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第四章 一ノ谷来栖は誠実そうに見えて勝手な男を変えてみる 1
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クルスくん、と美乃梨に声をかけられて、来栖は振り向いた。
昼食を終えた昼休みの廊下で、周りに行きかう生徒がちらちらとこちらを見ている。
「おお、美乃梨。なにか用か?」
「うん。ここじゃちょっと。もう少し静かなところまで、いいかな」
そうして二人は、校舎裏まで移動した。
「内緒話っぽいということは、あやめには秘密の話か?」
「うん。静二くんにも、まだ言わないで欲しいんだけど」
「いいとも。どうした?」
意を決したように、美乃梨が言う。
「クルスくんも静二くんも、あやめと結構、仲いいよね」
「まあな」
「で、静二くんはもちろんなんだけど、クルスくんも、その……男子じゃない?」
「そんな言いよどむ必要もないくらいに、おれは正真正銘の男だが」
「そ、そうだよね。それで、……これももちろんなんだけど、二人ともあやめのことを大事にしてくれてるの分かるよ。だから、そのままでいて欲しいの。……特に、クルスくんは」
言葉の最後は、独り言よりも小さなボリュームになったので、来栖には聞き取れなかった。
美乃梨から見ても、最近のあやめの態度は、少しずつ変わってきている。特に、来栖に対しては。
そして、気のせいでなければ、来栖があやめを見る目も、ほかの女子や自分を見る時のそれとは異なっている……気がする。美乃梨は、そうした変化に敏感なほうだった。
もしかしたら。そうかもしれないから。
「特になんらかの変調がなければ、そうするつもりだ。……なにか、思うところがあるんだな?」
「うん。……これは、あやめも隠してるわけじゃないから、言っちゃうんだけど。あやめって中学の時、数学の先生と仲良かったのね。男の先生で割とかっこよくて、あの時確か二十代真ん中くらいだと思う」
「うん?」
「あやめがどう思ってたのかは私も聞いてないよ、でもはたから見てたら、あやめはその先生が好きなんじゃないかっていうふうに見えて……そういう噂も広まってた」
あまり楽しい話ではなさそうだな、と来栖は小さく眉をひそめた。
その様子を見て、美乃梨が慌てて手を横に振る。
「あ、そのせいでいじめとか、そういうのじゃないの。先生もあやめに悪いこととかは全然しなかったし。でもたぶん、噂はその先生にも届いてたんだと思う。一度、授業の準備で先生とあやめが教室で二人っきりになったことがあったのね」
美乃梨の前置きを聞いても、来栖の胸がざわついた。
「その時なにかの拍子に、結婚の話になったんだって。で、あやめが先生が結婚するならどんな人がいいですか、教え子好きになることとかあるんですかって訊いたそうで。先生は、まずいなと思ったんだと思う。教師と生徒じゃ全然脈なしなんだよって言おうとして、慌てて、それで……」
「……それで?」
「ないよ、少なくとも壇ノ浦みたいに女の子らしくない人ではないだろうね、まだ手足とか棒みたいだもんな、……って。それからかなり長い間、あやめ、ずっと元気なかったんだ。私の前では空元気を出すんだけど、見てられないっていうか……」
来栖は目を閉じた。
直接的な暴言といえるような単語は含まれていなかったのかもしれない。だが、充分にひどい。
もしあやめがその教師に淡い憧憬を抱いていたとしたら、どれほどショックだっただろう。
そうでないとしても、思春期に入った女子が、大人の男性からそんな言われ方をしたら、どれだけ自信を失うだろう。
「美乃梨」
「ん?」
美乃梨を脅かさないように、来栖はなるべく柔和な表情を作ったつもりで、
「フフフ、その教師の住所氏名って訊いてもいいかな?」
と問いかけた。
だが美乃梨は額に冷や汗など浮かべつつ、
「うふふふ、そんなにこめかみに力の入った人には絶対言えません。とにかく、あやめって私にはそのことを笑い話みたいに言ってきたけど、なにも思わなかったわけないよね。その後、あやめに初めてできた男友達って、クルスくんたちだから。私、よかったなって、ほんとに思ってて……」
なるほど、と思うところは来栖にもあった。
