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第二章 変わらないはずだと信じたものさえ遠ざかるから
陽菜の家で縛られて目隠し
しおりを挟む十月の初め。
海は、なるみに、初めて愛撫された時の夢を見た。もう何度も見ている夢だった。
具合が悪くて学校を早退した日、両親がいないのが常の家の玄関に、見慣れない男物の靴があった。
二階の部屋からは、聞いたことのない姉の声が漏れていた。
なにがあったのかと、足音を消しながらも階段を駆け上がった。姉が男に襲われているという、最悪の想像をした。
そしてドアの隙間から、裸で絡み合う二人を見た。
襲われているという様子ではなかった。なるみのほうが積極的で、男の体をむさぼっているように見えた。
その時は、とにかく逃げなくてはならないと思った。
どうして自分が逃げなくてはならないのか、と思えたのは、近所を一時間近く、放心状態で歩いた後だった。
家に帰ると、もう男は消えていて、リビングのソファに寝転がった姉が「見たなあ」と言ってきた。
男は、なるみの当時の彼氏だった。
男女がつき合えばどういうことをするのか知ってはいたが、ほのかな憧憬を抱いていた相手の、見たこともない姿は、あどけない海の胸の奥を鋭く打ち抜いた。
最初は弟の様子をからかっていたなるみだったが、海があまりにも悄然としているのを見て、だんだんと心配そうな顔になった。
そして、ごめん、ごめんね、と言いながら、海の服を脱がした。
後から聞いた話では、なるみなりに、落ち込んだ男を最も励ませる行為がそれだと思っていたかららしい。
最初は指で、その後口でされた。
海は怖いくらいに感じて、快感と混乱で泣きじゃくりながらなるみの頭や肩をつかんでは振り払われ、なにもできずに翻弄されたのを覚えている。
目が覚めた。
窓からは、この頃ようやくだんだんと角度が浅くなってきた朝日が差し込んでいる。
体を起こし、軽く伸びをして、今までならば例外なくこの夢が伴っていた胸の痛みが、いくぶん薄まっているのに気づいた。
少しは変化できたらしい。
成長とか、吹っ切れるという、前向きな言葉は使いたくなかった。姉に恋慕したとはいえ、後ろ向きな気持ちを抱いていたわけではないからだ。
ただ変わっただけ。今までとは違うだけ。
窓を開けた。
昨日までよりも少しだけ秋めいた風が吹き込んでくる。
空は雲一つなく晴れていた。
「よく晴れてるなあ」
わざわざそう口にして、海は登校の支度を始めた。
・
「というわけで、もう学校の中ではああいうことをやめようと思うんですよ」
保健室のベッドに腰掛けながら、海は陽菜にそう言った。
「へー、そうなんだ。じゃあせっかくしつらえたあの旧校舎の部屋も、お役御免と」
「そうなりますね」
放課後、まだ残っている生徒は多いが、保健室は静かなものだった。この時間になれば、部活でけがをした生徒がくるくらいなので、その時にはベッドについているカーテンを引いて隠れればいい。
今後は校内での行為を控えるとしても、特定の生徒と養護教諭がよく一緒にいるという風聞は防ぎたいのは、今までと変わらない。どこから足がつくか分からないのだから。
「でもそうかー、違う学年の子の耳に入ってるようじゃ、かなり噂が広まっちゃってるね。よかった、現場抑えられたりしなくて」
「本当ですね。先生がそれで辞職にでも追い込まれたら、申し訳なさすぎます」
陽菜が苦笑する。
「ほんと青四季くんは、人のことばっかり気にしてるね」
「だって、おれはたぶんことが明るみに出ても、人生が変わるほどのことにはならないでしょうから。悪くて退学くらいでしょう? 未成年に甘いですよね、みんな」
「退学なんて、そんなことになったら、私のほうこそ耐えられないよ」
陽菜は、生徒用の湯飲みに入れた緑茶を、ことんとテーブルに置いた。
一礼して、海が受け取る。
「じゃあ、これからは私の家でいい? この間みたいに」
「先生が良ければ、ですけど……」
彼氏でもないのに一人暮らしの女性の部屋に上がるのは、いまだに抵抗がある。「仕事」の時はほとんどが既婚者相手だったので、ラブホテルを使っていた。ホテル代は料金の一部として、女のほうが出してくれていた。海がしていたことといえば、未成年に見えないように大人びた格好を心掛けたくらいだ。
陽菜はともかく、杏子については、もう奉仕をすることはないかもな、と海は考えていた。
親元である杏子の家に行くわけにはいかない。そんなことをしてなにか騒動にでもなったら、目も当てられない。
かといってホテル代まで負担すると出費がばかにならないし、杏子に払わせるわけにもいかない。屋外でというのも一瞬考えたが、あまりにもハイリスクだった。
