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第四章 一ノ谷来栖は誠実そうに見えて勝手な男を変えてみる 2
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その時、佐奈がぴたりと動きを止めた。耳を澄ますしぐさをして、目を半分閉じている。
「……なんだ。どうした?」
「くっ……。来ました、吾妻くんが。では、私はこれで」
佐奈はぱっと立ち上がると、抹茶ラテをつかみ、傍らにあったゴムの木の陰に身を隠した。
ドアが開いて、本当に吾妻が入ってくる。駅の中でつき合うつき合わないの押し問答になるのはごめんだったので、改めて日時と場所を指定してここで待ち合わせていたのだった。
本当はもう少し、佐奈から情報収集したかったのだが、吾妻がずいぶん早く来てしまった。
来栖とあやめを見つけた吾妻が――というか来栖を見つけて――ぱあっと笑顔になり、小走りでやってきた。
彼が来栖たちの席に到着する前に、来栖は小声であやめに言う。
「あの吾妻ってのも厄介だが、西口さんもなかなか変わってるな。なんであの距離で、あの男が来たって分かったんだ?」
「恋する乙女の力ですよ、きっと。それにしても佐奈は中学の時はあんなふうじゃ……」
「なかったのか?」
「……いえ……そういえば、あんな感じでした」
「あ、そう……」
来栖は、佐奈の分の支払いは誰がするのかだけは若干気になったが、ほかのことはもう気にしないことにする。
「よう、吾妻くん。まあ座れよ」
「あ、は、はいッ。今日は、ありがとうございます。えーと……」
吾妻にすれば、来栖の横に座るのもあつかましいが、あやめの隣というのも気が引けるのだろう。
「あ、私はもう帰りますから、ここどうぞ」
「ありがとうございます。壇ノ浦先輩、ですよね。その……佐奈の先輩の」
さすがに、吾妻にすればいたたまれないらしい。一方的に振った彼女の先輩なのだから、当たり前といえば当たり前ではある。
「はい。それでは、私はこれで」
あやめが立ち上がる。その際に自分と佐奈の分の料金を払おうとしたが、ややこしくなりそうなので来栖が押しとどめた。
ではまた今度、と言って店から出て行ったあやめの代わりに、吾妻が座る。
「よかったんですか? 壇ノ浦先輩……」
「ああ、君が来るまで話してただけだから。なに飲む? おごってやるよ」
「い、いえいえいえ! こういうのは男が払うものだと思います、僕が出します!」
「おれも男なんだけどな」
そうでした、と言いながら吾妻が来栖を正面から見た。
一瞬呆けそうになった顔を引き締めて、吾妻が、
「では、ブレンドを」
と震える声で言う。
喫茶店の類は不慣れなようなので、来栖が注文してやった。
「よし。で、今日はこれから、一日お前とつき合ってやるよ。実のところ、こっちとしてはばっさり振ってやろうとしても、納得がいかないってごねる男が結構いるんだ。そういう時は、一日だけどこかに遊びに行って、それで相性がよくないと分かればお引き下がりいただいてる。それはいいな?」
ここまでは、駅でしがみつかんばかりに告白してきた吾妻に、その場で告げてあった。
本当はそこまで譲歩することはめったにないのだが、中学生の瞳があまりにまっすぐにきらきらと光り輝いているので、それくらいの思い出は作ってやってもいいかと思ったのである。
「はいっ。一ノ谷先輩に気に入ってもらえるように、がんばりますっ」
「そうかい。今のところ、すでに少しばかりマイナス評価だけどな」
ことりと吾妻の分のコーヒーがテーブルに置かれると同時にそう言われ、中学生の顔がにわかに緊張する。
「そ、そうなんですか。僕、もうなにかやっちゃってますか」
「こっちの都合も考えずに駅なんぞで大声で告白してきたことと、彼女を無理矢理に振ったことだ。その辺の事情は、多少聞いてるんでな」
「そう……ですよね。でも、僕なりに考えた結果でもあったんです」
「なにをどう考えたんだよ?」
吾妻は、コーヒーに手もつけずに、うつむいて言う。
「確かに、佐奈には悪いと思っています。でも、別の人を好きになってしまったのに、それまでつき合ってたからって交際を続けるのって、不誠実じゃないですか。佐奈と会っていたって、僕が頭に思い浮かべているのはもう、一ノ谷先輩なんですから」
