つと幽霊のようにトボトボと歩くようになってしまった。普段とまるで違う恐ろしさに、誰しも声を掛けられないほどだった。
 何が冬先生をそうさせたのかは、挺身隊が乗務見習いについてから次第に判明していった。

 乗務前の準備をしている千秋の元へ、挺身隊が師匠を差し置き駆け寄ってきた。
「あなた、吉川さん言うんね?」
 興奮気味の彼女たちに、千秋もそばにいた美春も夏子も動揺して目を泳がせている。
「うちのこと、ご存知なんですか?」
 すると彼女たちは掌をひらひらさせて「ご謙遜ご謙遜」と黄色い声を上げていた。
「そりゃあそうよ! 広島の男子、憧れの的じゃけぇ!」
「電車に乗るたび、えらいラブレターを貰っとるじゃろう? 知らんモンはおらんわ!」
 そうとは知らずにいた千秋は、ドギマギとするばかりである。そんな様子がおかしくて、美春と夏子は悪戯っぽい視線を送り合った。
 が、そうしていられるのも、ほんの一瞬のことだった。

「どうやったら、あんなにたくさんのラブレターが貰えるんかね?」
 息が詰まった千秋に、挺身隊の少女たちは羨望の眼差しを向けている。ついさっきまでの地に足つかないふわふわとした困惑が、今は固い空気となって喉元を塞いでしまっている。
「うちは、普通に仕事しとるだけじゃけぇ」
「ラブレターはもろうたら、あかんのや。その場ですぐに破り捨てンねん。そういう決まりになったんや」
 夏子の介入に、彼女たちはつまらなそうに口を尖らせた。どうやら千秋に憧れて、もとい千秋の状況に憧れて車掌に志願したらしい。
「もったいぶらんと、教えてくれたらええのに。まぁ、ええわ! 秘訣は秘密じゃけぇ、秘訣言うんじゃ」
「そうそう、技は盗むものとも言うわ。吉川さんの技術、見せてもらうけぇ……時間じゃ、師匠が呼んどる。仲良くしようね! 吉川さん!」
 彼女たちは師匠に続いて、足早に出場していった。残されたのは、ひんやりとした重い空気だけだった。

 ひとたび乗務してしまえば、彼女たちの様子はわからない。当然、ありもしない千秋の秘訣や技も挺身隊にはわからない。
 だが車掌の師匠や運転士、その仲間たちから噂だけは伝わってくる。それが事実かは、彼女たちを見れば明白だった。

 冬先生は、ほとほと参った様子で怒っていた。師匠たちも、ほうほうの体である。何もかもなかなか覚えられず、見習い中は失敗ばかりでみんなを困らせていた美春でさえも、見たことがない顔だった。
 怒られているのは、挺身隊の少女たちである。
「……いかんのですか?」
 冬先生は棒立ちしている女学生から美春を選んで捕まえて、挺身隊の少女たちに突きつけた。
「紅を引くなど、いかん! 森島くんを見習わんかい!」
 確かに、ねて尖った唇には紅が赤々と差してあった。頬はほんのりと桜色に染められている。
 ただ、浅黒い肌も適当にまとめた髪も気にする様子がまるでない美春は、極端すぎる例だった。故に、ぶつぶつと恨み言がつぶやかれるのだ。
「お客さんの前に立つんじゃけぇ、ちょっとでも綺麗でいたほうがええわ。それに、そんな見た目じゃあ恥ずかしいわい」

 これには、お洒落にうとい美春でさえも堪忍袋の緒が切れて、ぜるように怒り出した。
「うちらは化粧したらいかんと、厳しく指導されとんじゃ! お姉さんは役所も電鉄も背負っとるんじゃけぇ、冬先生の言うことを聞かんかい!」
 日頃からあっけらかんとして、人に対して声を荒らげる姿を見せない美春の剣幕に、誰もが驚かされていた。
 それは自分の役目だ、とでも言いたげに夏子が狼狽えながら美春のそばへ歩み寄って撫でるように肩を抱き、千秋も続いて寄り添った。
「美春ちゃん、乗務前よ。あんまり気にしたら、いかんわ」
 夏子は挺身隊の少女たちを真っ直ぐ見つめて、強く諭した。
「お姉さん。うちらは、ラブレター目当てに乗務しとんのとちゃうねん。勉強したくて半分仕事して、ちゃんと仕事したいから冬先生の言うことを聞いとんのや」

 冬先生が女学校と挺身隊の垣根なく、紙風船に触れるように少女たちに語りかけた。
「身だしなみに気を遣うのは、ええことじゃ。しかしのう、挺身隊が憲兵さんに引っ張られたら、洒落にならんわい。わかったら、顔を洗ってきんさい」
 とうとう少女は観念し、肩を落としてトボトボと洗面所へ向かっていった。
 手を焼いていた挺身隊の説得が叶い、美春たちへの感謝を述べようとした、そのときだ。
「……ええなぁ、お化粧……」
 美春が拗ねた顔でポツリとこぼしたひと言に、冬先生は労いの言葉を見失ってしまっていた。
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