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第四章 明けぬ夜の寝物語
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「だ、抱―――」
ナシェルはあまりのことに仰天して言葉がうまく出ず口をぱくぱくさせた。
呼吸が困難になるぐらい憤ることなど長い生においても滅多に経験がないが、その少ない経験のほぼ全てが冥王の言動に対してのものだ。我ながらよく半身など務まるものだとつくづく思う。
ナシェルは激昂を抑えるように、一語一語あえてゆっくりと発音した。
「いったい、どこから、そういう発想が沸いてくるんです。誰も、最初から、そんなこと頼んでない!」
「だが目のふちで分かるよ。そなたが昨日の些細なすれ違いを水に流したいと思っていること。
先ほどからなにやら憤っておるのは、ひょっとして昨日の件をうまく消化できずにいる自分に対してか」
「―――」
―――やばい。
ナシェルは半ば立眩みに襲われたような気分だった。
――だめだ……まったく歯が立たない。沼に杭を打つとは、まさにこのことかもしれない。
ナシェルは地面を両足で踏みしめた。足の爪で地面を掴む勢いで立っていなければ、目まいで蹌踉けてしまいそうだったので。
脳裏には王の無思慮な言葉が、耳元でかき鳴らされる半鐘のようにぐわんぐわんと鳴り響いていた。
(――『些細な』、『すれ違い』だと? 父にとっては昨夜の口論はその程度の認識でしかないということか。それとも、わざとこういう発言で私の神経を幾重にも逆なでしようと試みているのか?
おまけに私がそれを『水に流したいと思っている』と……? 本気で云っているのか)
ナシェルは冥王のまなざしの官能的な威力に怖気づかぬよう己を奮いたたせると、下顎をぎりりと噛みしめ、いよいよ王を凄んだ眼で睨み上げた。
―――私が憤っているのは、昨夜の、貴方に、対してだ。
対する冥王は両の腕を組み、含み笑いを絶やさない。ナシェルの怒りなど歯牙にもかけぬといった風情だ。
王はなおも云い放った。
「気の毒な子だ……」
「気の毒!?」
ナシェルは目を瞠った。今度は気の毒ときたか。諸悪の元凶であるはずの王に、なぜ自分が憐れまれなければならぬ。
「セファニアへの嫉妬を自分で認めることが出来ぬのだな」
「……私が、王妃に、嫉妬しているですって?!」
ナシェルはとうとう声を荒げ、冥王に間を詰めた。胸郭を怒気と呼気でいっぱいに満たして一歩詰め寄ったとたん、勢いが過ぎて王の爪先を踏んだことに気づく。王は眉だけ動かした。
「違うのか?」
「逆ですよ、その逆! せいせいしているんです! でもって、繰り返し云いますが後妻を得たなら貴方こそいい加減に私に執着するのをやめろと云っているんですよ」
「しぃー。あんまり喚くと皆に聞こえるよ」
冥王はナシェルの唇に指を当ててくる。ナシェルはすかさず振り払う。
「話を逸らさないで下さい。陛下、貴方はこれより先はずっと王妃と仲良くしてればいい。私は領地で好き勝手にやります」
「“死の影の王”……。余が本当にセフィ一人を愛するようになったらそなたは大いに傷つくと思うのだがな?」
「はん。本気で云っているんですか、はぁ馬鹿馬鹿しい」
「だが……」
踏まれたままの足を見下ろす王は少し哀しそうであった。しかし演技を見抜いているナシェルはそれぐらいでは足を引かない。
「だが、何です」
「そなたも同じように余に嫉妬して欲しかったのであろう。先ほどは余に見せつけるために、その気もないのに女どもをああして侍らせておったのだろう?」
「その気じゃないと決めつけるのは止して下さい、私だって女に奉仕させたい時ぐらい、あるッ」
「フフ、素直じゃないね。『無理していました』と、顔に書いてあるというのに。ま、何がしたいのか知らぬがそなたのいじけた挑発など余には通用せぬよ。……何にせよ、良く考えて行動することだ。我等がどういう存在であるのかを」
冥王はいぜん足を踏まれていたが、全く頓着ない様子で会話を締めくくりにかかった。
視線が泳ぐように階段のほうへ向く。階下に重臣たちを待たせたままであることを唐突に思い出したのだろう。
「そなたのことだ。多少、羽目を外したとしても魔族の女どもなどに籠絡されるはずはないと、余は信じておるがな」
ナシェルは反抗心剥き出しのせせら笑いで応じてみせる。
「ハッ。今度は父親らしく説教というわけですか。魔族の女頭領にやすやすと籠絡されてエベール王子を産ませた御方からそういう教訓をいただくと、さすがに身が引き締まりますね。