「もっともらしく聞こえんでもないけどな、単にほかの相手に目移りしましたってだけのことに、美辞麗句を後づけしただけでもあるな。そんな時に誠実か不誠実かなんて言葉で、正当化しないほうがいい」
「正当化なんて……するつもりありません」
「そうか。それは失礼」
来栖はカップを傾ける。
「でも、自分の気持ちに正直ではあるべきだとは、思います。好きになってしまったんですから」
「見た目だけしか知らないやつのことをか?」
意地悪く、目を細めて来栖が言う。
「そこは、もう、開き直って言います。そうです。僕は、一ノ谷先輩の見た目だけで、心を持っていかれてしまいました」
「そこまでしても、振られるかもしれないのに? せっかく彼女持ちだったのに、独り身になっちゃうぜ?」
「目移りは心変わりです。二股同然で人一人キープしているより、好きになった人にそう告白して玉砕したほうがましです」
「……自分の気持ちに正直であけっぴろげであればいいとは、全然思わんが、まあ、悪い気はしないよ。ありがとうよ。……早くそれ、飲んでしまえよ」
来栖が視線で、吾妻のブレンドを指す。
「は、はいっ。いただきます!」
吾妻はカップを手に取ると、口元に当てて傾けた。
その間、前を見ていた吾妻の目は、来栖の目と完全に視線をぶつからせていた。
ごく、ごく、とのどを鳴らして吾妻がコーヒーを飲み下していく。
ほんの数秒でカップは空になった。
「ごちそうさまでした……」
「お、おう。一気飲みしろと言ったつもりはなかったんだが。というか、砂糖とかクリームとかなくてよかったのか?」
「味は、分かりません……先輩を見ていたので……」
口からこぼさなかっただけ、ましなのかもしれない。
伝票をとった来栖が支払いを済ませていると、まだゴムの木の横に隠れていた佐奈が、こちらも抹茶ラテを一気飲みしていた。
あれは当然、隠れて着いてくるんだろうな。いや、別にいいんだけど。
来栖はこっそりと嘆息しながら、吾妻を後ろに従えて、店のドアを押し開けた。
■
「わあ、凄い。こんなところがあったんですね」
「ああ。隠れスポットとまでは言わないが、楽しめる割にあまり混んでなくて――いいか悪いか分らんが――、穴場なんだよ」
来栖が吾妻を連れてきたのは、丘の上にある、キヨミズ公園というアスレチックパークだった。
子連れの家族からデートまで、客の要望に難易度を分けて、いくつかのコースが丘陵に作られている。
週末だけあって、思ったよりも園内はにぎわっていた。
そして道行く誰もが、来栖とすれ違うとみんなして振り返ってくる。彼女連れと思しき男の横を歩く時は、来栖は強いて顔を伏せた。
「君――吾妻くんは、体動かすのは好きか?」
「はいっ。スポーツは、見るのもやるのも楽しいです」
ここで、いえ完全にインドア派ですと言ってくれれば、それを口実に強制終了にもできただろうに。
そんなことをちょっぴり考えながらも、来栖はチケットを二枚買いに行く。
「あっ、ここは僕が出します」
「いや、いいよ。高校生の料金のほうが高いし」
「いえ、おごられっぱなしじゃいられないですよ。さっき出してもらったんですから」
前のめりでそういう吾妻に、まあここはこいつの顔を立てておくか、と来栖はお言葉に甘えることにした。
パークの中に入ると、来栖はまっすぐに、上級者コースへと向かう。
「え、先輩上級者コースなんですか」
「なんだ、ひよったのか。一番運動性能の高い年代のおれたちが、中級以下に挑んでどうする」
「い、いえ僕はいいんですが、先輩スカートですから」
来栖がスカートの裾を持ち上げた。
「ちゃんと中に一枚履いてるよ。見た目ほど動きにくくないし」
多少タイトとはいえ、それなりに動きやすいものを選んでおいてはある。それよりも、裾が広がる素材のほうが、ひらひらしてすぐにどこかに引っ掛けそうで、来栖としては動きづらかった。
「ブーツですし」
「ものの数じゃないな」
これも一応、靴底が地面となじみやすいものを選んではある。ほかと比べれば、という程度ではあったが。
「……分かりました。なにかあった時は、僕がフォローします」
「ありがとうよ。どうしても、おれとしてはスカートは譲れなくてさ」