いつまでも杏子との関係を続けるつもりではなかったとはいえ、唐突に終わるものだな、と思う。後で杏子にはちゃんと話をしておこう、と胸中でひとりごちながら海は緑茶をすすった。
そしてその日の夕方、海は再び陽菜のマンションを訪れた。
「まさか、今日の今日でお招きいただくとは思いませんでした」
「だって、そういう気分になっちゃったんだもん。ほら、入って入って」
そうして、二人で順番にシャワーを浴びる。
ここに来るのはまだ二度目だが、こうした流れはもう慣れたものだった。海にしても、旧校舎を使っていた頃から、できればシャワーを浴びてから奉仕したいと思っていた。
前回と同じように、海は腰に、陽菜は胸にバスタオルを巻いて、寝室に入る。
「あれ、なんだかベッドの感じが違います?」
「気づいた? そうなんだ、これ、水を通さないシーツなの」
「へえ。寝やすいんですか?」
「もう、そういうんじゃないよ。ほら」
陽菜はそう言って、透明のボトルを取り出した。
ラベルにある商品名を読んで、ようやく海も合点がいく。
「ローション……というか、オイル?」
「そっ。これは、旧校舎じゃ使えないもんね。海くん、使ったことある?」
「自前のはないですけど、お客が持ってたことはありました。使いすぎ注意ですけど、いいですよね、これがあると」
「そうなんだ。使われたことはあるの?」
使われたこと? と海がオウム返しで答えた。
「そう。海くんが、使われたこと」
「ないですよ。おれが奉仕する側でしたから。……あ、もしかして」
陽菜がにやりと笑う。
「そう。前と同じで、今日も海くんが受けになってもらえないかなあ」
「い、いえでも……先生はそれでいいんですか? おれ、前回縛られてたから、全然先生に奉仕できなかったんですけど……」
「全然いいよ。私は今までずっとしてもらってたんだもん。海くんも分かるでしょ、される一方よりもするほうが満たされるものがあるのは」
それを言われると、分かるだけに弱い。
また、一度奉仕される側の快感を味わったことで、体には早くも期待による興奮がにじみかけていた。
「仕事」のお客にも、海の体やペニスに触れたがる女は多かった。
海は「仕事」では下着姿以上に服を脱ぐことはなく、全裸には決してならないようにしていたが、パンツ越しに、海がはっきりと勃起しているのが分かると、たいていの女が喜んだ。
そうして、にぎったりつかんだりされたことはある。しかしそこまででとどめるように、海は徹底していた。
だから先日のこの部屋での痴態は――あんなにしっかりと愛撫され、射精まで行きついたのは――なるみとの時を除けば初めてだった。
しかも実は、この日の海は、先日なるみとの行為が未遂に終わってから、一度も射精していなかった。
そのせいで、今朝のような夢を見たのかもしれない。遠からず夢精してしまいそうだ。
体は完全に欲求不満だった。夜ベッドに入ると、何度も、右手が衝動的にペニスに伸びそうになった。今までの自慰とは比べ物にならない快感が得られる確信があった。
それでも、なるみが残した最後の熾火のような快感を、なるべく長く体の奥に残しておきたくて、必死に欲望を押さえつけて、耐えた。
往生際が悪いとは、自分でも思いながら。
それに、今自慰をすれば、絶対になるみを思い浮かべてしまうだろう。きっと姉の名前を呼びながら果ててしまう。
それが耐え難かった。そんなことはしたくない。
「もしかして、また縛ります?」
「縛るよねー。嫌だった?」
「嫌ではないですけど……おれ、みっともなかったりしませんか? あえぐだけあえいで、一人で射精してって」
陽菜が吹き出す。
「みっともなくはないよ、むしろ気持ちよくなってくれてうれしい。じゃ、タオルと手錠出すね」
「手錠!?」
「新しく買ったの。気分出るでしょ」
言われるがままに、海は目隠しと手錠をされてベッドに固定された。
こうまで拘束されると、自力での脱出は不可能なのは、すぐに分かった。
頼むから今、大地震とか泥棒とかが来ませんように、と祈ってはおく。
「じゃ、いくね」
腰のバスタオルが取り払わる。
なにげにこの瞬間はかなり好きかもしれない、と海は思う。
隠していた欲望があらわになって、すべてを見られ、知られてしまう。恥ずかしいけれど、気持ちいい。
半ば硬くなっていたペニスが、ぐぐ……とさらに硬度を増した。
最も性欲旺盛な十代の体の中で、二週間近く抑え込まれていた精子が、そろそろと幹の中を上ってくるのを感じる。
「ぬるぬるするよ」
陽菜の声がそう告げてから五秒ほどして、ペニスに、生暖かい感触がした。
「暖かいです」
「あっためたからね。冷えてるよりいいんでしょ?」
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