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第三章 蝶の行方
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若者はそう答えるのが精一杯だった。虚勢を張り、はっきりと非礼な台詞を口走りながらも、目に見えぬ服の内側には大量の脂汗をかいていた。
「……私人として、か。そなたの申す『私人』という言葉には、『愛人』という意味も含まれるのかな」
きた、とヴァニオンは思った。王はついにその質問をヴァニオンにぶつけてきたのだ。
「いえ、違います。俺の云う意味は、友として、良き相談相手としてナシェルの傍にありたいということだけです。他意はございません」
きっぱりとした若者の言葉に、冥王はうなずく。
「ならば良かろう。そなたのその意気込みを買ってやる。騎士となる道を選びはしなかったが、そなたの存在は王子にとって重要だということを、余は無論承知しておる。そなたもそなたなりの忠誠をナシェルに尽くしてゆくがよい」
「有難うございます」
冥王はゆっくりとヴァニオンに歩み寄ってきた。ナシェルよりもさらに長身であるこの美神の、圧倒的な威圧感に、ヴァニオンは内心で慄える。表情に出してしまわぬよう眼を伏せた。
「さすがは炎獄界の統領の息子。なかなかに良い剣を帯びている」
ヴァニオンの剣の、柄頭に彫り込まれた華麗な装飾に目を遣り、冥王はおもむろにそのような讃を口にした。
ヴァニオンの腰にあるのは炎獄界の焔で鍛え上げられた剣である。王の神司で祝福を受ければただちにこれも『神剣』と銘するに足る逸品だが、神剣の位にあるのはこの冥界では王と王子の双剣だけだ。
「お褒めに預り光栄です」
「抜いて見せてみよ」
と王が云うので、ヴァニオンは剣を鞘から抜き取り、両手でくろがねの刃の部分を持って王に差し出した。
冥王はヴァニオンの剣の柄を握ると、手入れ具合を確かめるように刃を裏返して視線を奔らせ、そしてすぼめた唇で軽く息を吹きかけて剣に闇の加護を与えた。剣は、それまでの耀きが偽物であったかのように一段と黒光りし、霊気をもゆらめかせた。
冥王のその行為には、今日叙勲を受けた騎士たちとヴァニオンとを、同列に扱うという意味が含まれているようだ。
「あ……ありがとうございます、陛下」
しかし剣を受け取ろうとしたヴァニオンは、その瞬間、冥王の凄みのある視線に竦んだ。
「胴衣を脱げ、ヴェルキウスの倅よ」
突然の命に、ヴァニオンは慌てて緋色のマントを外し襟つきの胴衣を脱いだ。
若者の、まだ成長の余地を残してはいるが充分に鍛え上げられた上半身を、冥王は無表情に見下ろしてくる。
マントと上着を床に捨て、直立するヴァニオンは両拳を握って怖気を堪える。王の双眸はそれほどに鋭かった。
王はたった今加護を与えたばかりの剣を、ヴァニオンの剥き出しの肩に突きつける。
黒い霊気を発する切っ先で、鎖骨の外側辺りを躊躇なく抉った。
「ッ……!!」
ヴァニオンは声を必死で我慢し、歯を噛み縛って直立不動を貫いた。
そこは図らずも、最後の交わりのときナシェルが愛おしげに舐め、甘噛みしていたのと同じ箇所であった。
流れ出た血が腹や腕を伝い、床にまだらな斑点を描いてゆく。
「己の申したことに二言はないな。その血に誓えるか」
王は血濡れた剣先をヴァニオンの鼻に突きつけて再度問うた。
何を、などとヴァニオンは聞かない。王はあらゆる意味を含めてそう尋ねているのだ。
そしてこれが、若輩者の軽率さと、抱いてはならぬはずであった過去の想いに対する、王としての最大限の譲歩であった。
「誓います」
王は冷徹さを崩さぬまま重く頷き、剣をヴァニオンに返した。
王が歩み去るまでずっと、ヴァニオンは微動だにせずその姿勢を貫いたが、王の姿が完全に見えなくなると膝を崩して叩頭するようにうずくまった。
