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少し長いエピローグ それからの日々について3

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「……王宮へ行く? のですか? これから?」

 そう言って、キールが目を見開いた。なにをしに? と言わんばかりだ。

「うん。ちょっと、カーミエッテ様に用事があって」
「そんな近所のお使いのついでみたいな」

 あれから一週間ほど経った、暖かい日のお昼前。
 ミニキッチンに立つキールは、トマトを湯剥きする手を止めて、首をかしげた。

「前に、約束したの。王宮の魔法道具マジックアイテムを、どれでもなんでも好きなように扱わせてくれるって」
「そこまでおっしゃっていましたっけ。一人でよろしいのですか?」

「平気。日時は予約してあるから、それも大丈夫。夜までには帰ってくるわね」

 ハルピュイアの営業再開は、ちょっと混乱もあったけど、順調にいっていた。
 悪魔退治でもらった金貨があるので財務上は問題なかったけど、一度足が遠のいたお客様を呼び戻さないと、長い目で見ればお店の損になってしまう。

 午後、王宮に着くと、すぐに玉座に通された。
 カーミエッテ様が人払いをして、二人で宝物庫へ向かう。

「リシュは、奥におるぞ。会っていくか?」
「いえ、いいんです。今日は、一人で」

 やがて、重そうな扉のついた宝物庫に着いた。
 カーミエッテ様が魔法の施された指輪を錠前に当てると、かんぬきが自動的に外れる。
 少し気後れしながら、中へ入った。

 宝物庫の中は、私が通っていた中学校の体育館の倍くらいある。
 なにも置かれていなければかなり広い空間に思えるのだろうけど、入り口付近には大小色々な箱や器具が置かれていて、人が二人並んで通れる通路がやっと確保されているという状態だった。
 棚やテーブルもいくつも置かれ、その上にも所狭しと物が積まれており、これ全部内容を把握している人がいるのかと不安になるほどだ。

 少し進むと、今度は打って変わって、宝石や金細工の置かれているエリアに出た。

「う、う、うわあ……!」

 思わず感嘆の声が漏れてしまうほど、人間が作ったとは思えない精緻できらびやかなアクセサリーが、そこかしこできらきらと輝いている。
 宝物庫の中の明かりは天井から差し込んでくる日の光だけだったけど、それが乱反射されて、自分が宝石箱の中にいるみたいだった。

 いけないいけない、気を取り直して。
 さらに奥の方へ進むと、ついに、お目当ての魔法道具マジックアイテムのエリアに来た。
 カーミエッテ様が、そのうち一つを指し示す。

「それよ、そなたの望むものは。王宮の財宝管理局も、驚いておったぞ。そんなものがあることは、わらわたちでさえ失念しかけておった」

 薄明りの中でそこにたたずんでいたのは、古ぼけた、底のごく浅い水盆だった。直径が一メートル近くある大きなもので、縁はぐるりと宝石に彩られている。

「ルリエル、そなた、なぜぞんなものがここにあると分かったのだ?」
「……分かったわけでは、ないんです。ただ、可能性は高いと思っていました。私を含め、何人もの人間が、今まで地球からベルリ大陸にやってきました。それなら、ベルリ大陸側から地球にコンタクトする方法を研究した人が、絶対にいるはずだと。……双方で行き来する方法が一般的になっていないんですから、その研究は頓挫したか、ごく一部で続けられている程度なんだろうなとも思いましたけど。でもなんらかの成果が出たなら、国に献上されているだろう、と」

 私は革袋から水筒を取り出した。中身は、新霊力を込めた聖水だ。これを、水盆に垂らす。
 水が文字通り水平に広がり、鈍く輝き始めた。
 ごく淡い光。
 そして、水盆が、陶器の底ではなく、どこか別の世界を映し出す。

「その水盆の正式な名はな、『異界の窓』という。水に、どことも知れぬ、別の世界が映し出される。水鏡に手を入れても、向こう側の世界へ行くことはできぬ。ただ見るだけだ。それ以上の役には立たぬからと、すぐに飽きられて、ここに押し込められたようだの」
「……はい。ここに映っているのは、ベルリ大陸のどこかではありません。完全に、……間違いなく、……これは、私の、過ごした……」

