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しおりを挟むシャワーを浴びてリビングダイニングへ移動すると、キッチンカウンターに保温ポットと丁寧にラップがかかったエッグタルトが丸々ひとつ置いてあった。
「わあ、多分食後のデザートに用意してたんだろうな。母のデザートはマジで美味いんだ」
さっそくカップを出してコーヒーを注ぎ、リビングの大きなソファに腰を落ち着けた。
ローテーブルにタルトの皿を置いて、まずコーヒーを一口飲んでからラップを開ける。
同じく灯もコーヒー片手に隣へ腰を下ろした。
「本当に最低限の家具しかないな」
「だって寝るだけだって言ったじゃん。あ、でもあれはカッコいいでしょ?」
ソファから後ろを振り向くと、壁にラックが設置してあって、狩猟用の猟銃が数本かけられている。
「俺ね、冬になると裏の山に行って、あれで狩をするんだよ。まあ、趣味みたいなもなだな。で、獲ってきたシカやイノシシで鍋をしたり、シチューやカレーを作ったり、そんなのを叔父とやってた」
「凄いな。見てもいいか?」
「いいよ。弾もなにも入ってないから触ってもいい」
灯はコーヒーのカップを置いて、そそくさと猟銃を見に行った。興味津々な様子はなんだか可愛くて、灯も男の子だな、なんて思った。
俺は6つに切り分けられたエッグタルトをひとつ手掴みで取って、早速齧り付いた。
卵とお砂糖の甘さがしっかり感じられるのに、甘過ぎない上品な味わいだ。外っ側のパイはサブレみたいにサクサクで、ひとりで全部食べてしまえそうだった。
「ところで、このタルトはいつ持って来たんだ?ここに入って来た時には置いてなかっただろ?」
隣に戻ってきた灯が怪訝な顔をしている。
「ああ、さっき、灯が俺に突っ込んだぐらいの時に、メイドの誰かが持って来たよ。あれ、灯は気付かなかった?」
あの足音は多分サラだろうな、とか考えていると、凄い形相の灯が、俺の頭に拳骨を落とした。
ゴチっとそれは何だか懐かしい痛みだ。
「なんでっ!?」
「おまっ、気付いてたんなら言えよ!?」
「なんで?」
「そりゃそういう行為の真っ最中だったんだぞ!!恥ずかしすぎるだろうが!!」
「ええ?でもメイドだよ?そりゃ両親とか兄弟姉妹だったら恥ずかしいけど、メイドだよ?」
灯は何がそんなに気に食わないのだろうか?
「メイドでも人だろ!逆になんでお前は気にならないんだ!?」
「ちっさい頃から使用人に囲まれて、風呂までついて来られる生活なんだよ?今更じゃん。それに彼らは本当に良くできた人たちだから、主人のプライベートは絶対に邪魔しない。見ざる言わざる聞かざるを徹底している。あ、ほら、屋根裏に隠れた忍みたいなもんだよ」
すると灯はまだ納得のいかない顔をしつつ、でも口を閉じた。よかった、わかってくれたようだ。
「そんなことより、灯は何個食べる?」
悩ましい。半分こが理想だろうけれど、俺的には全部でも食べられる。久しぶりに清々しい気分だからだろうか。とてもお腹が減っている。
さっき灯の血を結構飲んじゃったのに。
「あ、そういえばさ」
「何だ?」
改めて灯の顔を見ながら、俺はちょっと怒って言った。
「ああいうの、やめた方がいいよ。俺にわざと噛ませるようなのは危険だから」
「でもお前が欲しそうだった」
「そういう問題じゃないんだ。もし止まれなくなったらどうするんだよ?正直さっきも危なかった。俺あんまり記憶がないんだ。灯の匂いと、鼓動の音と、気持ち良いのとで、頭ん中いっぱいいっぱいになってて……そういう時に首を噛むのは良くない」
簡単に殺してしまうかもしれないから。だから灯にはちゃんと知ってて欲しい。
「わかった。今後は気を付ける」
「よろしい。では灯さん、何個食べる?とりあえず半分こする?まあ、俺はそれでも我慢できるけど、何個食べる?」
エッグタルトは、何度見ても増えることはなかった。そりゃそうだ。
「はあ……わかった、全部食べろよ。おれは腹減ってないから」
「もう変更できないよ?いいの?」
「黙って食えよ」
俺は自分でもわかるくらいにニコニコしながら、エッグタルトを全て腹に納めた。
翌日は早朝に起き出して、平屋の裏の程近くを流れる川へと向かった。
灯はまだ寝ていたから、そっと音を立てないように出て来た。
久しぶりに朝までぐっすり寝られた。夢を見ることもなかった。ずっと灯の心臓の音と、匂いと、少し重い腕の中にいたからか、良く眠れたのだと思う。
こんなに安心できるのなら、もっと早くにちゃんと話をして、そして仲直りしておけば良かった。
自分の臆病さのせいで、結構長い時を無駄にしてしまった。人間の寿命は短い。もう無駄にしないように気を付けなければ。
その川は、幅が2メートルもない小さなものだが、ゴツゴツした岩がそこらじゅうに転がっていて、その付近には多くの生き物がいる。
俺は叔父とたまに、川に入って行って魚を獲ったりもした。それは塩を振って炭火にかざし、焼き魚にして食べた。
なんだか思い返すと、叔父はかなり食にこだわっていたような気がして来た。
