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第一章 策士策に溺れない
第六話 先生のことが
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四月九日。三時間目終了のチャイムが鳴り響く。
課題テストの三科目が終わって休み時間に入った。
前の席に座る水早ちゃんが大きく伸びをして、こちらを振り返る。
「テストどうだった?」
「まずまずかな。水早ちゃんは?」
「うーん。数学やばいかも」
「数学は僕も苦手。亮は数学得意だけどね」
「アイツ、見た目チャラ男ドヤンキーっぽいくせに勉強できるからムカつく!」
三人の中で一番勉強ができるのは、昔から亮だった。
夏休みの宿題も冬休みの宿題も亮のお世話になってきたのだ。
本人がこちらの声に気づいたのか近づいてくる。
「水早……聞こえてるからな。ドヤンキーはないだろドヤンキーは」
「うん、ごめん。クソヤンキーに訂正する」
「咲耶……この口の悪い女なんとかしてくれ!」
「なんとかって……あ、亮は今日も店の手伝い?」
昨日の夢の中でリーダーが言っていた。
亮に望むことはなんだと。僕が亮に望んでいること……
「おお! 今日も手伝いしてバイト代稼ぐぞ!」
「どーせエロ本買うお金なんでしょ?」
こうして三人でいるとき、亮がなにか言うと水早ちゃんのツッコミが入る。
亮は鋭いツッコミや小突かれることもあるけど、決して本気で怒らない。
「今どきエロ本買うかよ!」
「まさかアンタ……怪しい店行ってんじゃないでしょうね!?」
「え!? 亮……それはまずいよ。高校生で風俗店は」
「こらこら! 行ってないし、行こうとも思わねーよ!」
「よかった。私は亮が犯罪者になったのかと思ったよ」
「……で、結局亮はなににお金使ってるの?」
家事手伝い扱いでバイトをしている生徒は何名かいると聞く。
亮もそのひとりだ。僕らのように月いくらのお小遣い制度ではない。
当然、お金の遣い方も違ってくるはずだ。
「なにって? 預金するだろ普通。あと参考書と資格の本も買わないとな」
僕と水早ちゃんは顔を見合わせて笑いをかみ殺した。
「ぷっ! ぷくくっ! なにその優等生の模範的回答!」
「水早ちゃん、笑っちゃダメだよ。たしかに見た目と言ってること合わないけど」
「そういう咲耶も口元緩々じゃねーか。俺マジメだからな! 健全な高校生だろ」
亮が昔から女子から人気が高い理由のひとつがこれ。
見た目が不良っぽいのに中身はマジメで誰に対しても親切だ。
「アンタさ、接客とかでストレスはたまらないの? イヤな客もいるでしょ?」
「イヤな客もたまにいるぞ。ストレスもたまる。それが社会だろ?」
「亮はすごいね。僕は顔に出ちゃいそうだ」
「私もちょっと見直しちゃった。ストレスたまったときは言ってね!」
「わかった! そのときは存分に襲わせてもらう!」
「いいよ。ラリアットで迎撃するから!」
口には出せないが、水泳で鍛えた水早ちゃんのラリアットは本気で怖い……
四時間目の予鈴が鳴ると全員が移動し始める。
身体測定は体育館で身長、体重、座高、握力、胸囲の測定が行われる。
「咲耶! あそこに先生いるぞ」
「あ、ほんとだ。男子の身長記録係なんだ」
体育館側面から中へ入って、男女別に分かれる。
真ん中をカーテンで仕切ってステージ側が女子、正面出口側が男子。
美咲先生は黒いジャージ姿で測定器のうしろの席にいる。
「俺にはわかるぞ! 咲耶の身長と水早の胸囲は去年と変化なし! 以上!」
「亮、ひどいなぁ……一ミリぐらい伸びてるよ」
「胸囲? あとで本当の驚異を教えてあげる!」
亮の死亡フラグが立ったようだ。
もう少し別のフラグを立てればいいのに……
