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プロローグ
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十二月の上旬、とある日曜日の昼下がり。
クリスマスセールの飾りつけが進んだショッピングモールの中は、人込みでごった返していた。
一ノ谷来栖はその中を、息を切らしかけながら、速足で通り抜けていく。
ちょうどいい物陰を見つけた。書店だ。いくつもの背の高い本棚が並んでいる。
来栖の身長は百七十五センチ。同級生の男子の中ではやや背が高いほうだったが、奥へ入り込んでしまえば、すっぽりと隠れられるだろう。
時代小説の棚の奥へと、彼は滑り込んだ。
すると、雑踏とは明らかに別種の、獲物を狙う獣のような足音が、来栖の耳に響いてきた。
危ないところだった。
見つかってしまえば、来栖には抗する術がない。
「どこおおおお……どこに行ったのおお……」
女の低い声が聞こえる。
ついさっきまで、顔も名前も知らなかった女性だ。今も名前は知らないが。
道端で出会い頭に、「一ノ谷来栖さんですよね? 寿永高校の一年生の」と氏名と学校名を確認され、「そうですが、なにか?」と答えたところ、来栖はいきなり胸倉をつかまれたのだった。
「人の彼氏を寝取っておいて、なにかってどういうこと!?」
女の身長は来栖よりも幾分低い。しかしその迫力は、体格に勝る来栖をもおののかせるには充分だった。
「寝取る……? なにかの間違いじゃ?」
「間違いのわけないでしょ!? こっちは彼からあなたの写真まで見せられてんのよ、まさかこんなとこで出くわすなんて! ああもう本当にきれいね! モデルみたいに背丈もあるし、さぞかしもてるんでしょうね!? でもだからってやっていいことと悪いことが……って、声、低っ……まるで、男の子……え?」
その女の服装と顔だちを見るに、高校生ではないようだった。かといって勤めているようにも見えないので、大学生ではないかと来栖は見当をつける。
もちろん、見覚えは全くない。
知り合いであれば、来栖の性別くらいは知っているだろう。
その日の来栖は、制服姿で外出していた。
女子用の制服で。
寿永高校の制服は濃紺のブレザーにアイボリーホワイトのセーター、それにプリーツスカートという、それらはいかにもオーソドックスなものだった。
ただ女子の制服は、上品なえんじ色の大きなタイと、そこここに細かく入った銀色のラインが特徴的で、かわいらしいと評判である。
そしてブラウスはタイよりもやや淡いものの、同系統のえんじ色のために、夏服だと登下校の際はひときわ目立つ。
寿永高校にはジェンダーレス制服も取り入れられていたが、ほとんどの女子が「これが着たい」と言って女子用の制服を着ている。
おかげで、冬でも、少々の寒さであればセーターを着ずにブラウスで過ごす生徒も多い。
来栖も同じだった。別に日曜日に制服を着て歩く必要はないのだが、単純にデザインが気に入っているので、ほかに特別着たい服がなければ制服を選んでしまう。
この日の来栖が背負っていた小ぶりなレモンイエローのリュックは、あまり男子には似つかわしくないと言われそうなデザインだったが、来栖にとっては知ったことではない。
少なくとも、自分には似合っているということが、彼には分かっている。
来栖が着用しているライトブラウンのロングヘアのウィッグは、地毛と区別がつかないくらいにハイクオリティなものだった。
服装、小物、髪型、さらには生来整った女性らしい顔立ち。これらの要素が合わさってしまうと、プリーツスカートをひるがえす来栖は、ぱっと見には、女子にしか見えない。
「おれに、あなたの彼氏だかなんだかが、どう関係してるんです?」
女が、ようやく来栖の胸倉をつかんでいた手を放す。
「え……やだ、本当に男の子……? だって彼は、あなたに誘惑されたって……でも彼は女が好きで、だってあたしとつき合ってんだから……あれ?」
来栖が、すうっと冷めた視線を送りながら言う。
「その彼とやらがなんと言ったかは知りませんが、全然、全く、これっぽっちも心当たりがないですね。なにか勘違いされているのでは?」
「そ……そんなわけないっ! あたしはっきり聞いたんだから! 最近態度がよそよそしくなったけど浮気でもしてんじゃないでしょうねって問い詰めたら、ほかに好きな人ができたって! それも、相手から誘ってきて、最初は出来心だったけどついその本気になっちゃったって! それがあなたなんだから!」
ヒートアップする女と反比例するように、来栖は冷めていく。
「ああ、もう、それは完全に嘘つかれてますね。特に後半。なんでおれが男を誘うんです?」
「そ、それは、あなたが男の人が好きだからでしょ!? そんな格好してるくらいなんだから!」
「それとこれとはまるで別の話ですよ。それじゃ、おれはこれで」
さっさと身をひるがえした来栖が駅へ向かおうとすると、背後から、尋常ではない殺気がほとばしってきた。
「待ちなさい……それで済むわけないでしょ……!?」
声はさっきの女のものだが、今までとは段違いの低さになっている。
ほとんど獣の唸り声のようだ。
やむなく来栖は、振り返り、
「そんなこと言ったって、おれにはどうにも……」
