泉界のアリア

佐宗

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第二部 虚構の楽園

38異変①

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 眼を覚ましてからも暫く起き上がるほどの気力が出ず、怠惰な、虚ろな時間を寝台の上で過ごす。

 とんだ悪夢に魘されたような気分だったが、下肢に残る気だるさからすると、どうやら夢でもないらしい。

 身も心も疲れ果てているのに相変わらず眠りが浅いのは……、おそらく、ここ疑似天アルカシェルは、熟睡するには明るすぎるからだろう。

 ナシェルは不眠の原因をこの世界に転嫁しながらぼんやりと、天蓋の繻子しゅす越しに露台バルコニーの向こうの風景を眺めていた。

 己の心境に対比するかのように、疑似天の陽は一点の曇りなく耀いていた。



 アルカシェルは昼間の世界である。夜の訪れはない。常に、ルーシェが作った虚構の陽光が差すだけだ。
 おそらく当時まだ赤子であった彼女は、白昼がある天上界や地上界には、暗夜も訪れるという当然の自然の摂理にまでは思いを致せなかったのだろう。その意味で疑似天とは不完全な、奇妙な世界であった。

 まあ闇に覆われないおかげでこちらも此処ここを隠れ家に使えるのだが……。

 闇神セダルの支配の行き届く暗黒界エレボスに戻れば、側に居ずとも常に父王の気配に怯えねばならないのだ。いつ背後の搦め手から引き摩られ、掌中に堕とされないとも限らぬ。…あの甘美な指の、目に見えぬ糸で。



 ナシェルは自己嫌悪に独り苦虫を噛み潰しながら、ようやくずるずると寝台から這い出た。
 小姓がいないので己で衣装棚に歩み寄り、適当に服を出して身に着ける。

 作りつけの姿見に向かって襟を整えながら、情欲の涙のなごりを残す蒼い双眸を睨みつけた。

 
(いいかげん疲れ果てているのだろう。癒しと罰・・・・が欲しいのだろう。
 目に見えぬ糸で、本当は手繰り寄せて欲しいのだろう…。
 いつまでお前はそうやって現実から目を背け、逃げ続けるつもりだ…?)



 襟を整え終えたナシェルは視線をずらし、鏡ごしに背後を見る。

 露台バルコニーに近い壁際の長椅子のうえに、さきほどから自己嫌悪のもうひとつの原因がだらしなく薄物一枚で寝ているのが目に入っていた。

 無視して出て行こうかと思ったが、あまりに悩みのなさそうなその寝顔に不意に苛立ちが募った。
 つかつかと歩み寄り、足蹴にして起こす。

「いつまで寝てるつもりだ」
「わっ……!」

 蹴り起こされたヴァニオンは、頭上に轟く王子の怒声にまずぎょっとし、それから寝乱れた己の姿にさらにぎょっとした。

 驚愕の表情は、数秒の沈黙ののち、徐々に沈鬱に変わっていった。
 己のしでかしたことの重大さを漸く理解したようである。

 しかし、寝乱れた頭髪を両手で掻きむしりながら彼が開口一番吐いた台詞は、ナシェルを激怒させるに足るものであった。


「ああ……!? 俺マジでやっちゃったのかナシェル……!? なんで張り倒してでも止めてくれなかったんだよ!」
「……はァ!?」

 吾が耳を疑った。詫びの言葉ならまだしも。
 ヴァニオンは目の前で、頭を抱え項垂れている。

「お…お前、云うに事欠いて、今、……何と云った?」
「はり倒してくれりゃ良かったのにって云ってんだよ! 何で…? なんで俺と寝んだよお前はぁ!!?」

 ヴァニオンは憤然と立ち上がる。ナシェルの顔にずいと近づき、肩をつかみ、怒りに満ちた双眸で睨んできた。

「俺、明らかに様子がおかしかっただろ!?」
「、……えっ……?」
「その前に『もっと自分を大事にしろ、陛下を挑発して何になる』っていうあの説教からの流れで、直後に何で俺がお前に迫らなきゃいけないわけ? 支離滅裂だろ。おかしいと思うだろ普通!?」
「な、な、」

 湯殿ふろと寝台の上で合計3回も抜いておいてよくもそんなことが云えるなと、ナシェルは愕然と乳兄弟を見つめた。(ちなみに残りの2回はさすがに体の外へ吐かせたが。)

「俺に今さら迫られてお前『あれっおかしいな』とか何か思わなかったのかよ!?」
「……え、っと」

 あまりの剣幕に気圧されてナシェルは口ごもる。

時機タイミングも変だし、場所もおまえのウチならともかくアルカシェル城  ここ  ってのはおかしいだろ! ……ってか、俺がいつも云ってるのはお前のそういう所だよ!! 何でわざわざヤバそうな方に転ぶ? 何で悪い方に流される!? マズいかな、と思った時点で何でやめとかない!? お前の自制心って一体どっちの方角向いてんの!?」
「……ちょっと待て! なぜ私が責められねばならない? 迫ってきたのはお前なんだぞ。てっきり……サリエルを抱けなくて溜まっているのかと思ったから……」
「余計なお世話だよ!! ちゃんと行くとこ行って処理してるっつーの! つか第一、仮に溜まってたとしても、俺がお前に性欲処理させるなんかさせるわけないだろ!?
 ああああもう……」

 ヴァニオンはナシェルの肩を揺するのをやめ片手で顔を覆った。
 ……沈黙が漂う。

 ナシェルの目の前に、ヴァニオンの鎖骨の傷がある。
 王からの最後通告ともいうべきその傷。
 そうだ、次はないと警告されていたはずで、だからこそ、二人は別々の道に……。
 己は王妃セフィを。
 ヴァニオンは旅に出、サリエルという相手を見つけた…。
 そうだ、サリエル――。

 ナシェルは混乱しつつも、違和感の正体を突き止めるべく口を開く。

「ヴァニオン……どういうことだ? 『おかしい』という自覚はあったのか?」
「あったよ……。俺がおかしかったのはアレのせいだ」

 彼の指差す方向、円卓の上には、酒瓶と杯が放置されたままになっている。

「まさか……」

 嫌な予感がした。
 ナシェルは円卓に歩み寄り、酒瓶を手に取った。おおかた飲み干されてはいるが、僅かに底に液体が残っている。匂いを嗅いでみたが、別段おかしな匂いがするわけではなかった。

「……エベールから、私に宛てたものだと云っていたな?」
「そうだけど……。あいつもしかして何か盛った……のかよ……?」
「そうかもしれん。チッ……間抜けな奴め、疑いもせず呑んだのか。異母弟あれが腹に何か一物抱えているらしいことはお前も承知していただろうに」
「スマン、その酒を開けて呑んだのは俺の失敗ポカだ。最初は何も感じなかったんだが、半分ぐらい空けるころには完全にスイッチ入っちまって……。
 だけど、まさかお前が俺を拒否しないとは、思わなかっ……」
「……」

 再び深い溜息。
 ナシェルはそこに壁があったら己の頭をぶつけたい気持ちで一杯だった。
 そもそもがいけない。エベールからの酒と聞いて、気をつけろと忠告しなかったことをナシェルは悔いた。自分のことで手一杯だった。

 ……だがいくらあの異母弟とて、私にあてた酒にこんなに分かりやすく、何かを混入させるようなことをするだろうか……?

 何が起こっている? 何かが変だ……と、異常な事態を感じたその時だった。



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