うまい話には裏がある~契約結婚サバイバル~

犬飼ハルノ

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王都編

一本釣りを仕込もう

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「待ってくれ、ナタリア」

 背後から肩をつかまれ、振り向かされる。
 腕の中のティムがぶわっと毛を逆立てたのを軽くゆすってなだめた。

「いったい、どういうことだ・・・」

 動揺しているローレンスと向き合い、短く告げる。

「安心してください。先ほど申した通り、マリア様のためにならないことは一切いたしません」
「しかし・・・」

 いらいらと無駄に美しい金髪をかき上げる男に、いっそ今禿げてしまえと心の中で呪った。

「まずはあの方とお腹のお子様の安静が第一です。それは身体だけに限ったことではありません」

 ティムを抱きしめたまま、一歩近づく。

「どうか、このまますぐにお戻りください」

 ちゃりとティムの喉元で婚約指輪が揺れた。

「あんなかわいらしい方を不安にさせるなんて、言語道断でしょう」

 本当は、もっと的確な言葉で突き刺してやりたいが、ここは引いておく。

「お話は、後に。・・・そうですね。奥様が眠られた後にいらしてください」

 どこに、とは言わない。
 息がかかるほど近くに立ちゆっくり瞬きすると、ローレンスはこくり喉を鳴らした。

「・・・わかった」

 声が、かすれている。

「・・・お待ちしております」

 甘く囁くと、青い眼に熱がともった。

「・・・ああ」

 ため息のような、応え。
 餌に、食いついた。



 足早に私室へ戻ると、ソファの上にティムを下ろす。

「ご苦労様、ティム。大活躍ね」

 隣に座り得意気にピンクの鼻をひくつかせる彼の頭をゆっくり撫でた後、首輪から婚約指輪を外す。

「これを、宝石箱に戻してちょうだい」

 アニーに預けると、部屋係の一人が盆に小さな皿を載せて入ってきた。

「お待たせしました、こちらでよろしいですか」

 白い小皿には細かく刻まれた肉が盛られている。

「ありがとう。ちょっと今日は特別なの」

 ローテーブルに置くと、ティムがぴんとしっぽをたてて、なああーうと鳴いた。

「どうぞ、召し上がれ、ティム」

 言われた瞬間ティムはソファからテーブルへ飛び移り、皿に顔を突っ込む。
 部屋の中で、彼のはぐはぐみちゃみちゃみっちゃという咀嚼音が響く。

「タルタルステーキだなんて、侯爵家ならでは・・・のご褒美ね・・・」

 ナタリアは頬杖をついて見守った。
 貴族のテーブルに供されるような最上級牛生肉を猫にふるまうなんて、ダドリーでは考えられない。
 己の金銭感覚が揺らぎそうで怖いが、今朝、ティムに約束したのだ。
 ローレンスの元へいき因縁を吹っ掛けたら、牛肉のタルタルステーキをごちそうすると。
 ティムは、とても賢い。
 人の言葉をほぼ理解しているように思う。
 なので、洗濯係の侍女に頼んでローレンスの匂いのたっぷりしみこんだ衣類を手に入れ、それを嗅がせて「この間のあの失礼な人を見つけて、大声で鳴いて」と指示した。
 その時に、「今度は殴られないようにニンゲンとは距離を保つこと」と注意しておいたら、本当にその通りにしたので恐れ入る。
 厩舎で出会った時から只者ではないと思っていたけれど、これほどとは。

「なんにせよ、あなたに怪我がなくてよかった」

 婚約指輪の首輪も、お守りにしかならない。
 騎士たちに無礼打ちされる可能性もあった。

「今日は本当にありがとう。そしてごめんなさい。こんな危険なお願いをするのはこれきりよ」

 あっという間に食べ終えたティムには満足げに顔を洗い始めた。



「ナタリア様」

 膝の上で眠り始めたティムの背中を撫でていると、書類を抱えたパール夫人が入室してきた。

「うまくいったようですね」
「ええ、まあ。とんでもびっくり箱でしたけれど」
「ナタリア様でも驚かれましたか」

 向かいに座るよう勧めると、彼女は優雅に一礼して腰を下ろす。

「マリア嬢が未成年だとはさすがに。どちらかというと、東の館の方は男性かもしれないと思い始めていたところだったので」

 最初は結婚できない立場の女性を妊娠させたのだろうと思っていたが、ウェズリー大公の力でいかようにもできるはず・・・と考えると、根幹が揺らいでしまった。

「ふふ。もしわたくしがナタリア様のお立場でしたらそう考えたかもしれませんね。今のところ、侯爵様はそちらのほうまでは開拓していないようです」

 パール夫人は王太子妃の懐刀の一人だ。
 この件についてとっくに把握済みだろう。

「パール様。マリア・ヒックス様の年齢をうかがっても?」
「記録によると十二月の中ごろに十四歳になるところですね」
「ああ・・・。やはりまだ十三歳だったのですか」

 この館の使用人たち、ジュリアン、リロイ、パール夫人・・・。
 東の館の主について知っているであろうことを聞き出すことはいつでもできた。
 しかし、情報源になった者に危険が及ぶ可能性も考えられたため、ローレンスによって引き合わされるのを待っていたが、彼はあろうことか二人の女を楽しむだけだった。
 しびれを切らしたナタリアが打った手が、『猫を追いかけてうっかり乱入』。
 たいがい雑な案だったが、マリアの中のナタリアの印象はそう悪くない状態にもっていけたはず。
 こうして面識ができた以上、情報解禁ということなのだろう。
 パール夫人は、手元の書類を読み上げた。

