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しおりを挟む「おい、起きろ!」
くららは反射的に言った。
「お父様やめて!」
お気に入りのブルーのスーツは地面について土で汚れている。
えっ?これって土ですよね?どうして土がここに?
確かわたしは階段を下りていて足を滑らせて転んだはずでは……
わたしはまだ事態をよく受け止め切れていない。
もしかしたら自分の未来が見えるようになったのかもしれない。これは近い未来の映像が頭に浮かんでいてそれを見ているのではないかしら。
体を動かすと全身が強張っている。
「いいから立て!おかしな格好をしやがって。お前は何者だ?」
まだ頭は混乱しまくっている。
それにしてもお父様はなんて乱暴な言葉使いをしているのかしら…
「もう、お父様、そんな乱暴な言葉を使うなんて…いやですわ。わたし手に土がついてしまいましたの。ちょっと待ってくださいます?わたしにもどうしてなのかよくわかりませんけれど…‥」
「ゴチャゴチャ言ってないでさっさと立て!」
くららはやっと声のする方に顔を向けた。
「あっ……」
「ギョェェェェェェェ…‥」
上げたこともない声が出た。
「あなた達はいったい…そのお姿はどうされたのでしょうか?」
むさくるしそうな髭ずらの男が二人。着ているものは何といってよいか…そうそうコーヒー豆が入っている麻袋のような服を着ている。丈はお尻ほどまであって下はタイツのようにぴっちりしたズボンにブーツとおぼしき靴を履いていて、腰には太い革のベルトを巻き付けてそのわきにはきらりと光る大きな剣が見えた。
あれは作りものでしょうか?まさか本物のはずが…‥
「おい、いつまで待たせるんだ。早くしろ!」
一人の男が真っ赤な顔で怒鳴った。
くららの脳はもう痺れっぱなしだ。
きっと階段から落ちて頭を打ったんです。
きっと訳の分からない妄想を見ているだけです。
だが、それが妄想ではないとすぐに気づいた。
男がくららの手を引っ張って無理やり立たせた。そして引きずられるように馬車の荷台らしい所に放り込まれた。
「こんな現実的な夢を見るのかしら?いいえ、それともこれは何かのコスプレの集いとかですよね?」
くららは信じられないと言わんばかりの顔をしてそう言った。
男たちは何も言わずに荷台の扉を閉めるとすぐに前に回り馬にまたがって馬車を出発させた。
くららは男に放り込まれた時したたかぶつけた腰を手でさすりながら、周りを見回した。
2畳ほどの広さのこの場所は、太い木の枝で作られた檻のような囲いで出来ていた。
まるで箱の中に入れられたみたいだ。
隙間からはほんの少ししか光が入ってこないが、その隙間から緑の木や青い空がほんの少し見えた、
道はでこぼこ道で荷台が揺れるたびに、ひどく骨に響いて打ち付けた腰が痛んだ。
くららは大きなため息をついた。
そしてやっと薄暗い荷台のすみに女性がいることに気づいた。
髪色は金色や茶色のような薄い色の髪らしく、瞳は多分ブルーやシルバーのような色だと思えた。顔立ちはヨーロッパのあたりの顔つきに見えるがおぼろげではっきりとはわからない。
服装も先ほどの男達と同じ麻のような筒型のワンピースのような服を着ていた。
「あの…あなた達はどうしてここにいらっしゃるのですか?」
くららは恐る恐る声をかける。
だが、女性たちは何かを恐れているのか、顔を俯けたまま何も言わない。
くららには何がどうなっているのかさっぱりわからずまだ質問を続ける。
「あの…ここはどこなのでしょうか?わたしたちはどこに連れていかれるのでしょうか?」
女性たちは言葉が通じないのかもしれないですね。でも…
「何か言ってもらえないでしょうか?言葉がわからないなら手振りでもいいですので…」
困りました。もうどうすればいいのかしら‥‥
その時。別の隅で何かが動いた気がした。くららからは陰になっていてそこは良く見えなかった。
いきなり毛むくじゃらの大きな塊が現れた。
「キャー」
こ、これは虎ですの?