特に何かを話したり、どこかに行ったり、特別仲良くしたりはしていない。寧ろ叔父は、教育には熱心で冷たく、俺が少しでもミスをすると、そんなことでは生き残れない、お役目を全うすることもできない、もっと気を引き締めろ、と一喝することの方が多かった。
寡黙で厳しく、俺以外の誰かとはあまり話さない。でも俺は叔父が好きだった。猟銃の撃ち方を教えてくれて、獲物を追う方法や、自然に擬態する方法も教えてくれて、それで、初めて大きな雄鹿を仕留めた時には、珍しく笑顔を浮かべて頭を撫でてくれた。
俺は堅苦しいブーツと靴下を脱ぎ捨てて、それらを草っぱのどこかに投げ捨てると、ズボンの裾をめくって川に足を付けた。夏の朝日にキラキラ光る川面に、不規則な波紋が広がる。
冷たい。でも、どこか懐かしい感触と、景色。
苔の生えた岩に腰をかけて、しばし空中を見ていると、ガサガサと草木を掻き分けて、灯が顔を出した。
「お前は本当に、隠れるのがうまいな……」
「そんなことないよ。灯が見つけるのが下手なんだ」
かなり歩き回ったのか、少し汗ばんだ灯に笑いかける。
「朝食に呼ばれたから、母屋の食堂へ行ったんだ。でもルナがいないから慌ててしまった」
「でも母のフレンチトーストを食べて来たんでしょ?はちみつとバターの匂いがする」
「……美味かった」
フフ、とお互いに笑い合った。
「それよりルナ、今日の夕方はちゃんとおれのわかるところにいてくれ」
「何で?」
「秘密だ」
俺は首を傾げ、灯はニヤッと笑った。
「まあいいけど。それより灯も入れよ。ここの川はね、魚が沢山いるんだよ」
そう言うと、灯も履いていたスニーカーと靴下を脱いで、デニムの裾を折り、川に足を突っ込んだ。
「っ、冷たい!」
「フフッ、灯、あっちに魚がいた!」
どこだ?と川面に視線を巡らせる灯の背後に回って、俺はその背中を思いっきり押した、
バシャ、と少し激しめの水飛沫をあげて、灯が川の中へ倒れた。浅い川に四つん這いになり、クソ!と声を上げる。
「ルナ!ずぶ濡れになってしまったじゃないか!?」
「水も滴るなんとやら、だな!」
再びクソ、と呟いて、灯が盛大に水をかけて来る。
俺はゲラゲラと笑いながら、岩場を飛び上がって逃げる。灯はめげずに追いかけて来る。
「……お兄様、何をしているんです?」
草木の合間から現れた双子の妹たち。そのうちの、多分アイラが声を掛けて来た。近付いて来ているのには気付いていた。
「見ての通り灯に水遊びをさせている」
「おい!おれを犬かなんかと同じにするな!」
憤慨して水をかけて来るのを避けながら、妹たちに言った。
「お前らもやる?」
一瞬、双子の顔が全く同じように動いた。目を見開いて、それからこちらを凝視して。
ああ、俺はこうして、家族に何かを言ったことはなかったな、と思った。特に妹達が産まれた時には、俺はすでにお役目のためにあちこちへ出歩いていて、初めて双子を見たのは、3歳の誕生日の頃だろうか。
「はい!灯さんを追いかければいいのですか?」
「そうだ。最初にこいつを水に沈めた奴が優勝だ」
「それでは簡単すぎませんか?」
アイラとアイナはソックリで、俺には見分けが付かなかった。でも少しだけ、声のトーンが違う気がする。
「じゃあ俺に近いとこにいるアイナはこっちのチームな。アイラは灯チーム。それで、ギブアップするまで水をかけた方が勝ちだ」
双子の姉妹は、目をまん丸に見開いて俺を見た。
「わたしたちの区別がつくのですか?」
「え、そりゃ、何となく違うよ?」
「驚きました。わたしたち、ルナリアお兄様に避けられているのだと思っていましたから」
とは、アイラの言葉だ。
「いや……避けていたわけではないんだ。ごめん」
俺には役目があって、きっとこのベルセリウスの家で一番に死んでしまう可能性が高くて。
だから必要以上に関わらないようにと、思っていて。
「お兄様のお役目はよくわかっています。でも、そんなの関係ないじゃ無いですか。わたしはお兄様が好きですよ」
「わたしも。だってお兄様が一番、わたしたちと似ているんですもの」
そんな風に思っているなんて知らなかった。
「お母様、エッグタルトを食べてくれたってすごく喜んでいました」
「お兄様って、昔から甘いものお好きですよね」
俺は何だか嬉しくて、ちょっと笑ってしまった。甘いものが好きなところを、まさか気付かれているなんて思ってなかったから。
「そうだね、俺、本当はケーキとかパフェとか、ああいうのものすごく好きなんだ。魔界都市には沢山美味しいものがあるよ。有名パティシエのケーキバイキングとか。お前たちもまた遊びにおいで」
はい!と元気よく答えて笑う双子に、俺もなんだか楽しくて笑った。
「ルナ、油断しすぎじゃ無いか?」
と、灯が水をかけて来る。それを間一髪避けながら、俺も意地になってやり返す。
しばし4人で、ずぶ濡れになって川遊びを楽しんだのだった。
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