美乃梨の初彼に対するあやめの怒りの裏には、もしかしたら男性が女性を傷つけることについて敏感だったというのもあるのかもしれない。それも、無二の親友のためとなれば、なおさらか。
「そうか。おれたちがもし無神経な言動をしたら、せっかく持ち直したあやめが、男性不振に陥る可能性もあるな」
男に不信感を持ち、接触を断ちながら暮らすというのも一つの生き方ではあるだろうが、本人が望んだわけでもないのにそうした心境に追い込むほど、傷つけていいわけもない。
「クルスくんたちにはだいぶ心を開いてるみたいだから、余計にだと思う。こんなこと言うの、クルスくんたちに失礼なのは重々承知なんだけど……」
美乃梨にすれば、特に、来栖が気になる。
静二はデリカシーのない発言というのはあまりしないように見えるが、一方の来栖は、今あやめとの関係が微妙に変化しているように思える。
そうなれば、なにげない一言が無防備な女心をどうえぐるか分かったものではない。
「失礼なもんか。信用してくれてるからこそだろう、よくぞ言ってくれた。あやめとは、これからも良好な関係を築いていきたい。仲良く、共に過ごしながら、だがあやめの気持ちをないがしろに決してしないように……か。オーケー、努力するよ」
昼休みが終わった。
別々の教室に戻りながら、美乃梨は、少しばかり気になるところもあった。
最後に来栖が言った、良好な関係。仲良く。共に過ごし、ないがしろにしない……。
どうも、気になる女子に対して男子が使う言葉にしては、よそよそしいというか、迂遠な気がする。
「クルスくんもあやめのことを特別に思ってるように見えるのは……私の気のせいなのかな。高校生の男の子が、自分の恋愛感情に無自覚なんてこと、そうそうないよね」
教師が教室に入ってきた。
期末試験が近い。美乃梨は気持ちを切り替えて、教科書を開いた。
■
そして、日曜日。
十二月も中旬を迎えた街は、すっかりクリスマスセール一色だった。
寿永高校では同じ日に終業式があるのだが、ほとんどの学生が十二月二十四日といえばクリスマスというイベントのほうをメインに考えている。
浮かれているのは、高校生だけではなかった。
ツリーをはじめとしたクリスマス関連の各グッズや、一足早くプレゼントを調達しようという人々で、休日の街はせわしなく活気づいている。
その中で、しかめっ面をしながらカフェで紅茶をすすっている高校生が一人。
「なぜおれが……中学生の色恋沙汰なんぞに、時間と手間を割かなくては……?」
そこへ、トイレから出てきたあやめが席へ戻って答えた。
「まあまあ。あの年ごろで、彼女がいながら別れてまで告白って大変なことですよ」
「でもなあ、こういうのって変に仏心出すと泥沼になりそうなんだよな」
待ち合わせ時間ちょうど、カフェのドアが開いた。
入ってきたのは、西口佐奈である。
来栖たちのほうへやってくるなり、ただでさえ強気そうな太い眉毛をVの字にして、がばっと頭を下げた。
「今日は、お忙しいところありがとうございます!」
その時水を持ってきてくれた店員に、佐奈は腰を折ったまま、器用に手早く抹茶ラテを注文した。
「本当だぞ。おれたち、期末試験の勉強そっちのけで来てるんだからな」
「えっ」とあやめ。
「なんだよ、えって」
「クルス……試験範囲の勉強、終わってないんですか?」
来栖は、そういうあやめはまさか終わっているのかと言いかけて、答えを聞きたくないのでやめておいた。
「そうですか、一ノ谷さんってあんまりお勉強得意じゃないんですかね……」
佐奈の言いように、来栖は若干引っかかるものがあったが、見逃しておく。
来栖とあやめは向かい合う形でテーブル席に座っていたので、佐奈はあやめの隣に腰を下ろした。
やがて抹茶ラテが運ばれてくると、佐奈は二人に一礼してからカップに口をつけ、それから来栖をまじまじと見た。
「そ、それにしても……今日もやばいですね……一ノ谷さんは」
「なにがだ?」
「だって、お店中の人がこっち見てますよ!」
この日の来栖は、ループカットの白いシャギーコートに、深いオレンジのタイトなワンピースを合わせていた。黒い細身のブーツは最近買ったもので、保温性が高くて気に入っている。
似たコーディネートをしている街の女性は、みんなバッグがだいぶ小さかったが、来栖は大は小を兼ねるバッグが好きなので、やや小ぶりとはいえ赤いトートバッグを持ってきている。大き過ぎず品のいいサイズと、落ち着いた色あいも使いやすいので重宝していた。