「んじゃ、咲耶お先ー」
出席番号順に測定が始まった。
亮が一番最初に身長を測定すると、美咲先生が記録する。
流れはスムーズで、すぐに僕の番が回ってくる。
「一六四センチジャストね」
「うう……ショックだ。一ミリも伸びてないなんて悪夢だ……」
「大丈夫だよ。咲耶君はそのままでも大丈夫」
「先生……それ、あんまりなぐさめになってないです……」
「放課後部室で待ってるね」
「はい。持って行きますね」
美咲先生は処分するためにバッグとコケシクンの返却をご希望だ。
もひとつの希望は部員不足を補う人材。その決断を僕は保留している。
測定がすべて終わり、体育館の外へ出ると亮と水早ちゃんが待っていた。
「聞いてくれよ咲耶! コイツおっぱ――ぐぇっ!!」
「うるさい!!」
なにかを言おうとした亮の腹に水早ちゃんの裏拳がドスリと入る。
「僕も身長伸びてなかった。一ミリも……はぁ……」
「咲君! 変化ないならまだいいじゃない!」
「そうだぞ咲耶! 水早の胸囲は二センチ縮んだんだ! ちっぱいだ!」
再び亮の腹に裏拳が突き刺さる。
これは刺激するとまずい。言い方ひとつで亮の被害が増すばかりだ。
「それは水早ちゃんがもっと速く泳げる体型になってきてるからだよ」
「保健の先生も同じようなこと言ってた。筋肉質になるのもイヤだなぁ……」
亮が目の前でボディビルダーのポージングをやり始めた。
水早ちゃんが拳を振り上げて逃げる亮を追いかけて行く。
幼い頃からよく見てきた光景に心が和む。
僕が亮や水早ちゃんに望んでいることは、これなのかもしれない。
***
放課後の別棟三階、茶道部の部室内で美咲先生を待つ。
教室の鍵は帰りのホームルームで先生から預かっていた。
「早いね咲君」
「水早ちゃん。ごめんね、部活前に来てもらって」
「いいよ。一応、部員なんだしさ」
水早ちゃんは部室に入ってくるなり畳にあがり湯を沸かし始めた。
紺色の制服姿と茶室。合うような、合わないような……
五分も待たないうちに美咲先生が部室にきた。
グレイの薄手セーターとチェックのワイシャツを重ね着。
濃紺のロングスカートを穿いている。
身体測定時のジャージで通勤してきたと思っていたが違うようだ。
「水早さんもきたの? 水泳部のほうは大丈夫?」
「はい。お昼休みの一時間は大丈夫!」
「咲耶君、持ってきてくれたかな?」
僕は机の上に破れバッグとコケシクンを出して並べた。
椅子から立ち上がって、二人が座る畳の上へ向かう。
「先生。今回の事件、全部解明しましたよ」
「全部……わかったの?」
「ええっと……咲君? 私この場にいてもいいの?」
「もちろん。そのために呼んだんだけど……」
水早ちゃんのお茶をたてる手が一瞬静止する。
その続きを先生が代わって、僕の前にお茶が出された。
「咲耶君、どうぞ」
「いただきます」
作法を気にせず片手でゴクリと飲み干した。
二人は僕がなにを言いたいのか、少しは理解しているようだ。
「今回のバッグとコケシクンのイタズラ事件に犯人はいません」
「犯人がいない? 咲君それは――」
「いいの。水早さん。咲耶君の話を聞きましょう」
なにかを言いたげな水早ちゃんの言葉を先生は遮った。
「今から僕が話すことは推論ですけどね……
途中、意見や反論を挟むのはなしにしてください」
「わかった。私も先生も黙ってる」
まず、ことの始まりは水早ちゃんの頼みにある。
そこが既に術中だったというわけだ。
僕はあの日、茶道部に行くシナリオだった。
「水早ちゃんと美咲先生が知り合ったのは昨日じゃない。
おそらく、四月一日から始業式の間に何度か接触しているはず。
着任は七日だったけど、初出勤日は一日からが普通ですからね」
始業式の日、水早ちゃんの頼みで部室へ向かった。