そこまで言ったところで、女が猫科の猛獣のように地面を蹴ったのを目の当たりにして、反射的に逃げ出した。
「な、なんなんだよ! まったく!」
かくして、制服姿の女子高生――見た目だけは――を女子大生が追いかけるという異様な光景が現出した。
来栖は手近にあったショッピングモールの中に逃げ込み、人込みに紛れてなんとかまこうとしたがなかなか振り切れずに、ようやくやり過ごせそうな場所として、書店を見つけたのだった。
「どこおおおおお……あたしの彼氏を寝取った泥棒女……いや男……? とにかく泥棒おおおおお……」
足音を立てないようにそうっと、来栖は、書店の中を女の進行方向とは逆のほうへ移動する。
「くそ、寝取るってなんだよ。おれがいつそんなことしたってんだ」
低く毒づく来栖を、横を通りがかった子供が指さして、
「あれ、ママー。このお姉ちゃん、男の人みたいなしゃべり方してるよ。変なのー」
不必要なまでの大きな声でそう言い放った。
来栖には、視界の外で、それを聞きつけた女がぐりんと顔をこちらに向けるのが見えた気がした。
「そこかああああ……」
地の底から響くような声が聞こえてくる。
「ああ、もおっ!」
女に追いつかれたからといって、体力的には勝るであろう来栖が一方的に暴行されるとは考えにくい。
しかし、来栖から抵抗を試みた拍子に相手の体のどこかを傷めてしまうことは充分考えられる。
たとえ大したことのないけがであっても、するのもされるのもごめんだった。
とにかく来栖には、逃げる一択しか選択肢はない。
再び、モール内での逃亡劇が始まる。
その中で思い起こすに、来栖を追ってくる女子大生は、来栖から見てもかなりかわいかった。
ハーフアップにした髪は少し明るく染めてあり、快活で動きやすそうなカラージーンズのパンツスタイルと相まって、活発そうな彼女の魅力が見て取れる。
それに、あれほど人を好きになれる情熱というのは、来栖にすれば尊く好感が持てるものだ。
残念ながら、今は怒りに我を忘れている彼女は、その魅力の全てを置き去りにしてしまっているというだけで。
なぜそうなったのか。
決まっている。
「その彼氏とやら、なんなんだ。どうせどこかで勝手におれを見て、見た目だけで女だと勝手に判断して、あげく勝手にのぼせてるんだろ。自分の彼女をないがしろにして。しかも写真まで持ってるって言ってたな。寝取られた……おれに寝取られた? 大噓つくなよ、クズ野郎……」
こういうことが、来栖は初めてではない。
おかげで、最近は男性不信になりそうだった。
直接的に来栖を責めてくるのはいつも女性だったが、事情を聞けば、その原因は常に男である。
特に、今回のように、男が責任を回避するために適当についた嘘のせいで、女子が傷つけられているパターンが多過ぎる。
「くそっ、クズ男は滅びろ! なんであいつらの適当な嘘のせいで、まっとうに生きてるやつが傷つかないといけないんだよ!」
来栖のうめきは、幸せそうな家族連れやカップルがひしめくショッピングモールに、ただ空しく消えていった。
クリスマスセールの飾りつけが進んだショッピングモールの中は、人込みでごった返していた。
一ノ谷来栖はその中を、息を切らしかけながら、速足で通り抜けていく。
ちょうどいい物陰を見つけた。書店だ。いくつもの背の高い本棚が並んでいる。
来栖の身長は百七十五センチ。同級生の男子の中ではやや背が高いほうだったが、奥へ入り込んでしまえば、すっぽりと隠れられるだろう。
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「人の彼氏を寝取っておいて、なにかってどういうこと!?」
女の身長は来栖よりも幾分低い。しかしその迫力は、体格に勝る来栖をもおののかせるには充分だった。
「寝取る……? なにかの間違いじゃ?」
「間違いのわけないでしょ!? こっちは彼からあなたの写真まで見せられてんのよ、まさかこんなとこで出くわすなんて! ああもう本当にきれいね! モデルみたいに背丈もあるし、さぞかしもてるんでしょうね!? でもだからってやっていいことと悪いことが……って、声、低っ……まるで、男の子……え?」
その女の服装と顔だちを見るに、高校生ではないようだった。かといって勤めているようにも見えないので、大学生ではないかと来栖は見当をつける。
もちろん、見覚えは全くない。
知り合いであれば、来栖の性別くらいは知っているだろう。
その日の来栖は、制服姿で外出していた。
女子用の制服で。
寿永高校の制服は濃紺のブレザーにアイボリーホワイトのセーター、それにプリーツスカートという、それらはいかにもオーソドックスなものだった。
ただ女子の制服は、上品なえんじ色の大きなタイと、そこここに細かく入った銀色のラインが特徴的で、かわいらしいと評判である。
そしてブラウスはタイよりもやや淡いものの、同系統のえんじ色のために、夏服だと登下校の際はひときわ目立つ。
寿永高校にはジェンダーレス制服も取り入れられていたが、ほとんどの女子が「これが着たい」と言って女子用の制服を着ている。
おかげで、冬でも、少々の寒さであればセーターを着ずにブラウスで過ごす生徒も多い。
