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第十七章
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ヘンドリックとキャスリンの婚約が解消されると同時に、アルベールとシンシアの婚約もまた解消された。
二つの縁談は同じ部屋、王城の一室で同時に解かれ、そのまま新たにヘンドリックとシンシアの婚約が結ばれた。
王家と公爵家に侯爵家が二家、アルベールにシンシア、ヘンドリックとキャスリンの生家当主が一堂に介してのことだった。
ヘンドリックとシンシアは、騒動の収拾を最も美しく合理的に纏めるために婚約することとなった。
学園を騒がせた恋の物語は、互いに婚約者を持つ者同士が惹かれあい、その情熱を王子が認め、不慮の事故が癒えたもう一人の婚約者は二人の心情に涙を呑んで身を引いたという「美談」に仕立て上げられた。
ヘンドリックとシンシアは「婚約」という形で責任を果さなければならず、キャスリンはそれを覚悟していたが、アルベールは大切にしていた婚約者を失うことになってしまった。
学園で追試を受けながら、キャスリンは、まだ釈然としない気持ちのやり場に苦慮していた。それで試験に集中できないあまり残念な結果で終わったというのは、ただの言い訳である。
残念な追試試験の帰り道、アルベールと廊下を歩きながら、キャスリンはまだ心の引っ掛かりを整理できずにいた。
「アルベール様。ごめんなさい」
「なぜ君が謝る?」
キャスリンとヘンドリックが対話の場を得られたように、もしかしたらアルベールもシンシアと最後に話す時間を与えられていたのだろうか。
アルベールがなにも言わないことを、キャスリンが聞くことはできない。
キャスリンとヘンドリックに別れの瞬間があったように、アルベールにも、彼だけの心に仕舞っておきたいシンシアとの別れの場面があるだろう。
「ねえ、キャスリン」
「なんでしょう?」
「君は思い違いをしているよ」
「思い違い?」
思わず見上げたアルベールは、金色の髪を揺らし瞳に悪戯な光を湛えていた。
「そのまま歩いて」
アルベールは、そこで少し声を落とした。そこら辺にいるだろう護衛に聞き取れない程度の声音に留めた。前を向いて並び歩く二人は、傍から見れば和やかに歓談する姿に見えるだろう。
「巻き添えを食ったのは君だよ。二人の婚約は、彼らへの罰だ」
それは既に、キャスリンにもわかっていた。
王子妃となる身であったシンシアと、宰相令息でありアルベールの側近でもあるヘンドリックの行動には、学生ばかりでなく多くの貴族の耳目が集まっていた。
二人には『誠実』を通してもらう。嘘偽りなく『真実の愛』を通し抜いてもらう。
高位貴族の頂点にいる彼らには、『真実』を容易く覆してもらっては困るのだ。ついた嘘は真にしてもらわねばならない。
美しい演劇の一場面、最大の見せ場のシーンとして、ヘンドリックとシンシアは幸福な結実を迎えることとなった。本人たちの気持ちなど、一滴も考慮されてはいない。宰相は、自身の子息に容赦しなかった。
キャスリンは、その純愛に深みをもたらす悲劇のエッセンスである。
「君が一番傷ついた」
「それなら貴方だって」
「そうでもないさ」
「え?」
立ち止まりそうになったキャスリンに、アルベールは笑みを浮かべたまま「立ち止まらないで」と小声で言った。
「ヘンドリックは覚悟した」
そうだろうとキャスリンも思った。
「貴方は?貴方はシンシア様を大切になさっていたわ」
「与えられた人形を大切にするのは当たり前のことだろう?」
「は?」
「ねえ、キャスリン。私には義務がある。与えられる爵位と領地がある。弟に何かあった際のスペアの役割も担っている」
「⋯⋯ええ」
「生まれに即した権利と義務があって、権利は既に享受している」
「既に⋯⋯」
「今、王子と呼ばれて傅かれて、美しいと褒めそやされ、凛々しいとか賢いとか英明だとか持ち上げられている」
キャスリンは、褒め言葉がやけに多くないか?と思ったが、大切な話の最中なので大人しく耳を傾けた。
