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第一章

第三十三話 魔王、魔王になる

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 ――頭が……芯の方から痺れているようじゃ。

 視界はぼやけ、自分がどこにいるのかも分からない。
 手足の感覚も、まるで自分のものではないように思える。

 ――わらわは何をやっていたのだったか……。確か、祭りに来て……。

 記憶をぼんやりと辿ろうとするが、チカチカと断片的な映像が浮かんでは消え、意味を結ばない。

 ――なにか、夢を見ているようじゃ……これは、魔力枯渇でもしたのかの?……いや。

 かつて体験済みの現象を頭から引っ張り出すも、すぐに否定する。

 ――わはは!わらわが魔力枯渇などするわけないではないか!なぜなら……。……あれ?なぜじゃったかな?

 静かに、だがとりとめもなく乱れる頭の中。
 その時、外から微かに音が入ってきた。

 誰かが、叫んだ声のようだった。

 ――おお、そうじゃそうじゃ!!なぜなら、わらわは……!






 凶刃が、エリスの白肌へと唸りを上げて迫る。

「作戦成功だ!」

 バゼルが叫んで立ち上がる。
 完璧な振り下ろしのタイミング。
 例え今殺気に気づいたとて、回避は絶対に間に合わない。

 すべて演出と思い込んでいる観客の中にも、あまりの臨場感に悲鳴をあげる者もいた。


 その、次の瞬間だった。

 飛び散る鮮血と標的の断末魔。

 ……の代わりに、彼らの耳に届いたのは、バチッと、水面を平手で叩いたような音だった。

 バゼルとスオウは、思わず眼を見開く。
 剣を握る彼らの同志は、さらに大きく眼を開けていた。


「な、なんだこれは!?」

 剣は、エリスの首筋に触れる直前で止まっていた。

 衝撃が剣を伝わり、一瞬遅れて彼の両手を激しく揺さぶる。

 よく見れば、剣と肌との隙間に黒い霧が出現し、それが剣を抑え込んでいるようだった。

「今、魔王と言うたな……?」

「ひっ……!?」

 それまで、なにやらふわふわした様子で佇んでいた少女が、突如発した気配。
 それは恐らく敵意でも殺気でもなかったが、身じろぎ一つ許さない猛烈な圧力となって男を締め付けた。

「くくくくく……」

「ひ、ひいい!?」

「ふわーはっはっはっはっ!!」

 エリスが、哄笑をあげるとともに左手を振り切った。

 男の体がふわりと浮かんだのは一瞬のこと、直後にきりもみ状に吹き飛ばされる。

「うわあああーーー!!」

 舞台袖のさらに奥まで飛んでいった男は、幕の固定に使われていたポールに激突し、人々の死角でひっそりと沈黙した。

 会場には大きなどよめきが起こった。

 侯爵令嬢が生贄役に選ばれたのも驚いたが、その生贄が悪魔崇拝者をぶっ飛ばしたのである。

 例年とまるで違う物語の展開に、誰もがステージ上から目が離せなくなった。

 エリスは、恐ろしいまでに妖艶な笑みを浮かべ、観客席を振り返る。

「そうじゃ!わらわは!!」

 全身から黒い瘴気を振り撒き、叫んだ。

「わらわは、魔王エリスじゃ!!」





 会場に再度、どよめきが走る。

「なんだって?今なんて言ってた?」

「エリスお嬢様が、魔王……?」

 互いに顔を見合わせる観客たちを見遣りながら、さも愉快そうにエリスは笑う。

「そうじゃ!わらわこそ、人間を滅ぼすために降臨せし地獄の王!!破壊と殺戮の化身、魔王エリスじゃ!恐れ慄け、人間ども!!」


 しん、と静まり返る会場。
 あまりのことに、誰も声が出ない様子だった。


「お、お嬢様?まずい、相当酒が回っているようだぞ」

「これは、ちょっと祭りの雰囲気じゃなくなっちゃうわね……」

 エリスが普通の状態でないことを知っているコウガたちは、様子の変わってしまった会場を慎重に見回す。

 エリスは現在のところ領民から圧倒的な支持を得ているが、それはエリスが、人々の思い描く聖女の偶像とぴったり重ね合わされていることも大きい。
 その聖女が酔って祭りをぶち壊したなどという話になっては、皆の落胆を招くどころか、反動で大きな批判を生みかねない。