その姿を褒めてくれたはずの佐奈は、なぜか、存在感のある眉をいまだにVの字にとがらせている。
「クルス、赤系着ると迫力がさらに増しますよね……」
ほうと息をつくあやめは、白いニットにベージュの膝下丈のスカート、黒いタイツというシンプルないで立ちだった。
「あっ、でも壇ノ浦先輩が地味ってわけじゃ!」
「いいんです。比べる相手が来栖なら、どうしたって私は地味です。本当はこれでも、足出してる感があって落ち着かないんですけど」
来栖にすれば、あやめが着たい服を着ればいいし、本人が似合う服装をしたければそれでいい。今日の格好でもかわいいとは思うが、取り立てて褒めるほどおしゃれではないし、頼まれてもいないのにアドバイスなどするのも気が引けるので、コメントに困った。
「あ、それであたし、相談の前に……壇ノ浦先輩に一ノ谷さん、ちょっと確認なんですけど」
「なんでしょう?」
「どした?」
佐奈は、テーブルの上に身を乗り出した。
「お二人は、名前で呼び合っているようですが、つ、つき合ってらっしゃるんでしょうか?」
「つっ!? つ、つき合ってないですよ!?」
目の前に置いてあるレモンスカッシュをこぼしそうな勢いであやめは答えたが、来栖のほうは淡々とカップを傾けながら、
「そうだ。つき合ってはいない。おれはフリーだ」
「そ……そうですか。そうですよね、壇ノ浦先輩は一ノ谷さんなんか人選びませんよね」
「フリーだからといって、そのなんとかくんとつき合うつもりはみじんもないがな。って、ん? 西口さん、今なにか言ったか?」
「いえなにも。そうですか、吾妻くんには気の毒ですけど、ほっとしました」
安心した様子で、佐奈が座り直す。
「で、あいつ――和田っていったか、本当におれのことが好きなのか?」
「そのはずですよ。だからあたしと別れるって言うんだもん」
佐奈が口をとがらせる。
来栖から見ていて、この西口佐奈という子は、その活発さや明るいキャラクターからして、かなり男子から人気が出そうではあった。
表情がくるくる変わるのも、長所だ。一緒にいればかなり楽しそうではある。
そんな子を振ってまで、来栖と――
「なんで、おれとつき合いたいなんて思うんだろうな。おかしいんじゃないか、和田とやら」
「吾妻くんはおかしくないですよ。一ノ谷さん見たら、男の子なら誰だっておかしくなっても仕方ないですよ」
「誰だってってことはないだろ。というかおれあいつと一面識もないんだが、いわゆるひとめぼれってことでいいのかな?」
自分で言っていてうぬぼれがひどいとは思うのだが、ほかに言いようもないので仕方がない。
「だと思います。街で偶然見かけて、すごくきれいな人だと思って、よせばいいのに何人かに『あの人だれなんだろう』って相談したら、あっという間に一ノ谷さんにたどり着いたらしいですから」
「それはどうも……」
「でも、絶対、一ノ谷さんよりあたしのほうが吾妻くんのことが好きです」
「それはそうだ」
当たり前である。
「今までだって仲良くしてたし、一ノ谷さんさえいなければなんの問題もなかったんですけど、いなくていいのにいちゃうもんですから――」
来栖は、手のひらを佐奈に向けて、静止するようにというジェスチャーをした。
「うん。西口さん、さすがに聞きとがめるんで、おれも一つ確認したい。君――」
「はい?」
「おれのこと嫌いだろう」
「ええっ!?」
佐奈の驚きようは、「なんてことを言い出すのか」ではなく「なぜそれが分かったのか」というものだった。
「ど、どどどどうしてそれを」
「分からいでか。さっきから言葉の端々、いや、それどころじゃないくらい漏れまくってたぞ」
あやめも遠慮がちに、
「はい……私もさすがに分かりましたよ……」
「おれとあやめがつき合ってるかどうか聞いたのも、もしおれが彼氏だったらあやめの前でおれにあまり悪い態度が取れないからとかじゃないだろうな」
「だ、だって――」
横から差し出された抹茶ラテを店員から受け取りながら――先ほどからなかなか器用なところを見せる子ではある――、佐奈がまくしたてた。
「――だって、あたしから見て一ノ谷さんの好感度が高いわけがないじゃないですか! あたしの彼が、街で見かけたっていうだけで心変わりしたっていうんですよ!? そんなのあります!? いくらきれいだからって、今まで何人その調子で篭絡してきたんですか、この節操なし!」
