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第三章 リシュとザンヴァルザン妃王の君6

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 私は、リシュの肩に顔をうずめながら答える。

「……うん。そうだね。でも、そうはならない可能性もあるから」
「……なんだよ。えらく自信たっぷりじゃないか。本当に悪魔と戦う羽目になっても、勝つ算段でもあるのかよ?」

「うん……勝つっていうかね」
「ああ?」

「戦い自体、起こらないかもしれない」
「え? ルリエルも、悪魔討伐をやめるよう妃王様に進言するのか?」

 私は、すっとリシュから体を離した。
 目元を、腫れないように指でごく弱く、涙をぬぐう。

「ううん。というか、戦い自体が成立しないかもしれないから」
「え? どういうことだよ」

 これは聞きとがめたようで、キールたち三人も私のほうを向いている。
 門が、完全に開いた。
 門番たちが、私たちに、進むように促してくる。
 私は、仲間たちだけに聞こえるように、それを告げた。

「実は、その……倒しちゃったんだよね」

 なにを? という風にみんなが目をしばたたかせる。
 キールだけが、「まさか」という形に口を開いた。

「ヴェルヴェッチ=アルアンシを。私が。一年前に」

 そして、私は王宮の中へ歩を進めた。
 口をあんぐりと開けて硬直した、仲間たちを残して。



 カーミエッテ様は、リシュの発見をとても喜んでくれた。カニシュカンド壊滅は、カーミエッテ様にとっても他人事とは思えていなかったようで、目に涙を浮かべていた。

「たれぞ、わらわと彼らの分の盃を持て」

 ショットグラスくらいのガラスの容器がみんなに配られ、カーミエッテ様が、
献杯けんぱい
 と言って最初に飲んだ。
 地球では、乾杯と献杯を区別する言葉がない国のほうが多いと聞いたことがあるけど、ベルリ大陸では分かれているらしい。
 私たちもいただく。中身は、弱めのリンゴ酒だった。

「ようやってくれた、ルリエル。なんぞ褒美を取らせよう。なにがよい?」

 玉座から立ち上がり、カーミエッテ様がそうおっしゃってくれた。
 ご褒美。ご褒美かあ。私としては、リシュがうちにきたのは偶然みたいなものだったので、それでご褒美っていうのは、なんだか気が引けるけど。
 でも、くれるものをもらわないというのももったいない。これは私が卑しいわけではなく、人間として。当然に、当たり前のことだ。
 そこで、ぴんと思い当たった。

「おそれながら、妃王様。私は、ここへ参る前に、当館の男子より、女性の望まない妊娠についての話を聞きました」
「ほう」

 なんの話を始めたのか、とキールたちがぎょっとした気配を感じる。

「妊娠も出産も、本来喜ばしいものです。ですが、望まない妊娠は、時にそれらを不幸の象徴にもしてしまいます。この世界での妊娠は、オーブへの両親の瞑想で起こるとうかがいました。ということは、ベルリ大陸で母体が望まない妊娠というのは、脅迫か、詐欺か……そうしたもののもとに起きることが多いのではないでしょうか」
「その通りだ、ルリエル。憂慮すべきことだが、その通りである」

「その場合の女性や子供の保護が、充分であるとは、はばかりながら、今のところ思えません。ですので、もし私にご褒美をいただけるなら、王宮の中にそうした――先ほどの例に限らず、先行きが行き詰りそうな親子の補助をしてくれる機関を、設けていただけないでしょうか。男親も、孤児も、出産や育児に関して追い詰められるような状況にある全ての人が、少しでも生きやすくなるための機関を」
「……言うておることは分からんでもないぞ、ルリエル。私も女だ。そして、民の産みと育みを促す立場にある。……だが、一介の魔女であるそなたが、なぜそのようなことを気にかける? 少し考えただけでも、そのような機関の運営は容易ではなかろう。そなたがかつていたという世界では、当たり前にあったのか?」

