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第四章 明けぬ夜の寝物語
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壮絶な愛憎の顛末を語り終えた王子は、ひどく酩酊していた。
(そう、これは幾千となく繰り返されてきた寸劇のうちのほんの一幕にすぎぬ)
「――なぜこの期に及んでまで私に執着する?
なぜ私に、これまで同様貴方を憎ませておこうとするのだ。
なぜただの父と子であってはならぬ」
朦朧とした視線の先に王の姿が見えるのか、ナシェルはそうして独り言のように王を罵ったかと思うや螺子のゆるんだ人形のように前屈みに項垂れ、指で顔を覆ってしまった。
それでも問いかけは滝のように指の隙間からあふれた。
「なぜ王妃を連れてきた? 私を解放する積もりが無いならばなぜ?
愛とは何だ。貴方のぶつけてくる愛にこれほどに永く苦しめられるなら、そんなもの端から私達の間に無ければ良かった。いや、元々そのような感情などこの世に存在せねばよかったのに。性の営みの中には退廃と享楽だけが存在すれば良かった――そうしたら、これほど貴方のなさることを憎まずにいられたかもしれない」
言葉の最後はしぼり出すようであった。
ヴァニオンは絶句した。確かにナシェル本人の云う通り解決の糸口の見えぬ難問だ。
もともと一筋縄ではゆかぬ父子関係とは分かっていたが、間に王妃という存在を得たことでよもやそこまで複雑怪奇な状況に陥っていたとは。
ヴァニオンは掛ける言葉が思いつかず、顔を覆う王子の肩をただ黙って抱いた。
王子はしばしヴァニオンの肩に、冷え切った指ごと顔を埋めていた。
……ヴァニオンにはこの問題の特異性が理解できる。
これはただ単に、後妻を娶ったはずの王が、ナシェルへの執着を止めようとしない、というだけの問題ではない。
同じく問題なのは王子の内面であった。
王子は自分でも気づいてはいるのだろう。だから感情を制御できずこれほどに取り乱しているのだ。
王と王妃。それは本来ならば誰も立ち入ることのできぬ至高の関係のはずで、その間柄を妬み羨むなど、本来生じ得ぬ感情だ。
しかしナシェルの中にそうした感情があるのは明らかで、なおもたちの悪いことに彼はそれを認めることも自分の中で説明づけることもできずにいる。父とその妻だぞ、息子の自分が何を妬む必要があるのかと、答えの出ぬ自問を己に発し続けているのだ。
「ヴァニオン、済まぬ。腹いせに忍んできたがお前に縋る権利が私にないのは分かっている。……だが今は、自分でも一体何をどうしたらよいのか分からぬのだ」
「分かってるよ、もう何も云わなくていい。辛いこと話させて悪かったな……もう1本空けるか?」
王子はヴァニオンの首元に頭を埋めたまま、首を振った。
「もう要らない。……、気持が悪くなってきた」
と彼が云うので、背中をしばらくさすってやり、腕を支えて寝台へ連れて行く。
横たわり、双眸を閉ざした王子はいつの夜にも増して艶めいていた。
王への複雑な、満たされぬ想いが彼の表情に暗い影を落としている。悄愴としたその表情は、淫美というほかなかった。
その姿を上から見下ろしつつ、ヴァニオンは胸中に王への不満を沸き立たせる。
――王よ、貴方はあれほどにこいつの所有権を主張し、俺に対して警告してきたではないか。
なのになぜ、またしても奇妙な間の取り方でこいつを苦しめようとするのだ。
繋いだ紐を緩めたり締めたりしてナシェルが息苦しく喘ぐのを見て、愉しんでいるのか?
――見て下さい、貴方の愛する者は貴方の絶愛に厭いている。
だけど貴方を愛してもいるのです。こいつは貴方を、哀れで孤独な神だと思っているから。
それがこの件のたちの悪い所なんだ。
――このままでは、こいつはどうにかなっちまう。
俺は今さら貴方に勝負を挑んで勝てる見込みがあるとは思っちゃいませんが、
少なくとも僅かな隙間になら入り込む余地がある。
こいつがこうして貴方との関係に疲労して、俺の所へ時おりこうして逃げてくる、
この状況こそが貴方とナシェルとの間の隙間だとするならば、
俺はその隙間を縫って、今すぐここでこいつを抱きしめ愛して、束の間の鬱屈を忘れさせることだってできるんだ。
俺にそうされたくないのなら、もっとこいつを優しく包む存在で在らねばならないのじゃないですか――?
どうして、今ごろ天上界から王妃を。
……虚空を睨むヴァニオンの腕を、不意にナシェルが掴んできた。
うすく瞼をあけたナシェルは沈酔気味の薄笑いを浮かべていた。
「……ヴァニオン、見てみるか、父上が…、
私の体にどんな所有の証を残して行ったのかを……。ふふ」
ヴァニオンは黙って首を振り、胸元を寛げようとするナシェルの手を上から押さえて、押し留めた。――その氷のような指を。
「やめろ、見せるな。そんなもの」
答えを聞いたナシェルの濃藍の海から、一粒の雫があふれて落ちた。雫は顔の横を静かに伝っていった。
「そうだな……、許せ。私は今、どうかしている」
ヴァニオンは居たたまれず、王子の冷えた手を取り上げて両手で包み込んだ。
(しっかりしろ。
何でも俺がお前の云う通りにしてやる。慰めを求めているなら慰めを、
復讐を求めているなら復讐を。
今すぐでも、いつか遠い未来でも。
全部俺が、お前の欲しいものは全て捧げてやる。
だから、そんな顔するのは止せって)
(そう、これは幾千となく繰り返されてきた寸劇のうちのほんの一幕にすぎぬ)
「――なぜこの期に及んでまで私に執着する?