「早めに回収しねぇと……えーと、お嬢様?魔王ごっこはそこまでにして、こちらへ……」

 オリヴィスが舞台上のエリスへとこっそり歩み寄っていったところで……


 観客席から、大きな反響が巻き起こった。


「……お、おおおおお」

「うおおおお!!」

「なんと言うことだ!エリスお嬢様に、聖女様に魔王役をやらせるなんて!!」

「なんて大胆なキャスティングなの!?演出家は誰!?」

「これは面白いぞ!毎年同じ中身だから正直飽き飽きしていたが、今年は実に斬新だ!!」


 思いもよらぬ会場の反応に、オリヴィスは引き攣り気味に苦笑を浮かべた。

「え、えーと?」

 周囲の声に圧倒され、頬をかくオリヴィス。
 その肩に、ぽんっと手が乗せられた。

「オリヴィスちゃん!いいわ、このまま進めちゃいましょう!」

「シェリルさん……あんたの豪胆さは尊敬してるけどよ……たまには時と場合と空気を読めよ?」

「何言ってるの!全部読んだ上での結論よ!今はこのままお嬢様の好きにやらせるべきだわ!!私の商人としての勘がそう言ってるの!」

「商人の勘がこの場で何の役に立つんだよ!?」

「いいから!」

「マジかよ……」

 不安と戸惑いが入り混じった表情で席に戻るオリヴィス。

「どうすんだ、これ……」

 異様な盛り上がりを見せている会場を再度見渡し、彼女は肩をすくめた。





 同じ頃、二つの影……バゼルとスオウは、こっそりと舞台裏に駆け込み、同志の惨状を目の当たりにしていた。

「おおお、同志フランコよ!なんと無残な姿に!仇は必ず取るぞ!」

「……しかしどうするのだ?これで作戦は打ち止めなのだろう?」

「ふふふ、いや、奴は墓穴を掘った。突然魔王になりきるとは想定外だったが、そのことによって奴は台本上、魔王としての最期を迎えねばならなくなる」

「もはや台本が機能しているのかはさておき……つまり、何をするつもりだ?」

「知れたこと。魔王は最後、聖女の加護を受けた聖騎士に殺されるのだ。忌々しいことではあるが、我らが聖騎士となって、奴に断罪の刃を喰らわせてやるのだ!」

「我らって……え、俺もか!?」

「当たり前だ!さあ、剣を取れ!おい、そこの連中!貴様らの衣装をよこせ!!」

「ひ、ひいい?」

 舞台上の超展開に右往左往していた哀れな役者たちは、バゼルたちに衣装を奪われ、そのまま舞台袖から逃げ出した。

「これでよし。行くぞ同志スオウよ!これが最後の決戦だ!!邪悪な魔王に、正義の鉄槌を!」

「役に入りこむな。我ら『黒の双角』は本来魔王側だぞ……。うう、胃が痛い……」




 舞台袖から突然飛び出してきた鎧姿の二人に、観客の視線が集まる。

「やあやあ魔王!人間に仇なす悪の化身め!!聖女様の加護を受けた、我ら聖騎士の神聖なる正義の剣を食らうがよい!!」

「くらうがよいー」

 やたら気合の入った大根役者と、やたらやる気のない大根役者の登場だったが、一度火のついた会場の雰囲気は、どんな些細な事も全て燃料へと変える。

「おおお!聖騎士だ!魔王と戦うんだな!?」

「例年より展開早くない?聖女様はどこ?」

「そこは演出家の腕の見せ所よ!きっと俺らの予想を裏切る形で出してくるぜ!」

 盛り上がる会場。
 人々は、この斬新で心揺さぶる舞台劇を一瞬でも見逃すまいと、まさに食い入るように見入っていた。

「行くぞ、魔王!」

 バゼルは剣をきらめかせ、怒涛の勢いでエリスへと突進した。
 少し遅れてスオウも、流石にここまで来ては覚悟を決めたとばかりに、剣を構えて走る。

 曲がりなりにも『黒の双角』武闘派二人の突撃は、見るものに大きな臨場感と緊迫感を与え、会場の熱気は最高潮に達した。

 ……しかし一方で。

 急速に、周囲の空気を冷却しつつある存在があった。

 その存在……エリスの眉間には、徐々に深い深いシワが刻まれていく。

 エリスの口が、微かに動いた。

 呟くように、囁くように……だがしかし、その言葉ははっきりと二人の鼓膜を打った。


「誰が……悪じゃと?」


 エリスの体を包む瘴気が、一段と濃くなって渦を巻く。
 バゼルの足が、ぴたりと止まった。
 バゼルとスオウが感じ取ったのは……先ほどまでとは明確に異なる、殺気に近いほどの、怒気であった。

「あ、あれ?魔王はほら、聖騎士にやられて……」

 漂う気配に圧倒され、バゼルは思わずしどろもどろになりながら後ずさった。
 ガチャリと、後ろにいたスオウと鎧同士が接触する。


 慌てる二人へ、直後に怒号が炸裂した。


「誰が悪じゃと聞いとるんじゃド阿呆がーーー!!」

 エリスが拳を振り上げると同時、バゼルたちの足元が盛大に爆ぜる。
 現れたのはバチバチと弾けるような音を立てる、黒い炎。
 無詠唱で闇より召喚されたその炎は、次の瞬間、轟音と共にバゼルたち二人を天高く噴き上げた。


「うっぎゃあああああーーーーー!!」


 炎は二人の身体と悲鳴を呑み込みながら、空の彼方へと消えていった。

「うおお!?聖騎士がやられちまったぞ!!」

「どうなるんだ!?展開が読めない!!」

「てか、すごい演出だな!?野外ステージであんなに持ち上げるって、どんな仕掛けだよ!」

 目の前で、普通に生活する上では決して目にしない中級闇魔法が炸裂したわけだが、そんなことは知らない観客は盛り上がり続けた。




 だがそんな雰囲気が、エリスの一声で一変する。

「愚か者どもが!!」

 会場全体が、ビクッと震えた。
 その場が、一斉に静まり返る。

 エリスは、鬼気迫る表情をしていた。
 なにか、例えようもない怒りを内包しているかのようだった。

「わらわは、貴様ら人間に呼ばれたのじゃ!」

 先ほどと変わらぬ語気で、エリスは叫ぶ。
 観客は、その言葉の意味がよく理解できていない様子だった。

「人間が、人間に絶望した声じゃ!それがわらわを呼んだ!」

 誰も声を発しない。
 ただただ、目はエリスに釘付けになり、耳はその言葉に支配されている。

「わらわを悪というならば、そうたらしめたのは、貴様ら人間じゃ!!……人間が人間に絶望する……そんな戦争を起こした貴様らこそが、真の悪じゃ!!」




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