キャスリン・アダムス・スペンサーの忘却

桃井すもも

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第十四章

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 動揺するキャスリンをよそに、ヘンドリックは話を続けた。

「シンシア嬢から相談を受けるたびに、私はそれが、彼女のちょっとした愚痴なのだろうと思っていた」

 シンシアの可憐な見目を思い浮かべて、キャスリンは彼女と愚痴という言葉が結びつかなかった。
 それよりなにより、幾度も彼女の愚痴を聞いてあげたのかと、キャスリンはそちらのほうが気になった。それで、つい目の前に座るヘンドリックを胡乱な眼差しで見てしまった。

「そんな目で見られると胸が痛む」

 ヘンドリックの弱音には応えずにいると、彼はキャスリンを気にしつつ先を続けた。

「夏の初めに、王城で偶々彼女に会ったときに持ち掛けられた」

 シンシアは王子妃教育を受けているから、定期的に登城しているのはキャスリンも知っていた。
 そんなことより、ヘンドリックはなんと言った?

「持ち掛けられた?」
「うん。賭けてみたいと言われた」
「え?賭け?なんの賭け?」

 そこでヘンドリックは、気まずいような言いづらいというような顔をした。凝視するキャスリンの真っ直ぐな視線に、居た堪れないという表情をした。
 キャスリンにしてみれば、話してもらわねば埒が明かないことだから、そこは頑張ってきっちり話してほしいと思う。

「殿下との関係に、少しだけ刺激を与えたいと。それで力を貸してほしいと頼まれた」
「ヘンドリック様、それって真逆、殿下のお気持ちを試すということ?焼き餅を焼かせようとしたの?」

 ヘンドリックはそこで、小さく頷いた。

「駄目よヘンドリック様。殿下はそんなことで心の動かすお方ではないわ」
「私もそう思った」
「でしょう?貴方だって殿下のご気性が分かるでしょう?逆効果だわ」

 ヘンドリックならわかる筈だ。
 アルベールは高潔な気質である。気持ちを試されるなんてことは、彼がなにより嫌うことだった。

「そんなことで殿下の感情は動かないだろうとは、私にもわかっていた。そうシンシア嬢にも話した」
「ならどうして」
「シンシア嬢は、それを最後に迷いを捨てると」
「勝手だわ」
「だから今、こうなった」
「こうなった?」
「殿下は動じることはなかったし、私は君を失いかけている」

 ヘンドリックは、淋しげな顔をして眉を下げた。

「シンシア嬢は殿下しか見ていないよ。彼女とは二人きりで会ったことなんて一度もないし、学園の中でだけ親しい姿を装った」
「馬鹿馬鹿しい」

 キャスリンは、つい乱暴な物言いになってしまった。だが、ほかに言いようがなかった。
 ヘンドリックほど賢い人物が、そんな子供じみたことを企てていたことに心底呆れてしまった。

 こんなことなら初めから、ヘンドリックに真っ向から確かめていれば良かった。キャスリンの気持ちばかりではない。アルベールの気持ちは一体、どうだったろう。

「酷いわ、ヘンドリック様。貴方は殿下に最も近い友人で従兄弟で側近だわ。貴方がシンシア様のお心を慰めたい気持ちはわからなくはないけれど、それで殿下を巻き込むなら、貴方こそ真っ先に止めなければならないお立場よ」
 
「君は、殿下のためなら怒れるんだな」

「当たり前じゃない。貴方は誰にお仕えしているの?シンシア様のお気持ちを思いやることと別のお話だわ」

 猫が逆毛を立てるような怒りっぷりに、ヘンドリックは驚いたようだった。キャスリンは陽気な気質であるが激情型ではなかったから、彼の前でも感情の起伏を見せることはこれまでなかった。

「私も試されていたの?」
「君が心を動かすのか、確かに気になった」
「それが試すということです」

 キャスリンに詰られて、「すまない」とヘンドリックは詫びた。

「君が不愉快な気持ちになるだろうと思っていた。だが君はなにも言ってこなかった。そのことに、思った以上に焦れてしまった」
「それでよそよそしかったの?」

 ヘンドリックに避けられているような気がしていた。
 それで余計に聞きづらくなってしまって、一人悶々と考え込んだ。見かねたアルベールから勧められるまま『恋人の心を取り戻す方法100選』を読み耽るくらいには悩んでいたのだ。それほど心を塞いで悩んだ自分が可哀想に思えてくる。

 というか、そもそもアルベールに揺さぶりを掛けるために仕組んだことに、一番揺さぶられたのはキャスリンで、アルベールなんてキャスリンを励ます側にいたではないか。

 そればかりかアルベールは、心身共に傷ついたキャスリンを慰めるべく領地まで来てしまったではないか。それは最早、計画の破綻、大失敗だろう。

「貴方たち大失敗よ、殿下は無傷よ。寧ろ、ダメージを受けたのは私だわ。誤爆もよいところよ」

 キャスリンは、ヘンドリックとシンシアの方向違いな計画を非難した。

「そうだな。結局は、変わってしまったのは君と私の関係だった。けれどそれでも良かった」

 なにが良かった?と思ったことが顔に出ていたのか、ヘンドリックはキャスリンに小さく笑みを向けた。

「君が今、目の前にいる。怒りながら私と話してくれている」

 キャスリンはぴんぴんしている。記憶もばっちり憶えている。

「あんな気持ちを絶望と言うのだとわかったんだ」
「ヘンドリック様?」
「背中から物音が聞こえて何かが転がってきて、それが人だと直ぐにわかった。けれど真逆、君だなんてそんなことは思わなかった」
「ヘンドリック様⋯⋯」
「一歩も動けなかったんだ。指の一本も動かすことができなかった。まばたきすらできなかった。心が空になったようだった」

 弱気な本心を打ち明けるヘンドリックは、今までで一番身近に感じられた。

「ヘンドリック様。貴方は殿下と私を試したけれど、私こそ試行錯誤の毎日だったのよ?」
「試行錯誤?」
「どうしたら貴方に好ましいと思ってもらえるのか、どうしたら可愛いと思ってもらえるのか、毎日試してチャレンジの連続だったわ」
「道理で。君はいつでも可愛かったよ」

 哀しいことに、最後の最後になってキャスリンは、自身のチャレンジの成功を知ってしまった。

「馬鹿ね、貴方もシンシア様も。それから私も殿下も」

 切っ掛けは些細なことだったのに、結果は大きく変わってしまった。
 もう後戻りなんてことはできない。キャスリンの階段落ちが引き金となって、事態は両親たちを巻き込んで公になっている。学生の痴話喧嘩の域を超えてしまった。
 
「殿下とはお話をなさったのね?」
「君の事故について、厳しく叱責を受けた」
「怪我は私の不注意だわ」
「君の心を不安にさせたために、君を失うところだった。取り返しのつかないことになるところだった」

 ヘンドリックはそう言って、キャスリンを真っ直ぐ見つめた。嘘も偽りも浮かばない澄んだ青い瞳のまま、キャスリンに再び謝罪した。

「全て甘んじて受ける。全て君の希望の通りにする」

 ヘンドリックの瞳は、そこでほんの少し揺らいで見えた。




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