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第二章 鵜の真似をする三羽烏

第一話 競泳水着ビリビリーブ

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 四月中旬。ここ何日か不安定な天候が続く。桜並木の薄紅も見納めが近い。
花見を堪能するほどの通学距離ではないけど、下駄箱までのほんの数分間、舞い散る花びらを目で追いかけた。

 ひんやりとした校舎の空気を肌に感じながら、教室へ向かう。

 廊下の角に差し掛かったとき、数メートル前方に人影が見えた。
ひとりの男子生徒が教室の中に入って行く。見慣れた背格好だ。

「うっす、咲耶!」
「おはよう、亮。やけに早いね」

 家から学校が近いと、教室に着くのがほとんど毎日一番乗りとなる。
普段は絶対、この時間にいない亮が先に教室にいる。

 家から二キロほど距離があるため、亮は自転車通学組だ。
いつもなら五分前かギリギリに到着するはず。

「咲耶。ちょっと聞きたいことがあってな」
「それって内緒話? だから、僕より……いや、水早みずはちゃんより早く来た?」

 亮は自分の席ではなく、僕の目の前の水早ちゃんの席に座っていた。
うしろ向きに腰掛けて、真剣なまなざしで僕のほうを見る。

「さすがに鋭いな! 実は昨日の放課後な」
「うん。放課後どうしたの?」
「水早の水泳部をのぞきに行ったんだ」
「はぁ?」

 コイツは忘れているのだろうか。
水早ちゃんに見つかれば、水球で顔面クラッシャーされるというのに……
ただ、亮の目は真剣そのもので、表情はやや曇って見える。

「ちょっと、気になることがあってな。最近、水早の様子おかしいだろ?」
「……おかしい?」
「ああ。春休み明けてから、なんかこう一年のときと違うような」

 思い当たる節があるとすれば、自作自演のコケシクン混入事件だ。
しかし、あれはキツめのジョークみたいなもので、僕は特になにも思っていないし、美咲先生や水早ちゃんの思惑通り茶道部に入部して毎日顔を出すようになった。

「亮、なんで本人に聞かないの?」
「アイツが俺に素直に弱みを見せると思うか?」
「じゃあ、僕なら見せるってこと?」
「女の子同士なら聞きやすいだろ」
「いや、僕男だから……」

 確かに亮が言うことに一理ある。
水早ちゃんは亮のことが昔から大好きで、本人は片思いだと思い込んでいる。
だから、亮の前で弱みを見せたがらない。強い自分でいたいと切に願う。

 亮も口ではナンパ気取りだけど、誰よりも水早ちゃんを思っている。
それを幼い頃から一番近くで見てきたのが僕自身だ。

「クソッ! どう説明すりゃいいんだ!」
「落ち着いて。亮は昨日、水泳部をした。で、なにを見たの?」
「咲耶。水泳部って今週か来週ぐらいに大会あるのか?」
「え? この時期は大会ないよ」
「水早だけどっかに試合しに行くとかは?」
「ひとりだけで? それもないと思うんだけど……」

 茶道部の部室で美咲先生といる時間が長い分、いろいろな情報が得られる。
例えば、今年度前期の生徒会が立てた予算案についての不満もそのひとつだ。
人数が少ない文化部は昨年度より削減されてしまった。

 学校行事についても先生と話し合うことがある。
しかし、部員のひとりである水早ちゃんが試合に出るとは聞いていない。
教師だけが持つ、この地区の予定表も確認済みだ。

「だったらなんで水早だけがしてるんだ?」
「え!? 試合用の?」
「アイツだけ別の水着で練習してるぞ。他のヤツとはデザインが違う」
「練習用の水着と試合用の水着があるって水早ちゃんから聞いてるけど……」

 数日前の体育倉庫で、水早ちゃんが見せびらかした水着だろう。
本人は二年生が着用する試合用だと言っていた。

「頼む、咲耶! うまいこと水早から聞き出してくれ!」
「どうして他の部員と違う水着なのかって聞けばいいの?」
「そうだ。去年はアイツ、みんなと同じ練習用の水着だったはずだ」

