文字の大きさ
大
中
小
46 / 70
第三章 蝶の行方
23
若者はそう答えるのが精一杯だった。虚勢を張り、はっきりと非礼な台詞を口走りながらも、目に見えぬ服の内側には大量の脂汗をかいていた。
「……私人として、か。そなたの申す『私人』という言葉には、『愛人』という意味も含まれるのかな」
きた、とヴァニオンは思った。王はついにその質問をヴァニオンにぶつけてきたのだ。
「いえ、違います。俺の云う意味は、友として、良き相談相手としてナシェルの傍にありたいということだけです。他意はございません」
きっぱりとした若者の言葉に、冥王はうなずく。
「ならば良かろう。そなたのその意気込みを買ってやる。騎士となる道を選びはしなかったが、そなたの存在は王子にとって重要だということを、余は無論承知しておる。そなたもそなたなりの忠誠をナシェルに尽くしてゆくがよい」
「有難うございます」
冥王はゆっくりとヴァニオンに歩み寄ってきた。ナシェルよりもさらに長身であるこの美神の、圧倒的な威圧感に、ヴァニオンは内心で慄える。表情に出してしまわぬよう眼を伏せた。
「さすがは炎獄界の統領の息子。なかなかに良い剣を帯びている」
ヴァニオンの剣の、柄頭に彫り込まれた華麗な装飾に目を遣り、冥王はおもむろにそのような讃を口にした。
ヴァニオンの腰にあるのは炎獄界の焔で鍛え上げられた剣である。王の神司で祝福を受ければただちにこれも『神剣』と銘するに足る逸品だが、神剣の位にあるのはこの冥界では王と王子の双剣だけだ。
「お褒めに預り光栄です」
「抜いて見せてみよ」
と王が云うので、ヴァニオンは剣を鞘から抜き取り、両手でくろがねの刃の部分を持って王に差し出した。
冥王はヴァニオンの剣の柄を握ると、手入れ具合を確かめるように刃を裏返して視線を奔らせ、そしてすぼめた唇で軽く息を吹きかけて剣に闇の加護を与えた。剣は、それまでの耀きが偽物であったかのように一段と黒光りし、霊気をもゆらめかせた。
冥王のその行為には、今日叙勲を受けた騎士たちとヴァニオンとを、同列に扱うという意味が含まれているようだ。
「あ……ありがとうございます、陛下」
しかし剣を受け取ろうとしたヴァニオンは、その瞬間、冥王の凄みのある視線に竦んだ。
「胴衣を脱げ、ヴェルキウスの倅よ」
突然の命に、ヴァニオンは慌てて緋色のマントを外し襟つきの胴衣を脱いだ。
若者の、まだ成長の余地を残してはいるが充分に鍛え上げられた上半身を、冥王は無表情に見下ろしてくる。
マントと上着を床に捨て、直立するヴァニオンは両拳を握って怖気を堪える。王の双眸はそれほどに鋭かった。
王はたった今加護を与えたばかりの剣を、ヴァニオンの剥き出しの肩に突きつける。
黒い霊気を発する切っ先で、鎖骨の外側辺りを躊躇なく抉った。
「ッ……!!」
ヴァニオンは声を必死で我慢し、歯を噛み縛って直立不動を貫いた。
そこは図らずも、最後の交わりのときナシェルが愛おしげに舐め、甘噛みしていたのと同じ箇所であった。
流れ出た血が腹や腕を伝い、床にまだらな斑点を描いてゆく。
「己の申したことに二言はないな。その血に誓えるか」
王は血濡れた剣先をヴァニオンの鼻に突きつけて再度問うた。
何を、などとヴァニオンは聞かない。王はあらゆる意味を含めてそう尋ねているのだ。
そしてこれが、若輩者の軽率さと、抱いてはならぬはずであった過去の想いに対する、王としての最大限の譲歩であった。
「誓います」
王は冷徹さを崩さぬまま重く頷き、剣をヴァニオンに返した。
王が歩み去るまでずっと、ヴァニオンは微動だにせずその姿勢を貫いたが、王の姿が完全に見えなくなると膝を崩して叩頭するようにうずくまった。
脱いだ上着で肩の傷を抑え、全身が戦慄するのに任せて握った拳を震わせた……。
「……私人として、か。そなたの申す『私人』という言葉には、『愛人』という意味も含まれるのかな」
きた、とヴァニオンは思った。王はついにその質問をヴァニオンにぶつけてきたのだ。
「いえ、違います。俺の云う意味は、友として、良き相談相手としてナシェルの傍にありたいということだけです。他意はございません」
きっぱりとした若者の言葉に、冥王はうなずく。
「ならば良かろう。そなたのその意気込みを買ってやる。騎士となる道を選びはしなかったが、そなたの存在は王子にとって重要だということを、余は無論承知しておる。そなたもそなたなりの忠誠をナシェルに尽くしてゆくがよい」
「有難うございます」
冥王はゆっくりとヴァニオンに歩み寄ってきた。ナシェルよりもさらに長身であるこの美神の、圧倒的な威圧感に、ヴァニオンは内心で慄える。表情に出してしまわぬよう眼を伏せた。
「さすがは炎獄界の統領の息子。なかなかに良い剣を帯びている」
ヴァニオンの剣の、柄頭に彫り込まれた華麗な装飾に目を遣り、冥王はおもむろにそのような讃を口にした。
ヴァニオンの腰にあるのは炎獄界の焔で鍛え上げられた剣である。王の神司で祝福を受ければただちにこれも『神剣』と銘するに足る逸品だが、神剣の位にあるのはこの冥界では王と王子の双剣だけだ。