「なにが篭絡だ、なんでおれが節操なしだ!? 明らかにおかしいのは君の彼とやらのほうだろ!?」
昼食を終えた昼休みの廊下で、周りに行きかう生徒がちらちらとこちらを見ている。
「おお、美乃梨。なにか用か?」
「うん。ここじゃちょっと。もう少し静かなところまで、いいかな」
そうして二人は、校舎裏まで移動した。
「内緒話っぽいということは、あやめには秘密の話か?」
「うん。静二くんにも、まだ言わないで欲しいんだけど」
「いいとも。どうした?」
意を決したように、美乃梨が言う。
「クルスくんも静二くんも、あやめと結構、仲いいよね」
「まあな」
「で、静二くんはもちろんなんだけど、クルスくんも、その……男子じゃない?」
「そんな言いよどむ必要もないくらいに、おれは正真正銘の男だが」
「そ、そうだよね。それで、……これももちろんなんだけど、二人ともあやめのことを大事にしてくれてるの分かるよ。だから、そのままでいて欲しいの。……特に、クルスくんは」
言葉の最後は、独り言よりも小さなボリュームになったので、来栖には聞き取れなかった。
美乃梨から見ても、最近のあやめの態度は、少しずつ変わってきている。特に、来栖に対しては。
そして、気のせいでなければ、来栖があやめを見る目も、ほかの女子や自分を見る時のそれとは異なっている……気がする。美乃梨は、そうした変化に敏感なほうだった。
もしかしたら。そうかもしれないから。
「特になんらかの変調がなければ、そうするつもりだ。……なにか、思うところがあるんだな?」
「うん。……これは、あやめも隠してるわけじゃないから、言っちゃうんだけど。あやめって中学の時、数学の先生と仲良かったのね。男の先生で割とかっこよくて、あの時確か二十代真ん中くらいだと思う」
「うん?」
「あやめがどう思ってたのかは私も聞いてないよ、でもはたから見てたら、あやめはその先生が好きなんじゃないかっていうふうに見えて……そういう噂も広まってた」
あまり楽しい話ではなさそうだな、と来栖は小さく眉をひそめた。
その様子を見て、美乃梨が慌てて手を横に振る。
「あ、そのせいでいじめとか、そういうのじゃないの。先生もあやめに悪いこととかは全然しなかったし。でもたぶん、噂はその先生にも届いてたんだと思う。一度、授業の準備で先生とあやめが教室で二人っきりになったことがあったのね」
美乃梨の前置きを聞いても、来栖の胸がざわついた。
「その時なにかの拍子に、結婚の話になったんだって。で、あやめが先生が結婚するならどんな人がいいですか、教え子好きになることとかあるんですかって訊いたそうで。先生は、まずいなと思ったんだと思う。教師と生徒じゃ全然脈なしなんだよって言おうとして、慌てて、それで……」
「……それで?」
「ないよ、少なくとも壇ノ浦みたいに女の子らしくない人ではないだろうね、まだ手足とか棒みたいだもんな、……って。それからかなり長い間、あやめ、ずっと元気なかったんだ。私の前では空元気を出すんだけど、見てられないっていうか……」
来栖は目を閉じた。
直接的な暴言といえるような単語は含まれていなかったのかもしれない。だが、充分にひどい。
もしあやめがその教師に淡い憧憬を抱いていたとしたら、どれほどショックだっただろう。
そうでないとしても、思春期に入った女子が、大人の男性からそんな言われ方をしたら、どれだけ自信を失うだろう。
「美乃梨」
「ん?」
美乃梨を脅かさないように、来栖はなるべく柔和な表情を作ったつもりで、
「フフフ、その教師の住所氏名って訊いてもいいかな?」
と問いかけた。
だが美乃梨は額に冷や汗など浮かべつつ、
「うふふふ、そんなにこめかみに力の入った人には絶対言えません。とにかく、あやめって私にはそのことを笑い話みたいに言ってきたけど、なにも思わなかったわけないよね。その後、あやめに初めてできた男友達って、クルスくんたちだから。私、よかったなって、ほんとに思ってて……」
なるほど、と思うところは来栖にもあった。
美乃梨の初彼に対するあやめの怒りの裏には、もしかしたら男性が女性を傷つけることについて敏感だったというのもあるのかもしれない。それも、無二の親友のためとなれば、なおさらか。