「既に権利は受け取っているのに、義務を果たさない訳にはいかないだろう?なら、心ここにあらずの抜け殻を大切にするのは当たり前のことだろう?」
「ちょっと待って、アルベール様。貴方、今なんと?」
「シンシアは抜け殻だよ。私の前では」
キャスリンはシンシアを思い浮かべた。その姿は、長い白金の髪が陽光を浴びて淡く輝いている。エメラルドの瞳はどこまでも澄んで見えて、アルベールを見上げる眼差しは、眼差しは⋯⋯。
そんな姿を見たことがあっただろうか。彼女はいつでもアルベールの横に並んで、真っ直ぐ前を見つめていた。
「アルベール様、貴方、いつから気がついていたの?」
「ええ?そんなの最初からだよ。珍しいことでもないよね。この学園にどれだけそんな関係の婚約者たちがいると思う?だからこそ、あの二人の純愛が持て囃されたのさ」
アルベールは、とても客観的に当たり前のことと受け止めているように見えた。
キャスリンは、自分が恵まれていただけなのだと思った。ヘンドリックは賢く麗しく紳士的で、キャスリンは直ぐに彼に恋をした。それは間違いなく幸福な婚約だったからだ。
「最初から仕組んでいたのはシンシアだ」
「え!?」
キャスリンは思わず声を上げてしまった。いけない、そこら辺に潜んでいる護衛に勘づかれてしまうと、慌てて口を噤んだ。
「彼女がヘンドリックを得ようとして行動した。大成功だよね、あの家に相応しい」
「あの家って、公爵家?」
「君は宰相の狸っぷりを知らないからね。彼の真っ黒な腹の中身は底なしだよ。国を守るためならなんだってできる。俳優にもなれるのではないかな?茶番を演じるのが猛烈に上手いから」
キャスリンは、ヘンドリックの未来の姿であるような紳士的な公爵を思い出した。
「それって、私では公爵家に相応しくなかったということでは?」
「それは違うよ、キャスリン。宰相の奥方は誠実を絵に描いたような女性だ。偽りには必ず誠実が必要なんだよ。そうでなければ傾いてしまう」
ただ、とアルベールは続けた。
「ヘンドリックが誠実だった。文官ならそれで良いだろう。だが、彼が宰相の後を受け継ぐなら、若干の毒を持っていたほうが良いだろう」
アルベールはシンシアを毒に喩えた。毒とシンシアは、キャスリンの中で結びつかなかった。
二つの縁談は同じ部屋、王城の一室で同時に解かれ、そのまま新たにヘンドリックとシンシアの婚約が結ばれた。
王家と公爵家に侯爵家が二家、アルベールにシンシア、ヘンドリックとキャスリンの生家当主が一堂に介してのことだった。
ヘンドリックとシンシアは、騒動の収拾を最も美しく合理的に纏めるために婚約することとなった。
学園を騒がせた恋の物語は、互いに婚約者を持つ者同士が惹かれあい、その情熱を王子が認め、不慮の事故が癒えたもう一人の婚約者は二人の心情に涙を呑んで身を引いたという「美談」に仕立て上げられた。
ヘンドリックとシンシアは「婚約」という形で責任を果さなければならず、キャスリンはそれを覚悟していたが、アルベールは大切にしていた婚約者を失うことになってしまった。
学園で追試を受けながら、キャスリンは、まだ釈然としない気持ちのやり場に苦慮していた。それで試験に集中できないあまり残念な結果で終わったというのは、ただの言い訳である。
残念な追試試験の帰り道、アルベールと廊下を歩きながら、キャスリンはまだ心の引っ掛かりを整理できずにいた。
「アルベール様。ごめんなさい」
「なぜ君が謝る?」
キャスリンとヘンドリックが対話の場を得られたように、もしかしたらアルベールもシンシアと最後に話す時間を与えられていたのだろうか。
アルベールがなにも言わないことを、キャスリンが聞くことはできない。
キャスリンとヘンドリックに別れの瞬間があったように、アルベールにも、彼だけの心に仕舞っておきたいシンシアとの別れの場面があるだろう。
「ねえ、キャスリン」
「なんでしょう?」
「君は思い違いをしているよ」
「思い違い?」
思わず見上げたアルベールは、金色の髪を揺らし瞳に悪戯な光を湛えていた。
「そのまま歩いて」
アルベールは、そこで少し声を落とした。そこら辺にいるだろう護衛に聞き取れない程度の声音に留めた。前を向いて並び歩く二人は、傍から見れば和やかに歓談する姿に見えるだろう。