偶然頼まれて行った。これが間違いの元だったのだ。
「水早ちゃんは僕に入部届けを持って行かせる計画だった。
先生は部室の後ろのドアで僕が来るのを待ち受けていた……」
そして、目の前を歩く先生のバッグからコケシクンが落っこちる。
落ちた衝撃でスイッチがオンになった。これも間違いだ。
「先生は僕が背後にいるのを知っていて、コケシクンをわざと落とした。
左肩にバッグをかけて、右手はバッグの中でスイッチをオンにして……
底の穴に貼っておいたテープを突き破って落としたんだ」
そのあと、先生は嘘の証言をしている。
「バッグにはラインパウダーが付着していた。先生の証言と合致しない。
先生はバッグを職員室に置いていたと言った。この時点でおかしいと思った」
さらに体育倉庫で杭を調べた結果、穴を開けた方法が判明する。
そこにタイミングよく現れたのが水早ちゃんだ。
「僕は体育倉庫で杭とバッグの穴を合わせてみた。すると、ピッタリだった。
ハンマーで運動場に打ち込んで穴を開けたんだと思った」
「咲耶君。誰が開けたって言うの?」
「穴を開けたのは水早ちゃん。時期は始業式以前のいずれかで……
僕が運動場を調べる前に体育倉庫に現れて帰宅させた。
これは予想に過ぎないけど、二人はそのとき連絡を取り合っていた」
二人は僕の目の前でお茶を立てて静かに飲み始めた。
茶碗を置いて、正座のまま僕のほうを見据える。
「ごめん。咲君の推理したとおりだよ。私は去年から茶道部の掛け持ちで……
四月一日に伊豆先生から新任の美咲先生を紹介されたの」
「そこで部員不足の話が出た。身近な適任者が僕だった」
「本当にごめんなさい咲耶君……あなたの話を水早さんからたくさん聞いたの。
笑わないことより、他人に興味を持つことがない……と」
「そう言われると否定はできませんけど……」
「だからね、咲君に初対面で先生に関心を持ってもらおうと思った。
なにか強いインパクトを与えれば印象に残るかなって……」
この二人、くだらない茶番劇を計画しておいて肝心な部分ですれ違っている。
「水早ちゃん、あのコケシクンどこで手に入れたの?」
「あれは大学行った先輩が彼氏できたら楽しみなさいってシャレでくれたよ」
「うげ! 中古品じゃないだろうな」
「水早さん……私てっきりマッサージ機だとばかり思ってたのに……」
「ええぇ!? 先生知らなかったの!?」
先生は顔を真っ赤に染めて首を横に振る。
コケシクン使用動画のインパクトが強すぎたのかもしれない。
「水早ちゃん、僕は始業式に先生を見た瞬間から関心を持ってるよ」
「ほんとにごめん! 咲君を騙すような真似をして……
すぐバレるのもわかってたのにね……」
「私も教師のくせに悪乗りが過ぎたわ。ごめんなさい。
あなたを茶道部に誘う資格なんてない……」
先生は悲しそうな顔をしてうつむいた。
水早ちゃんは視線を廊下のほうへそらしてしまった。
「僕は先生のことが好きだから……」
「えっ!? 水早さん……今、私愛の告白されてるの?」
「うーん、咲君の場合ちょっと違うの。先生に強い関心を持ったってこと。
簡単に言えば私や亮みたいな感じかな」
「うん。自分でもまだよくわからない。亮や水早ちゃんへの好きと……
先生への好きも微妙に違うみたい」
「ありがとう。その気持ちとゆっくり向き合うといいと思う。
入部を考える件は白紙撤回でいいの」
「はい。先生がそう言うのなら入部の話はあああぁぁ――!!」
水早ちゃんが美咲先生の隣りでペンをスラスラ走らせる。
入部届けに木花咲耶の名前を記入……
「咲君に回りくどい勧誘したけどさ、咲君も今の自分と向き合うべきだよ!」
「今の自分と向き合う?」
「今まで感じたことない気持ちを先生に感じてるんでしょ?