―――で、私に云いたいことはそれだけですか」
ナシェルはあまりのことに仰天して言葉がうまく出ず口をぱくぱくさせた。
呼吸が困難になるぐらい憤ることなど長い生においても滅多に経験がないが、その少ない経験のほぼ全てが冥王の言動に対してのものだ。我ながらよく半身など務まるものだとつくづく思う。
ナシェルは激昂を抑えるように、一語一語あえてゆっくりと発音した。
「いったい、どこから、そういう発想が沸いてくるんです。誰も、最初から、そんなこと頼んでない!」
「だが目のふちで分かるよ。そなたが昨日の些細なすれ違いを水に流したいと思っていること。
先ほどからなにやら憤っておるのは、ひょっとして昨日の件をうまく消化できずにいる自分に対してか」
「―――」
―――やばい。
ナシェルは半ば立眩みに襲われたような気分だった。
――だめだ……まったく歯が立たない。沼に杭を打つとは、まさにこのことかもしれない。
ナシェルは地面を両足で踏みしめた。足の爪で地面を掴む勢いで立っていなければ、目まいで蹌踉けてしまいそうだったので。
脳裏には王の無思慮な言葉が、耳元でかき鳴らされる半鐘のようにぐわんぐわんと鳴り響いていた。
(――『些細な』、『すれ違い』だと? 父にとっては昨夜の口論はその程度の認識でしかないということか。それとも、わざとこういう発言で私の神経を幾重にも逆なでしようと試みているのか?
おまけに私がそれを『水に流したいと思っている』と……? 本気で云っているのか)
ナシェルは冥王のまなざしの官能的な威力に怖気づかぬよう己を奮いたたせると、下顎をぎりりと噛みしめ、いよいよ王を凄んだ眼で睨み上げた。
―――私が憤っているのは、昨夜の、貴方に、対してだ。
対する冥王は両の腕を組み、含み笑いを絶やさない。ナシェルの怒りなど歯牙にもかけぬといった風情だ。
王はなおも云い放った。
「気の毒な子だ……」
「気の毒!?」
ナシェルは目を瞠った。今度は気の毒ときたか。諸悪の元凶であるはずの王に、なぜ自分が憐れまれなければならぬ。
「セファニアへの嫉妬を自分で認めることが出来ぬのだな」
「……私が、王妃に、嫉妬しているですって?!」
ナシェルはとうとう声を荒げ、冥王に間を詰めた。胸郭を怒気と呼気でいっぱいに満たして一歩詰め寄ったとたん、勢いが過ぎて王の爪先を踏んだことに気づく。王は眉だけ動かした。
「違うのか?」
「逆ですよ、その逆! せいせいしているんです! でもって、繰り返し云いますが後妻を得たなら貴方こそいい加減に私に執着するのをやめろと云っているんですよ」
「しぃー。あんまり喚くと皆に聞こえるよ」
冥王はナシェルの唇に指を当ててくる。ナシェルはすかさず振り払う。
「話を逸らさないで下さい。陛下、貴方はこれより先はずっと王妃と仲良くしてればいい。私は領地で好き勝手にやります」
「“死の影の王”……。余が本当にセフィ一人を愛するようになったらそなたは大いに傷つくと思うのだがな?」
「はん。本気で云っているんですか、はぁ馬鹿馬鹿しい」
「だが……」
踏まれたままの足を見下ろす王は少し哀しそうであった。しかし演技を見抜いているナシェルはそれぐらいでは足を引かない。
「だが、何です」
「そなたも同じように余に嫉妬して欲しかったのであろう。先ほどは余に見せつけるために、その気もないのに女どもをああして侍らせておったのだろう?」
「その気じゃないと決めつけるのは止して下さい、私だって女に奉仕させたい時ぐらい、あるッ」
「フフ、素直じゃないね。『無理していました』と、顔に書いてあるというのに。ま、何がしたいのか知らぬがそなたのいじけた挑発など余には通用せぬよ。……何にせよ、良く考えて行動することだ。我等がどういう存在であるのかを」
冥王はいぜん足を踏まれていたが、全く頓着ない様子で会話を締めくくりにかかった。
視線が泳ぐように階段のほうへ向く。階下に重臣たちを待たせたままであることを唐突に思い出したのだろう。
「そなたのことだ。多少、羽目を外したとしても魔族の女どもなどに籠絡されるはずはないと、余は信じておるがな」
ナシェルは反抗心剥き出しのせせら笑いで応じてみせる。
「ハッ。今度は父親らしく説教というわけですか。魔族の女頭領にやすやすと籠絡されてエベール王子を産ませた御方からそういう教訓をいただくと、さすがに身が引き締まりますね。
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