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ローナ 10歳編
私だって
しおりを挟む「そのような方だからこそ、ついに強引にローナお嬢様を手にする為に行動に出たのかと皆が疑ったのです。一週間かけて調査いたしましたが、最終的に、物的証拠が見つからなかったのと、ご本人が呼吸困難で倒れられたことから事件の可能性は低いと判断されましたが……」
私の知らない間にそんな事になっていたとは。
失明から一週間のうちにセシルがリーヴェ邸に一度も現れなかったのは、お父様たちから疑いの目を向けていたからだったなんて。
あの時は突如思い出した前世の記憶と、セシルに会えた喜びに精一杯で、皆が調査を進めていたとは微塵も気づかなかった。
自分の不甲斐なさに項垂れていた私だったが、包帯の巻かれた方の手をアンに持ち上げられ、それに合わせて視線を上げる。
アンは包帯の上から傷を労るように優しく撫でてから、意志のこもった声で語り始めた。
「お嬢様、そこで今一度考え直していただきたいのです。確かに、お嬢様を世界で一番大切にできる方はセシル・フントの右に出る者はないでしょう。けれど、余りある程の悋気を持つ彼では、今日のようにお嬢様を害す可能性が高いのです。普段どんなに貴方様を大切にしていようと、エンゲル様が近くにいただけで、もしくは使用人の存在にさえ怒りを膨らませるようなあの方では、結果としてお嬢様はお辛い未来を歩む事になってしまう。そんな人に、大切なローナお嬢様をみすみす渡すわけにはいかないのです」
「…………」
「もし将来が心配だとおっしゃるのであれば、それは杞憂というもので御座います。王太子殿下との婚約破棄以降、盲目であったとしてもローナお嬢様との婚約を望むとの申し入れが山のようにあるのです。その中にはきっと、お嬢様が良いと思われる方がいるはずです」
アンは殆ど息をつく事なく話し続けた後、最後の念押しに強い言葉を付け足した。
「なにもセシル様にこだわる必要は、どこにも無いのですよ」
私を思って発した言葉だというのは、柔らかで優しい声色から悲しいくらい伝わってくる。
彼女はあくまでも、私に幸せになってもらおうとして発言したのだ。
目尻に溜まった涙の粒が頬を伝って、膝の上に乗せていた手の甲に落ちた。
それを皮切りにいくつもの粒が両方の目から落ちて、徐々にドレスにシミを作っていく。
「やっぱり、本当はお辛かったのですね」
違う、違うのよ、アン。
そうじゃないの。
でもね、どうして自分が今泣いているのか、よくわからないの。
ただ一つわかるのは、とても"苦しい"ということだけ。
渡されたシルクのハンカチで涙を拭い続けているのに、布を存分に湿らせるだけで、粒がこぼれ落ちるのは止まらない。
「それでは旦那様への報告書をすぐに作成いたしますね。もう少しの辛抱で御座いますから」
それからすぐに、アンがサラサラと紙にペンを走らせる音が部屋中に響き始めた。
書の最後に滑るようにサインを加えてペンを置く。
そうしてアンは早馬を出してこれを隣国まで届けてもらうのだと言って再び部屋を出ていった。
アンを止めなければと頭の片隅で思っていたのに、何も言わないまま見送ってしまった。
お父様はこの事態を、どう判断されるのかしら。
わからないけれど、きっと良い方へ事が運ぶことはないだろう。
びしょ濡れで機能していないハンカチを頬に当てている私は、いつの間にかすぐ隣に来ていたエンゲルに気がつかなかった。
「あの侍女があんな言い方するの、おれは気持ちわかるよ」
すぐ横から聞こえた声にピクリと肩が震えた。
反応を伺っているのか視線を感じるが、何か返事をする気になれなくて、私は口を閉ざしたまま何の反応も示さない。
返答が望めない事を察したのか、エンゲルは私を待つのをやめ、不機嫌そうな低い声で予想外の言葉を発した。
「なんでそんなに、あいつがいいの」
驚いた。だってアンでさえ、私が泣いたのはセシルを拒否してのことだと解釈したのに。
今までの話の流れからしてエンゲルがそう切り出してきたのは意外だった。
でも彼にそう聞かれて、私の体はなぜか不意に軽くなった。
用意していたわけじゃないのに、これしかないと思える言葉がいとも簡単にスルリと口から滑り落ちていた。
「セシルだから」
「なんだよそれ……意味わかんないし」
布同士が擦れる音して、聞こえたのはくぐもった声だったので、エンゲルは頭を抱えながら発したのだろう。
その声はどこ苦しげで、不条理を嘆いているようにも聞こえた。
ようやく涙がとまってハンカチを顔から離すと、近くにいた侍女からすかさず濡れタオルを渡されたので、素直にそれを目元に当てがう。
じんわりとタオルから体に染み渡る温かさに、強張ったままでいた肩から力が抜けていく。
リラックスしたのは体だけではなく頭の方も落ち着きを取り戻したようで、先までの私が泣いていた理由を考え始めていた。
セシルが怖かった、というのもある。
彼を怖いと思ってしまった自分に衝撃を受けたのも、一因ではあった。
でも何よりも私が"苦しい"と思ったのは、アンがセシルを狂人だと言ったからだ。
セシルが悪く言われたのが泣くほど辛かったとか、そんな慈愛に満ちたような事を言いたいわけじゃない。
ただ……セシルが使用人の執事にさえ嫉妬していたと聞いて、私は常識から外れた人だと思ったのと同時にーー確かに心には喜びがあった。
その時に気づいたのだ。私もまた、歪んでいるのだと。
アンが"狂人だ"と称したのは、私にも当てはまるのだと。
セシルに感じていた恐怖の一切が吹き飛んで、残ったのは私もまた"狂っているのだ"ということへの悲しみだった。
私も今日のセシルように、いつか膨れ上がった嫉妬が抑えきれなくなって、彼を私のように追い詰めて怖がらせてしまうのだろうか。
その時セシルは、私を受け入れてくれるだろうか。
だってそれはまるで、ゲームのローナのようだから。
セシルを自分の都合で縛り付けていた彼女と何ら変わらなかったから。
ハッピーエンドのシナリオ通りにヒロインを選ばれるような事になってしまったらどうしようと考えて、私は涙を流していたのだ。
結局あれだけ非難していた性悪と、私は何ら変わらないのかもしれない。
* * *
あれからーー報告書を受け取ったお父様がセシルを不安定だった婚約者候補の関係さえ取り消すべきだと、フント侯爵に直談判しようとしたのを、懇願して何とか先延ばしにしてもらった。
でもそれもいつまで持つかわからない。
父は毎日のようにセシルでは役不足だと言ってきて、私はそれに上手く反論できないからだ。
お父様に私の気持ちをわかってもらいたくて、ついに私は強引な手を打った。
部屋から一歩も外に出ず、誰とも会話をしない生活を始めたのだ。
侍女たちとも、運んできてくれる食事は受け取っているが、それ以外の一切の関わりを絶った。
言葉でお父様に勝てないのなら、意地で勝ってやる。
……けれど、そんな意地さえも崩れてしまった。
セシルから一通の手紙が届いたのだ。
『もう二度とリーヴェ邸には行かない、安心してほしい』とだけ書かれた手紙が。
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