なら、答えは出てるじゃない。一秒でも長く先生の近くにいること。違う?」
「違わない。いつも水早ちゃんは正しいね。でも、入部についてはもう少し――」
「茶道部へようこそ。木花咲耶君。火野美咲はあなたを歓迎します」
そっと僕の手を取って笑顔をくれる美咲先生。
大きなプレゼントをもらったような気分になるのはなぜだろう。
「うう……結局、今回一番策士だったのは美咲先生じゃ……」
「策士策に溺れるという話があるよね。先生は溺れない」
「その自信の根拠は?」
「兵法をひけらかす咲耶君以上に兵法を熟知しているから」
「水早ちゃん、この先生何者だよ……まだなにか隠してない?」
「いやぁ……先生のことは追々わかってくるよ。仲良くしてね」
リーダーが夢の中でこう言っていた。
今度も俺様のおかげさまさまサマーソルトキックだろと……
つまり、サマーソルトとは宙返りして元の位置に戻ってくること。
最初の地点に立ち戻ることで、もう一度足跡をたどれば、そのとき見えなかったもの感じなかったものが顔を出す可能性もある。
僕はこのとき、先生のことをまだなにもわかっていなかったんだ……
課題テストの三科目が終わって休み時間に入った。
前の席に座る水早ちゃんが大きく伸びをして、こちらを振り返る。
「テストどうだった?」
「まずまずかな。水早ちゃんは?」
「うーん。数学やばいかも」
「数学は僕も苦手。亮は数学得意だけどね」
「アイツ、見た目チャラ男ドヤンキーっぽいくせに勉強できるからムカつく!」
三人の中で一番勉強ができるのは、昔から亮だった。
夏休みの宿題も冬休みの宿題も亮のお世話になってきたのだ。
本人がこちらの声に気づいたのか近づいてくる。
「水早……聞こえてるからな。ドヤンキーはないだろドヤンキーは」
「うん、ごめん。クソヤンキーに訂正する」
「咲耶……この口の悪い女なんとかしてくれ!」
「なんとかって……あ、亮は今日も店の手伝い?」
昨日の夢の中でリーダーが言っていた。
亮に望むことはなんだと。僕が亮に望んでいること……
「おお! 今日も手伝いしてバイト代稼ぐぞ!」
「どーせエロ本買うお金なんでしょ?」
こうして三人でいるとき、亮がなにか言うと水早ちゃんのツッコミが入る。
亮は鋭いツッコミや小突かれることもあるけど、決して本気で怒らない。
「今どきエロ本買うかよ!」
「まさかアンタ……怪しい店行ってんじゃないでしょうね!?」
「え!? 亮……それはまずいよ。高校生で風俗店は」
「こらこら! 行ってないし、行こうとも思わねーよ!」
「よかった。私は亮が犯罪者になったのかと思ったよ」
「……で、結局亮はなににお金使ってるの?」
家事手伝い扱いでバイトをしている生徒は何名かいると聞く。
亮もそのひとりだ。僕らのように月いくらのお小遣い制度ではない。
当然、お金の遣い方も違ってくるはずだ。
「なにって? 預金するだろ普通。あと参考書と資格の本も買わないとな」
僕と水早ちゃんは顔を見合わせて笑いをかみ殺した。
「ぷっ! ぷくくっ! なにその優等生の模範的回答!」
「水早ちゃん、笑っちゃダメだよ。たしかに見た目と言ってること合わないけど」
「そういう咲耶も口元緩々じゃねーか。俺マジメだからな! 健全な高校生だろ」
亮が昔から女子から人気が高い理由のひとつがこれ。
見た目が不良っぽいのに中身はマジメで誰に対しても親切だ。
「アンタさ、接客とかでストレスはたまらないの? イヤな客もいるでしょ?」
「イヤな客もたまにいるぞ。ストレスもたまる。それが社会だろ?」
「亮はすごいね。僕は顔に出ちゃいそうだ」
「私もちょっと見直しちゃった。ストレスたまったときは言ってね!」
「わかった! そのときは存分に襲わせてもらう!」
「いいよ。ラリアットで迎撃するから!」
口には出せないが、水泳で鍛えた水早ちゃんのラリアットは本気で怖い……
四時間目の予鈴が鳴ると全員が移動し始める。
身体測定は体育館で身長、体重、座高、握力、胸囲の測定が行われる。
「咲耶! あそこに先生いるぞ」
「あ、ほんとだ。男子の身長記録係なんだ」
体育館側面から中へ入って、男女別に分かれる。
真ん中をカーテンで仕切ってステージ側が女子、正面出口側が男子。
美咲先生は黒いジャージ姿で測定器のうしろの席にいる。
「俺にはわかるぞ! 咲耶の身長と水早の胸囲は去年と変化なし! 以上!」
「亮、ひどいなぁ……一ミリぐらい伸びてるよ」