「お褒めに預り光栄です」
「抜いて見せてみよ」
と王が云うので、ヴァニオンは剣を鞘から抜き取り、両手でくろがねの刃の部分を持って王に差し出した。
冥王はヴァニオンの剣の柄を握ると、手入れ具合を確かめるように刃を裏返して視線を奔らせ、そしてすぼめた唇で軽く息を吹きかけて剣に闇の加護を与えた。剣は、それまでの耀きが偽物であったかのように一段と黒光りし、霊気をもゆらめかせた。
冥王のその行為には、今日叙勲を受けた騎士たちとヴァニオンとを、同列に扱うという意味が含まれているようだ。
「あ……ありがとうございます、陛下」
しかし剣を受け取ろうとしたヴァニオンは、その瞬間、冥王の凄みのある視線に竦んだ。
「胴衣を脱げ、ヴェルキウスの倅よ」
突然の命に、ヴァニオンは慌てて緋色のマントを外し襟つきの胴衣を脱いだ。
若者の、まだ成長の余地を残してはいるが充分に鍛え上げられた上半身を、冥王は無表情に見下ろしてくる。
マントと上着を床に捨て、直立するヴァニオンは両拳を握って怖気を堪える。王の双眸はそれほどに鋭かった。
王はたった今加護を与えたばかりの剣を、ヴァニオンの剥き出しの肩に突きつける。
黒い霊気を発する切っ先で、鎖骨の外側辺りを躊躇なく抉った。
「ッ……!!」
ヴァニオンは声を必死で我慢し、歯を噛み縛って直立不動を貫いた。
そこは図らずも、最後の交わりのときナシェルが愛おしげに舐め、甘噛みしていたのと同じ箇所であった。
流れ出た血が腹や腕を伝い、床にまだらな斑点を描いてゆく。
「己の申したことに二言はないな。その血に誓えるか」
王は血濡れた剣先をヴァニオンの鼻に突きつけて再度問うた。
何を、などとヴァニオンは聞かない。王はあらゆる意味を含めてそう尋ねているのだ。
そしてこれが、若輩者の軽率さと、抱いてはならぬはずであった過去の想いに対する、王としての最大限の譲歩であった。
「誓います」
王は冷徹さを崩さぬまま重く頷き、剣をヴァニオンに返した。
王が歩み去るまでずっと、ヴァニオンは微動だにせずその姿勢を貫いたが、王の姿が完全に見えなくなると膝を崩して叩頭するようにうずくまった。
脱いだ上着で肩の傷を抑え、全身が戦慄するのに任せて握った拳を震わせた……。
感想 1
あなたにおすすめの小説
【BL】惚れた男に嫌われたくなくて「男遊びならしてもいい」と言ったら、本当に男遊びを始められて絶望している侯爵令息の話
多額の借金で没落寸前の実家を救うため、結婚相手を探していた男爵令息のラキにカムグロス侯爵家から求婚状が届く。
お相手は同性のディートリヒで、初対面で歓迎されるどころか冷たく突き放されてしまう。
『必要最低限関わるな』
『愛人を作るな』
『男遊びならしてもいい』
ディートリヒから実家の借金を完済する条件を言われたラキは、学園で令息たちとの交流を満喫中。
褒め上手なラキの周りには可愛い令息が集まり、推し活状態に。
一方、ディートリヒだけが嫉妬で胃を痛める日々。
ラキへの恋心を隠し続けた不器用侯爵令息に、幸せな未来は訪れるのか?
.
邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ
世間に秘された名門男子校・平坂学園体育科
空手の名選手であった高尾雄一は、新任教師として赴任する
高潔な人格と鋼のように鍛えられた肉体
それは、学園にとって最高の生贄の候補に他ならなかった
至高の筋肉を持つ、精神を削られ意志をなくした青年を太古の神に捧げるため、“水”、“風”、“土”の信奉者達が暗躍する
意志をなくし筋肉の操り人形と化した“デク”
消える教師
山奥の男子校で繰り広げられるダークファンタジー
冤罪で堕とされた最強騎士、狂信的な男たちに包囲される
王国最強の聖騎士団長から一転、冤罪で生存率0%の懲罰部隊へと叩き落とされたレオン。
泥にまみれてもなお気高く、圧倒的な強さを振るう彼に、狂った執着を抱く男たちが集結する。
女の子として育てられた身代わりメイド、冷酷公爵に正体を暴かれ執着の檻に閉じ込められる 〜夜に咲く花〜
女の子として育てられたラナには、誰にも言えない秘密があった。
――僕は、男だ。
18歳の冬、没落した一族の罪を贖うため、冷酷な公爵・セヴェランにメイドとして捧げられた。
純白のフリルに身を包み、偽りの乙女を演じ続ける日々。
正体が露見すれば即処刑――薄氷の上を歩くような緊張が、常にラナを縛りつけていた。
しかし、ある穏やかな午後。
その均衡は、あまりにも呆気なく崩れ去る。
逃げ場を失った身体を捕らえられ、隠し続けてきた真実を見抜かれたとき、
氷のように冷え切っていた主従関係は、静かに形を変えた。
「お前は男ですらない。……ただの、私の所有物だ」
突きつけられたのは死ではなく、逃れられない執着。
行き場を失った孤独な存在を囲い込み、決して手放そうとしない絶対的な支配。
偽りの乙女としての時間は終わりを告げ、
ラナは一人の青年として、抗えないほど深く書き換えられていく。
それは救いか、それとも堕落か。
孤独を抱えた二人の魂は、背徳の熱の中で静かに絡み合っていく――。