「そんなにお好きなんですか?」
「ああ。この、機能性においてはまったく長所のない、特に下からの防御力がゼロ――下半身に穿く服としてはそれが一番重要だろうに――という構造。それと引き換えに実現している、見た目の魅力。そこに全振りした潔さ。大好きだね。パンツスタイルも動きやすくていいんだが、少なくとも今はよほどの場面じゃない限り、スカート以外は穿く気にならん」
ふふ、と吾妻が微笑んだ。
「なんだよ。穿きたいのか? やらないぞ」
「違いますよ。人が好きなものの話をしてるって、いいなって思ったんです」
かわいいことを言うじゃないかと思う反面、自分のことを好きだという人間と一方的に別れておいて言うことか、とも思う。
が、来栖はそれをおくびにも出さず、上級者コースのゲートへ向かった。
ほとんどのアスレチックは土の上に木組みで作られているが、上級者コースだけは、水上アスレチックがあった。水を張った池の上に、そこに落ちないように進むための構造物が作られている。
木だけでなく縄や網を使った障害物もあり、それらに捕まってゆらゆら揺れては落下しそうになるスリルを、すでに何人かのプレイヤーが嬌声を挙げながら楽しんでいた。
冬場は気温が低いと、水上コースだけは閉鎖することがあるのだが、この日は気温が高いためか無事稼働している。
来栖は、後方の物陰に、佐奈がいるのを横目で確認した。着いてきたければくればいいが、こちらのやることは変わらない。元彼――とは佐奈は認めていないようだが――がほかの男といちゃついているのを見て平気かどうかは分からないものの、放っておくしかないだろう。
「よーし、さっそく水上行くか」
「スカートとブーツでですか!?」
「くどいぞ、吾妻くん。ええと、一つ目のアスレチックはこれか」
最初は、ごく薄く張られた水の上に、幅広の平らな板が渡してあるだけだった。
五メートルほどのその板を、二人はあっという間に渡り切ってしまう。
「あの、今からでも別のコースにしませんか? 万が一落ちたら風邪引きそうですし、……それにスカートが濡れたら」
「万が一があり得るから、スリルがあるんだろ。ほら、次だ」
今度は同じく水の上に、鎖で吊られた一本橋状の丸太が渡されている。
少しばかり揺れたもののこれも難なくクリアし、次に、直径七八メートルほどの巨大なクモの巣状に張られたロープの上を渡ることになった。
網目の隙間の一つ一つは、さすがに人間がすっぽりと落ちてしまうほど大きくはないものの、足の一本くらいははまってしまう程度の大きさはある。
「先輩、これ、ロープの隙間から足がズボッて下に落ちたら、スカートだと……!」
「落ちなきゃいいんだろ。ほら、行くぞ」
「いや、スカートもですけど、上半身もこんな体の動かし方する用の服じゃないですよね!? ま、待ってください!」
吾妻の声を背に受けつつ、これも、来栖はひょいひょいと渡った。
その後も、ジップラインのようなもの――来栖は服を汚さないよう腕だけでロープにしがみついたため、かなり疲れた――や、機敏にジャンプを繰り返さなくてはならないものなど、趣向の凝らされたアスレチックを、二人はどんどんクリアして行った。
障害物の構成上、足を大きく開かなくてはならないところもいくつかあったが、来栖は黒いレギンスを穿いているというのにその度に吾妻があっという顔をする。
コースが終盤に差し掛かるころには、来栖の額に、うっすらと汗がにじんでいた。
一日のどこかしらで吾妻の難点を見つけ出し、そこを追及して告白を断ればいいやくらいに思っていたので、今のところは純粋にこの場を楽しんでしまっている。
もちろん、すでに佐奈のことなど頭から消えていた。
体を動かす楽しさに没頭しながらスカートを翻し、汗も構わず無邪気な笑顔で、次々にチャレンジを繰り返す来栖。
彼を見る吾妻の目が、どんどん輝きを帯びていることに、残念ながら当の本人は気づかない。
いよいよ二人は、水上コース最後のアスレチックである、いかだ渡りまでやってきた。
二メートル四方程度に組まれたいかだが水上にいくつもぷかぷかと浮いており、その上を素早く渡ってゴールを目指すというものである。
