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密告
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門扉を開けてアプローチを通り越して扉の前に立つものの、なかなかそこから動くことが出来ない。
まだ、迷っている。
父と秀一を目の前にして、自分がどうすればいいのか分からなかった。
冬の夜気が、美姫の躰を芯から凍らせる。美姫は深呼吸した。
今、ここから逃げたって、いつかまた対峙しなければならないんだ。逃げ続けることなんて、出来ない。
家の扉を開けると、玄関には男物の靴が一足あるだけだった。
お父様、帰られたんだ……
父と顔を合わせなくて済むことに安堵していると、足音が近づき、リビングの扉がいた。
秀一が美姫を認めて表情を緩め、足早にこちらに歩いて来る。けれど、美姫の足はそこから動けずにいた。心臓が、ドキドキと高鳴っていく。
それは、これから秀一と対峙しなければならない緊張感もあったが、先程まで大和といたことによる背徳感からでもあった。
玄関に立ち尽くす美姫を、秀一がふわっと抱き締めた。
「もう、戻ってこないのではないかと……心配、しました」
思いもよらぬ秀一の言葉に、美姫は眉を上げた。
いつも自信に溢れた秀一さんが、そんな弱気なことを言うなんて。
言葉、だけではなかった。秀一の美姫を抱き締める腕も、僅かに震えている。それは、オーストリアで美姫がフラッシュバックを起こした後の秀一を彷彿させた。弱くて、脆くて、繊細で……孤独に震える、隠された彼の一面。
「た、ただいま……戻ってきました」
どもりながら見上げた美姫に、秀一が眼鏡の奥のライトグレーの瞳を細めた。
「お帰りなさい、美姫」
優しく、愛おしく、そしてどこか縋るように見つめる、その瞳。美姫以外の人間には決して見せることのない、そんな秀一の表情を見てしまったら、美姫は秀一と別れて両親の元へ戻ることなど出来ないと確信した。
オーストリアで秀一さんの心の奥にある弱さ、脆さを知った時、彼を、救ってあげたいと思った。彼を、癒してあげたいと感じた。
けれど、秀一さんは私に、過去についての話をしてくれることはなかった……
ようやく私は、ずっと知りたいと願っていた彼の過去を、心の闇を知ることが出来た。彼の人となりを知ることが出来た。
それは、私が思っていたよりもずっと深くて暗い闇だった。
埋めて、あげたい。
長い時を孤独に過ごした、彼の寂しさを。誰にも吐露することが出来ず、辛く、苦しかった、彼の心の傷跡を。
私が、秀一さんがいなければ生きていけないのと同じように、彼もまた、私を必要としてくれているんだ。
もしかしたら、秀一さんは……私以上の気持ちで、私を求めてくれているのかもしれない。
「秀一、さん……」
美姫は秀一の背中に手を回し、抱き締め返した。力強く。けれど、優しさと慈しみをもって。
それを感じた秀一の唇から、安堵の息が漏れる。まるで、ようやく母親の温もりを得た、幼子のようだと美姫は感じた。
秀一さん……どうか、不安にならないで。
私は貴方に、孤独を与えたりしない。ずっと……何があろうと、秀一さんの傍にいますから。
私の身も、心も、全て……貴方のものですから。
運命の歯車は、私の生まれた瞬間から。いいえ、生まれる前から狂っていた。たとえ私たちの運命が破滅に向かっているのであろうとも、私はこの人から離れることなど出来ない。
秀一は、誠一郎は急な仕事が入った為に帰ったのだと説明した。
娘の心配をしながらも、来栖財閥のトップとして仕事を疎かにするわけにはいかない。美姫は、そんな父が頼もしくもあり、また寂しくも感じた。
「こんなに躰を冷やして……」
秀一の大きな手が、美姫の頬を包み込む。
「ごめん、なさい……」
「何度も美姫を探しに外へ行こうとしたのですが、貴女がひとりの時間が欲しいというので、美姫が戻ってくるのを待っていたのですよ」
その言葉に、美姫の胸がチクリと痛む。偶然とはいえ、ひとりになりたいと家を出たにもかかわらず、大和と一緒にいただなんて、口が裂けても秀一には言えない。
秀一は美姫の背中に手を添え、中に入るように促した。
「まずは、お風呂に入って……その躰についた匂いも全て消してきてください。
話は、それからです」
美姫はゾクッと震えた。
大和と会っていたことに気づ、かれた!?