 なぜ。
 そう訊かれると、胸に生まれる痛みは避けられない。
 でも、これがなにかのきっかけになるのなら。

「当たり前にあったといえるのかは、私には、分かりません。……ただ」
「ただ?」

「……私の姉は、望まない妊娠をして、……誰にも助けてもらえずに、一人で苦しみました。だから……」

 誰にも助けてもらえなかった。
 妹の私は、助けるどころか、お姉ちゃんの妊娠を知りもしなかった。
 あの時のことを思うと、心臓が刃物で疲れたような痛みを覚える。でも、お姉ちゃんのそれは、私なんかとは比べ物になるはずがない。

「……だから……」

「よい、ルリエル」とカーミエッテ様が右手を挙げた。「それ以上はよい。その言葉の先を汲めぬわらわだと思うな。大義であった。すぐにとは約束できぬが、早いうちに検討を始めよう。有名無実なものではなく、そなたの考えに沿うようなものをな」

 カーミエッテ様は、よく、切れ者だと言われる。
 そして時に、冷たい王だと評されることもある。
 だから、この時にその冠の下に浮かんでいた暖かな表情は、失礼ながら少し意外で、私は慌てて不自然なまでに深々とお辞儀をした。



 王族同士の割符を使った本人確認も済んで、即日、カーミエッテ様と同じ王宮でリシュは暮らすことになった。
 私とブリーズはいくつかの書類にサインをして、二週間後の出撃に向けて、王宮のゲストルームで生活することになった。
 その他いくつかの打ち合わせをして、キールにそれを聞いていてもらい、ハルピュイアの営業をどうするかを検討しておく。まあ、二週間くらい私がいなくても、男子たちがいれば特に問題ないと思う。

 リシュの居室の準備は数時間で整うとのことだったので、私たちは揃って、王宮のティールームに通されてお茶を飲ませてもらうことになった。さすがに、カーミエッテ様は加わらなかったけど。
 よく考えるとキールとダンテはもう帰ってもよかったんだけど、特に出て行けとも言われなかったので、ありがたく王室御用達の紅茶とお菓子をみんなでいただくことにした。

「うわー、キール、ダンテ、見て見て。暖炉ある、暖炉!」

 そうはしゃぐ私に、ダンテが半眼になって、
「暖炉くらい今までだってさんざん見ただろ」
「だって今まで見た中でもだんとつ凄いよ! これなに、なにでできてるの!?」

 大理石そっくりなマントルピースの石には、精緻なつるバラの彫刻が施されている。大門の彫刻は、基本遠目から見るものだからこれに比べるとダイナミックに彫られていたけど、こっちは彫ったというより、生きたバラをそのまま石にしたみたいだ。
 日当たりのいい部屋には、大きな窓からさんさんと日の光が降り注いでいる。
 中央に丸いテーブルが一つ。六七人が囲んで座れそうだ。壁紙はアイボリーとオレンジのストライプで、大きな花の絵が額にかけられている。

「NHKの外国紹介番組みたい……」

 テーブルに、何人もの給仕さんの手で、お茶とお菓子が運ばれてきた。
 白いドーナツ型(つまり、中央の部分がぽっかり空いて、輪っか状になっている)の大きなお皿の上に、ビスケットとケーキがぐるりと並べられていく。
 空いた中央部には、アフタヌーンティに使われるケーキスタンドを複雑に組み合わせたような真鍮細工が置かれて、そこかしこに配置された小さな台に、色とりどりのジャムや焼き菓子が少量ずつ置かれた。