「そうか。おれたちがもし無神経な言動をしたら、せっかく持ち直したあやめが、男性不振に陥る可能性もあるな」
男に不信感を持ち、接触を断ちながら暮らすというのも一つの生き方ではあるだろうが、本人が望んだわけでもないのにそうした心境に追い込むほど、傷つけていいわけもない。
「クルスくんたちにはだいぶ心を開いてるみたいだから、余計にだと思う。こんなこと言うの、クルスくんたちに失礼なのは重々承知なんだけど……」
美乃梨にすれば、特に、来栖が気になる。
静二はデリカシーのない発言というのはあまりしないように見えるが、一方の来栖は、今あやめとの関係が微妙に変化しているように思える。
そうなれば、なにげない一言が無防備な女心をどうえぐるか分かったものではない。
「失礼なもんか。信用してくれてるからこそだろう、よくぞ言ってくれた。あやめとは、これからも良好な関係を築いていきたい。仲良く、共に過ごしながら、だがあやめの気持ちをないがしろに決してしないように……か。オーケー、努力するよ」
昼休みが終わった。
別々の教室に戻りながら、美乃梨は、少しばかり気になるところもあった。
最後に来栖が言った、良好な関係。仲良く。共に過ごし、ないがしろにしない……。
どうも、気になる女子に対して男子が使う言葉にしては、よそよそしいというか、迂遠な気がする。
「クルスくんもあやめのことを特別に思ってるように見えるのは……私の気のせいなのかな。高校生の男の子が、自分の恋愛感情に無自覚なんてこと、そうそうないよね」
教師が教室に入ってきた。
期末試験が近い。美乃梨は気持ちを切り替えて、教科書を開いた。
■
そして、日曜日。
十二月も中旬を迎えた街は、すっかりクリスマスセール一色だった。
寿永高校では同じ日に終業式があるのだが、ほとんどの学生が十二月二十四日といえばクリスマスというイベントのほうをメインに考えている。
浮かれているのは、高校生だけではなかった。
ツリーをはじめとしたクリスマス関連の各グッズや、一足早くプレゼントを調達しようという人々で、休日の街はせわしなく活気づいている。
その中で、しかめっ面をしながらカフェで紅茶をすすっている高校生が一人。
「なぜおれが……中学生の色恋沙汰なんぞに、時間と手間を割かなくては……?」
そこへ、トイレから出てきたあやめが席へ戻って答えた。
「まあまあ。あの年ごろで、彼女がいながら別れてまで告白って大変なことですよ」
「でもなあ、こういうのって変に仏心出すと泥沼になりそうなんだよな」
待ち合わせ時間ちょうど、カフェのドアが開いた。
入ってきたのは、西口佐奈である。
来栖たちのほうへやってくるなり、ただでさえ強気そうな太い眉毛をVの字にして、がばっと頭を下げた。
「今日は、お忙しいところありがとうございます!」
その時水を持ってきてくれた店員に、佐奈は腰を折ったまま、器用に手早く抹茶ラテを注文した。
「本当だぞ。おれたち、期末試験の勉強そっちのけで来てるんだからな」
「えっ」とあやめ。
「なんだよ、えって」
「クルス……試験範囲の勉強、終わってないんですか?」
来栖は、そういうあやめはまさか終わっているのかと言いかけて、答えを聞きたくないのでやめておいた。
「そうですか、一ノ谷さんってあんまりお勉強得意じゃないんですかね……」
佐奈の言いように、来栖は若干引っかかるものがあったが、見逃しておく。
来栖とあやめは向かい合う形でテーブル席に座っていたので、佐奈はあやめの隣に腰を下ろした。
やがて抹茶ラテが運ばれてくると、佐奈は二人に一礼してからカップに口をつけ、それから来栖をまじまじと見た。
「そ、それにしても……今日もやばいですね……一ノ谷さんは」
「なにがだ?」
「だって、お店中の人がこっち見てますよ!」
この日の来栖は、ループカットの白いシャギーコートに、深いオレンジのタイトなワンピースを合わせていた。黒い細身のブーツは最近買ったもので、保温性が高くて気に入っている。
似たコーディネートをしている街の女性は、みんなバッグがだいぶ小さかったが、来栖は大は小を兼ねるバッグが好きなので、やや小ぶりとはいえ赤いトートバッグを持ってきている。大き過ぎず品のいいサイズと、落ち着いた色あいも使いやすいので重宝していた。
その姿を褒めてくれたはずの佐奈は、なぜか、存在感のある眉をいまだにVの字にとがらせている。
「クルス、赤系着ると迫力がさらに増しますよね……」