見た目にはあまり難しそうに見えないが、いかだが軽い上に固定を緩めにしてあるため、ただいかだに立つだけでも傾いて、靴くらいは濡れてしまう。
来栖たちの前にいた小学生くらいの子供が、膝まで濡らしながらなんとか走り抜けかけた時、ゴール間近のいかだから滑り落ちて胸まで水に浸かってしまった。親が、笑いながら引き上げてやっている。
「先輩。ここ、相当難しいみたいですね」
「本当だな。じゃ、やるか」
「いやあの」
「今の子が使ったのがかんたんロードだよな。おれは当然、むずかしいロードだ」
それぞれのロードは、スタート位置から左右に一本ずつ用意されていた。
「いやそうではなくて、スカートにブーツでこれは」
だが止めるいとまもなく、来栖が駆け出した。
運動は好きだ。それもただ走ったり筋力を使ったりするよりは、こういう障害物競走のようなものが。少なくとも、勉強よりも。
見た目よりも足の動きの自由度が高いとはいえタイトスカートなので、裾をつまみ上げて太ももまで露出している。
素足と同じ形の黒いシルエットに、吾妻がなにか言ったようだが、構わずに来栖は駆けた。
いかだは全部で十枚。むずかしいロードのそれは、かんたんロードよりも一回りいかだが小さく、浮力も弱い上に、やや不規則に置かれている。
それでも、カッカッと小気味よいリズムを刻んで、来栖は進んだ。
一つ目、二つ目、と順調にいかだを踏み越えていく。
あっと言う間に六つ目、七つ目。
あと数歩でゴール、という時。
妙な声が聞こえてきた。
「本当だよ! ぼく、むずかしいロードだって本当はできるもん!」
なんと、さっきの子供が、両親の制止を振り切って、むずかしいロードを逆走しようとしている。
来栖が高速で迫ってきていることには、三人家族のだれも気づいていない。
「先輩!」
子供が、来栖の正面から突進してきた。
そして、むずかしいロードの一枚目でもうバランスを崩し、足から滑り落ちたさっきとは違い、頭から落ちそうになっている。
「くっ!」
とっさだった。来栖は、その子に向かって、頭からダイブした。
子供の下に潜り込む形で腰の重心あたりを上へ押し返し、無事いかだの上に戻れたところを見届けた時、来栖自身が頭から水中に突っ込んだ。
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「……なんだ。どうした?」
「くっ……。来ました、吾妻くんが。では、私はこれで」
佐奈はぱっと立ち上がると、抹茶ラテをつかみ、傍らにあったゴムの木の陰に身を隠した。
ドアが開いて、本当に吾妻が入ってくる。駅の中でつき合うつき合わないの押し問答になるのはごめんだったので、改めて日時と場所を指定してここで待ち合わせていたのだった。
本当はもう少し、佐奈から情報収集したかったのだが、吾妻がずいぶん早く来てしまった。
来栖とあやめを見つけた吾妻が――というか来栖を見つけて――ぱあっと笑顔になり、小走りでやってきた。
彼が来栖たちの席に到着する前に、来栖は小声であやめに言う。
「あの吾妻ってのも厄介だが、西口さんもなかなか変わってるな。なんであの距離で、あの男が来たって分かったんだ?」
「恋する乙女の力ですよ、きっと。それにしても佐奈は中学の時はあんなふうじゃ……」
「なかったのか?」
「……いえ……そういえば、あんな感じでした」
「あ、そう……」
来栖は、佐奈の分の支払いは誰がするのかだけは若干気になったが、ほかのことはもう気にしないことにする。
「よう、吾妻くん。まあ座れよ」
「あ、は、はいッ。今日は、ありがとうございます。えーと……」
吾妻にすれば、来栖の横に座るのもあつかましいが、あやめの隣というのも気が引けるのだろう。
「あ、私はもう帰りますから、ここどうぞ」
「ありがとうございます。壇ノ浦先輩、ですよね。その……佐奈の先輩の」
さすがに、吾妻にすればいたたまれないらしい。一方的に振った彼女の先輩なのだから、当たり前といえば当たり前ではある。
「はい。それでは、私はこれで」
あやめが立ち上がる。その際に自分と佐奈の分の料金を払おうとしたが、ややこしくなりそうなので来栖が押しとどめた。
ではまた今度、と言って店から出て行ったあやめの代わりに、吾妻が座る。
「よかったんですか? 壇ノ浦先輩……」
「ああ、君が来るまで話してただけだから。なに飲む? おごってやるよ」