直接聞かれるよりも……こうして遠回しに言われる方が、怖い。
「は、い……」
美姫は、秀一の視線から逃れるようにして着替えを取りに行くため自分の部屋へと向かった。
秀一は美姫の背中を見送り終わると、短い溜息を吐いた。
お風呂から上がった美姫は、秀一に勧められ、おずおずとソファに座った。いつもなら隣に座る秀一が、美姫の向かいに座る。その表情は硬く、美姫に緊張感が走った。
沈黙に耐え切れず、ふと視線を下ろした先。テーブルの上には、A4サイズの茶封筒が置いてあった。
美姫の視線がそこにあるのを確認すると、秀一は口を開いた。
「昨日の朝、家のポストにこれが投函されていたそうです」
まだ、迷っている。
父と秀一を目の前にして、自分がどうすればいいのか分からなかった。
冬の夜気が、美姫の躰を芯から凍らせる。美姫は深呼吸した。
今、ここから逃げたって、いつかまた対峙しなければならないんだ。逃げ続けることなんて、出来ない。
家の扉を開けると、玄関には男物の靴が一足あるだけだった。
お父様、帰られたんだ……
父と顔を合わせなくて済むことに安堵していると、足音が近づき、リビングの扉がいた。
秀一が美姫を認めて表情を緩め、足早にこちらに歩いて来る。けれど、美姫の足はそこから動けずにいた。心臓が、ドキドキと高鳴っていく。
それは、これから秀一と対峙しなければならない緊張感もあったが、先程まで大和といたことによる背徳感からでもあった。
玄関に立ち尽くす美姫を、秀一がふわっと抱き締めた。
「もう、戻ってこないのではないかと……心配、しました」
思いもよらぬ秀一の言葉に、美姫は眉を上げた。
いつも自信に溢れた秀一さんが、そんな弱気なことを言うなんて。
言葉、だけではなかった。秀一の美姫を抱き締める腕も、僅かに震えている。それは、オーストリアで美姫がフラッシュバックを起こした後の秀一を彷彿させた。弱くて、脆くて、繊細で……孤独に震える、隠された彼の一面。
「た、ただいま……戻ってきました」
どもりながら見上げた美姫に、秀一が眼鏡の奥のライトグレーの瞳を細めた。
「お帰りなさい、美姫」
優しく、愛おしく、そしてどこか縋るように見つめる、その瞳。美姫以外の人間には決して見せることのない、そんな秀一の表情を見てしまったら、美姫は秀一と別れて両親の元へ戻ることなど出来ないと確信した。
オーストリアで秀一さんの心の奥にある弱さ、脆さを知った時、彼を、救ってあげたいと思った。彼を、癒してあげたいと感じた。
けれど、秀一さんは私に、過去についての話をしてくれることはなかった……
ようやく私は、ずっと知りたいと願っていた彼の過去を、心の闇を知ることが出来た。彼の人となりを知ることが出来た。
それは、私が思っていたよりもずっと深くて暗い闇だった。
埋めて、あげたい。
長い時を孤独に過ごした、彼の寂しさを。誰にも吐露することが出来ず、辛く、苦しかった、彼の心の傷跡を。
私が、秀一さんがいなければ生きていけないのと同じように、彼もまた、私を必要としてくれているんだ。
もしかしたら、秀一さんは……私以上の気持ちで、私を求めてくれているのかもしれない。
「秀一、さん……」
美姫は秀一の背中に手を回し、抱き締め返した。力強く。けれど、優しさと慈しみをもって。
それを感じた秀一の唇から、安堵の息が漏れる。まるで、ようやく母親の温もりを得た、幼子のようだと美姫は感じた。
秀一さん……どうか、不安にならないで。
私は貴方に、孤独を与えたりしない。ずっと……何があろうと、秀一さんの傍にいますから。
私の身も、心も、全て……貴方のものですから。
運命の歯車は、私の生まれた瞬間から。いいえ、生まれる前から狂っていた。たとえ私たちの運命が破滅に向かっているのであろうとも、私はこの人から離れることなど出来ない。
秀一は、誠一郎は急な仕事が入った為に帰ったのだと説明した。
娘の心配をしながらも、来栖財閥のトップとして仕事を疎かにするわけにはいかない。美姫は、そんな父が頼もしくもあり、また寂しくも感じた。
「こんなに躰を冷やして……」
秀一の大きな手が、美姫の頬を包み込む。
「ごめん、なさい……」
「何度も美姫を探しに外へ行こうとしたのですが、貴女がひとりの時間が欲しいというので、美姫が戻ってくるのを待っていたのですよ」
その言葉に、美姫の胸がチクリと痛む。偶然とはいえ、ひとりになりたいと家を出たにもかかわらず、大和と一緒にいただなんて、口が裂けても秀一には言えない。
秀一は美姫の背中に手を添え、中に入るように促した。
「まずは、お風呂に入って……その躰についた匂いも全て消してきてください。
話は、それからです」
美姫はゾクッと震えた。
大和と会っていたことに気づ、かれた!?
直接聞かれるよりも……こうして遠回しに言われる方が、怖い。
「は、い……」
美姫は、秀一の視線から逃れるようにして着替えを取りに行くため自分の部屋へと向かった。
秀一は美姫の背中を見送り終わると、短い溜息を吐いた。
お風呂から上がった美姫は、秀一に勧められ、おずおずとソファに座った。いつもなら隣に座る秀一が、美姫の向かいに座る。その表情は硬く、美姫に緊張感が走った。
沈黙に耐え切れず、ふと視線を下ろした先。テーブルの上には、A4サイズの茶封筒が置いてあった。
美姫の視線がそこにあるのを確認すると、秀一は口を開いた。
「昨日の朝、家のポストにこれが投函されていたそうです」
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