愛されるべきかわいい女の子たちの敵がいつもおれ

クナリ

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第二章 一ノ谷来栖の女装で世界はほんの少しだけいいほうへ変わる 4

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「あ、ありがとうございますっ」

 くだんの人物は、勢い余って頭から花壇の土の中に顔面を突っ込んだ。
 しかし何事もなかったかのようにがばと体を起こすと、泥だらけの顔で微笑んだ。

「けがはないかい?」

「はい、わ、私は大丈夫ですけど……そちらこそ大丈夫ですか……?」

「ははは、おれのことはいいんだ。君の安全に比べれば、大したことじゃないよ。それじゃ気をつけてなー」

 そう言ってハンカチで顔の汚れをぬぐいながら、、さわやかにその場を去っていったのは。

「梶原……先輩……?」

 美乃梨が取り落としそうになった箸を、慌ててあやめが抑える。
 静二も意外そうな顔をした。

「なんだか、キャラが変わったね……?」

「ああ。おれも少し気になったんで二年生に探りを入れたら、なんかもう朝一からめっちゃ謙虚らしい。なんでも、本当の美しさとはなんなのかが分かったとかで。つけ焼き刃じゃなく、本当に改心してくれたんならいいんだけどよ」

「少なくとも僕が見る限りは、昨日の駅での来栖より、今の梶原先輩のほうが格好いいけどね……」

 来栖が、がばりと静二へ向き直る。

「え!? なんだそれ!? 聞き捨てならないぞ!?」

「だってクルスのは問答無用過ぎるというか、冷静に考えるとロジカルでも物理的でもないし」

「なんでだよ!? 人間の目の構造とおれの美しさの話だぞ!? 第一、ほかの誰に分からなくても静二には分かるだろ!? おれの美しさが!」

「い、今それを蒸し返さないでよ!?」

 すると、横からくすくすと笑い声が聞こえる。あやめだ。

「もう、クルスって、たまにとってもおかしいですね」

「……おれの言う通りで、理屈は合ってるよなあ……? 明順応と暗順応でさ……」

 そううなる来栖を見て、静二がふと言う。

「あのさ。少し気になってたんだけど、クルスとあやめさん。二人ともくんづけとかさんづけじゃなく、下の名前を呼び捨てし合ってるけど……その、……なにか、あるの?」

「えっ!? へ、変ですかっ!?」

 慌てるあやめと、冷静な来栖。

「別になにもないぞ。そうしたいからそうしてるだけだ。美乃梨のことも下の名前で呼んでるし」

「そ、そっか。あ、いやごめん。本当、ちょっと訊いてみただけ」

 三人の様子を見比べていた美乃梨が、

「白石くんも、私やあやめのこと、下の名前で呼んでもいいけど。ね、あやめ?」

「あ、はい。私は全然構わないです」

「え? ど、どうも? そんなつもりじゃなかったんだけど」

 ふふ、と美乃梨が笑う。

「だって、少しは気になってたんでしょう? 静二くん?」

「い、いや、だから本当になんとなくで……変な話になっちゃったなあ、もう」

「くっ……昨日のおれの手柄話が、あっさり通り過ぎられていく……」

 来栖にすれば、冗談半分でそう言っただけだったのだが。

「そんなことはないですよっ」

「え?」

 そのはっきりした語調に、来栖は目をしばたたかせてあやめを見た。
 いつの間にか果物を食べ終わっていたらしく、プラスチックケースはすっかり空になっている。

「私、クルスは凄いと思います。……私、正直、自分が女子としてかわいくないのもあって、……きれいな人とかおしゃれな人のこと、やっかんでたところがあったと思います」

「え、そうなのか」

 充分かわいいのに、と言いたかったが、話の腰を折らずに聞く。

「どんなに見た目が優れていたって、人間の価値はそれだけじゃ決まらないんだって……そう平等な視線を持とうとして、むしろ外見を磨き上げることの価値から、目を背けていたところがあったと思うんです。外見を過少評価しがちだったといいますか」

 そういうものか、と来栖はやはり話を遮らずに先を促す。

「でも、クルスが、自分がきれいだからって偉ぶるんじゃなくて、人のためにその美しさを生かしてるのを見て、……やっぱり美しさっていいものだなって思いました」

「い、いやまあ、そんな大げさなものじゃないけども。取柄をどう使うかは、人それぞれってだけだぞ」

 あやめは、もじもじと下を向いて続けた。

「いえ、凄いですよ。人を変えてしまうほどの――それもいいほうに――長所って、そうそうあるものではないと思うので。いくら生まれ持ったものがあるとしても、髪とか体型とか、そこまで整えるのって並大抵の努力じゃないんだろうなって思いますし。……って、私には全然分からない領域の話なので、なに言ってるんだって感じかもしれませんけど……」

