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第三章 砕け散らずにいられたありふれた幸福の形
エピローグ
しおりを挟む十二月の半ば、海たちのクラスでは、間近に迫った終業式と、その後のクリスマスに、誰もが思いをはせていた。
海は海で、なかなかに悩ましいクリスマスという行事に、ここのところ思考の半分以上を持っていかれている。
クリスマスが、日本において、恋人たちのイベントとして最大級のものだということは承知している。
亜由歌に、最高のクリスマスを迎えて欲しいとも思っている。
ではいざその最高のクリスマスとやらを実現しようとすると、なにをどこまでどうすればいいのか、今一つ正解が分からない。
あまり背伸びをしても喜ばれない気もするが、全然無理をしないというのもどうなのか。
いろいろ世間の情報を集めてみるものの、そうするとどんどん無難なほうへ流れていき、必ずしも亜由歌が喜びはしなさそうなプランばかりが残っていく。
杏子の言葉が、海の脳裏によみがえった。
サプライズなんて狙わず、素直に話し合うのがいいのか。
その杏子は、新しい彼氏ができたらしい。
陽菜は、かねてから仲良くしている海の担任の小野古流と、気兼ねのないクリスマスを過ごすのだと(訊いてもないのに)言っていた。
なるみは相変わらず奔放で、ちょっと仕事の上で面倒を見てやった男が三人ほどいて、その全員から言い寄られている。
先日、なるみに「クリスマスに彼女と外でデートするのはいいけど、家に連れ込んだら覗きに行くよ」と言われた。後から、海は、なぜ彼女ができたことを知られているのだとおののいたが、姉とはそうしたものなのかもしれない。
華道部は、部員からの強い要請でクリスマスリースを作る活動をしたそうで、また幽霊部員と化した海に、閃人が小ぶりなリースをおすそ分けしてくれた。
閃人と天音は今のところ相変わらずに見えるが、少しずつ閃人に対する天音の態度が甘やかなものに変わっているように見える。もしかしたらつき合い始めたのか、と海は思ったが、まだ確認はしていない。
放課後になった。
このところすっかり寒くなり、海は、青いマフラーを巻いて昇降口へ向かった。
先に着いていた亜由歌が下駄箱の横で手を振っている。
「待っていてくれたのか」
「今来たところ」
亜由歌はそう言いながら、あたりに人目がないことを確認して、海のマフラーを両手で軽く持った。襟のあたりなので、胸倉をつかんだような形になる。
そのまま、少し、海の体が下に引っ張られた。海はおとなしく従う。
亜由歌のほうからキスをしてきた。
離れ際、耐え切れず、海も亜由歌にキスをする。
「……海くん。私とキスするの、嫌じゃない?」
「え? 全然。どうしてそんなこと?」
海は本当に驚いた。
「私、自分が汚く思えるっていうか、……その、パパ活、したじゃない?」
「ああ。かなり軽めだし、パパ活って呼ばなくてもいい程度な気はするけどな」
「だから」
「え、それを言ったら、おれのほうが」
実は、海こそ、自分が汚れていると感じて、その手や口で亜由歌に触れることには、わずかに抵抗を覚えないでもなかったのだが。
海の言葉を遮るように、亜由歌がかぶりを振る。
「私は海くんのこと、全然そんなふうに思わない」
「おれだって、亜由歌のことをそんなふうに思ったことはない。これからもないよ」
「……海くんが、……」
亜由歌は、海の胸に顔をうずめた。
「……海くんがそう言ってくれるの、凄く嬉しい。だから私、普通の自分でいられるんだと思う」
普通の自分、とはなかなか哲学的だと思ったが、掘り下げる必要はなさそうだった。
普通の自分。今こうして、亜由歌と一緒にいる自分。これのことか。
「おれは、ずっと、……自分の気持ちに意味なんてなくて、体にも価値なんかないって、いつの間にかそう思って生きていた気がする。そのままだったら、どうなっていたか分からない。たぶん、どうしようもないことになっていんだろうな」
亜由歌が目を見開いた。
君もなんだな、と海は、砂糖でできた針の先で突かれるような悲しい喜びに胸が痛んだ。
でも、今はもう違う。海も亜由歌も。
君といると普通の自分でいられる、おれもだよ、と言って、海はもう一度キスをした。
唇を重ねたまま、両手をつないだ。
それは、この世界で最も幸福な形に思えた。
終
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