なぜ私に、これまで同様貴方を憎ませておこうとするのだ。
なぜただの父と子であってはならぬ」
朦朧とした視線の先に王の姿が見えるのか、ナシェルはそうして独り言のように王を罵ったかと思うや螺子のゆるんだ人形のように前屈みに項垂れ、指で顔を覆ってしまった。
それでも問いかけは滝のように指の隙間からあふれた。
「なぜ王妃を連れてきた? 私を解放する積もりが無いならばなぜ?
愛とは何だ。貴方のぶつけてくる愛にこれほどに永く苦しめられるなら、そんなもの端から私達の間に無ければ良かった。いや、元々そのような感情などこの世に存在せねばよかったのに。性の営みの中には退廃と享楽だけが存在すれば良かった――そうしたら、これほど貴方のなさることを憎まずにいられたかもしれない」
言葉の最後はしぼり出すようであった。
ヴァニオンは絶句した。確かにナシェル本人の云う通り解決の糸口の見えぬ難問だ。
もともと一筋縄ではゆかぬ父子関係とは分かっていたが、間に王妃という存在を得たことでよもやそこまで複雑怪奇な状況に陥っていたとは。
ヴァニオンは掛ける言葉が思いつかず、顔を覆う王子の肩をただ黙って抱いた。
王子はしばしヴァニオンの肩に、冷え切った指ごと顔を埋めていた。
……ヴァニオンにはこの問題の特異性が理解できる。
これはただ単に、後妻を娶ったはずの王が、ナシェルへの執着を止めようとしない、というだけの問題ではない。
同じく問題なのは王子の内面であった。
王子は自分でも気づいてはいるのだろう。だから感情を制御できずこれほどに取り乱しているのだ。
王と王妃。それは本来ならば誰も立ち入ることのできぬ至高の関係のはずで、その間柄を妬み羨むなど、本来生じ得ぬ感情だ。
しかしナシェルの中にそうした感情があるのは明らかで、なおもたちの悪いことに彼はそれを認めることも自分の中で説明づけることもできずにいる。父とその妻だぞ、息子の自分が何を妬む必要があるのかと、答えの出ぬ自問を己に発し続けているのだ。
「ヴァニオン、済まぬ。腹いせに忍んできたがお前に縋る権利が私にないのは分かっている。……だが今は、自分でも一体何をどうしたらよいのか分からぬのだ」
「分かってるよ、もう何も云わなくていい。辛いこと話させて悪かったな……もう1本空けるか?」
王子はヴァニオンの首元に頭を埋めたまま、首を振った。
「もう要らない。……、気持が悪くなってきた」
と彼が云うので、背中をしばらくさすってやり、腕を支えて寝台へ連れて行く。
横たわり、双眸を閉ざした王子はいつの夜にも増して艶めいていた。
王への複雑な、満たされぬ想いが彼の表情に暗い影を落としている。悄愴としたその表情は、淫美というほかなかった。
その姿を上から見下ろしつつ、ヴァニオンは胸中に王への不満を沸き立たせる。
――王よ、貴方はあれほどにこいつの所有権を主張し、俺に対して警告してきたではないか。
なのになぜ、またしても奇妙な間の取り方でこいつを苦しめようとするのだ。
繋いだ紐を緩めたり締めたりしてナシェルが息苦しく喘ぐのを見て、愉しんでいるのか?
――見て下さい、貴方の愛する者は貴方の絶愛に厭いている。
だけど貴方を愛してもいるのです。こいつは貴方を、哀れで孤独な神だと思っているから。
それがこの件のたちの悪い所なんだ。
――このままでは、こいつはどうにかなっちまう。
俺は今さら貴方に勝負を挑んで勝てる見込みがあるとは思っちゃいませんが、
少なくとも僅かな隙間になら入り込む余地がある。
こいつがこうして貴方との関係に疲労して、俺の所へ時おりこうして逃げてくる、
この状況こそが貴方とナシェルとの間の隙間だとするならば、
俺はその隙間を縫って、今すぐここでこいつを抱きしめ愛して、束の間の鬱屈を忘れさせることだってできるんだ。
俺にそうされたくないのなら、もっとこいつを優しく包む存在で在らねばならないのじゃないですか――?
どうして、今ごろ天上界から王妃を。
……虚空を睨むヴァニオンの腕を、不意にナシェルが掴んできた。
うすく瞼をあけたナシェルは沈酔気味の薄笑いを浮かべていた。
「……ヴァニオン、見てみるか、父上が…、
私の体にどんな所有の証を残して行ったのかを……。ふふ」
ヴァニオンは黙って首を振り、胸元を寛げようとするナシェルの手を上から押さえて、押し留めた。――その氷のような指を。
「やめろ、見せるな。そんなもの」
答えを聞いたナシェルの濃藍の海から、一粒の雫があふれて落ちた。雫は顔の横を静かに伝っていった。
「そうだな……、許せ。私は今、どうかしている」
ヴァニオンは居たたまれず、王子の冷えた手を取り上げて両手で包み込んだ。
(しっかりしろ。
何でも俺がお前の云う通りにしてやる。慰めを求めているなら慰めを、
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今すぐでも、いつか遠い未来でも。
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だから、そんな顔するのは止せって)
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