来栖も同じだった。別に日曜日に制服を着て歩く必要はないのだが、単純にデザインが気に入っているので、ほかに特別着たい服がなければ制服を選んでしまう。
この日の来栖が背負っていた小ぶりなレモンイエローのリュックは、あまり男子には似つかわしくないと言われそうなデザインだったが、来栖にとっては知ったことではない。
少なくとも、自分には似合っているということが、彼には分かっている。
来栖が着用しているライトブラウンのロングヘアのウィッグは、地毛と区別がつかないくらいにハイクオリティなものだった。
服装、小物、髪型、さらには生来整った女性らしい顔立ち。これらの要素が合わさってしまうと、プリーツスカートをひるがえす来栖は、ぱっと見には、女子にしか見えない。
「おれに、あなたの彼氏だかなんだかが、どう関係してるんです?」
女が、ようやく来栖の胸倉をつかんでいた手を放す。
「え……やだ、本当に男の子……? だって彼は、あなたに誘惑されたって……でも彼は女が好きで、だってあたしとつき合ってんだから……あれ?」
来栖が、すうっと冷めた視線を送りながら言う。
「その彼とやらがなんと言ったかは知りませんが、全然、全く、これっぽっちも心当たりがないですね。なにか勘違いされているのでは?」
「そ……そんなわけないっ! あたしはっきり聞いたんだから! 最近態度がよそよそしくなったけど浮気でもしてんじゃないでしょうねって問い詰めたら、ほかに好きな人ができたって! それも、相手から誘ってきて、最初は出来心だったけどついその本気になっちゃったって! それがあなたなんだから!」
ヒートアップする女と反比例するように、来栖は冷めていく。
「ああ、もう、それは完全に嘘つかれてますね。特に後半。なんでおれが男を誘うんです?」
「そ、それは、あなたが男の人が好きだからでしょ!? そんな格好してるくらいなんだから!」
「それとこれとはまるで別の話ですよ。それじゃ、おれはこれで」
さっさと身をひるがえした来栖が駅へ向かおうとすると、背後から、尋常ではない殺気がほとばしってきた。
「待ちなさい……それで済むわけないでしょ……!?」
声はさっきの女のものだが、今までとは段違いの低さになっている。
ほとんど獣の唸り声のようだ。
やむなく来栖は、振り返り、
「そんなこと言ったって、おれにはどうにも……」
そこまで言ったところで、女が猫科の猛獣のように地面を蹴ったのを目の当たりにして、反射的に逃げ出した。
「な、なんなんだよ! まったく!」
かくして、制服姿の女子高生――見た目だけは――を女子大生が追いかけるという異様な光景が現出した。
来栖は手近にあったショッピングモールの中に逃げ込み、人込みに紛れてなんとかまこうとしたがなかなか振り切れずに、ようやくやり過ごせそうな場所として、書店を見つけたのだった。
「どこおおおおお……あたしの彼氏を寝取った泥棒女……いや男……? とにかく泥棒おおおおお……」
足音を立てないようにそうっと、来栖は、書店の中を女の進行方向とは逆のほうへ移動する。
「くそ、寝取るってなんだよ。おれがいつそんなことしたってんだ」
低く毒づく来栖を、横を通りがかった子供が指さして、
「あれ、ママー。このお姉ちゃん、男の人みたいなしゃべり方してるよ。変なのー」
不必要なまでの大きな声でそう言い放った。
来栖には、視界の外で、それを聞きつけた女がぐりんと顔をこちらに向けるのが見えた気がした。
「そこかああああ……」
地の底から響くような声が聞こえてくる。
「ああ、もおっ!」
女に追いつかれたからといって、体力的には勝るであろう来栖が一方的に暴行されるとは考えにくい。
しかし、来栖から抵抗を試みた拍子に相手の体のどこかを傷めてしまうことは充分考えられる。
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とにかく来栖には、逃げる一択しか選択肢はない。
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その中で思い起こすに、来栖を追ってくる女子大生は、来栖から見てもかなりかわいかった。
ハーフアップにした髪は少し明るく染めてあり、快活で動きやすそうなカラージーンズのパンツスタイルと相まって、活発そうな彼女の魅力が見て取れる。
それに、あれほど人を好きになれる情熱というのは、来栖にすれば尊く好感が持てるものだ。
残念ながら、今は怒りに我を忘れている彼女は、その魅力の全てを置き去りにしてしまっているというだけで。
なぜそうなったのか。
決まっている。
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こういうことが、来栖は初めてではない。
おかげで、最近は男性不信になりそうだった。
直接的に来栖を責めてくるのはいつも女性だったが、事情を聞けば、その原因は常に男である。
特に、今回のように、男が責任を回避するために適当についた嘘のせいで、女子が傷つけられているパターンが多過ぎる。
「くそっ、クズ男は滅びろ! なんであいつらの適当な嘘のせいで、まっとうに生きてるやつが傷つかないといけないんだよ!」
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