「い、いえいえいえ! こういうのは男が払うものだと思います、僕が出します!」
「おれも男なんだけどな」
そうでした、と言いながら吾妻が来栖を正面から見た。
一瞬呆けそうになった顔を引き締めて、吾妻が、
「では、ブレンドを」
と震える声で言う。
喫茶店の類は不慣れなようなので、来栖が注文してやった。
「よし。で、今日はこれから、一日お前とつき合ってやるよ。実のところ、こっちとしてはばっさり振ってやろうとしても、納得がいかないってごねる男が結構いるんだ。そういう時は、一日だけどこかに遊びに行って、それで相性がよくないと分かればお引き下がりいただいてる。それはいいな?」
ここまでは、駅でしがみつかんばかりに告白してきた吾妻に、その場で告げてあった。
本当はそこまで譲歩することはめったにないのだが、中学生の瞳があまりにまっすぐにきらきらと光り輝いているので、それくらいの思い出は作ってやってもいいかと思ったのである。
「はいっ。一ノ谷先輩に気に入ってもらえるように、がんばりますっ」
「そうかい。今のところ、すでに少しばかりマイナス評価だけどな」
ことりと吾妻の分のコーヒーがテーブルに置かれると同時にそう言われ、中学生の顔がにわかに緊張する。
「そ、そうなんですか。僕、もうなにかやっちゃってますか」
「こっちの都合も考えずに駅なんぞで大声で告白してきたことと、彼女を無理矢理に振ったことだ。その辺の事情は、多少聞いてるんでな」
「そう……ですよね。でも、僕なりに考えた結果でもあったんです」
「なにをどう考えたんだよ?」
吾妻は、コーヒーに手もつけずに、うつむいて言う。
「確かに、佐奈には悪いと思っています。でも、別の人を好きになってしまったのに、それまでつき合ってたからって交際を続けるのって、不誠実じゃないですか。佐奈と会っていたって、僕が頭に思い浮かべているのはもう、一ノ谷先輩なんですから」
「もっともらしく聞こえんでもないけどな、単にほかの相手に目移りしましたってだけのことに、美辞麗句を後づけしただけでもあるな。そんな時に誠実か不誠実かなんて言葉で、正当化しないほうがいい」
「正当化なんて……するつもりありません」
「そうか。それは失礼」
来栖はカップを傾ける。
「でも、自分の気持ちに正直ではあるべきだとは、思います。好きになってしまったんですから」
「見た目だけしか知らないやつのことをか?」
意地悪く、目を細めて来栖が言う。
「そこは、もう、開き直って言います。そうです。僕は、一ノ谷先輩の見た目だけで、心を持っていかれてしまいました」
「そこまでしても、振られるかもしれないのに? せっかく彼女持ちだったのに、独り身になっちゃうぜ?」
「目移りは心変わりです。二股同然で人一人キープしているより、好きになった人にそう告白して玉砕したほうがましです」
「……自分の気持ちに正直であけっぴろげであればいいとは、全然思わんが、まあ、悪い気はしないよ。ありがとうよ。……早くそれ、飲んでしまえよ」
来栖が視線で、吾妻のブレンドを指す。
「は、はいっ。いただきます!」
吾妻はカップを手に取ると、口元に当てて傾けた。
その間、前を見ていた吾妻の目は、来栖の目と完全に視線をぶつからせていた。
ごく、ごく、とのどを鳴らして吾妻がコーヒーを飲み下していく。
ほんの数秒でカップは空になった。
「ごちそうさまでした……」
「お、おう。一気飲みしろと言ったつもりはなかったんだが。というか、砂糖とかクリームとかなくてよかったのか?」
「味は、分かりません……先輩を見ていたので……」
口からこぼさなかっただけ、ましなのかもしれない。
伝票をとった来栖が支払いを済ませていると、まだゴムの木の横に隠れていた佐奈が、こちらも抹茶ラテを一気飲みしていた。
あれは当然、隠れて着いてくるんだろうな。いや、別にいいんだけど。
来栖はこっそりと嘆息しながら、吾妻を後ろに従えて、店のドアを押し開けた。
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「わあ、凄い。こんなところがあったんですね」
「ああ。隠れスポットとまでは言わないが、楽しめる割にあまり混んでなくて――いいか悪いか分らんが――、穴場なんだよ」