 そんなことはない、と言おうとして、来栖が前のめりになったところで、ぱっと顔を上げたあやめと、至近距離で目が合った。

「でも、そんな私でも分かるのは、クルスは外見だけじゃなくて、やっぱり人柄もいいんだなってことです! ……って、ひゃ、近っ!?」

 あやめが、のけぞってその場を離れた。

「うお、わ、悪い! ま、まあそんなに買いかぶらないでくれよ。……ん、でも、そうだな……今まで、おれの美をこんなふうに役立てたことは、そういえばなかった気がする……」

 自分の美しさは、その可能性は、自分にはよく分かっていた。
 だから、自分さえ満足できればそれでよかった。
 だが、今、なにか。
 それまでの自分になかった視点が、棚から落ちてきたように、目の前に現れた気がした。
 それがなんなのか言語化しようとして、ふと、来栖はさっき気になったことをさきに口に出す。

「そういえば、美乃梨もそんなこと言ってたけど、二人ともそんなに外見に自信がないのか? おれから見れば、二人とも充分かわいいと思うのに」

 今度は、美乃梨がのけぞった。

「そ、それをクルスくんが言う? んん、私眼鏡やめてコンタクトにしようかとかは、考えたことあるけど……」

「いや、眼鏡でもコンタクトでもどっちでもかわいいだろう。なあ、静二?」

 やはり、静二も当然とうなずく。

「僕は、コンタクトもいいけど、今の眼鏡も美乃梨さんによく似合ってると思うよ」

「うう、ありがとう~。これ気に入ってるんだ。でもやっぱり、いろいろ考えちゃうんだよね。本格的にメイクしてみようか、楽しいかもしれない、でも似合わなかったらどうしよう、そもそも私に似合うメイクなんてなかったらどうしよう、……ってネガティブなことも。クルスくんは、そんなことなかったでしょ?」

「ああ。おれは、自分の美の方向性がはっきりしてて、それの答え合わせみたいにメイクしてるから、悩むこととかはあんまりないな」

 あはは、と美乃梨が困ったように笑う。

「私は、梶原先輩に見た目のこと言われたのを、しばらく引きずっちゃうかもな」

「なんだ、あんなのの審美眼なんかにとらわれるなよ。あいつが毎日鏡でばかを見続けたから、視覚もばかになってるだけだ」

「ええ、それで言うなら、毎日その顔を鏡で見てるクルスくんの審美眼が、とっても確かってことになるけど……」

 来栖が、親指を立てて自分の胸を指す。

「そのとおりだ。大いに信用してくれ。……あれ、どうしたあやめ?」

 三人の目が、しばらく無言になっていたあやめに集中する。
 黒髪のセミロングに囲まれたあやめの顔が、真っ赤になっていた。

「うお!?」

「どうしたの、壇ノ……あやめさん!」

「あやめ、平気!? ここ、さすがに寒かったかな?」

 あやめがぱたぱたと手を横に振る。

「ち、違うんです。ただ、……そんなさも当然のことみたいに、か、かわいい、なんて言われたから……ご、ごめんなさい、私免疫なくて」

「いや……おれが悪い、よな?」

「ち、違いますってば。クルスにそう言ってもらえるの、うれしいです。本音で言ってくれてるんだと思いますし……そ、それで、で、でも?」

「でも?」と来栖があやめの顔を覗き込む。

「私、自分がかわいくなるための努力みたいなの、ほぼしてないので……ちゃんと自分の外見を磨いていて、それで褒めてもらえたら、きっともっと嬉しいんでしょうね……。自信、持てたりするのかな……」

 あやめが、あまりきれいに揃っているとは言えない毛先を、指先でくるくるともてあそんだ。
 静二が、来栖に耳打ちする。

「もう一人、来栖がいいほうに変えちゃう人が、ここにいるのかもね」

 そうだとしても、それは本人の手柄ではあるだろう。
 来栖としてはそうとしか思えなかったが、さっき言葉にできなかった気づきが、少しずつ形を明らかにしつつあった。

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