ほうと息をつくあやめは、白いニットにベージュの膝下丈のスカート、黒いタイツというシンプルないで立ちだった。
「あっ、でも壇ノ浦先輩が地味ってわけじゃ!」
「いいんです。比べる相手が来栖なら、どうしたって私は地味です。本当はこれでも、足出してる感があって落ち着かないんですけど」
来栖にすれば、あやめが着たい服を着ればいいし、本人が似合う服装をしたければそれでいい。今日の格好でもかわいいとは思うが、取り立てて褒めるほどおしゃれではないし、頼まれてもいないのにアドバイスなどするのも気が引けるので、コメントに困った。
「あ、それであたし、相談の前に……壇ノ浦先輩に一ノ谷さん、ちょっと確認なんですけど」
「なんでしょう?」
「どした?」
佐奈は、テーブルの上に身を乗り出した。
「お二人は、名前で呼び合っているようですが、つ、つき合ってらっしゃるんでしょうか?」
「つっ!? つ、つき合ってないですよ!?」
目の前に置いてあるレモンスカッシュをこぼしそうな勢いであやめは答えたが、来栖のほうは淡々とカップを傾けながら、
「そうだ。つき合ってはいない。おれはフリーだ」
「そ……そうですか。そうですよね、壇ノ浦先輩は一ノ谷さんなんか人選びませんよね」
「フリーだからといって、そのなんとかくんとつき合うつもりはみじんもないがな。って、ん? 西口さん、今なにか言ったか?」
「いえなにも。そうですか、吾妻くんには気の毒ですけど、ほっとしました」
安心した様子で、佐奈が座り直す。
「で、あいつ――和田っていったか、本当におれのことが好きなのか?」
「そのはずですよ。だからあたしと別れるって言うんだもん」
佐奈が口をとがらせる。
来栖から見ていて、この西口佐奈という子は、その活発さや明るいキャラクターからして、かなり男子から人気が出そうではあった。
表情がくるくる変わるのも、長所だ。一緒にいればかなり楽しそうではある。
そんな子を振ってまで、来栖と――
「なんで、おれとつき合いたいなんて思うんだろうな。おかしいんじゃないか、和田とやら」
「吾妻くんはおかしくないですよ。一ノ谷さん見たら、男の子なら誰だっておかしくなっても仕方ないですよ」
「誰だってってことはないだろ。というかおれあいつと一面識もないんだが、いわゆるひとめぼれってことでいいのかな?」
自分で言っていてうぬぼれがひどいとは思うのだが、ほかに言いようもないので仕方がない。
「だと思います。街で偶然見かけて、すごくきれいな人だと思って、よせばいいのに何人かに『あの人だれなんだろう』って相談したら、あっという間に一ノ谷さんにたどり着いたらしいですから」
「それはどうも……」
「でも、絶対、一ノ谷さんよりあたしのほうが吾妻くんのことが好きです」
「それはそうだ」
当たり前である。
「今までだって仲良くしてたし、一ノ谷さんさえいなければなんの問題もなかったんですけど、いなくていいのにいちゃうもんですから――」
来栖は、手のひらを佐奈に向けて、静止するようにというジェスチャーをした。
「うん。西口さん、さすがに聞きとがめるんで、おれも一つ確認したい。君――」
「はい?」
「おれのこと嫌いだろう」
「ええっ!?」
佐奈の驚きようは、「なんてことを言い出すのか」ではなく「なぜそれが分かったのか」というものだった。
「ど、どどどどうしてそれを」
「分からいでか。さっきから言葉の端々、いや、それどころじゃないくらい漏れまくってたぞ」
あやめも遠慮がちに、
「はい……私もさすがに分かりましたよ……」
「おれとあやめがつき合ってるかどうか聞いたのも、もしおれが彼氏だったらあやめの前でおれにあまり悪い態度が取れないからとかじゃないだろうな」
「だ、だって――」
横から差し出された抹茶ラテを店員から受け取りながら――先ほどからなかなか器用なところを見せる子ではある――、佐奈がまくしたてた。
「――だって、あたしから見て一ノ谷さんの好感度が高いわけがないじゃないですか! あたしの彼が、街で見かけたっていうだけで心変わりしたっていうんですよ!? そんなのあります!? いくらきれいだからって、今まで何人その調子で篭絡してきたんですか、この節操なし!」
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