来栖が吾妻を連れてきたのは、丘の上にある、キヨミズ公園というアスレチックパークだった。
子連れの家族からデートまで、客の要望に難易度を分けて、いくつかのコースが丘陵に作られている。
週末だけあって、思ったよりも園内はにぎわっていた。
そして道行く誰もが、来栖とすれ違うとみんなして振り返ってくる。彼女連れと思しき男の横を歩く時は、来栖は強いて顔を伏せた。
「君――吾妻くんは、体動かすのは好きか?」
「はいっ。スポーツは、見るのもやるのも楽しいです」
ここで、いえ完全にインドア派ですと言ってくれれば、それを口実に強制終了にもできただろうに。
そんなことをちょっぴり考えながらも、来栖はチケットを二枚買いに行く。
「あっ、ここは僕が出します」
「いや、いいよ。高校生の料金のほうが高いし」
「いえ、おごられっぱなしじゃいられないですよ。さっき出してもらったんですから」
前のめりでそういう吾妻に、まあここはこいつの顔を立てておくか、と来栖はお言葉に甘えることにした。
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「え、先輩上級者コースなんですか」
「なんだ、ひよったのか。一番運動性能の高い年代のおれたちが、中級以下に挑んでどうする」
「い、いえ僕はいいんですが、先輩スカートですから」
来栖がスカートの裾を持ち上げた。
「ちゃんと中に一枚履いてるよ。見た目ほど動きにくくないし」
多少タイトとはいえ、それなりに動きやすいものを選んでおいてはある。それよりも、裾が広がる素材のほうが、ひらひらしてすぐにどこかに引っ掛けそうで、来栖としては動きづらかった。
「ブーツですし」
「ものの数じゃないな」
これも一応、靴底が地面となじみやすいものを選んではある。ほかと比べれば、という程度ではあったが。
「……分かりました。なにかあった時は、僕がフォローします」
「ありがとうよ。どうしても、おれとしてはスカートは譲れなくてさ」
「そんなにお好きなんですか?」
「ああ。この、機能性においてはまったく長所のない、特に下からの防御力がゼロ――下半身に穿く服としてはそれが一番重要だろうに――という構造。それと引き換えに実現している、見た目の魅力。そこに全振りした潔さ。大好きだね。パンツスタイルも動きやすくていいんだが、少なくとも今はよほどの場面じゃない限り、スカート以外は穿く気にならん」
ふふ、と吾妻が微笑んだ。
「なんだよ。穿きたいのか? やらないぞ」
「違いますよ。人が好きなものの話をしてるって、いいなって思ったんです」
かわいいことを言うじゃないかと思う反面、自分のことを好きだという人間と一方的に別れておいて言うことか、とも思う。
が、来栖はそれをおくびにも出さず、上級者コースのゲートへ向かった。
ほとんどのアスレチックは土の上に木組みで作られているが、上級者コースだけは、水上アスレチックがあった。水を張った池の上に、そこに落ちないように進むための構造物が作られている。
木だけでなく縄や網を使った障害物もあり、それらに捕まってゆらゆら揺れては落下しそうになるスリルを、すでに何人かのプレイヤーが嬌声を挙げながら楽しんでいた。
冬場は気温が低いと、水上コースだけは閉鎖することがあるのだが、この日は気温が高いためか無事稼働している。
来栖は、後方の物陰に、佐奈がいるのを横目で確認した。着いてきたければくればいいが、こちらのやることは変わらない。元彼――とは佐奈は認めていないようだが――がほかの男といちゃついているのを見て平気かどうかは分からないものの、放っておくしかないだろう。
「よーし、さっそく水上行くか」
「スカートとブーツでですか!?」
「くどいぞ、吾妻くん。ええと、一つ目のアスレチックはこれか」
最初は、ごく薄く張られた水の上に、幅広の平らな板が渡してあるだけだった。
五メートルほどのその板を、二人はあっという間に渡り切ってしまう。
「あの、今からでも別のコースにしませんか? 万が一落ちたら風邪引きそうですし、……それにスカートが濡れたら」
「万が一があり得るから、スリルがあるんだろ。ほら、次だ」
今度は同じく水の上に、鎖で吊られた一本橋状の丸太が渡されている。