「胸囲? あとで本当の驚異を教えてあげる!」
亮の死亡フラグが立ったようだ。
もう少し別のフラグを立てればいいのに……
「んじゃ、咲耶お先ー」
出席番号順に測定が始まった。
亮が一番最初に身長を測定すると、美咲先生が記録する。
流れはスムーズで、すぐに僕の番が回ってくる。
「一六四センチジャストね」
「うう……ショックだ。一ミリも伸びてないなんて悪夢だ……」
「大丈夫だよ。咲耶君はそのままでも大丈夫」
「先生……それ、あんまりなぐさめになってないです……」
「放課後部室で待ってるね」
「はい。持って行きますね」
美咲先生は処分するためにバッグとコケシクンの返却をご希望だ。
もひとつの希望は部員不足を補う人材。その決断を僕は保留している。
測定がすべて終わり、体育館の外へ出ると亮と水早ちゃんが待っていた。
「聞いてくれよ咲耶! コイツおっぱ――ぐぇっ!!」
「うるさい!!」
なにかを言おうとした亮の腹に水早ちゃんの裏拳がドスリと入る。
「僕も身長伸びてなかった。一ミリも……はぁ……」
「咲君! 変化ないならまだいいじゃない!」
「そうだぞ咲耶! 水早の胸囲は二センチ縮んだんだ! ちっぱいだ!」
再び亮の腹に裏拳が突き刺さる。
これは刺激するとまずい。言い方ひとつで亮の被害が増すばかりだ。
「それは水早ちゃんがもっと速く泳げる体型になってきてるからだよ」
「保健の先生も同じようなこと言ってた。筋肉質になるのもイヤだなぁ……」
亮が目の前でボディビルダーのポージングをやり始めた。
水早ちゃんが拳を振り上げて逃げる亮を追いかけて行く。
幼い頃からよく見てきた光景に心が和む。
僕が亮や水早ちゃんに望んでいることは、これなのかもしれない。
***
放課後の別棟三階、茶道部の部室内で美咲先生を待つ。
教室の鍵は帰りのホームルームで先生から預かっていた。
「早いね咲君」
「水早ちゃん。ごめんね、部活前に来てもらって」
「いいよ。一応、部員なんだしさ」
水早ちゃんは部室に入ってくるなり畳にあがり湯を沸かし始めた。
紺色の制服姿と茶室。合うような、合わないような……
五分も待たないうちに美咲先生が部室にきた。
グレイの薄手セーターとチェックのワイシャツを重ね着。
濃紺のロングスカートを穿いている。
身体測定時のジャージで通勤してきたと思っていたが違うようだ。
「水早さんもきたの? 水泳部のほうは大丈夫?」
「はい。お昼休みの一時間は大丈夫!」
「咲耶君、持ってきてくれたかな?」
僕は机の上に破れバッグとコケシクンを出して並べた。
椅子から立ち上がって、二人が座る畳の上へ向かう。
「先生。今回の事件、全部解明しましたよ」
「全部……わかったの?」
「ええっと……咲君? 私この場にいてもいいの?」
「もちろん。そのために呼んだんだけど……」
水早ちゃんのお茶をたてる手が一瞬静止する。
その続きを先生が代わって、僕の前にお茶が出された。
「咲耶君、どうぞ」
「いただきます」
作法を気にせず片手でゴクリと飲み干した。
二人は僕がなにを言いたいのか、少しは理解しているようだ。
「今回のバッグとコケシクンのイタズラ事件に犯人はいません」
「犯人がいない? 咲君それは――」
「いいの。水早さん。咲耶君の話を聞きましょう」
なにかを言いたげな水早ちゃんの言葉を先生は遮った。
「今から僕が話すことは推論ですけどね……
途中、意見や反論を挟むのはなしにしてください」
「わかった。私も先生も黙ってる」
まず、ことの始まりは水早ちゃんの頼みにある。
そこが既に術中だったというわけだ。
僕はあの日、茶道部に行くシナリオだった。
「水早ちゃんと美咲先生が知り合ったのは昨日じゃない。
おそらく、四月一日から始業式の間に何度か接触しているはず。
着任は七日だったけど、初出勤日は一日からが普通ですからね」
始業式の日、水早ちゃんの頼みで部室へ向かった。
偶然頼まれて行った。これが間違いの元だったのだ。
「水早ちゃんは僕に入部届けを持って行かせる計画だった。
先生は部室の後ろのドアで僕が来るのを待ち受けていた……」
そして、目の前を歩く先生のバッグからコケシクンが落っこちる。
落ちた衝撃でスイッチがオンになった。これも間違いだ。
「先生は僕が背後にいるのを知っていて、コケシクンをわざと落とした。
左肩にバッグをかけて、右手はバッグの中でスイッチをオンにして……