 お前はいったい週に何回のぞきに行っているんだとツッコミたい。
しかし、ここは僕が間に立って、本人に直接事情を聞くのが無難かもしれない。

 話し込んでいるうちに他の生徒も教室内に増えてきた。
水早ちゃんが入ってくる前に、亮を席に戻るようにうながした。

 僕は基本無表情人間だけど、亮の動揺は顔に出やすい。
水早ちゃんはそういうところに敏感で、すぐに気づかれてしまう。





***





 数分後、教室に入ってきた水早ちゃんの様子はいつもと変わらない。
僕と挨拶を交わしたあとは、女友達数人と話し込んでいる。

 その輪の中に同じ水泳部員もいるが、深刻な話をしているようには見えない。
予鈴が鳴って水早ちゃんが自分の席に戻ってきた。
授業開始までの短い時間で、どう話を切り出そうか迷う。

咲君さくくん、部活はどう?」

 迷っているうちに先に話しかけられてしまった。
こちらを振り返った水早ちゃんの表情は、いつもと変わらない笑顔だ。

「のんびりやってるよ。先生があれだからね……」
「美咲先生面白いでしょ。すっごい美人なのに、料理とか掃除苦手だし」
「面白いっていうか、変な人だよ。茶道なのにコーラ飲んでるし……」
「あちゃー。咲君の前でもやっちゃったんだ?」
「グエーッ、ゲプッとか、ゴエッ、グアッとか……僕は少し幻滅した……」

 部活中に先生は常にお茶をたてるわけでなく、大好きなコーラをよく飲む。
飲むと必ずものすごい勢いのゲップを放出する。たまにオナラも出る。
百年の恋もいっぺんに冷めるというものだ。

「美咲先生がそういう油断した姿見せるのは、咲君が信用されている証だよ」
「ねえ、水早ちゃんも僕を信用してくれてるのかな?」
「え? わたしが咲君を? 信用してるよ」

 一番左前の席に座っている亮が振り返って目が合った。
アイツが今、言いたいことがなんなのかわかる気がする。
自分の関与のぞきを隠したまま、水早ちゃんに事情を聞き出せということだ。

「ちょっと聞きづらくて、今まで黙ってたんだけどね……
 この前、体育倉庫で水早ちゃんが僕に見せた競泳水着あるよね?」
「うん。二年生の試合用の――」
「僕は部活中に先生の手伝いで外のゴミ捨て場に行く日があるんだ。
 通り道の途中に屋内プールが見える場所あるよね?」
「咲君……亮とのぞき?」
「いやいや、違うよ。水早ちゃんの水着が――」
「体育倉庫で咲君だけに出したヘルプサイン、受け取ってくれた?」

 その一言で僕は水早ちゃんの困りごとをおおよそ推察できた。
自分だけ別の水着を着用するということは、本来着用するべき水着がない。
つまり、なんらかの理由で練習用の水着を紛失した?

「亮には言わない。いったいどうしたの?」
「わたしの練習用の水着、ロッカールームで破かれてたの」
「ひどい嫌がらせだね。買い替えないの?」
「うん。そこそこ値段も張るし、親にも言いづらい」
「その水着は今どこに?」
「ロッカーに入れたままだよ。あとで咲君だけに相談しようと思って……」
「水早ちゃん、今日部活前にそれを茶道部に持ってきてくれる?」
「わかった。持って行くね。変な破り方なの」
「破り方に変とか普通とかあるのかな……」

 ともかく、水早ちゃんは僕を信用して、ヘルプサインを出していた。
それに答えるしかない。亮には内緒で少し申し訳ないけど……

 僕は女の子に間違えられるときもあるけど、女の子じゃないからわからない。
好きな男性に弱い自分を見せたくない水早ちゃんのプライド。お互いが歩み寄りたいと願っているのに、そのプライドは邪魔にならないだろうか。

 美咲先生にもこんな一面があるのかと、つい気になってしまう。
むしろ、僕は先生の弱点が知りたい。弱点がない人間なんかいないのだから……
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