「巻き添えを食ったのは君だよ。二人の婚約は、彼らへの罰だ」
それは既に、キャスリンにもわかっていた。
王子妃となる身であったシンシアと、宰相令息でありアルベールの側近でもあるヘンドリックの行動には、学生ばかりでなく多くの貴族の耳目が集まっていた。
二人には『誠実』を通してもらう。嘘偽りなく『真実の愛』を通し抜いてもらう。
高位貴族の頂点にいる彼らには、『真実』を容易く覆してもらっては困るのだ。ついた嘘は真にしてもらわねばならない。
美しい演劇の一場面、最大の見せ場のシーンとして、ヘンドリックとシンシアは幸福な結実を迎えることとなった。本人たちの気持ちなど、一滴も考慮されてはいない。宰相は、自身の子息に容赦しなかった。
キャスリンは、その純愛に深みをもたらす悲劇のエッセンスである。
「君が一番傷ついた」
「それなら貴方だって」
「そうでもないさ」
「え?」
立ち止まりそうになったキャスリンに、アルベールは笑みを浮かべたまま「立ち止まらないで」と小声で言った。
「ヘンドリックは覚悟した」
そうだろうとキャスリンも思った。
「貴方は?貴方はシンシア様を大切になさっていたわ」
「与えられた人形を大切にするのは当たり前のことだろう?」
「は?」
「ねえ、キャスリン。私には義務がある。与えられる爵位と領地がある。弟に何かあった際のスペアの役割も担っている」
「⋯⋯ええ」
「生まれに即した権利と義務があって、権利は既に享受している」
「既に⋯⋯」
「今、王子と呼ばれて傅かれて、美しいと褒めそやされ、凛々しいとか賢いとか英明だとか持ち上げられている」
キャスリンは、褒め言葉がやけに多くないか?と思ったが、大切な話の最中なので大人しく耳を傾けた。
「既に権利は受け取っているのに、義務を果たさない訳にはいかないだろう?なら、心ここにあらずの抜け殻を大切にするのは当たり前のことだろう?」
「ちょっと待って、アルベール様。貴方、今なんと?」
「シンシアは抜け殻だよ。私の前では」
キャスリンはシンシアを思い浮かべた。その姿は、長い白金の髪が陽光を浴びて淡く輝いている。エメラルドの瞳はどこまでも澄んで見えて、アルベールを見上げる眼差しは、眼差しは⋯⋯。
そんな姿を見たことがあっただろうか。彼女はいつでもアルベールの横に並んで、真っ直ぐ前を見つめていた。
「アルベール様、貴方、いつから気がついていたの?」
「ええ?そんなの最初からだよ。珍しいことでもないよね。この学園にどれだけそんな関係の婚約者たちがいると思う?だからこそ、あの二人の純愛が持て囃されたのさ」
アルベールは、とても客観的に当たり前のことと受け止めているように見えた。
キャスリンは、自分が恵まれていただけなのだと思った。ヘンドリックは賢く麗しく紳士的で、キャスリンは直ぐに彼に恋をした。それは間違いなく幸福な婚約だったからだ。
「最初から仕組んでいたのはシンシアだ」
「え!?」
キャスリンは思わず声を上げてしまった。いけない、そこら辺に潜んでいる護衛に勘づかれてしまうと、慌てて口を噤んだ。
「彼女がヘンドリックを得ようとして行動した。大成功だよね、あの家に相応しい」
「あの家って、公爵家?」
「君は宰相の狸っぷりを知らないからね。彼の真っ黒な腹の中身は底なしだよ。国を守るためならなんだってできる。俳優にもなれるのではないかな?茶番を演じるのが猛烈に上手いから」
キャスリンは、ヘンドリックの未来の姿であるような紳士的な公爵を思い出した。
「それって、私では公爵家に相応しくなかったということでは?」
「それは違うよ、キャスリン。宰相の奥方は誠実を絵に描いたような女性だ。偽りには必ず誠実が必要なんだよ。そうでなければ傾いてしまう」
ただ、とアルベールは続けた。
「ヘンドリックが誠実だった。文官ならそれで良いだろう。だが、彼が宰相の後を受け継ぐなら、若干の毒を持っていたほうが良いだろう」
アルベールはシンシアを毒に喩えた。毒とシンシアは、キャスリンの中で結びつかなかった。
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