底の穴に貼っておいたテープを突き破って落としたんだ」
そのあと、先生は嘘の証言をしている。
「バッグにはラインパウダーが付着していた。先生の証言と合致しない。
先生はバッグを職員室に置いていたと言った。この時点でおかしいと思った」
さらに体育倉庫で杭を調べた結果、穴を開けた方法が判明する。
そこにタイミングよく現れたのが水早ちゃんだ。
「僕は体育倉庫で杭とバッグの穴を合わせてみた。すると、ピッタリだった。
ハンマーで運動場に打ち込んで穴を開けたんだと思った」
「咲耶君。誰が開けたって言うの?」
「穴を開けたのは水早ちゃん。時期は始業式以前のいずれかで……
僕が運動場を調べる前に体育倉庫に現れて帰宅させた。
これは予想に過ぎないけど、二人はそのとき連絡を取り合っていた」
二人は僕の目の前でお茶を立てて静かに飲み始めた。
茶碗を置いて、正座のまま僕のほうを見据える。
「ごめん。咲君の推理したとおりだよ。私は去年から茶道部の掛け持ちで……
四月一日に伊豆先生から新任の美咲先生を紹介されたの」
「そこで部員不足の話が出た。身近な適任者が僕だった」
「本当にごめんなさい咲耶君……あなたの話を水早さんからたくさん聞いたの。
笑わないことより、他人に興味を持つことがない……と」
「そう言われると否定はできませんけど……」
「だからね、咲君に初対面で先生に関心を持ってもらおうと思った。
なにか強いインパクトを与えれば印象に残るかなって……」
この二人、くだらない茶番劇を計画しておいて肝心な部分ですれ違っている。
「水早ちゃん、あのコケシクンどこで手に入れたの?」
「あれは大学行った先輩が彼氏できたら楽しみなさいってシャレでくれたよ」
「うげ! 中古品じゃないだろうな」
「水早さん……私てっきりマッサージ機だとばかり思ってたのに……」
「ええぇ!? 先生知らなかったの!?」
先生は顔を真っ赤に染めて首を横に振る。
コケシクン使用動画のインパクトが強すぎたのかもしれない。
「水早ちゃん、僕は始業式に先生を見た瞬間から関心を持ってるよ」
「ほんとにごめん! 咲君を騙すような真似をして……
すぐバレるのもわかってたのにね……」
「私も教師のくせに悪乗りが過ぎたわ。ごめんなさい。
あなたを茶道部に誘う資格なんてない……」
先生は悲しそうな顔をしてうつむいた。
水早ちゃんは視線を廊下のほうへそらしてしまった。
「僕は先生のことが好きだから……」
「えっ!? 水早さん……今、私愛の告白されてるの?」
「うーん、咲君の場合ちょっと違うの。先生に強い関心を持ったってこと。
簡単に言えば私や亮みたいな感じかな」
「うん。自分でもまだよくわからない。亮や水早ちゃんへの好きと……
先生への好きも微妙に違うみたい」
「ありがとう。その気持ちとゆっくり向き合うといいと思う。
入部を考える件は白紙撤回でいいの」
「はい。先生がそう言うのなら入部の話はあああぁぁ――!!」
水早ちゃんが美咲先生の隣りでペンをスラスラ走らせる。
入部届けに木花咲耶の名前を記入……
「咲君に回りくどい勧誘したけどさ、咲君も今の自分と向き合うべきだよ!」
「今の自分と向き合う?」
「今まで感じたことない気持ちを先生に感じてるんでしょ?
なら、答えは出てるじゃない。一秒でも長く先生の近くにいること。違う?」
「違わない。いつも水早ちゃんは正しいね。でも、入部についてはもう少し――」
「茶道部へようこそ。木花咲耶君。火野美咲はあなたを歓迎します」
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大きなプレゼントをもらったような気分になるのはなぜだろう。
「うう……結局、今回一番策士だったのは美咲先生じゃ……」
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「その自信の根拠は?」
「兵法をひけらかす咲耶君以上に兵法を熟知しているから」
「水早ちゃん、この先生何者だよ……まだなにか隠してない?」
「いやぁ……先生のことは追々わかってくるよ。仲良くしてね」
リーダーが夢の中でこう言っていた。
今度も俺様のおかげさまさまサマーソルトキックだろと……
つまり、サマーソルトとは宙返りして元の位置に戻ってくること。
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