脱いだ上着で肩の傷を抑え、全身が戦慄するのに任せて握った拳を震わせた……。
「……私人として、か。そなたの申す『私人』という言葉には、『愛人』という意味も含まれるのかな」
きた、とヴァニオンは思った。王はついにその質問をヴァニオンにぶつけてきたのだ。
「いえ、違います。俺の云う意味は、友として、良き相談相手としてナシェルの傍にありたいということだけです。他意はございません」
きっぱりとした若者の言葉に、冥王はうなずく。
「ならば良かろう。そなたのその意気込みを買ってやる。騎士となる道を選びはしなかったが、そなたの存在は王子にとって重要だということを、余は無論承知しておる。そなたもそなたなりの忠誠をナシェルに尽くしてゆくがよい」
「有難うございます」
冥王はゆっくりとヴァニオンに歩み寄ってきた。ナシェルよりもさらに長身であるこの美神の、圧倒的な威圧感に、ヴァニオンは内心で慄える。表情に出してしまわぬよう眼を伏せた。
「さすがは炎獄界の統領の息子。なかなかに良い剣を帯びている」
ヴァニオンの剣の、柄頭に彫り込まれた華麗な装飾に目を遣り、冥王はおもむろにそのような讃を口にした。
ヴァニオンの腰にあるのは炎獄界の焔で鍛え上げられた剣である。王の神司で祝福を受ければただちにこれも『神剣』と銘するに足る逸品だが、神剣の位にあるのはこの冥界では王と王子の双剣だけだ。
「お褒めに預り光栄です」
「抜いて見せてみよ」
と王が云うので、ヴァニオンは剣を鞘から抜き取り、両手でくろがねの刃の部分を持って王に差し出した。
冥王はヴァニオンの剣の柄を握ると、手入れ具合を確かめるように刃を裏返して視線を奔らせ、そしてすぼめた唇で軽く息を吹きかけて剣に闇の加護を与えた。剣は、それまでの耀きが偽物であったかのように一段と黒光りし、霊気をもゆらめかせた。
冥王のその行為には、今日叙勲を受けた騎士たちとヴァニオンとを、同列に扱うという意味が含まれているようだ。
「あ……ありがとうございます、陛下」
しかし剣を受け取ろうとしたヴァニオンは、その瞬間、冥王の凄みのある視線に竦んだ。
「胴衣を脱げ、ヴェルキウスの倅よ」
突然の命に、ヴァニオンは慌てて緋色のマントを外し襟つきの胴衣を脱いだ。
若者の、まだ成長の余地を残してはいるが充分に鍛え上げられた上半身を、冥王は無表情に見下ろしてくる。
マントと上着を床に捨て、直立するヴァニオンは両拳を握って怖気を堪える。王の双眸はそれほどに鋭かった。
王はたった今加護を与えたばかりの剣を、ヴァニオンの剥き出しの肩に突きつける。
黒い霊気を発する切っ先で、鎖骨の外側辺りを躊躇なく抉った。
「ッ……!!」
ヴァニオンは声を必死で我慢し、歯を噛み縛って直立不動を貫いた。
そこは図らずも、最後の交わりのときナシェルが愛おしげに舐め、甘噛みしていたのと同じ箇所であった。
流れ出た血が腹や腕を伝い、床にまだらな斑点を描いてゆく。
「己の申したことに二言はないな。その血に誓えるか」
王は血濡れた剣先をヴァニオンの鼻に突きつけて再度問うた。
何を、などとヴァニオンは聞かない。王はあらゆる意味を含めてそう尋ねているのだ。
そしてこれが、若輩者の軽率さと、抱いてはならぬはずであった過去の想いに対する、王としての最大限の譲歩であった。
「誓います」
王は冷徹さを崩さぬまま重く頷き、剣をヴァニオンに返した。
王が歩み去るまでずっと、ヴァニオンは微動だにせずその姿勢を貫いたが、王の姿が完全に見えなくなると膝を崩して叩頭するようにうずくまった。
脱いだ上着で肩の傷を抑え、全身が戦慄するのに任せて握った拳を震わせた……。
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