殺されてしまう。くららはとっさに命の危険を感じた。
「恐がらなくていい。君を襲ったりしません‥‥」
「えっ?虎がしゃべりました」
虎と思っていたその毛むくじゃらは、人間みたいに二本足で立っていて、ぼろぼろのシャツはかろうじて着ているだけで、腰から下に裾が擦り切れ丈の合わないズボンをはいていた。
顔は毛があるがほぼ人間と同じに形に見えた。髪は金色で後ろで束ねているらしい。耳は頭の上にあり長い尻尾もあった。おまけに体は虎柄の被毛でおおわれている。
でも両手を縛られていた。
「これは失礼した。僕はマクシュミリアンと言います。虎獣人です。話も出来ますから聞きたいことがあればどうぞ」
「アクシュミ?虎に名前が……」
くららは口を開けたまま固まった。
そっと柔らかな毛におおわれた手の表面がふわりと肩に乗せられ、くららの体を起こしてくれた。
一瞬ひやっとしたが、その肌触りは懐かしいものだった。
くららは思わずその手に頬ずりをしていた。
不意にティグルの事を思い出した。
ティグルも茶虎柄の可愛い猫でした。
目を閉じればあの頃の事が浮かんできます。
あれはわたしが8歳の時でした。ティグルが自宅の前で雨に濡れてにゃーにゃーと鳴いているのを見つけたのは…
お父様は捨てて来なさいっておっしゃいましたけど、わたしはどうしても捨てる事なんて出来ませんでした。
だって、小さな体を震わせて潤んだグリーンの瞳で見つめてくる彼を手放すことなどできないと思ったのです。
わたしはその時初めてお父様に逆らいました。
祖母が口添えしてくれて飼ってもいいことになった時には無情の喜びを感じたものです。
母が亡くなって寂しかったわたしの心を彼はそっとくるむようで、ティグルはわたしの大事な家族になりました。
そんなティグルももうこの世にはいませんから‥‥わたしにはもう頼れる人がいないのです。
それなのにお父様はわたしに結婚を押し付けて…‥
くららははっと目を開ける。
目の前には虎男がいて、その瞳はティグルと同じきれいなグリーンの色で…
それによく見ると目の縁を金色のまつ毛が覆っていて、鼻筋が通った高い鼻梁、引き締まった唇です。
これが人間ならばきっといいお顔立ちですわ。
ですが短い毛が顔を覆っているので申し訳ありませんけど、わたしには人間の顔立ちは想像することはできませんね。
それなのにわたしはまるでティグルが助けに来てくれたように感じまてしまって、ふっと心が緩んでしまい、虎男が見つめる前で涙がポロリと伝い落ちてしまいました。
それを虎男は優しく被毛に覆われた手で拭ってくれました。
「うんぐっ、ティグル‥‥」
「いえ、僕はマクシュミリアンです。ティグルではありません。あの…僕が恐くないのですか?」
彼の顔は驚いたように目を見開いている。
「いえ、恐くはありません。アクシュミ様。ぐすっ…」
もう、わたしったらはしたないですね。鼻をすするなんて‥‥
「恐くないならなぜ泣いてるんです?」
今度はどうしたらいいかとおろおろするみたいに目に不安が宿り口元が引き締まる。
「わたしったらおかしいですわね。何でもないんです。もちろんあなたが恐いわけではありませんわ」
くららはいい大人がこんな事で泣いていると思われたくなかった。
彼はほっとしたのか、口元を緩ませた。
「それならいいんだけど‥‥悪いが僕はアクシュミでもない。まあいいんですけどね。いいですか、私たちは奴隷商人に捕まったのです。今から町の人買いに売られるんです。ですが、あなたもかなり変わった方だ。あなたならきっと貴族のお屋敷のメイドとして使われるかもしれませんね。でももしかしたらいい慰み者になるかもしれない。気に入られれば籠妾にでもされる可能性も…」
虎男がくららを上から下まで眺めると、それが当たり前のように話をした。
「アクシュミ様、今なんて?わたしが慰み者になるって言われましたの?」
「ええ…ですが何度も言うように僕はアクシュミではなくて、マクシュミリアンで…まあそう言うことです。奴隷として売られるんです。だから何をされても文句は言えません」
「あの人たちはそんな悪い人たちなのですか?許せませんから」
くららはいきなり立ち上がると荷台の前方に行って、馬のまたがる男たちに声をかけた。
「そこの人!よくお聞きなさい。どんなご事情があるかは知りませんが、私たちを奴隷にするなんて許せませんわよ。もし、お金に困っているなら父に言って何とかしてさし上げることも出来ますわ。とにかく私たちを早く開放して下さらない?」
こんな状況にあっても、長年培ってきたくららのお嬢様ぶりは衰えを知らなかった。
「ねぇ、聞いてらっしゃいます?あの…何とかここから出していただけないかしら?」
男たちは聞こえているのか無視しているのか知らん顔だ。
「ちょっと!いい加減にして下さらない!」
くららの暴走は止まらなかった。
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