少しばかり揺れたもののこれも難なくクリアし、次に、直径七八メートルほどの巨大なクモの巣状に張られたロープの上を渡ることになった。
網目の隙間の一つ一つは、さすがに人間がすっぽりと落ちてしまうほど大きくはないものの、足の一本くらいははまってしまう程度の大きさはある。
「先輩、これ、ロープの隙間から足がズボッて下に落ちたら、スカートだと……!」
「落ちなきゃいいんだろ。ほら、行くぞ」
「いや、スカートもですけど、上半身もこんな体の動かし方する用の服じゃないですよね!? ま、待ってください!」
吾妻の声を背に受けつつ、これも、来栖はひょいひょいと渡った。
その後も、ジップラインのようなもの――来栖は服を汚さないよう腕だけでロープにしがみついたため、かなり疲れた――や、機敏にジャンプを繰り返さなくてはならないものなど、趣向の凝らされたアスレチックを、二人はどんどんクリアして行った。
障害物の構成上、足を大きく開かなくてはならないところもいくつかあったが、来栖は黒いレギンスを穿いているというのにその度に吾妻があっという顔をする。
コースが終盤に差し掛かるころには、来栖の額に、うっすらと汗がにじんでいた。
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もちろん、すでに佐奈のことなど頭から消えていた。
体を動かす楽しさに没頭しながらスカートを翻し、汗も構わず無邪気な笑顔で、次々にチャレンジを繰り返す来栖。
彼を見る吾妻の目が、どんどん輝きを帯びていることに、残念ながら当の本人は気づかない。
いよいよ二人は、水上コース最後のアスレチックである、いかだ渡りまでやってきた。
二メートル四方程度に組まれたいかだが水上にいくつもぷかぷかと浮いており、その上を素早く渡ってゴールを目指すというものである。
見た目にはあまり難しそうに見えないが、いかだが軽い上に固定を緩めにしてあるため、ただいかだに立つだけでも傾いて、靴くらいは濡れてしまう。
来栖たちの前にいた小学生くらいの子供が、膝まで濡らしながらなんとか走り抜けかけた時、ゴール間近のいかだから滑り落ちて胸まで水に浸かってしまった。親が、笑いながら引き上げてやっている。
「先輩。ここ、相当難しいみたいですね」
「本当だな。じゃ、やるか」
「いやあの」
「今の子が使ったのがかんたんロードだよな。おれは当然、むずかしいロードだ」
それぞれのロードは、スタート位置から左右に一本ずつ用意されていた。
「いやそうではなくて、スカートにブーツでこれは」
だが止めるいとまもなく、来栖が駆け出した。
運動は好きだ。それもただ走ったり筋力を使ったりするよりは、こういう障害物競走のようなものが。少なくとも、勉強よりも。
見た目よりも足の動きの自由度が高いとはいえタイトスカートなので、裾をつまみ上げて太ももまで露出している。
素足と同じ形の黒いシルエットに、吾妻がなにか言ったようだが、構わずに来栖は駆けた。
いかだは全部で十枚。むずかしいロードのそれは、かんたんロードよりも一回りいかだが小さく、浮力も弱い上に、やや不規則に置かれている。
それでも、カッカッと小気味よいリズムを刻んで、来栖は進んだ。
一つ目、二つ目、と順調にいかだを踏み越えていく。
あっと言う間に六つ目、七つ目。
あと数歩でゴール、という時。
妙な声が聞こえてきた。
「本当だよ! ぼく、むずかしいロードだって本当はできるもん!」
なんと、さっきの子供が、両親の制止を振り切って、むずかしいロードを逆走しようとしている。
来栖が高速で迫ってきていることには、三人家族のだれも気づいていない。
「先輩!」
子供が、来栖の正面から突進してきた。
そして、むずかしいロードの一枚目でもうバランスを崩し、足から滑り落ちたさっきとは違い、頭から落ちそうになっている。
「くっ!」
とっさだった。来栖は、その子に向かって、頭からダイブした。
子供の下に潜り込む形で腰の重心あたりを上へ押し返し、無事いかだの上に戻れたところを見届けた時、来栖自身が頭から水中に突っ込んだ。
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