「ヒックス子爵にはほかにも数名婚外子がいますが、女子はすべてロザリア修道院に預けられており、マリアは十二歳で修道院を出てヒックス子爵の三女として公表され、王女宮の侍女として上がっています」
「やはり、ロザリア修道院なのですね」
「はい、御用達ですから」

 この国の貴族たちは、平民などに産ませた庶子を幼いうちから修道院へ放り込むことが多い。
 嫡子が存在する場合、手元で育てるのはまれだ。
 貴族として育てあげた場合の諸経費と修道院への献金をはかりにかけると、後者のほうが断然安い。
 そして、何らかの事情で必要になれば迎えに行き、必要なければそのまま放棄。
 迎えがこなかった者は、二十代前半までに修道女となるか外に出て平民として生きていくかを選択する。
 このとても都合の良い制度がすっかり浸透し、高位貴族ですらわりと気楽に利用するため、ロザリア修道院の内実は貴族の庶子専用の全寮制躾専門校だった。

「ロザリア修道院から侍女に上がる庶子はかなりの数です。あそこは貴族の妻もしくは侍女に上がる事を念頭に置いて教育しますからね・・・。どなたも見事なまでの即戦力です。マリア様はあの美貌もあって、すぐに第二王女付き部屋係の一人になりました」

 美しい侍女は装飾の一つと考える風潮もある。
 子爵はそこを狙った。

「第二王女というと第三側妃様が生母で、派閥はぎりぎりウェズリーって感じだけどそこまで親しくない・・・」
「はい。まあ、馴れ初めについてはご本人にお聞きください」
「そうね。それにしても、十二歳・・・」
「あえてお知らせするなら、当時マリア様をご所望されたのはローレンス様に限ったことではなかったことでしょうか。この国の貴族たちには意外と幼女趣味が浸透していると、今回の件でかなりあぶりだせました」

 メガネの縁を指で押し上げながら、パール夫人はふふふ・・・と暗い笑みを浮かべた。

「幼女趣味…」


 パール夫人は、ローレンスとマリアの恋愛を完全否定する。

 本当に愛しているならば、今のこの状況は大人としてあり得ないからだ。
 年端のいかない少年少女が心得のないまま恋にのめりこんでしまうことは珍しくない。
 大人でも子供でもない時期にだれもが少しは経験する。
 だが、地位も知識のある男ならなんとしても自制すべきだった。
 いつか、マリアは気づくだろう。
 あるはずだった青春と未来を、心から信頼していた男に奪われたことを。


「処女信仰から派生しているのかは、これから検証の余地がありますね」

 学者肌のパール夫人はいかなるときにも探究心は忘れないようだ。

「なんにせよ、王都の貴族たちはマリア様の存在と事情をご存じということですね」

 ローレンス・ウェズリーが十三歳の子爵令嬢を囲い込み、妊娠させたことを。

「はい。それでナタリア様へお鉢が回ってきたわけです」

 すぱーんと身も蓋もない返事をパール夫人が打ち返す。
 王都中の令嬢たちはマリア・ヒックスとローレンス・ウェズリーの仲を知っている。
 もし正妻の座を手に入れても、幼女趣味の男が寝室を訪れることはない可能性が高い。
 たとえ政略結婚であったとしても指一本触れられないのは、女としての価値を全面否定されるようなものだ。
 しかも、社交界に足しげく通う貴族なら誰もが知っているのだ。
 とても耐えられる話ではない。
 それが派閥の令嬢ですら縁談に名乗りを上げなかった原因の一つだろう。

「それにしても、マリア様が成人するまでに生まれた子供をとりあえず先妻の子として届ける・・・というのは、大公閣下にしてはまどろっこしい手ですね」

 マリア・ヒックスが成人するまであと二年強。
 王宮で働き注目を浴びたのが逆に足かせとなり出生年月日は改ざんできず、法定年齢に達するまで婚姻関係を結べない。

「今まで数々の法律をご自分の都合の良いように変えさせてきたお方が…ですか?」
「ええ」

 大公という地位を利用して、兄王の制定した法ですら覆したことがある。
 そんな彼ならば、婚姻年齢法を破棄させることも可能だろう。

「婚姻年齢法を別名マチルダ法としているのはご存じですか」
「そういえば・・・。確か、先々代の王が制定したのですよね・・・。まさか」
「はい。ウェズリー大公のご生母、マチルダ様の名前を冠しているのです」

 それまでは極端な話、政略結婚で五歳の新妻など珍しくなかった。
 それは権力の維持のためであり、金銭的な問題解決のためでもあった。
 もっとも、嫁ぎ先に入ったとしても形ばかりの妻で、成長するまでは処女のままで『白い結婚』というのが通例だ。
 『白い結婚』であれば家の事情が変わった場合の離縁も簡潔で、双方に傷がつくこともないため、他国との婚姻交渉でも古くからよく使われる手法だ。
 しかし一部に幼な妻を嗜好とする者がおり、それにより心身を破壊されて亡くなる例が多発した。それでもたいていは「家の中のこと」として処理され、闇に消えた。
 きっかけになったのは、ウェズリー大公の生母・マチルダが貧しい準男爵家出身でその妹たちが立て続けに幼女婚で命を落とした事件だ。
 嘆き悲しむ愛妾を慰めるため、先々代の王が制定して今に至る。
 言い換えれば、マチルダ法は生母が王に寵愛された証なのだ。

「・・・ならば、覆すわけにはいかない」
「その通りです」
「なるほど」

 よりによって、最愛の息子が母と同じ侍女階級の少女を妊娠させてしまったとは。

「ずいぶん、因果な話ね」
「まったくもって・・・」

 二人は同時に深々とため息をついた。


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