「ええ、もう、姫じゃない、これ。私姫じゃない?」
「うう。あたしも、こんなの初めて見ますぅ」

 給仕さんたちは、信じられないほどいい匂いのする紅茶を人数分カップに注いでサーブすると、ティポットにコゼーをかけて、「ごゆっくり」とお辞儀して出て行った。

「これはもう、残したら罪よねッ! いただきまー……」
「お待ちください」
「ちょっと待ちな」

 キールとダンテが、ほぼ同時にそう言ってきた。
 なぜか、二人とも半眼になっている。

「すげえな、ルリエル。おれとキールがさっきからこんなに不服そうな顔で見つめてるってのに、茶と菓子にがっちり心を奪われちまうとは」

 ふと見ると、リシュも私をじっと見ている。
 今の今まで私と同じノリだったはずのブリーズまで、ふうと息をついて肩をすくめた。
 リシュが、おずおずと言ってくる。

「おれも、妃王陛下との初のお目見えだっていうのに、気が気じゃなかったよ。ルリエルの話が気になって」
「話?」
「さっきの、門の外での」

 キールとダンテが、揃ってうなずく、
 私は察した。

「あのね、リシュ。人にはそれぞれ個性があって、それはとても大切なものだと、私は思うのよ」
「……なにが?」

「確かにカルスは人一倍体の一部分が大きいけど――男の子はとても気にするらしいけど、そんなことは、リシュの人間としての価値とは全く関係のないことで――」

 真摯な瞳でそう話す私に、リシュは椅子を後ろに転ばせて立ち上がり、

「違あああああうっ!」
「えっ!? じゃあ、一体……」

「悪魔! ヴェルヴェッチ=アルアンシを! 倒したって! どういうことだ!?」
「あ、ああ。うん。それね。その件ね。もちろん分かってた。分かってましたとも」

 ダンテが「本当かよ」と呟くのが聞こえた。

「簡単に言うとね、……いや、簡単に言うと、それで終わっちゃうんだけど。倒したの。私が。ヴェルヴェッチを。『霧の塔』で。一年前に。正確には、私一人でじゃないわよ、もちろん。何人ものパーティで」

「……にわかには、信じられません。いくら爆炎の魔女とはいえ、悪魔を……」

「色んな運にも助けられたし、準備はした上で臨んだしね。悪魔は万全の状態ではなくて、おまけに不意打ちでもあった。一緒に戦った人たちは、当時私と同等かそれ以上の魔道士ソーサラーが何人もいたわよ。なにもかもが私たちに有利で、……それでも、最後にその場に立っていられたのは、私だけだったけど……」

 あまり、思い出したい記憶ではなかった。
 自慢気に語れるような武勇伝じゃない。
 一面の焼け野原、溶岩化した地面。倒れ伏した巨大な漆黒のドラゴン――ヴェルヴェッチ=アルアンシの体躯。
 その周りに横たわる、私を助け、育て、励まし、癒し、一緒に笑い合ってくれた大切な人たち。
 剣士もいた。魔道士ソーサラーも、魔術師ウィザードも。みんな、七つの封印と呼ばれてもおかしくないくらいの実力者だった。

「あの時は、本当に、私の全部を出し尽くして。……もう、この世界で一緒にいたい人も、やりたいことも、なにもなくなってしまったから。それから、一人であてもなく旅をしてたの。南には、行けなくて……それで、北に行って……」

「それでチェルシーズで、私と出会ったわけですか」とキールが言う。
 私はうなずいた。

 あの時、キールと会っていなければ。出会った相手が、キールでなければ。今、ここに抗しているのとは、全く違った生き方をしていたと思う。それは多分、今よりも悪いほうに。

 それから、ダンテと出会った。カルスと、フェジッサと、ロイエーと、トリスタンと、出会った。
 彼らには彼らなりの生き方があって、その途中で、私と邂逅した。
 そして私の話を聞いてくれて、男娼というかなり極端な仕事を、でも彼らにしか救えない女性たちのための役目を、果たすことを選んでくれた。ベルリ大陸では白い目で見られることが普通の、彼らなら別の選択肢を選べたはずの、そんな仕事を。
 私が求めた、理想の居場所を、一緒に叶えてくれた。
 ハルピュイアの建物を建て、同じお茶を飲んで、同じ家の中で眠って、仕事の話や、仕事ではない話をした。
 数えきれないくらい笑い合った。
 ストレス解消と趣味と実益から、毎週のように山賊やならず者を吹っ飛ばす私を、受け入れてくれた。
 こんな日々が訪れるなんて、悪魔との戦いで全てを喪失したと思ったあの頃の私には、想像もつかなかった。
 私が彼らにどれほど感謝しているか、全て伝えることは、きっとできないだろうと思う。
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