 地球だ。
 日本だ。
 アスファルト。電信柱。レンガ塀にスレートぶきの屋根。表札。少し雑草の生えた門。何度もつまづいた、玄関前の石段。

「なんじゃ、それは。小さな小屋よの」
「うちです。私の……家です」

 ごほん、とカーミエッテ様が咳払いする。思わず笑ってしまった。
 水鏡の中の映像は、ドアをすり抜け、家の中に進む。

 あれ、と思った。

 玄関に置かれている特に特徴のない置物も、三和土たたきに寄せて置かれた見慣れた靴も。
 三年前、私がこの世界に来た時のまま、変わらずに置いてある。
 なにもかもが、つい昨日まで私が暮らしていたかのように、そのままだ。
 だってあの靴は、……私のスニーカーだもの。

 映像は、階段を上がった。
 私の部屋と、お姉ちゃんの部屋の前を通り過ぎて、廊下の奥の小さなベランダに向かう。

 そこで、お姉ちゃんが、洗濯物を干していた。
 お姉ちゃんは、一度家を出た後、またうちに戻ってきた。だからそれはいい。
 けれど、決定的に、おかしいと思った。

 三年経っている。
 なのに、髪型も、体系も服装も面差しも何もかも、お姉ちゃんは私がこの世界に来たその頃のまま、なにも変わっていなかった。

 なにこれ。
 もしかして、ベルリ大陸と地球で、時間の流れって全然違う?

 こっちの数年が、地球ではほんの数日くらいとか?
 お父さんとお母さんはどうしているの? これは何曜日? 何月の何日?

 はっと気づいた。
 カレンダーだ。カレンダーを見ればいい。
 うちのどこにあったっけ、カレンダー。

 映像の移動が遅い。これ、自由に操れたりしないのかな。
 水盆のどこかに、レバーとか、スウィッチとか――

 あれ。
 水盆?
 水盆って、なんだっけ。
 私はここにいるじゃないか。

 お姉ちゃん、ただいま。
 私、ちょっと出かけてて――
 どこに?

 あれ、どこだっけ。

 私は。
 私は、誰だっけ――

「ルリエル! しっかりせい!」

 耳元の大声で、私は我に返った。両肩を後ろから、強くつかまれ、引き起こされている。

「あ、あれ? 私? カーミエッテ様? 私、今、うちに帰って……お姉ちゃんが」

 カーミエッテ様が、眉をひそめてかぶりを振る。

「……あの。どうなってましたか、私」
「水面に顔を近づけ、わらわの声も届いておらんかった。……思い出した。この水盆は、以前使った者が、この数センチ程度の浅さの水で、溺死しておったのだ。なにかの事故のよるものかと思われていたようだが。……よほど、心をとらえるものが映るのだな」

 私は、タオルを取り出して、水盆の水を吸わせる。
 後には、ただの古い陶器が残された。

「……申し訳ありません。もう、使いません。私、そんなつもりじゃ。命がけで地球に戻りたいとか、そんなんじゃ……なくて。ただ……」

 最後は、涙声になってしまう。

「よい。道具は使いようよ。これはそなたにやってもよいが、手元に置くには危険過ぎるな。ここに置いておいて、信頼できる者とおる時のみ、時に覗いてみるのがよかろう」
「……ありがとうございます、カーミエッテ様……。でも、もう私、平気です。顔を見ることができなくても、離れていて思い合うことも、大切だと思うから……」

 カーミエッテ様が、私の肩を抱いた。
 布越しに伝わるその手の温かさのせいで、誰にも――うちの男子たちにもいえなかったことが、私の口から、こぼれてしまう。

「人から認められるのが、……つらい」
「ほう?」

「私は、この世界で生きていくって、とっくに決めました。でも多分まだ心のどこかで、地球に戻りたいとも思っていて、……それができないから、この世界で身につけた力で、できることをやっただけです。私なりに、悪魔を倒す理由はありました。でも、実のところは、……八つ当たりと変わらないんじゃないかって。だから、それでベルリ大陸の人々から称賛されてしまうのは、……時々、つらいんです。私、これで、いいんでしょうか……」

 カーミエッテ様が、傍らにあった二人掛けのベンチ――見た感じ、家具というよりは美術品――に、並んで座らせてくれた。
 私の肩を抱いたまま、言う。

「地球から来たそなたは直には見聞きしておらんだろうが、悪魔はこれまでに、いくつもの国を滅ぼしてきた。ここ十数年小康状態に近かったが、カニシュカンドの前にも数えきれないほどの国が、歴史が、文化が、やつらのために灰塵に帰してきた。――」

 声は穏やかだけれど、万感の思いが込められているのは伝わる。

「――今生きている者たちの、親兄弟も多く失われた。ベルリ大陸の人間は、すべからく悪魔を憎み、打ち倒すことを夢見ている。それは、知識としては知っているな?」

 私は、こくりとうなずく。

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